龍海院の本堂裏手の墓所には、酒井正親墓のほか、松平広忠後室・真喜姫(田原御前)の墓など、家康ゆかりの方の墓が祀られています。
松平清康の墓
徳川家康の祖父。信忠の子。大永3 (1523) 年 13歳で家督を継ぎ,翌年西郷弾正左衛門尉信貞を攻めて安祥 (安城) から岡崎に入り,次いで西三河を平定。享禄2 (29) 年牧野伝蔵ら4人兄弟のこもる吉田城を攻め落し,田原に押寄せて東三河も手中に収めた。その後,今川氏に属し天文2 (33) 年三河に進出した信濃の兵と井田野で戦ってこれを敗走させた。同4年 12月織田信秀を討つため尾張森山に陣をしいたが,家臣阿部弥七郎の誤解から不慮の死をとげた。この事件は一般に「森山崩れ」と呼ばれている。(コトバンクより)
酒井雅楽頭正親の墓
清康、広忠、家康の3代に仕えた家臣。
建立の際、清康が改宗を希望しましたが、松平家の菩提寺である大樹寺が反対をしたため、代わって、酒井正親が檀家となりました。
以来、龍海院は酒井家の菩提寺となっています。
天文11年(1542年)12月、家康の誕生時、へその緒を切る胞刀の役を務めた。
永禄4年(1561)、今川方の吉良義昭の西尾城を攻め、家康から西尾城を与えられた。
家康の継母・真喜姫の墓
田原城主・戸田康光の娘。
出身地から田原御前と呼ばれ、天文14年(1545年)於大の方と離縁した松平広忠と結婚。
家康が江戸に国替えした後も岡崎城にとどまりました。
(岡崎ルネサンス、Wikipedia参照)
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