ヒトラーとナチスの話は、海外ではものすごいタブーである。
かつての同盟国のわりには、我が大日本帝国はそのへんのことにうとくて、マンガなどで、かなり安易にそのモチーフを使用したりしている。
代表的なのはマンガ『キン肉マン』に出てきたブロッケンマン。
親衛隊を基調にしたデザインな上に、口から毒ガスを吐いて攻撃するという、トンデモないキャラクター。
当然、欧米では超弩級の問題児であり、ファミコンのゲーム『キン肉マン マッスルタッグマッチ』の海外版では、存在自体が「なかったこと」にされているのは有名な話。
そりゃ、「ナチスガス殺法」は、まずすぎますわな。
ちなみに、「ナチ」「ナチス」という呼び方は正式名称ではなく、日本ではそのニュアンスはあまりないけど、もともとは反ヒトラー勢力による蔑称。
正しくは、
「国家社会主義ドイツ労働者党」
ドイツ語では
「Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei」
ドイツ人はこれを略して「NSDAP」。
もしくは、単に「党」という言い方をします。
嫌いな人は、頭文字を取って「ナチ」呼ばわり。
だから、日本のマンガや小説でドイツ人が、
「我らがナチ党は」
なんていうのには、元ドイツ語学習者として、いつも違和感をおぼえる。
日本人が「大ジャップ帝国万歳!」って、いわないものね。
そんな「ナチ」は、よそさんが考えるよりも、ずっとシビアな話題。
本場(?)ドイツでは、右手を上げるヒトラー式敬礼をしたり、親衛隊のコスプレをしたりしても逮捕されたりするから、これはマジもマジの大マジなタブー。
そのことを実感したのは、大学生のころであった。
一年の浪人を経て、千里山大学(仮名)に入学した私は、大いなる緊張ともに教室に入った。
その日が大学生になって、はじめての授業だったからだ。
当方が所属していたのは、文学部ドイツ文学科。なれば最初の授業は、未知の言語であるドイツ語。
しかも、教えるのはドイツ人。
まだ初々しかった私は、
「すげえ、外人が来るんや」
それだけで、背筋が伸びる思いであった。
待つことしばし、教室のドアが開き、背の高い白人男性が入ってきた。
『基礎ドイツ語』の講義を受け持つ、ボリス・カルトッフェルクヌーデル教授である。
ボリス教授は、なかなかのハンサムで、おまけに日本語も堪能。
明るい雰囲気に好感の持てる、この教室の中では、私に次ぐナイスガイであった。
ボリス教授は、軽く授業の進め方を説明した後、ニッコリとほほえんて、
「では、今日は最初の授業なので、みなさん順に質問を受け付けます。
ドイツやドイツ人、ドイツの文化で知りたいことがあればなんでも遠慮無く聞いてください」
学生達は順に、
「好きなドイツ料理は何ですか?」
「ドイツ語学習のコツを教えて下さい」
などと様々な質問をし、カルトッフェルクヌーデル教授はそれに丁寧に答える。
教授と生徒が徐々にうち解けあって、なごやかな空気が教室内に流れた。
そのまったり感の中、ひとり渋い顔をしていた男がいた。
そう、不肖この私である。
人間若いときというのは、たいていがトガっているものだ。熱い魂を持ち、常に体制に反逆する牙をむいている。
そんな男が、ドイツとドイツ人と聞いて、そんなヌルイ話をしていいのかという疑問がわくのは当然であろう。
これから我々は師と弟子として、学びの道を歩んでいくのだ。
そこには当然、おたがいの信念や思想が、ぶつかりあうこともあろうだろう。
それを避けていては、我々は真の学問を得ることが出来るのか。
否! 断じて否である!
私はこのような、生温かいなれあいの空気を、断固として破壊せねばならない!
若者の熱さというのは、大人にとって結構な確率で、
「ただの、はた迷惑」
になってしまうということを理解するのは、もう少し後の話である。
若気が至りまくりの一学生は
「ここに一発、爆弾を落としてやろう」
画策するわけだが、それが思わぬ波紋を呼ぶことになろうとは、愚昧な若者であった私には、知るよしもないのであった。
(続く【→こちら】)