知恩寺は、京都市左京区にある浄土宗七大本山の寺院。

百万遍知恩寺(ひゃくまんべんちおんじ)と称され、京都における浄土宗四ヶ本山のひとつであり、法然上人二十五霊跡第22番札所でもあります。

法然が開創したと伝わり、前身は烏丸今出川になった賀茂社の神宮寺です。
法然入滅後、弟子の源智(平重盛公の孫)は、賀茂の河原屋をついで、功徳院神宮堂とし、法然の御影を安置して、浄土専修念仏の道場とし、如空のとき功徳院知恩寺と称しました。
1331年(元弘元年)第8世善阿空円のとき、京都に疫病が蔓延し、後醍醐天皇の勅により七日念仏百万遍を行い疫病を治めたことから「百万遍」の号が下賜されました。

御影堂

中門

阿弥陀堂


釈迦堂

後柏原天皇の宸翰「知恩寺」の扁額

1382年(弘和2年:永徳2年)相国寺が建立される際に一条小川に移され、1592年(文禄元年)には豊臣秀吉の寺地替えにより土御門(寺町通り荒神口上る)に移され、1662年(寛文2年)現在の北白川の地に移転しました。
境内や本堂・庫裡はしばしばフリーマーケットの会場として貸し出されており、特に京都古書研究会主催で開かれる「秋の古本まつり」の会場となっていることで知られています。
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法然入滅後、弟子の源智(平重盛公の孫)は、賀茂の河原屋をついで、功徳院神宮堂とし、法然の御影を安置して、浄土専修念仏の道場とし、如空のとき功徳院知恩寺と称しました。
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御影堂

中門

阿弥陀堂


釈迦堂

後柏原天皇の宸翰「知恩寺」の扁額

1382年(弘和2年:永徳2年)相国寺が建立される際に一条小川に移され、1592年(文禄元年)には豊臣秀吉の寺地替えにより土御門(寺町通り荒神口上る)に移され、1662年(寛文2年)現在の北白川の地に移転しました。
境内や本堂・庫裡はしばしばフリーマーケットの会場として貸し出されており、特に京都古書研究会主催で開かれる「秋の古本まつり」の会場となっていることで知られています。
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