「角落ち」での敗北 関根金次郎vs阪田三吉 明治39年(1906年)

2022年03月04日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 「え? 角落ちやのに、コレ?」


 なんて、目が点になったのは、ある棋譜を並べていたときのことであった。

 このところ、古い将棋というか、中原米長、升田大山や木村義雄を超えて、


 阪田三吉vs関根金次郎


 という、あの有名な「が泣いている」(→こちら)や、それに阪田勝利後の「平手戦」(→こちら)など、いにしえのバトルを紹介しているが、その中で、な棋譜を見つけてしまったのだ。

 そもそも、阪田や関根のころの将棋界というのは、資料もあまり残ってなくて、そのせいか書き手も「想像」にまかせることも多く、その実態はよくわからなかったりする。

 まあ、それはしょうがないんだけど、多少はこうして調べてみると、好奇心は刺激されるもの。

 今回、気になったのが、いつもお世話になっている「棋譜データベース」でのことだ。

 「阪田三吉 関根金次郎」で検索すると、11個の棋譜が出てくる。

 なぜか「銀が泣いている」の一局が入ってないんだけど、それ以外には「角落ち」の棋譜があったりして、なかなか興味深いが、ひとつ腑に落ちないのがこれ。

 明治39年(1906年)4月12日に行われたという関根-阪田戦(棋譜は→こちら)。

 とここで、年号を見てピンと来られた方は、なかなかの玄人ファンであろう。

 そう、この年は関根と阪田が戦って、「千日手」にまつわる因縁があったころなのだ。

 明治39年4月22日。

 大阪は阿弥陀池で行われた関根-阪田戦(関根が香落ち上手)で、終盤に事件が起こった。

 阪田の攻めを関根が受けているときに、手順がループする「千日手」状態に突入。

 

 

 

 関根の△73金に、阪田は▲72金と取って、△同金、▲61銀、△71銀、▲72銀成、△同銀、▲62金、△73金で無限ループ。

 関根の指摘で、阪田は▲72銀成、△同銀の局面で▲58金右とするが、△49飛成、▲62成銀、△33角、以下関根の勝ち。

 

 

 

 今なら、ドローで先後入れ替えて(香落ちだとどうなるのかな)指し直しだが、当時は仕掛けた側が手を変えないと負けというルールだった。

 そのことを指摘された阪田は動揺し、指し手が乱れて敗れた。

 我流で強くなった阪田は、そのあたりのことに無頓着で、

 

 「格上の関根が手を変えるべき」

 

 と思いこんでいたそうなのだ。

 一方、関根の方は、阪田の思い違いをついての心理戦で優位に立つなど、勝負師の一面も見せた形。



 「そんなんで勝って、なんの価値があるんや!」



 阪田は憤慨したが、このあたりは関根が一枚上だったともいえる。

 この将棋自体、千日手にまつわる、こぼれ話としてなんとなく知っており、また鈴木宏彦さんの「イメージと読みの将棋観」でも紹介されてい。

 それを見て、「あーこれかー」と勉強になったわけだが、ここで「ん?」となるわけだ。

 この「千日手」をめぐる一局はわかったし、阪田をあつかうや、雑誌記事などでも取り上げられている(ただし、これもまた棋譜データベースにはない。香落ち戦だから?)。

 だが、棋譜データベースに載っている、その10日前、さらには1か月ほどの将棋については、よくわからないのだ。

 まず、明治39年の3月18日に行われたとされる、関根-阪田戦。

 場所は大阪の「藤の茶屋」というところだそうだが、これがなんと「角落ち」の対戦。

 しかも、並べてみておどろいたのが、途中、明らかに下手の阪田がやりそこなっているところ。

 

 

 

 ▲89にへこまされ、飛車僻地に追いやられただけでなく、桂損も確定。

 なんかこれ、上手が指せるんでねーの?

 並べていて、すごい違和感があった。だって、角落ちッスよ、角落ち

 なんで、阪田三吉ともあろうお人が、こんな苦戦してるの?

 将棋の方はここから、△77歩成と取って、▲同金に、△22金と端を守る。

 阪田は▲13歩と、それでも端に手をつけ、△同香に▲36飛と必死の手作りだが、△24歩、▲34飛、△23金と軽く受け止められ、突破口が開けない。

 

 

 

 このあたり、いかにも上手に「いなされている」という感じで、「下手」経験者にはリアルに感じられる手順だ。

 こうやって、パンチがを切らされて、負かされちゃうんだよなあ。

 やむを得ず、▲24飛、△同金、▲同角と、飛車を捨てて強引に飛びかかるが、△21桂と受けられて、やはり足は止まっている。

 以下、阪田も必死に喰いつくが、関根はしばらく面倒を見てから、端からラッシュをかけ押し切った。

 

 

 

      投了図は△55金まで。

 

 

 下手側から「投了」の文字を見て、これにはビックリしたものだ。


 「え? 阪田はん、落とされて、負けてるの?」


 こないだの「銀が泣いている」のところで、なんで平手じゃなく「香落ち」なんだろと書いたけど、なるほど、そういうことか。

 そら、関根からしたら、


 角落ちで勝った相手に、なんで平手でやらなあかんのよ」


 物言いがついても、それは決して、ただのヤカラでもなかったわけだ。

 ちなみに、阪田は明治41年(1908年)とされる「銀が泣いている」の5年前の対戦でも、関根に角落ちで敗れている。

 

 

  

 明治41年、「角落ち」戦の投了図。  

 

 

 言うまでもないことだが、阪田が弱かったわけではない。

 いやむしろ、まだ30代で、指し盛りともいえるころだったはず。

 それでも角落ちで、このありさま。

 今で言えば、藤井聡太五冠がデビューからしばらく、豊島将之九段になかなか勝てなかったけど、それでも、さすがにそのころでも「角落ち」で入らないとは考えにくい。

 現代なら、間違いなくAクラスにいるであろう阪田三吉を、片手剣で倒してしまうのだから、いかに関根が強かったか、ということだろうか。

 「十三世名人」。納得ですわ。

  


 (関根十三世名人の「舐めプ」編に続く→こちら

 

 

 

 

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