私たちが入院したのは夏真っ盛りの頃。
前回書いたように、検査も兼ねての手術入院だったので一般より少し長めの約1ヶ月入院しました。
入院してから数日経った頃、若い医師や看護師さんたちが
「ドナーとレシピが同じ部屋に入院してる!」と、私たちの病室へとやってきました。
普通、ドナーとレシピエントは別々の部屋に入る(フロアさえ変えることもある)らしいのですが、
私たちの場合は姉が「妹と隣同士のベッドにして欲しい!」と先生に頼み込んだようです(^-^;
何故、ドナーとレシピエントを離して入院させるのか。それは同室の人たちの話からも想像できました。
ある人は夫からの移植を受けると話していましたが、周囲(特に男性の身内)に反対の声があり、
もし手術が失敗したらどうしよう?と、ものすごく不安がっていました。
また別の人は、最初はお母さんから移植してもらったけれど3年でダメになってしまい、今回はおとうさんからの移植。
おかあさんには「あなたのせいでウチはめちゃくちゃよ!」と言われたそうです。
皆、悲しい想いをしたり深く傷ついたりしていました。
そのように「移植手術」というのはとてもデリケートで、入院中に喧嘩になってしまったり
ドナーの心変わりで手術がドタキャンになることもあるのだそうです。
そういうトラブルを極力避けるため、ドナーとレシピエントは離れた部屋に入院しているのでした。
脳天気に笑ってたのは私たちだけみたいで、なんだか申し訳ないくらいでした。
けれど検査は本当にありとあらゆることをやったという感じで、中には「二度とやりたくない」と思うようなものもあったので
そんな時、ドタキャンしたくなるドナーの気持ちがわかるような気がしました。
もちろん姉にはそんなこと言いませんでしたが。。
手術当日。
その朝のことは鮮明に覚えています。
朝、洗面所で歯磨きをしていた時のこと。どこからか「虹だ」という声が聞こえました。
大きな窓から空を見上げると、ビル群の上に大きく鮮やかな虹が!!
しかもよく見るとダブルレインボウでした。
ざわざわと他の人たちも集まってきて、しばし皆で窓の外の虹に見とれていました。
「あぁ、きっと今日の手術は成功する」
何の根拠もないけれど、虹を見ながらそう思いました。
手術室は別々で、麻酔をする時に数を数えるように言われたけれど、ほとんど数える間もなく意識がなくなったように思います。
私は夢を見ていました。巨大な中華包丁で身体を3つに分断されている夢です。
上半身と腹部と下半身がバラバラで、とても苦しい。。
その時「先生、すごく苦しんでいるので抜いてあげても良いですか?」という女性の声が聞こえ、
口から食道の奥へと入っていた太い管のようなものがズルッと引きずり出される感覚があり、
それ自体は衝撃だったけれど、直後に呼吸が楽になりました。
その後のことはまた記憶がありません。
そもそもそれさえも夢だったのか、現実のことだったのかわかりません。
次に目覚めた時は全身管だらけという状態で、3日間はぐったりしていて記憶もあいまいです。
姉の家族がお見舞いに来たことは覚えています。
姉はニコニコしていたような気がしますが、私は笑顔にすらなれませんでした。
手術前にアレルギーの検査をした時に一番強い痛み止めに反応が出てしまい、
それは使えないと聞いていたので身体全体が痛みに疲弊していたのかもしれません。
看護師さんが「痛々しくて見てられない」と言ったのが、やけにはっきりと記憶に残りました。
傷跡もレシピエントの姉よりもドナーである私の方が大きいものでした。
現在は鏡視下腎臓摘出という傷跡が小さく済むものに変わってきているようですが、
私たちの頃は開放腎臓摘出だったので私の傷は20cm以上もありました。
その3日間は「もし今移植手術をしようと考えている人がいたら、ドナーになるのはやめた方が良いよ」と言うなぁ。。
なんてことをボンヤリと考えていたような気がします。
辛かった3日間が過ぎると身体も楽になり、少しずつ動き回れるようになりました。
術後の経過は医師も驚くほど順調で、その頃の話では
「拒絶反応は多かれ少なかれ出る。それが強いか弱いか、薬で乗り越えられるかられないか。それで成功か失敗かが決まる」
と聞いていましたが、姉には拒絶反応というものが全く出ませんでした。
拒絶反応は自分の身体に“異物”が入ってきたことを認識し、それを排除しようとする免疫の働きです。
それがほぼないというのは、とても珍しく「奇跡的に相性が良い」というようなことを言われました。
入院している1ヶ月の間、姉と私は夜になるとよく病室を抜け出して屋上に行きました。
アニメ「シティハンター」で見ていた風景が目の前に広がり、脳裏に「Get Wild」が流れます♪
明治神宮の花火が遠くに見えた日もあったし、
1ヶ月もずっと一緒にいるなんて初めてのことでしたから、とりとめのない話にも花が咲きました。
退院が近づき最後に屋上に行った時、いつものように並んで腰かけていた姉の右手が私の左手をギュツと握り、
「私たち、血が、繋がってるんだね。。」
煌めく夜景を見ながら、呟くように姉が言いました。
その横顔を見た私はハッとし、「やっぱり手術をして良かった」と心底思いました。
今回のことは、姉にとっては単なる腎臓移植手術以上の価値があったのです。
(4)へ続く
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今日の写真は以下の他、珍しい環水平アーク等、家の近くで撮ったものを選びました。
最終章です(^-^;
いつもきちんと読んでくださってありがとうございます。
遠くの親戚より近くの他人、という言葉もありますもんね。
確かにそういうことも多いと思います。
私の方の家系はどうも一般より一族の結束?が強いような気がします。
今まで何人かの人に言われたことを総合すると、ですが。。
麻酔が覚める頃って色々あると聞いたことはあります。
どこまでが夢でどこから現実なのかよくわかりません。
はのやさんも全身麻酔の手術をなさったのですね。
お互い、健康に気をつけて楽しく過ごしたいですね。
あまり一緒に生活はしていなかったのでしょうが、姉妹の仲の良さが伝わってきます。
近くにいる他人も大切ですし、重要ですが、やっぱり血のつながりって違いますよね。
手術後のうわ言。
自分では覚えていないけどいろいろありそう。
私も手術の後うなっていたようです。
環水平アーク、諏訪の方を思い出します。