将棋の格言というのは色々あるもの。
「王手は追う手」
「長い詰みより短い必至」
「金底の歩、岩よりも固し」
など実戦で大いに役に立つものもあれば、
「55の位は天王山」
「銀は千鳥に使え」
「三桂あって詰まぬことなし」
といった、ほとんど死語になったようなものもある。
むずしいのは、将棋の変遷によって、かならずしも当てはまるとは限らないケースが出てくることで、
「居玉は避けよ」
「玉の囲いは金銀三枚」
「桂馬の高跳び歩のえじき」
このあたりは、
「たしかにそうだけど、現代将棋ではケース・バイ・ケースだよね」
くらいな感じになっているところはある。
そんな中、地味な格言に意外と使えるものが残っているもので、今回はそういうものを。
1985年の第33期王座戦は、中原誠王座(名人・王将)に谷川浩司前名人が挑戦した。
この期、春の名人戦で中原は谷川から名人を奪い取り、
「第二次中原時代の幕開き」
と上げ調子であったころ。
一方、無冠に転落した谷川からすれば、復讐に燃えての勝ち上がりで、まさに新旧頂上決戦であったのだ。
ちなみに谷川「前名人」という聞きなれない肩書は、当時は名人を失って無冠になると、気を使って「前名人」と呼ばれるマヌケな習慣があったせい。
谷川はこの罰ゲーム(にしか見えないよな)を嫌い、色紙などには「九段 谷川浩司」と書いていた。当然だよねえ。
それはともかく、五番勝負は開幕局を谷川が制して、むかえた第2局。
相矢倉で後手は7筋、先手は中央から駒をぶつけていく形で、中盤戦のこの場面。
大駒をさばきあって、先手が竜を作っているが、後手も香得して形勢はバランスが取れている。
手番をもらった後手は、当然反撃したいところで、となればまずはここに指が行きたいところだ。
△86歩が、まずは筋中の筋。
これは格言にこそなっていないが、矢倉戦ではとにもかくにも、この歩をいいタイミングで突き捨てたいところ。
応用編として、△86桂や△86香と打ちこんでいく筋もあり、ここをイジっていく形は、居飛車党なら絶対におぼえておきたい感覚だ。
これを▲同歩と取るか、それとも▲同銀と取るかは悩ましく、これまた居飛車党の永遠のテーマだが、▲同歩は△87歩のタタキがいやらしい。
▲同銀も△84香や、場合によってはいきなり△86同飛、▲同歩、△87歩みたいな特攻で一気に寄せられてしまうこともあり、そう簡単には選べない2択なのだ。
このゆさぶりに、強気の谷川はなんと、放置して▲71竜。
△86歩になんと手抜きという、第3の選択を披露した谷川に、飛車を逃げるようでは攻めが切れてしまうと、中原は△87歩成、▲同金に△同飛成と特攻。
▲同玉に△86歩もまた筋で、▲同銀に△85歩。
飛車を切ってしまった以上、後手は足が止まったおしまいである。
次々パンチをくり出すにしくはないと、▲85同銀に△86香とカマす。
▲同玉は△53角が王手飛車なので、▲78玉に△89香成。
先手玉も相当うすめられているが、飛車、角、銀の持駒も超強力で頼もしいということで、すかさず▲82飛と打ちおろす。
「鬼より怖い二枚飛車」
この格言通り、後手陣にはいきなり詰めろがかかっている。
次に▲31角や銀と打たれてはお陀仏だ。
なにか受けなければいけないが、普通にやる前に、まずは一工夫しておきたいところ。
△51歩と打つのが軽妙な一着。
▲同竜と取られて、一見なんのこっちゃだが、そこで△31金打とガッチリ埋めるのが継続手。
単に金で守るより、こうすれば次に△73角の両取りがあり、竜がどいたことで△75桂の反撃も可能になった。
また△31金打に▲81飛成みたいな手なら、どこかで△42銀と引いて、▲71竜右に、また歩が入れば△51歩と底歩を打つ守りができる。
これで後手玉はほぼ無敵になるなど、わずか歩1枚でこれだけ手が広がっていくのだ。
この△42銀を生んだ△51歩は、まさに
「大駒は近づけて受けよ」
であり地味ながら、かなり役に立つ格言であるのだ。
谷川は△31金打に▲81竜とするが、すかさず△75桂の痛打で攻守所を変えた。
以下、▲76角の攻防手にも△42銀と落ち着いて受け、▲55桂に△64角から飛車を奪って後手が勝ち。
これでタイに戻した中原は、第3局、第4局も連勝し、谷川の「前名人」という不名誉な称号の返上を阻止したのである。
(中原が谷川から名人をうばったシリーズで見せた「近づけて」がこちら)
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