「端歩は心の余裕です」
という言葉をかつて残したのは、島朗九段であった。
正確には、島がまだ奨励会にいたころ、幹事だった真部一男九段が言ったそうだが、似たような格言である、
「手の無いときは端歩を突け」
よりは、少しばかりポジティブな感じ。
いそがしそうな局面で、悠然と端に手をかけるというのは、たしかに「余裕」がないと指せないかもしれず、
「中原の▲96歩」
「羽生の▲96歩」
のように、ただなんとなく端を突いただけに見える手が、実は絶妙手だったりするケースもあるのだ。
このように、まさに端歩は「余裕」をカマすことによって、相手のペースを乱す効力もあるわけだが、時には一撃で相手を倒すという、おそろしい場合もあるわけで……。
1992年の第40期王座戦の挑戦者決定戦。
羽生善治棋王と、米長邦雄九段の一戦。
後手番になった羽生の矢倉中飛車から、力戦調の相居飛車に。
図は米長が、▲46歩と合わせたところ。
△同歩は▲同銀で調子がいいし、かといって放っておくと、▲45歩と位を取られるし、▲45桂の跳躍もある。
なら、△65歩や△86歩で攻め合いに出るのが、居飛車党の呼吸かなと見ていると、次の手が意表であった。
△14歩と、ここで端歩を突くのが好手だった。
と言われても、イマイチなんのこっちゃだが、どうしてどうして。
この手には、おそろしいねらいがあるのだ。
といっても、それが実現するのが、なんとこの30手近く後。
それでは私のような素人が、置いてけぼりになるのも無理はないわけである。
△14歩に、米長は▲45歩と大きな位を取るが、そこで羽生も△95歩、▲同歩、△86歩、▲同角、△65桂と華麗な反撃を見せる。
以下、羽生の猛攻を米長が受け止める展開になるが、急所の局面がここだった。
△59歩成と、と金を作ったのを、王様自らで受け止める。
いかにも危険に見えるが、後手の攻め駒も2枚しかなく細い。
下手すると簡単に切れてしまいそうな感じだが、次の手が絶妙だった。
△22角と引くのが、一撃必殺の手。
これだけ見ればハテナだが、ここで先の△14歩が、まさかの輝きを見せることがわかる。
そう、次に△13角とのぞけば、それが遠く▲68にいる先手の王様をスナイプして、一瞬で受けがなくなるのだ!
もちろん、はるか前に着いた端歩は、この手を見越してのことで、
「いやあ、端が突いてあって、ラッキーでしたわ」
というレベルの話ではない。
すべてが読み筋なのだから、恐れ入るしかないではないか。
米長は▲76銀とはらって、△13角に▲67玉と、きわどくかわすが、そこで今度は反対側から△35歩と突く。
▲同桂に△34銀と攻め駒を責めて、▲46金に△86歩と突いて、▲同歩に△58と、と捨てるのが軽い好手。
▲同玉に△86飛とさばいて一気呵成。
さっきまで細く見えた攻めに、飛車が参加してきたうえに、金と桂の質駒まで確保できて、これは切れない形だ。
以下▲67玉のふんばりに、△57銀成、▲同玉、△76飛と大暴れして後手勝勢。
五番勝負でも、福崎文吾王座をストレートで下して二冠になるのだった。
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