青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

東京五輪になれば

2014年03月17日 | 短歌に政治や社会

石原環境相が遅刻し陳謝=参院委(時事通信) - goo ニュース

頓狂五輪になれば、益々停滞は激しくなる。
日常化していく。
政治にも何にも、ならないことになる。
まるで国の政治を、負わずけするようなもの・・・・・・・・・・・・・・

http://news.goo.ne.jp/article/jiji/politics/jiji-140317X235.html


愛について

2014年03月16日 | 人生設計

「愛」について知ろうとするには、自分というものを知らなければならない。
自分というものを知ろうとすることは、「自分は何のために産まれ、何のために生きていくのか」を知るみことである。
それは「自意識」について、知ろうとすることでもある。

我々は、それは人間だけでなく全てののは、何のためにこの世に産まれ、姿を現したのだろう。
単なる偶然で、こうしたこの世に産まれてきたのだろうか。そして漠然と、一生を送っていけばいいのだろうか。

我々生命を持つものは、一様に産まれてきたわけではない。また同じような生き方を、皆が皆等しく送れるものでもない。
それぞれが、それぞれの目的と願いと望みの元にこの世に産まれてきた。そして、それぞれがそれぞれのままに、生きていくべき宿命を帯びていくことになっている。
こうした個々の宿命ともいえる生命の道に、そこにそのままに生きていくことを望まれたのが、我々生命あるものの役割になっている。

こうした自己の役割に気付くことに、「愛」がある。「愛」とは、自分への敬愛でもあり得る。
「自分への敬愛」を知るならば、他の生命への敬愛も知ることになる。
「自己を愛し、他己を愛する」ことに、真の愛がある。
これは道徳では得られるものではなく、信仰によってしか得られない。
何故なら、道徳はある一定の枠内にしか通用しないのに比べて、信仰は普遍的なものだからである。


法治国家なら

2014年03月15日 | 短歌に政治や社会

竹富町「東京書籍」継続へ 是正要求に反発(沖縄タイムス) - goo ニュース

法治国家なら、国民の意見を尊重するもの。
それを一方的に「国」を旗印に押し付けるのは、法の下の平等たり得ない。
それこそ法治国家としての、資質が危ぶまれる。

http://news.goo.ne.jp/article/okinawa/region/okinawa-24247405.html


3月13日(木)のつぶやき

2014年03月14日 | 宗教観

乳離れが

2014年03月13日 | 短歌に政治や社会

小松長官の罷免要求=野党―自民にも不満広がる(時事通信) - goo ニュース

今日の人間は、いい歳をした政府関係者ものたちが「乳離れ」ができないものがタンといる。
また「乳離れをさせないもの」も、タンといる。
こういう「乳離れ」ができず、させないから、国会も企業活動も、世の中もおかしくなってしまっている。
猪木議員なども、この中に入り、こんな洟垂れ小僧みたいなものを選挙で選ぶ国民もまた、中々乳離れができない性分を持っている。
情けない・・・・・・・・

http://news.goo.ne.jp/article/jiji/politics/jiji-140313X708.html


安全保障に構っている間に

2014年03月13日 | 短歌に政治や社会

年収2倍、韓国メーカー破格の待遇…技術流出(読売新聞) - goo ニュース

政府が領土や領海の安全保障に構っている間に、内部の者が内部から侵略している。
自分たち国家が、内堀を埋め立てて敵を誘いこんでいる。
これが資本主義というものの謀略。
今に内部のものが、みんな食い荒らされていくことになる。

政治家も国民も一つになり、事に当たらなければならない。
選挙で投票するにしても、単なる人気者や、血統がいいからというのではなしに、どれだけみんなと力を合わせていける人物かで選ぶ必要がある。

http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/nation/20140313-567-OYT1T00667.html


宗教とは

2014年03月13日 | 宗教観

宗教、または信仰とは、神を信ずることではないのである。
仏を信ずることでは、無いのである。
ゆストも釈尊も、またマホメットらも、敬う事ではないのである。
であるから神社仏閣や遺跡を、崇めることでもない。

宗教とは、信仰とは、自分で自分を清らかにすることにある。
人間というものは、とかく欲望、愚痴や不平不満、怒り、嫉妬に狂いやすい。
こうした欲望、愚痴や不平不満、怒り、嫉妬らを払い落すという生活の中に、清らかな人間の生が磨きあげられる。

しかしこういう欲望、愚痴や不平不満、怒り、嫉妬らを払い落すという事は、厳しい。ちょっとしたはずみで、心の中にこうしたものが入り込んでしまう。
こういうものが入り込まないように隙を見せず、一心不乱に励んでいかなければならない。
そこに、ここに人間として産まれ生きているという実感を見いだせられてくる。即ち、自分で自分を敬うという事になる。