前橋市紅雲町にある大珠山龍海院は、前橋酒井氏の菩提寺の曹洞宗の寺で、是字寺とも言います。
享禄3年(1530年)元旦、徳川家康の祖父・松平清康が是の字を左手に握る夢を見ました。
龍渓院の模外惟俊(もがい いしゅん)和尚にその意味を尋ねると、「この字は日下人に分けられ、これを握るという事は、戦国の分裂の世を統一する吉兆である。あなたの代に実現しなくても孫の代までには必ず実現する」と言いました。
清康は、その和尚の予言を信じ、同師を開山として、岡崎城下に伽藍を建立しました。
(岡崎龍海院)
その後、龍海院は徳川家の命により外護者となった酒井家の転封とともに天正18年川越に、慶長6年前橋に移り、酒井家九代・ 酒井忠恭が姫路へ転封となった折も当地に留まりました。龍海院は開運出世の寺として信仰されています。
山門
入母屋造りの楼門です。
境内から見た山門
増長天王像
毘沙門天王像
聖観世音菩薩
中世以降、龍海院は有栖川宮家の祈願所となっていました。
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享禄3年(1530年)元旦、徳川家康の祖父・松平清康が是の字を左手に握る夢を見ました。
龍渓院の模外惟俊(もがい いしゅん)和尚にその意味を尋ねると、「この字は日下人に分けられ、これを握るという事は、戦国の分裂の世を統一する吉兆である。あなたの代に実現しなくても孫の代までには必ず実現する」と言いました。
清康は、その和尚の予言を信じ、同師を開山として、岡崎城下に伽藍を建立しました。
(岡崎龍海院)
その後、龍海院は徳川家の命により外護者となった酒井家の転封とともに天正18年川越に、慶長6年前橋に移り、酒井家九代・ 酒井忠恭が姫路へ転封となった折も当地に留まりました。龍海院は開運出世の寺として信仰されています。
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入母屋造りの楼門です。
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