「投了は最大の悪手」
というのは、将棋の世界でまま聞く言葉である。
敗勢になってもガッツでがんばる棋士や、まだねばる手があったのに、それに気づかなかったり、心が折れて卒然と投げてしまう人(こないだの神谷広志八段(こちらとかこちら)やアべマトーナメントの藤井猛九段みたいに)に対して使うこともあるが、要は安西先生の、
「あきらめたら、そこで試合終了ですよ」
ということだが、実際のところは「負け確」の将棋を投げずに指し続けるのは、相当な精神力が必要ではある。
中にはもっとディープなケースがあって、自玉が詰んでないのに、あるいは逆に相手玉に詰みがあるのに、それを気づかず投げてしまう人もいたりする。
文字通りの「最大の悪手」であり、今回はそういう将棋を。
1985年、第44期B級2組順位戦の開幕戦。
脇謙二六段と、野本虎次六段の一戦。
前期、初参加で7勝3敗の好成績をおさめ、順位を5位につけた脇は25歳という若さもあって、当然昇級候補のひとりだった。
だが、その大事な初戦を脇は落としてしまう。
野本は前期に降級点を取っており、この期も2勝8敗と振るわず2度目の降級点を食らってC1に落ちてしまうのだから、脇からすればよもやの「死に馬」に蹴られたわけだ。
ただ、これだけなら、この世界でちょいちょい聞く話で、まあ順位戦の「あるある」ともいえること。
実はこの将棋は結果もさることながら、その内容こそが大問題だった。
まずはこの局面をみていただこう。
先手の野本が▲74銀と打ったところで、ここで脇が投了。
以下、△同玉に▲66桂と打って、あとは金銀3枚があるから自然に追っていけば詰みということだ。
……とここで、
「あれ? それちょっと、おかしくね?」
首をひねったアナタはなかなかスルドイ。特に詰将棋が得意な人は違和感があるのではないか。
そう、この場面をよく見ると、後手玉に詰みはない。
となれば、これは後手が勝ちということになるが、その通り。
なんと脇は、自分が勝っている局面で投了してしまったのだ!
手順を追ってみよう。△74同玉に▲66桂と打って、△84玉に▲85歩。
△同玉に▲74銀ともう一度ここに打って、△76玉、▲67金、△87玉、▲98金まで、歩ひとつも余らないピッタリの詰みだ。
……に見えたが、この読み筋には、最後に信じられない大穴が開いていた。
△96玉と、ここに逃げて詰んでないのだ。
▲88金と空き王手しても、△97になにか合駒をねじこんで寄らず、後手優勢の終盤だった。
形を見れば、脇がなにを錯覚したかは一目瞭然。
最初の図と、見比べてほしい。
この局面では、▲99にある香車の利きがまだ生きており、後手玉は△96玉と逃げられなかった。
そのイメージがあったから、▲98金のとき、その金で▲99の香の利きがさえぎられることをウッカリしたのだ。
たしかに、いわれてみるとナルホドで、脇が混乱したのもわからなくもない。
現に、私も子供のころ手順を頭の中で追って、▲98金の場面が不詰なのが一瞬わからなかったものだ。
まさかの大錯覚で、開幕ダッシュに失敗した脇はこれに怒ったか、その後は競争相手の塚田泰明六段との1敗決戦を制しての7連勝。
2位に浮上し自力昇級の権利を得るが、ラス前の9回戦でベテラン吉田利勝七段に敗れて次点となった。
脇はこの後、毎年のように好成績を上げるが、結局B1には上がれず、なんと22年もB2にとどまった。
結果論的に見れば、あの野本戦の投了図が、脇の棋士人生を大きく左右したことになる。
脇の実力からすれば、もっと上でも戦えただろうに、惜しい負け方であった。
(脇と米長邦雄の熱戦はこちら)
(脇と中村修の順位戦はこちら)
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>>▲88金と空き王手しても、△97になにか合駒をねじこんで寄らず、後手優勢の終盤だった。
ここも解析したところ、興味深い内容でした。合駒次第では逆転しているようです。
△9七金打なら後手大優勢のまま(約-2000)でした。そして飛車か銀打だと後手優勢にダウン(約-800)し、壮絶な入玉合戦になりました。約220手まで続いてぐったりです。。。
最後は角打ですが、これだと先手優勢に逆転(約+1200)し、一気に詰まされる危険性が出ています。
佐々木大地七段とかなら、詰まされたかもしれないと思っても、きっと投げずに戦って、まだまだ戦いが続いてそうですねえ。