米原にある大谷吉継の首塚を訪ねて来ました。
JR米原駅から徒歩約15分。
米原郵便局を目印に進み、下多良神社の脇の道を通り過ぎて行くと、
畑の真ん中に祠が見えてきます。
大谷吉継は、豊臣秀吉の小姓として信任を得、奉行となって越前敦賀で5万石を拝領。
朝鮮の役に石田三成らとともに参加。
秀吉没後、慶長5 (1600) 年関ヶ原の戦いで西軍石田方として参戦。
小早川秀秋の裏切りによって、西軍の敗北を悟った吉継が、敵に首を渡さないよう、湯浅五助の介錯で自刃。
家臣・三浦喜太夫が袋に包んで吉継の甥の僧・祐玄に持たせ、敦賀の逃亡の途中に、この地に埋め隠したといわれています。
吉継の自害後、喜太夫は追腹を切り、五助は藤堂隊に駆け行って討ち死にしました。
吉継の首については、諸説あり、自害した吉継の首は側近である湯浅五助の手により関ヶ原に埋められ(『常山紀談』)、東軍側に発見されることはなかったとも。
吉継の首塚は、綺麗に整備されていて、今も地元の人に大切に祀られているのがわかりました。