滋賀県米原市の太尾山西麓にある曹洞宗の青岸寺。
山号は吸湖山、近江湖北二十七名刹第27番札所、近江七福神(福禄寿)。
境内にある築山林泉式枯山水庭園「青岸寺庭園」で知られています。
境内にある築山林泉式枯山水庭園「青岸寺庭園」で知られています。
創建は室町時代初期で、近江守護の佐々木道誉が不動山の山号と米泉(べいせん)寺の寺号で開創しました。
本尊の聖観音像は、南北朝時代に佐々木六角氏頼が、諸堂の再建とともに造立したもので、秘仏とされています。その胎内には、氏頼の持念仏であった高さ約20cmの観音像が納められています。この観音像は「お腹籠の観音」または「旗竿の観音」と呼ばれ、氏頼はこの観音像を必ず旗竿に祀って出陣したといいます。
本堂
その後、戦国時代に観音像一駆を残して焼失しましたが、慶安3年(1650年)、彦根藩主・井伊直澄の命により彦根大雲寺の要津守三が入山し、敦賀の伊藤五郎助の寄進により再興されました。
しかし、五郎助は程なく明暦2年(1656年)に卒したので、守三和尚はこれを悼み、氏の功績を永く伝えたとして諡(おくりな)である 青岸宗天に因んで寺号を青岸寺、山号を吸湖山に改め、曹洞宗に改宗し、大雲寺の末寺となりました。
(Wikipediaより、びわこビジターズビューローHPより)