二条城の向かい、京都国際ホテル前に残る福井藩邸跡です。
此付近福井藩邸跡
この油小路二条下る西側(現京都国際ホテル)の一帯には、江戸時代後期、福井藩の藩邸があった。藩邸が置かれたのは比較的新しく、天保2年(1831)の「京大絵図」に描かれている。
藩邸は藩の京都連絡事務所で、留守居役が詰め、町人の御用掛を指定して、各種の連絡事務に当たった所である。
福井藩は、慶長5年(1600)、徳川家康の二男結城秀康が封ぜられたのに始まる親藩の雄藩で、石高は最大68万石、江戸中期以後は32万石。幕末に松平慶永が藩主となってから、人材を登用して藩政を改革し、水戸藩とともに江戸幕府政治の改革に乗り出し、更に、公武合体運動を進めて、幕末政局に一方の旗頭となって活躍した。この藩邸は、幕末の福井藩の活躍にとって大きな役割を果たした。
京都市(駒札より)
二条城見学の帰り、京都国際ホテルでランチをする際、この駒札に気付きました。
観光客の多い二条城周辺は、ホテルが多いですね。
この辺りが藩邸だったとは・・・
国際文化観光都市として発展した京都の街並みは随分変わりましたね。
ブログランキングに参加しています!応援よろしくお願いしますm(__)m
にほんブログ村
神社・仏閣 ブログランキングへ
最新の画像[もっと見る]
- 三輪明神 大神神社(4)摂社 2日前
- 三輪明神 大神神社(4)摂社 2日前
- 三輪明神 大神神社(4)摂社 2日前
- 三輪明神 大神神社(4)摂社 2日前
- 三輪明神 大神神社(4)摂社 2日前
- 三輪明神 大神神社(4)摂社 2日前
- 三輪明神 大神神社(4)摂社 2日前
- 三輪明神 大神神社(3)銀竜草 1週間前
- 三輪明神 大神神社(3)銀竜草 1週間前
- 三輪明神 大神神社(3)銀竜草 1週間前
当時は英語、スペイン語の勉強で精一杯でたぶんこの碑文もホテルの裏門(二条城側)に有ったような気がしていますが、読んでいませんでした!外人さんから質問があったら読んだでしょうね!
語学力を必要とするお仕事ですね。
私もスペイン語を趣味で学びましたが、ほとんど忘れてしまいました。
あのあたりに藩邸があったのですか。
松平慶永というより、松平春嶽の名の方が有名でしょうか。
京都の街は、ホテルやビルの前にも駒札が建っていて、昔の名残を伝えていますね。