「受け将棋萌え」には大山康晴十五世名人の将棋が楽しい。
前回までは羽生善治と谷川浩司の「絶対王者」の座をかけた決戦を紹介したが(→こちら)今回は昭和の王者の将棋を。
かつて無敵を誇った大山康晴名人といえば、そのしのぎの技術が際立ってい。
「助からないと思っても助かっている」
という有名な大山語録にあるように、相手からすれば「勝った」と思ったところから見事にしのがれて、絶望の底にたたき落とされるのだ。
今回紹介したいのは、十段戦の飯野健二四段(飯野愛女流初段のお父様)との一戦。
若き日の飯野先生。
十段戦というと、若い将棋ファンにはなじみがないかもしれないが、これは今の竜王戦のこと。
昔からある「九段戦」が「十段戦」になり、さらに「竜王戦」に発展したわけだ。
この十段戦にはひとつ特徴があって、それが挑戦者決定リーグに入る難しさ。
なんといっても、年に2人しか入れないという狭き門だったのだが、その分リーグ入りを果たせば、トップ棋士と10局も指せるというゴージャスな場が約束される。
特に低段者にとっては収入や経験値、また周囲からの評価という面でも、非常に得るものが大きい棋戦なのだ。
過去にも、土佐浩司四段、有森浩三四段、泉正樹五段などがリーグ入りして大いに名をあげたが、その「十段戦ドリーム」にチャレンジする権利を得たのが、若手時代の飯野だった。
1978年の十段戦リーグ予選。
決勝まで勝ち上がった飯野は、大山康晴と相対することになる。
大山の四間飛車に、飯野は左美濃で対抗。
双方、銀冠に組み替えたところから飯野が仕掛け、玉頭戦のねじり合いに突入する。
むかえた最終盤。先手の大山が▲13角と王手して、飯野が△12玉とかわしたところ。
先手陣は△28角成の詰めろになっている。
受けるなら、飛車の横利きをうまく使いたいが、▲57銀などでは△38歩くらいで負け。
一方、後手玉は詰まない。
となれば、一目後手勝ちである。飯野が、夢のリーグ入りだ。
ところがここで、大山に奇跡的なしのぎがあった。
絶体絶命にしか見えない先手陣だが、3手1組の好手順で逃れている。
▲49銀、△同香成、▲57角成まで先手勝ち。
まず銀を▲49に引くのが序章。
今度△38歩は、▲同飛と取る。
△同金には▲同銀引(▲同銀上でもほぼ同じ)で、△28飛には▲19玉が打ち歩詰めになって詰まない。
△27歩と、ムリヤリ詰めろをかけても、先手は金を手に入れたことから、▲24桂と打って、△同金に▲22角成と捨てるのが好手で、後手玉が詰むのだ。
△同金は▲13金から。
△同玉も、▲21金から、どちらも▲24金と出る形で捕まる。
かといって▲49銀に、そこで△27金は▲46角成が、香を取りながら馬を▲28に利かす、詰めろ逃れの詰めろで後手負け。
結局△49同香成と取るしかないが、通路をふさいでいた香車がどくことによって、今度は▲57に成り返る筋が可能になった。
これで、△28金には▲同飛、△39角成には▲同馬、△28銀はスルリと▲18玉の死角に入って寄りはない。
後手玉は受けなし。見事な「必至逃れの必至」でゲームセット。
大山がこの筋を、どこから読んでいたのかは不明だが、こんなギリギリの形に呼びこんでいるのだから、かなり前からイメージしていたのだろうか。
とにかく、あれこれ駒をいじくってみるとわかるのだが、▲13角からの組み立ては、後手がどの組み合わせで攻めても、すべての手順で先手はピッタリ受かっている。
『将棋世界』の人気コーナー「イメージと読みの将棋観」で、この局面を見た渡辺明三冠が、
「知ってます。創作次の一手ですね」
と言ったのは有名な話だが、まさに作ったような駒の配置なのだ。
▲57角成の局面で飯野は投了したが、投げるまでに17分考えている。
飯野のような新人棋士にとっては、その後の人生に関わる大一番であったはずだが、そこにこんな局面と出くわすというのは、どんな気持ちだったろうか。
(森内俊之の自陣飛車編に続く→こちら)