聖護院門跡は、静恵法親王(後白河天皇の子)が宮門跡として入寺して以降、 代々法親王が入寺する門跡寺院。
江戸時代後期には2度仮皇居となるなど、皇室と深い関わりを持ち、現在も「聖護院旧仮皇居」として国の史跡に指定されています。
秋の特別公開では、障壁画130面や本尊の不動明王など貴重な文化財が公開されています。
宸殿には狩野山楽の子・狩野永納と、狩野探幽の養子・狩野益信による金碧障壁画130面が納められ、緑青や朱を使ったものから、墨を主として描いた落ち着きのあるものまで、幅広く描かれています。

聖護院は、明治の廃仏毀釈の際に廃寺となった末寺から預かった不動明王像を多く持ち、重要文化財の本尊は智証大師圓珍作とされ、創建された当時のまま、4度に渡る火災でも失われることなく今日に至るといいます。
書院は、後水尾天皇が女院のために建てたもので、延宝4年(1676)に聖護院が現在地へ移転したときに、御所から移築されたと伝わっています。恋文を表す折文の形を使った釘隠しなど細かなところに女性らしさを感じる工夫がなされています。

12月18日まで公開中。
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江戸時代後期には2度仮皇居となるなど、皇室と深い関わりを持ち、現在も「聖護院旧仮皇居」として国の史跡に指定されています。

秋の特別公開では、障壁画130面や本尊の不動明王など貴重な文化財が公開されています。

宸殿には狩野山楽の子・狩野永納と、狩野探幽の養子・狩野益信による金碧障壁画130面が納められ、緑青や朱を使ったものから、墨を主として描いた落ち着きのあるものまで、幅広く描かれています。

聖護院は、明治の廃仏毀釈の際に廃寺となった末寺から預かった不動明王像を多く持ち、重要文化財の本尊は智証大師圓珍作とされ、創建された当時のまま、4度に渡る火災でも失われることなく今日に至るといいます。

書院は、後水尾天皇が女院のために建てたもので、延宝4年(1676)に聖護院が現在地へ移転したときに、御所から移築されたと伝わっています。恋文を表す折文の形を使った釘隠しなど細かなところに女性らしさを感じる工夫がなされています。

12月18日まで公開中。

