「ハーマン・メルヴィルの『白鯨』って『ウルトラQ』やったんやあ」。
といった感想を抱いたのは、映画『白鯨』を鑑賞してのことである。
ジョン・ヒューストン監督、主演にグレゴリー・ペック、原作は先も言ったハーマン・メルヴィルの『白鯨』。
映画や小説の世界ではよく、
「観てみたら怪獣映画だった」
という作品がある。
怪獣映画は別に『ゴジラ』や『パシフィック・リム』だけでない。
怪獣は戦争や自然災害のメタファーだから、『戦争のはらわた』でドイツ兵が無敵のT-34戦車に追いかけまわされるところとか、キングジョーみたいなメカ怪獣との攻防戦だし、台風や津波などのディザスター映画もその仲間。
『帰ってきたウルトラマン』のシーモンスとか、そのまんまだし、『ジョーズ』なんてモンスターものも、モロそれ。
『新世紀エヴァンゲリオン』も、エヴァがウルトラマンなのはいうまでもないから(猫背だし、カラータイマーあるし、第1話はテレスドンだし)、基本的には、使徒との怪獣バトルしか見ていない。
テーマとか登場人物の苦悩とか綾波がかわいいとか、まったくどうでもいい。全部早送り。
私は子供のころから大の怪獣好きなので、そういう「正しい見方」ができるけど、べつに特撮好きでない人にはなかなか理解しづらいらしく、よく
「あの作品、どこがおもしろいのかわからない」
不思議がっているところに、
「要するに、あれって怪獣映画やねん」
そうレクチャーしてあげることもある。
一番わかりやすい例が、スティーブン・スピルバーグの『宇宙戦争』。
ネットのレビューなどでも酷評されていたり、内田樹さんなんかも
「ヒドイ映画でした……」
なんて、あきれておられたが、それはこれを
「親子の絆を描いたヒューマンドラマ」
「あきらめない心が感動を呼ぶアクション大作」
なんて、「ふつうの映画」として見るから、そう感じるだけ。
だって、これ怪獣映画やもん。
映画として微妙なのは百も承知だが、そんなことはどうだっていいのだ。
いったんその「怪獣やねん」という視点に切り替えてみれば、これはもう実に楽しい名作なのだから。
この映画を楽しめるかどうかについては、物語前半部分のあるシーンを取り上げてみれば、すぐにわかる。
それはトライポッドの出現シーン。
落雷場所から、アスファルトをめくりあげるように飛び出してきたトライポッドの群れ。
序盤の見せ場だが、そこで観ているほうはたいていが、こうつっこむはずなのである。
「宇宙人が空から送りこんできたのに、なんでわざわざ一回地中に埋まってから出てくるの?」
その疑問はまったくもって正しい。たしかに、ここはシナリオ的にちょっとした矛盾があるシーンなのだ。
だが、私のような怪獣好きは、そこを別に変とは思わない。いや、むしろ「当然やな」と腕組みでもしておさまっている。
ここで問題。なぜスピルバーグはあえて、そのゆがみをそのままスクリーンに出してきたのか。
正解(?)と、その解説は次回にゆずりたい。
(続く→こちら)