東京都港区高輪の泉岳寺は、慶長17年(1612年)に徳川家康が外桜田に門庵宗関(もんなんそうかん)和尚(今川義元の孫)を招いて外桜田(現在の警視庁の近く)に創建されました。
寛永18年(1641年)寛永の大火で焼失し、徳川家光の命で、毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷の5大名により、高輪の地で再建されました。
浅野家と泉岳寺の付き合いはこの時以来のもので、浅野長矩と赤穂浪士が葬られており、毎年4月初旬と12月14日には義士祭が催されています。
中門
泉岳寺には、三つの門(総門・中門・山門)がありましたが、現在は中門と山門のみが残っています。
現在の中門は天保7年(1836年)に35世大龐梅庭(だいほうばいてい)和尚代に再建されたもので、昭和7年に大修理を施されています。
「萬松山」の額は、中国明時代の禅僧・為霖動霈(いりんどうはい)による書です。
大石内蔵助吉雄銅像
浪曲の宗家・桃中軒雲右衛門の発願により鋳造されたもので、内蔵助が元禄羽織を身につけ、連番状を手にして東の空(江戸方向)をじっとにらんでいる姿を表したものです。
山門
この門は天保3年(1832年)に34世大道貞鈞(だいどうていきん)和尚代に再建されたものです。
二階部分には十六羅漢が安置され、一階部分の天井には「江戸三龍」のひとつ、銅彫大蟠龍がはめこまれています。
「泉岳寺」の額は、晋唐の墨跡研究者であった大野約庵による書です。
本堂
旧本堂は第二次世界大戦で空襲で消失。現在の本堂は昭和28年12月14日に落成した鎌倉様式の建築です。
ご本尊は釈迦如来、他に曹洞宗の宗祖である道元禅師・瑩山禅師、また大石内蔵助の守り本尊である摩利支天(秘仏)などが納められています。
澤木興道老師像
(Wikipedia、泉岳寺HPより)