レイ・ヴクサヴィッチ『月の部屋で会いましょう』 ヘンな小説を読みたいときはこの1冊を

2019年03月03日 | 
 『月の部屋で会いましょう』は、へんちくりんで楽しい一冊だ。
 
 著者のレイヴクサヴィッチは、アメリカはオレゴン州出身の作家。
 
 その多くは、数ページ程度でおさまっている短編というか掌編で、内容的にはSFというかファンタジーというか、シュールというか、とにかく不思議な触感。
 
 ストーリーだけ取り出してみても、開口一番の『僕らが天王星に着くころ』から、こんな話。
 

 主人公はジャックとモリーという夫婦だが、彼らが住む世界ではある病気が蔓延している。

  それは、体が足元から徐々に「宇宙服」になり、ついには宇宙に飛んで行ってしまうという奇病。
 
 運悪く罹患し、空へと舞い上がるモリーをなんとか引きとめようと、夫のジャックは奮闘するが……。
 
 
 いきなりこれだ。
 
 「宇宙服」という奇病。なんやそれは! カフカの『変身』かいな。
 
 『セーター』では、恋人が贈ってくれたセーターを着ようとしたら、少しばかりサイズが合ってなくて、が抜けなくて困ることに。
 
 なんとか脱ごうと悪戦苦闘するうちに、主人公はセーターの中で迷子になって、そこからRPGでダンジョンをめぐるような「冒険」が始まるとか、もう奇想妄想のワンツーパンチ。
 
 『母さんの小さな友だち』では、人類の健康長寿のために体内に住まわせたナノヒューマンが、その意図通りでなく自らの繁栄のため、
 
 
 「危険な活動に従事しないように、わざと老化させ、のんびりした生活をさせる」
 
 
 よう宿主を改造しはじめる。
 
 つまり、
 
 
 「じっとしてたら母体がケガをしないから、寄生している自分たちの安全度が上がる」
 
 
 という《論理的理由》から、まだ若い体を勝手に、高齢者のごとく「不便」にしてしまうのだ。
 
 元の快活な母親に戻ってほしい宿主の子供たちは、ナノヒューマンたちを「脅迫」して手を引かせるため奮闘する。
 
 老婆と化した母を、何度もバンジージャンプで危険な目に合わせるなど、過激な手法を取るけど、それって逆にどうなのといった、エドモンドハミルトンフェッセンデンの宇宙』のスラップスティック版のようなものとか、もうページを繰るだけで、頭はクラクラ。
 
 一番ひっくり返ったのが、『彗星なし』(原題『ノー・コメット』)。
 
 ティムはある日、妻と子供に紙袋を被ることを強要する。
 
 いぶかしがる家族だが、そこにはあるねらいがあった。
 
 なんと今日は地球に彗星が衝突するという、おそろしい一日だったのだ!
 
 このままでは人類滅亡だが、破滅を前にティムは
 
 
 「量子力学のコペンハーゲン解釈」
 
 
 で立ち向かうことにする。
 
 いわゆる「シュレディンガーの猫」で有名なこの理論によると、
 
 
 「見ていないもの、というのは存在しない」
 
 
 ということになるから、目隠しして彗星を見なければ、それは「存在しない」ことになる。
 
 存在しないなら当然、衝突もしないわけで、よって地球は守られることになるのだ!
 
 ……て、どんな話や! 
 
 なにかこう、天下の将軍を詭弁でけむに巻いた小坊主みたいというか、まさに「地球滅亡とんち合戦」といったところ。
 
 こんなふうな、まあホント、ようこんなん考えつくというか、
 
 「考えついてもよう書かんで」
 
 みたいな物語が目白押し。田中啓文か。
 
 じゃあ、これがバカバカしいのかといえば、そういうのもあり、ちょっと切ないものもあり、残酷なものやを語るもの。
 
 またユーモアもあって、あるいはホラーやミステリっぽいなどなど、えらいことバラエティーにも富んでいる。
 
 ハッキリいってな本だから、若干人を選ぶかもしれない。
 
 解説の渡邊利道さんがおっしゃるように、フリオコルタサルイタロカルヴィーノといった作家を想起させるので、この手の作品が好きな人にはおススメかも。
 
 そういや、私もコルタサル大好きだし。
 
 こうした、読んでクラクラ、不思議でありながら、ゾッとしたり、コケそうになったり、ときにはホロっとさせられたり、とにかく飽きさせない内容。
 
 目を回しながら、堪能していただきたい一冊。おススメです。
 
 
 

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