京都市北区烏丸通の閑臥庵(かんがあん)は、黄檗宗の寺で、江戸時代前期には後水尾法皇の実弟である梶井常修院の宮の院邸でした。
王城鎮護の為に貴船の奥の院から鎮宅霊符神(ちんたくれいふじん)をこの地に歓請し、初代隠元禅師から六代目の黄檗山萬福寺管長千呆(せんがい)禅師を招いて1671年に開山したのが始まりです。
法皇より「閑臥庵」の勅号を賜り、御所の勅願所とされました。
鎮宅堂
十干十二支九星を司る総守護神で、安倍晴明が開眼した北辰鎮宅霊符神が祀られています。
後水尾法皇ゆかりの品々や伊藤若冲の十二支版木、開山三百三十周年記念時に制作した砂曼荼羅などが公開されています。
また、黄檗宗の普茶料理を京懐石風にアレンジした料理を、庭園を眺めながらいただくことができます。
閑臥庵
山号を瑞芝山という黄檗宗の禅寺である。本堂には、唐の仏師による釈迦如来像が安置する。もとは梶井常修院の宮の院邸であったが、江戸時代前期に後水尾法皇が、夢枕に立った父・後陽成天皇の言葉に従って、王城鎮護のために貴船の奥の院より鎮宅霊符神をこの地に勧請し、初代隠元禅師から六代目の黄檗山萬福寺管長千呆禅師が開山となって寺としたのが当寺の起こりである。北辰鎮宅霊符神は十干十二支九星を司る総守護神であるこの神は、衆星守護をつかさどる神とされ、安倍晴明の開眼といわれ、方除け・厄除けの信仰がある。御所の祈願所として法皇自ら「閑臥庵」と命名し、御宸筆の額を寄せて勅号としたほか、法皇は、春に、秋に、和歌を詠んで庭を愛でたといわれ、秋の句
「明けぬとて 野辺より山に入る鹿の
あとふきおくる 萩のした風」
など、御宸翰その他が今も伝えられている。
また、法皇も好んだ黄檗宗特有の精進である普茶料理が、今は教化の一部として一般に饗されている。(駒札より)
羅漢像