「命の尊厳」は、願いを持っている。
望みも、持っている
それはまた「心の尊厳も精神の尊厳」もであり、また「自然の尊厳」もである。
では「命の尊厳、心の尊厳や精神の尊厳、自然の尊厳」は、どんな願いや望みを持っているのかと言うと、我々人間が持っている「欲望」を、「無くしてくれよ」という願いと望みを持っている。
我々人間は、元々こんな「欲望」を持たずに生まれてきた。
そしてこの「欲望」を背負わないままに、この世を去っていく。
だとしたら、「欲望」というものは、ほんの一時的に、我々の心や精神に宿っているものに過ぎない。
こうした「本の一時的に宿る」ものに右往左往しているのでは、折角持っている「命の尊厳、心の尊厳と精神の尊厳、自然の尊厳」に対して、恥ずかしい事ではないか。
野党の参院対応「やり過ぎ」=橋下氏(時事通信) - goo ニュース
この人も、野田首相も、輿石幹事長も、安部自民党総裁も、みんながみんなやり過ぎていて、国民の幸せはそっち除け。
みんな鼻たれ小僧じみた事ばかり言っている。
これが日本という国の、姿なのであります。
山中教授ら文化勲章、文化功労者に宮崎駿さんら(読売新聞) - goo ニュース
一方では、こういう人たちを基礎になって支えようとして・・・・・・・・・・
高知の生き埋め事故、作業員2人の死亡を確認
9日(月)20:00
この人たちには、何の名誉さも与えられない。
無駄死もいいところにさえ、追い込んでいる。
こんな「文化勲章」を受賞できるものが、真に名誉なことなのだろうか。
仕事が無くハローワークに通う人たち、過疎地の老人たち、貧困者たちなどを尻目に、なんとも晴れがましがっている。
この人たちには、何の名誉さも与えられない。
無駄死もいいところにさえ、追い込んでいる。
こんな「文化勲章」を受賞できるものが、真に名誉なことなのだろうか。
仕事が無くハローワークに通う人たち、過疎地の老人たち、貧困者たちなどを尻目に、なんとも晴れがましがっている。