明圓寺は、天文年間(1532~1554年)沼隈郡山田村に創建され、その後、文明年間に現在地に移転したとされています。
室町末期の石山合戦では、明圓寺の住職・長存が備後門徒を集め、毛利軍と共に織田信長と戦い、これらの功績により、「松江山明圓寺」の寺号を教如上人から授けられました。
その後は東本願寺設立にも尽力しました。
(それで、東本願寺の瓦があったのですね)
当寺も江戸時代を通して、朝鮮通信使の常宿でした。
鐘楼堂
明圓寺の梵鐘は、鞆奉行・萩野新右衛門らの寄進によって寛永21年(1644)年に作られました。この時代に作られた鐘は、江戸末期と第二次大戦時の二度の金属供出でほとんどが失われ、鞆の浦でも残っているのは当寺と阿彌陀寺の二箇所だけで、朝鮮鐘の形式が取り入れられた江戸初期の貴重な鐘なのだそうです。
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