この学校について記すのもこれが最後になるかもしれない。
卒業式まで残すところ10日を切った。 わが子も大過無く過ごさせていただいた事を、学校の関係者に感謝申し上げたい。 いじめを心配して、生徒と先生方をよく観察したのだが、杞憂に終わったようだ。
実は、姪っ子の“S”が何年か前、この学校にお世話になり推薦入学で、大学に入(い)れる予定であったのだが、其れがあえなく失敗に終わった敵討ちとして、わが子を推薦入学で、大学に入れるつもりが無いでもなかった。
しかし、姪っ子は集中力にしても、知識の蓄積にしても、判断力にしても、人並みはずれたものを持っていた。 一番の欠点は『世間知らず』な事であったのだろう。 其れに足すことの経済的条件から、山形市内の進学校に通える状態ではなかった。
姪っ子に比較すれば、わが子は『月とすっぽん』小学校時代から30点のテストを持って帰っても、悪びれるところが無く親に見せた。 始めから無理であったのだろう。 小学校時代は、事情が有り休んだ日も半端ではなかったので、良くここまで来たと、褒めてあげねばいけないのだろうか・・・・。
県内高等学校の、願書提出が終わったようだが、高校の学問なんかは学問の入り口で、その高校のテスト結果により学問に対して、アレルギーを起こすことが無ければ、まずまずとしておかねばならない。 その上で、先生方の研究により生徒に学問的な『感動』を与えてもらえれば云うことはない。
日本の全国的な傾向だが、農業高校は『ダメ生徒』の集まりとしての認識をお持ちの方がはなはだ多い。 実は私もその一人であったのだろう。 子供に聞くともなしに聞けば、やはりそのような子供が多いような感じである。
駅弁大学に入って、フリーターという手も無くも無いのだが、現状国自体の経済状態を考えれば、そう云う時代でもない。 一般社会で、デスクワークとか管理職とかは、半分以上と言うのは、いかにも多すぎるような気がする。 要するに、大学入学者比率が実情に即してないのではないか。
入学したばかりで、先生の指導的な助言に「マジカヨー」と言うA子、 絨毯舐めの特技のO男、ゲーム機噛り付きで出席率を計算して登校するY君、踊り上手なI子、生活力に長け株で儲けた(?)T君、山形市より南側から違う人種を求め「寮生活」を続けるA君、雪道を2時間近く毎日歩いて通うS君、 そして、やはりテスト成績の優秀なH君、…。
実はこの子を推薦入学で落とした某大学校の判定委員の資質がおかしいのではないかと思うほどこの子は勉強好きな様子であった。 カナダに行く人も居るようだが、行き詰った時は友の顔を思い出して欲しい。 そして、其れを励みにあるいは力にして欲しい。 進学校より、少なくても生徒同士心のぶつかり合いが多かったのだろうと期待したい。
多才で多様な人間が集まる、農業高等学校。 県は予算が無くて『寮廃止』とのことだが、自分達の給与を削っても、山形の将来を担う人材を育てると言う強い意志の持ち主がいないのだろう。
毎朝の通勤に、ランドクルーザーなど買うお金があったら、給与の半分を農学校の寮の存続に使ってくれということが言えないのか。 現在のグローバリズムが、この僻地にも深く浸透していると言う事の証であろう。
山形に未来が有るはずは無い。
そうやってテストの点数で優秀であった県職員が、現在では相対的な高給を食んで、退職したら雪の無い仙台にでも行こうとでも言うのだろう。 公務員を長く続けるにしたがって、そのテスト脳は錆付きが激しく期待出来ないようになる。 少なくても政治を引っ張る人にはそうあってほしくないのだが、現状では率先してそのお手盛り豊満給与の道を歩んでいる人“だらけ ”である。