我々人間という者は、もう腐っている。
肉体も精神も、腐ってしまっている。
腐りきってしまっていて、汚臭を漂わせている。
例を上げると、我々は兎角うまいものを食べたがる。
元々食事というものは、自然食材を以って戴くものだった。即ち自然のままを戴く訳だ。
この自然なままを戴くという事を、「薬膳」ともいう。
だが今日の人間たちは、この自然なままでは食べない。食べないどころか、「不味い」と不平や愚痴を言う。
それ故に人間たちは、加工や味付けをして食べる。
この加工や味付けも、遺伝子加工や薬物を使ってする。
元々この加工や遺伝子操作は、病虫害にやられない為であったが、それによって生産が増したとはいえるとしても、新たな病虫害に侵されるという弱点を晒す事ともなる。
よくいわれる「ペニシリン耐性菌」みたいになる。
それにこうした事は、丁度病気にならないようにと医科学を発達させたのはいいが、生活習慣や食生活に配慮させるものではなかったために、これはマスメディアがあおっているからだが、これによって病人だらけになっているという悪循環を巻き起こしている。
これらは言ってみれば、自然のままな食材を受け付けないほどに、肉体も精神も腐り、腐りきっているという事になる。
そして加工や味付けが多いものでないと、肉体も精神も、五体も六巻も受け付けない様になっている。
政治にしても、政治家たちは口ばかりがうまい。
だがその口のうまさには、実行力が伴わないまやかし性を含んでいる。
まやかしがあるのが見え見えだから、国民は着いて行く気がしない。
仲間内だけでの、物言いになっている。
今度自民党総裁になった元首相だったものも、かって政権を投げ出した無様さはすっかり忘れているくらいの腐りよう。
今の首相も「そのうち」と言ったことも、「延期する」みたいなことを言ってシャアシャアしているように、内外ともに腐りきっている。
我々人間は、自然の懐の中で「生き、生かされている」という事を、しっかりと自覚して行かなければならない。