ジョン・ヒューストン監督『白鯨』は『ウルトラQ』のような怪獣作品でした その2

2019年03月11日 | 映画
 前回(→こちら)に続いて、映画『白鯨』の話だが、その前にスティーブンスピルバーグの『宇宙戦争』について。
 
 映画や小説の世界ではよく、
 
 
 「観てみたら怪獣映画だった」
 
 
 という作品があって、『白鯨』も『宇宙戦争』もその流れ。
 
 で、そこを見分けるためのポイントとして前回、
 
 
 「宇宙人が空から送りこんできたトライポッドが、なんでわざわざ一回地中に埋まってから出現するのか」
 
 
 という脚本的矛盾の理由について問うたわけだが、その答えというのは簡単で、そんなもん、
 
 
 「地底怪獣の出現シーンがやりたかった」
 
 
 これに決まってるんですね。
 
 絶対にそう。あんなもん見た瞬間、
 
 
 「マンモスフラワーや!」
 
 「ツインテール出現!」
 
 「おしい! 地割れはパンパン言いながら青く光ってほしかった!」
 
 「それは、や・り・す・ぎ」
 
 
 などと、みな小躍りするはずなのである。
 
 怪獣ファンだから、私もスティーブンも。もう、一発でわかります。
 
 これ、怪獣好きに同じこと訊いたら、ほぼ100%同じ答えが返ってくるはずだけど、そうじゃない人に訊いたら、逆に正答(?)率はまちがいなくゼロでしょう。
 
 よかったら、周囲の映画好きに声をかけて、やってみてください。
 
 あと、「白い航跡!」って言ってみるのもよいかも。
 
 ニヤリとした人は、「正しい見方」のできる人です。
 
 きわめつけが、
 
 
 「大阪では自力で2体倒したそうだ」
 
 
 私は別に、そんな地元愛が強い方ではないけど、このときばかりは大阪人を代表して、スクリーンに握手を求めましたね。
 
 スティーブン、あんたはよくわかってる。
 
 「大阪人はお好み焼きで、ご飯を食べる」
 
 なんていう、「大衆向けにアレンジした大阪」を嬉々として語るエセ文化人なんかより、よほど浪速のことを理解してくれている。
 
 やっと会えましたね、と。
 
 世の中にはこういった「実は怪獣映画」という作品が結構存在しているんだけど、宣伝の関係で「感動の名作」に描きかえられたり、観ているほうが気づかなかったりして、その魅力をスルーされてしまうことがある。残念なことである。
 
 このジョン・ヒューストンの『白鯨』がまさにそう。
 
 メルヴィルの原作が各所で「難解」「読みにくい」と評されていることもあって、そもそも読む気にもならず(『白鯨』原作の読み方は池澤夏樹さんの『世界文学を読みほどく』という本が参考になります)、その流れで映画も見る気にならなかったのだ。
 
 それが、たまたまつけたテレビでやっているのをなんとなく見ていて、そのことを後悔したのである。
 
 しまった! これはどこをどう見ても『ウルトラQ』や!
 
 そもそもが、脚本にレイブラッドベリがいる時点で、怪獣映画かと推理すべきであった。不覚このうえない。
 
 ストーリーはみなさまも御存じの通り、いたってシンプル。
 
 モービーディックなる巨大白クジラをかみ切られたエイハブ船長が、狂気的な執念でもって、その復讐を果たそうとする。それだけ。
 
 ルパン銭形というか、キンブルジェラート警部というか、追うものと追われるもののサスペンスでありながら、逆方向のバディものというか、ホモセクシュアルな雰囲気もあるという「逃亡者もの」の定番設定。
 
 映画では、原作にある「そもそもクジラとは」みたいな長ったらしい博覧強記ぶりなどはすっぱりとカットして、エイハブの偏執狂的な白鯨への執着にスポットを当てている。
 
 ホント、シンプルなうえにもシンプルな「海上追跡もの」でありまして、あの船に万城目淳江戸川由利子が乗っていても、なんの違和感もない。
 
 いや、むしろクジラの生態など、一の谷博士に解説してもらえば実にしっくりくる。脳内補完しているBGMも、宮内サウンドがハマる。
 
 ラストもぜひ、あの不気味な音楽と「」の文字で終わらせてほしかった。
 
 だれか、マッド映像で作ってくれないかしらん。
 
 

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