柘植文『野田ともうします』に見る「おもしろく間違う」の好例 アーネスト・ヘミングウェイ『老人と海』のマグロのお刺身編

2021年02月12日 | 映画
 「おもしろく間違っている人」と話すのが楽しい。
 
 という話を先日したわけだが(→こちら)、小説や映画の感想をあれこれしゃべっていて、「正しい解釈」を語るよりも、
 
 「ズレていても、その人にしか思いつかない視点」
 
 これを見せてくれる人の方が、圧倒的に興味を惹かれるのだ。
 
 私も若いころはそうだったが、どうしても人間は自分のさかしらな知識を披露し、そのプライド自己顕示欲を満たすために、せっせと物語の「テーマ」「メッセージ性」などを探し、アピールすることに血道をあげてしまう。
 
 だが実際のところは、そんなもん聞かされても、退屈でめんどくさいことが多いし、中身もうすく、的外れなことがほとんどだ。
 
 そういうものは、玄人の映画評論家や書評家にまかせておいて、われわれはもっとフリーダムにやってもいいのでは。
 
 経験的に見ても
 
 「それ絶対に鑑賞ポイント間違ってるけど、オレには絶対に思いつかん発想やわ」
 
 という「間違った」意見の方がよっぽどか参考になるし、その人となりが伝わるものなのだ。
 
 その好例を、今回ここに紹介してみたい。
 
 ドラマ化もされた、柘植文先生『野田ともうします』の1シーンで、
 
 
 
 
 
 
 
 
 これですよ! これ、これ!
 
 この野田さんによる、読みどころのはずし方がすばらしい!
 
 あのヘミングウェイの名作といわれる『老人と海』を捕まえて、
 
 
 「マグロの刺身がうまそうじゃない」
 
 
 とは、独自が過ぎるではないか。
 
 しかも「主人公に共感できません……」とうなだれるとか。
 
 そんなに大事か、マグロの刺身
 
 さらに彼女が偉いところは、
 
 「巨大魚との戦いの過酷さ」
 
 という本質をしっかりと読み取ったうえで、「だとしても」と間違っていること。
 
 この「一回、知性が乗っかった」うえで、わざわざ「そっちかよ!」と意表をつきまくる。
 
 つまりは「頭のいい誤読」なのだ。
 
 もっと言えば、すべてが本気なのがいい。こういうところで、
 
 
 「オレはちょっと、ナナメの視点からモノを見れるセンス系の人間」
 
 
 というアピールをされると、冷めることはなはだしい。
 
 ウケねらいではダメなのだ。そこに「熱き魂」があってこその、おもしろい間違いである。
 
 その点、野田さんの解釈、エド・ウッド風に言えば「パーフェクト!」
 
 私もこれから海外文学に接するときは、
 
 
 「文学における和食的美味の視点」
 
 
 これを忘れずに、その妙味を味わってみたいと思う。
 
 

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