読書日和

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「面白くてよくわかる!アドラー心理学」星一郎

2017-01-07 22:31:22 | 心理学・実用書


今回ご紹介するのは「面白くてよくわかる!アドラー心理学」(監修:星一郎)です。

-----内容-----
劣等感に負けない勇気。
⚪「勇気づけ」で人生が変わる
⚪「劣等感」は幸福の鍵にもなる
⚪すべての悩みは対人関係にある
人の行動は過去ではなく、未来に掲げる目標によって決まる。

-----感想-----
これまでにアドラー心理学の本は三冊ほど読んでいます。

「マンガでやさしくわかるアドラー心理学 人間関係編」岩井俊憲
「嫌われる勇気」岸見一郎 古賀史健
「幸せになる勇気」岸見一郎 古賀史健

「面白くてよくわかる!」のシリーズは過去に「面白くてよくわかる! ユング心理学」(著:福島哲夫)「面白くてよくわかる!フロイト精神分析」(監修:竹田青嗣)を読み、見開き2ページで左側のページをイラストにし、文章も分かりやすく書かれているので読みやすかったです。
フロイトやユングの生い立ちも書かれていて興味深かったことから、アドラー心理学についても「面白くてよくわかる!」を読みアドラーがどんな人だったのか、そしてアドラー心理学の基本的な部分についての理解を深めてみようと思いました。

P14「死を意識する体験を重ねた幼少時代」
アドラーは子供の頃、何度も死を意識する体験をしたとのことです。
流感や肺炎で何度か生死をさまよったり、くる病にかかり全身包帯だらけで過ごしたり、馬車にはねられ瀕死の重傷になったりしました。
さらに同じ部屋で寝ていた弟が朝起きると亡くなったりもしていました。
それらの体験から「死への畏怖」を抱くようになり、後にそれを乗り越えようと医師を目指し実際に医師になったとのことです。
過去に読んだアドラー心理学の本ではこういった生い立ちについては書かれていなかったので、こんなに何度も死を間近に感じていたことに驚きました。

P20「カウンセリング志向とフロイトとの出会い」
アドラーは医師として患者と向き合ううちに、独自のカウンセリング手法を築いていきます。
従来の医療と違い、患者と医師が対等で好意的な関係を築き、その中からよりよい医療を行おうとするものです。
これは医者が絶対的権威だったこの時代では珍しい考えだったようです。
またアドラーは1900年に、世間で批判を浴びたフロイトの著作「夢判断」について支持する出版物を出し、それがきっかけでフロイトから主催する勉強会への招待があり、二人の交流が始まったとありました。
これも他のアドラー心理学の本では書かれていなかったので興味深かったです。

P22「フロイトとの決別」
フロイト「人は“性欲”という本能的衝動によって動かされている」
アドラー「いいえ、人は強くなりたいという“劣等感の克服”があるから行動するのだ」

フロイト「人には意識と無意識の世界がある」
アドラー「人の人格はそれ自体が一つの単位であり、分割して考えることはできない」

フロイトとアドラーの対立としてこれらのことが紹介されていました。
注目は「人には意識と無意識がある」をアドラーが否定している点で、これだとフロイトと同じく「人には意識と無意識がある」と考えながらもフロイトと決別したユングとも考えが合わないです。
二人ともフロイトと決別しながらも組むことはなく三つ巴になったのは明確な考えの違いがあったからなのだなと思います。
そして三人とも優れた人物で後の心理学に大きな影響を与えたことから現在の世で「心理学三大巨頭」と呼ばれるようになりました。

また、アドラー心理学の正式名である「個人心理学」の名前の由来についても書かれていました。
この名前には「心理とはすべて全体にまとまった一つの有機体だ」とする主張が込められているとのことです。
これはフロイトとの対立で出てきた「人の人格はそれ自体が一つの単位であり、分割して考えることはできない」そのものだと思います。

P34「人の行動は、過去ではなく目的で決まる」
「人の行動はすべて何らかの原因によって決まる」という考えに基づく捉え方を心理学では「原因論」と言います。
これに対して「何が目的でその行動をしたのか」「何を達成したくて、その行為に出たのか」にフォーカスしてその人を捉えようとするのを「目的論」と言います。
そして「アドラー心理学では、人の行動は「その人がどうなりたいか」という目的に基づいて表れていると考えます。これが他の心理学との大きな違いです。」とありました。
この考え方は他のアドラー心理学の本の感想記事でも書いたとおり、女性が男性から酷い目に遭わされて激しいトラウマになり心身症を患っているようなケースでも、「あなたは自分が変わらずにいたいという目的を達成するために、トラウマを作り上げている」と言うことになってしまうため、注意が必要な考え方だと思います。

P44「全体論について」
心と体、理性と感情、意識と無意識など、人を部分に分けその集合体として捉えることを「要素還元論」と言うとのことです。
そして心も体も意識も無意識も全て統合された一まとまりとして人を捉えることを全体論と言うとのことです。
フロイトの精神分析学とユングの分析心理学は要素還元論となり、アドラーの個人心理学は全体論となります。
これは私の感性には要素還元論のほうが合い、そしてフロイトよりもユングの考え方のほうが合います。
ちなみにこの三人の心理学を全体で見た時はユング、アドラー、フロイトの順で相性の良さを感じます。

P54「対人関係には3つのタイプがある」
①師匠と弟子の関係
師匠が絶対的な権力を持ち支配し、弟子は人格、考え方全てにおいて全面的に師匠に降伏します。

②教師と生徒の関係
知識など、部分的に教師が上の立場となって、生徒はそれを教わり、考え方や人格までは支配されないです。

③友達の関係
1、2のような縦関係ではなく、ネットワークのように広がる横の関係で、上が一方的に指導や支配をしたり、下の者が自分の何かを捨てたりすることはないです。

アドラー心理学では③のフレンドリーな関係を望ましいものとしているとのことです。
たとえ学校の教師と生徒、職場の上司と部下、親子など「教える側と教えられる側」という立場同士であろうと、③の関係が好ましいとあり、たしかに一方的に指導や支配をされるのはうんざりとして嫌ですし、③の関係が望ましいと思います。

P56「精神内界論と対人関係論」
精神内界論は「対人関係の問題や課題は、その人の過去や内面に発生の原因がある」という考え方で、フロイトやユングはこちらです。
対人関係論は「人のあらゆる行動は、現在生じている人間関係上の課題や問題を解決するために起こっている」という考え方で、アドラーはこちらです。
この本では精神内界論について「過去に原因を求めてそれを心の中で改善しようとすると、何らかのコンプレックスや嫌悪感を克服することを目指さなければならず、それは長く難しい道のりになるかも知れません」とありました。
そして対人関係論については「過去のコンプレックスはさておき、とにかく今の対人関係をよくする対応を具体的に考え、関係を良好にできれば、ネガティブな感情を苦労して乗り越えなくても、生活や人生は快適なものへと変わる」とありました。
これはアドラー心理学のほうがお手軽で手っ取り早いというのを言っていると思います。
ただしアドラー心理学には体育会的で強引な面もあるため、「絶対にアドラー心理学のほうが良い」と妄信するのは危険だと思います。

P58「共同体感覚について」
共同体感覚とは「自分は共同体全体の一部であり、共同体とともに生きていく」と自然に感じられる感覚のことです。
家族、組織のような狭義の意味ではなく、社会全体や国家、地球規模で捉えられる感覚のものを言います。
これがしっかり備わっている人は誰かの役に立ちたい、世の中に貢献したいと考え、また友人や仲間に関心を寄せ、自分の家族を大切に思う意識が自然に働くとのことです。
この本では共同体感覚が何度も出てきて分かりやすく解説されていました。

P70「認知論について」
人は物事を捉える時、自分なりの解釈をして捉え、ありのままの現実を体験しているように思えても、それは「自分のフィルター」を通して、自分なりの意味づけをした、その人だけの現実でしかないとのことです。
全ては主観的な体験でしかなく、こうした捉え方を「認知論」と言うとありました。
また、19~20世紀頃までの心理学は客観的、自然科学的な立場での観察や解釈を前提としていましたが、アドラーは人の心の理解には認知論による立場が不可欠であると説いていたとのことです。
これは「イメージの心理学」というユング心理学の本に出てきた「「私」の心理学」と同じ考え方です。
人の心の全てを自然科学的な立場で解釈するのは無理ですし、認知論的な考え方は大事だと思います。

P78「ライフスタイルについて」
アドラー心理学ではそれぞれの人の、人生の目的や目標への、独自の行動パターンやスタイルのことをライフスタイルと言います。
一般的には「生活様式のこだわり」のような使い方をされることが多い言葉ですが、アドラー心理学ではその人自身を示す根源的な信念の意味として使われるとのことです。

P84「生き方は幼少期までに決まる」
ライフスタイルは誕生直後から6歳くらいまでの生活環境や心身状態に影響を受けて形成されるとアドラーは考えたとのことです。
これは幼少期の教育は凄く大事ということです。
ただしこの意味を履き違え、いわゆる教育ママ化して無理やり勉強を押し付けるようなやり方をすると、歪んだ人格が形成される危険性が出てきます。
ライフスタイルとはその人の行動パターンや信念のことなのですから、その人が窮屈さを感じずのびのびと生きていけるように(好き放題甘やかすという意味ではないです)教育したほうが良いと思います。

P86「器官劣等性について」
アドラーは患者の診断中に、聴覚に障害がありながらも努力でそれを発達させたり、幼少期は病弱でもそれを克服して普通の人より優れた身体能力を持つようになった人が多いことに気付きます。
そしてそうした体の弱点を「器官劣等性」と呼び、それを克服することはむしろ優れた能力を身に付けることになると分析しているとのことです。
器官劣等性は結果としてライフスタイルに影響を与え、プラスの影響かマイナスの影響かは、その人の選択によるとありました。
なので器官劣等性を上手に克服すると、非常に強く、有能な人物になる可能性があるとのことです。
例として視力と聴力と言葉を失いながら社会福祉家として大事業を成したヘレン・ケラー、聴力が不自由な作曲家ベートーヴェン、幼い頃の火傷で左手に障害を抱え医学の道に邁進した野口英世が挙げられていました。

P94「「早期回想」について」
幼少期の記憶を現在その人がどう解釈しているかにスポットを当て、そこからライフスタイル形成について解析することです。
このことから、アドラー心理学も過去の記憶を無視しているわけではないことが分かります。
ただしその記憶が「トラウマ」となっていることについては否定しているため、そこにフロイトやユングとの大きな違いがあります。

P132「「なぜ?」ではなく「どうしたら?」が人を育む」
これはアドラー心理学のスローガンとのことです。
不登校の子どもに「なぜ不登校になったのか」と聞くのは苦しませることにしかならないとのことです。
不登校の原因を解明し向き合うのはとても時間と労力のかかることで、しかも向き合ったところで必ず不登校から立ち直るとも言えないので、それよりは「どうしたら学校に行けるようになるか」という目的設定のもとに、その子の行動を変えていく方が有効な解決手段になるとありました。
これは一見良さそうに見えるのですが、悪用すると社会生活の様々なケースで心の中の思いを無視して行動だけ変えることを迫ることになるので注意が必要です。
その人の心の中の思いを無視して全然違う行動を取ることを無理やり押し付けるのは強いストレスになると思います。


この本はかなり文章が穏やかで静かに書かれていて読みやすかったです。
アドラーは自己啓発の父とも呼ばれています。
世の中に出回っている自己啓発関係の本に書かれていることは、大抵はアドラー心理学の考えと同じとのことです。
アドラー心理学には大事な部分を「勇気を持て」で片付けようとするなど体育会的な面もあるため、企業などがそのまま体育会的な解釈をして「変わるためには勇気を持て。心理学三大巨頭のアドラーもそう言っている。変われないのなら、それはお前に勇気がないからだ」と悪用することに注意が必要だと思います。
そして良い面もたくさんあるのでそれを取り入れ、自分自身を生きやすくするのに生かしていくのが理想的だと思います。


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電通がブラック企業大賞受賞、書類送検、さらに社長が辞任

2017-01-05 21:32:07 | ブラック企業問題

2015年12月17日、自殺する8日前のツイート(つぶやき)。

※この記事は「電通の高橋まつりさん過労自殺事件について」からの続きとなります。

昨年末の12月23日、大手広告代理店の株式会社電通が「ブラック企業大賞2016」を受賞しました。
ブラック企業大賞とは過酷な長時間残業やサービス残業、パワーハラスメント、セクシャルハラスメントなどが横行する「ブラック企業」の頂点を決め、その存在を社会に広く伝えるための賞です。
参考までに歴代の大賞受賞企業は次のとおりです。

2012年 東京電力株式会社
2013年 ワタミフードサービス株式会社
2014年 株式会社ヤマダ電機
2015年 株式会社セブンーイレブン・ジャパン

2016年はディスカウントストアのドン・キホーテ、宅急便の佐川急便、お寺の仁和寺、郵便事業の日本郵便などがノミネートされた中、電通が大賞受賞となりました。
受賞理由を見ると電通は1991年に「電通事件」という、入社2年目の社員が月の残業が140時間を超える過労で自殺する事件を起こしているのに、その教訓が全く生かされずに同じ悲劇が繰り返されていることが重く見られたようです。
「電通の高橋まつりさん過労自殺事件について」の記事を書いた時に「労働基準監督署から正式に労災認定がされ、さらには労働基準法違反の疑いで東京労働局と労働基準監督署による立ち入り調査が入ったということは、既に社会的に「ブラック企業だ」と見られているということです」と書きましたが、この大賞受賞で名実ともにブラック企業の筆頭格として認識されることになりました。

そのすぐ後の12月28日、厚生労働省東京労働局が、社員に違法な残業をさせていたとして、労働基準法違反の疑いで法人としての電通と幹部1人(自殺した高橋まつりさんの上司)を書類送検しました。
電通では違法な長時間労働が常態化していたとみられることから、他の幹部の関与などを含め引き続き刑事責任追及に向けて捜査していくとのことです。
ここで改めて、「電通の高橋まつりさん過労自殺事件について」の記事で紹介した武蔵野大学グローバルビジネス学科教授の長谷川秀夫氏のフェイスブックでの発言を見てみます。



武蔵野大学教授の長谷川秀夫氏はフェイスブックで「月当たり残業時間が100時間を越えたくらいで過労死するのは情けない」と言い、なぜか自殺に追い込んだ会社のほうではなく、自殺者のほうを非難していました。
ここで注目なのは厚生労働省東京労働局が「労働基準法違反の疑いで法人としての電通と幹部1人(今後さらに増えるかも知れないです)を書類送検した」という事実から分かるとおり、電通がやっていることは紛れもない「法律違反であり犯罪行為」だということです。
犯罪行為をするから東京労働局による強制捜査が入り、法人としての電通と地獄のようなブラック労働に関与した幹部が書類送検されるという、当たり前の結果になります。
これに目を向けようとせず「月当たり残業時間が100時間を越えたくらいで過労死するのは情けない」という体育会的根性論にすり替え、自殺するほうが悪いのだとして片付けようとするのは、いくら何でも酷過ぎると思います。
上に立つ人がこういう認識だから地獄のブラック労働で自殺に追い込まれる事件が後を絶たないのだと思います。
この教授のような認識の経営者は結構いるのではと思いますし、そういった人には「労働基準法違反で書類送検」という言葉の重みを考えてみてほしいです。

法人としての電通と幹部1人が書類送検されたことを受け12月28日、電通の石井直社長が記者会見を開いて辞任を表明しました。
過酷な長時間労働について「経営陣が歯止めをかけられなかった」と述べ、責任を認める発言をしています。
昨年の9月30日に労働基準監督署から正式に労災認定されたことで明るみに出た高橋まつりさん過労自殺事件はついに社長の辞任にまで発展しました。
ブラック労働による自殺は「あいつに根性がないのが悪いんだ」というような体育会的根性論にすり替えられるものではなく、自殺に追い込んだ責任は極めて重いです。
社長の辞任は法人としての電通と幹部1人の書類送検と合わせ、それを如実に示していると思います。

そして労働基準監督署も東京労働局も電通のブラック労働を許しはしませんでした。
これは電通と同じように従業員に対し地獄のブラック労働を強いている企業へのメッセージになっていると思います。
東京労働局の捜査によって電通のブラック労働の実態が詳細に渡って解明され、明らかになることを望みます。

あっという間のお正月休み

2017-01-04 20:11:00 | ウェブ日記
私は昨日までお正月休みでした
そして今日は仕事始めの日でした。
お正月休みが終わり、2017年の普段の日々が始まっていきます。

それにしても、お正月休みはあっという間に過ぎていってしまいました。
やはりみんなお正月休みが終わってしまうのは憂鬱なようで、昨日のツイッターでは次の日が仕事始めなことに対して「来ないでくれ!」といったツイート(つぶやき)をしている人がたくさんいました
楽しく過ごせる時間ほどあっという間に過ぎていってしまうのが少し寂しいです。

年末年始に帰省すると、毎年やることは決まっています。
まず年末は読書をしたりテレビを見たりしながらゆっくりと過ごしつつ、31日に年末ジャンボ宝くじの抽選会を見て夜には紅白歌合戦を見ます。
そのまま「ゆく年くる年」を見て新年を迎え、年が明けたのを見届けてから寝ます。
元日は読書をしつつ「ニューイヤー駅伝」や「笑点の新春スペシャル」を見るともなしに見て、夜には実家で毎年恒例となっている「芸能人格付けチェック」という番組を見ます。
このほか普段の年だと元日に地元の神社に初詣に出かけるのですが、今年は昨年の年初に実家の祖母が亡くなって喪中のため行かなかったです。
2日は箱根駅伝を見ながら過ごします。
今年も青山学院大学が快走を見せてくれて、8年前から箱根駅伝で名前を見るようになり次第に成績を上げていった青学には好感を持っているので、今年も往路をトップで駆け抜けてくれて嬉しかったです。
夜には実家で毎年恒例になっているすき焼きを楽しみます
3日は愛知県に戻る日なので、朝身支度をしつつ箱根駅伝の復路を少し見て出発しました。
新幹線の中で「青山学院大学 箱根駅伝三連覇」のニュースが電光掲示板に表示されたのを見ました。
また、お正月三が日の朝は全てお雑煮を食べるのも実家での恒例となっています

こんなふうに過ごしながら毎年お正月休みは過ぎていきます。
そしてこの日々がそれなりに楽しいからこそ、あっという間に過ぎていってしまうのだと思います。
次は今年の年末に向けて、ゴールデンウィークやお盆に帰省したりしながら、毎日を進んでいこうと思います。

「野分けのあとに」和田真希

2017-01-03 21:35:55 | 小説


今回ご紹介するのは「野分けのあとに」(著:和田真希)です。

-----内容-----
母への深く激しい怒りと憎しみから、気づいたときには食べることをやめていた。
すべてが、どうでもよかったのだ。
私を救い上げてくれたのは、西丹沢の厳しくも美しい自然と、確かな手応えをもたらす土だった。
精一杯にならなければ生きていけない農的暮らしは素晴らしかった。
そんな中でもいつも、母のことが重く引っかかっていた。
一生このまま、母を憎んだまま、私は生きていくのか……。
苦しみの果てに彼女が見いだした一筋の光とは。
第三回暮らしの小説大賞受賞作。

-----感想-----
この小説は名古屋駅の近くにある「ジュンク堂書店 名古屋店」で小説のコーナーを見ていた時、綿矢りささんの「手のひらの京」と一緒に本棚に縦置きされているのが目に留まりました。
表紙の絵のデザインのタッチが「手のひらの京」と一緒だなと思い調べてみたら、どちらも山本由実さんという人が描いていました。


「手のひらの京」と同じ人がイラストを描いていることに縁を感じ、この小説も読んでみることにしました。
これは「ジュンク堂書店 名古屋店」の販売戦略が上手かったなと思います(笑)

主人公の絵梨、村山慶介、悠太、洋一の四人は神奈川県西丹沢の山の中で暮らしています
村山慶介はまだ20代で、西丹沢の北杉集落で就農しています。

渡辺洋一(ようくん)は16歳で高校生の年齢ですが全日制の高校には行かず、通信制の高校に在籍しています。
今から三年前、母の咲江に連れられて洋一は慶介達のところに来ました。
咲江は家に引きこもっている洋一を家の外に引っ張り出し、慶介のもとで農業に従事させたいと考えました。

慶介と絵梨は夫婦で、3歳の悠太は二人の子供です。
絵梨は悠太の子育てをしながら慶介の農作業などの支援をしたり、収穫した農作物を使って料理をしたりしています。
絵梨の語りで物語は進んでいきます。
冒頭から30ページくらいは年末年始の時期で、餅をついたりお正月の料理作りをしたりしていてちょうど今の時期とぴったり合っていました
咲江は洋一を慶介達のところに預けているもののやはり心配なようで、現在もよく様子を見にやってきます。

季節は巡ってくるけれど、自動的にやってくるのではない。その時期にしかできない仕事をこなして、自分で進めていかないと、やってきてはくれない。
これは気候としての気節自体は自動でやってくるものの、その気節ならではのことを楽しむためには準備が必要ということです。
お正月なら年末に大掃除をしたり餅をついたりおせち料理を作ったりして初めてカレンダーの日付だけではない「お正月」を実感することができます。

絵梨達の家ではたまごの出荷用に鶏を200羽も飼育しているのですが、「たまごの黄身の色は、鶏が食べている餌の内容で決まる」というのは興味深かったです。
パプリカや柿や蜜柑などを食べると橙色になり、冬瓜(とうがん)を食べると白に近づくとのことです。

物語が進んでいくと絵梨が慶介のもとに来るまでのことが明らかになります。
絵梨の旧姓は斎藤で、18歳で高校を卒業しパソコンの専門学校に進学した後は「プラネット」という小さな出版社に勤務していました。
京王井の頭線池ノ上駅の近くにあるアパートで専門学校時代から合わせて5年半ほど生活していました。
絵梨はある時脅迫的なダイエットの衝動に駆られ、ドラッグストアのサプリメントや寒天ゼリー、蒟蒻などしか食べなくなってしまいます。
そんな状態で体力が持つはずもなく、ある日ついに倒れ、病院に行くと心の病気と診断され入院することになります。
医師の言葉の中で、「体と心に栄養が足りていませんね」というのが印象的でした。
極度のダイエットによって体がガリガリになっていたのはもとより、読んでいて心のほうも干からびていっているのを感じました。

絵梨は母に心配してもらいたい思いがあって極度に痩せようとしていました。
絵梨の実家は神奈川県の小田原市にあります。
この家では萌奈(もな)という学業成績も外見も圧倒的な姉に対し、何をやってもどんくさい絵梨は家に居場所を見つけられず苦しめられていました。
萌奈からは「お母さんは、私のことが好きなんだって」「あんたはかわいくないんだって。私のほうがかわいいんだって」などといった言葉を浴びせられていました。
そんな中、高校卒業を機に家を出る決意を固めた絵梨に対し、父が「見つかるといいなあ」とだけ言っていたのが印象的でした。
これは「新たな地で自分の居場所が見つかるといいなあ」という意味に思えました。
そして、この実家において絵梨が居場所を作れるように尽力してあげてほしかったとも思いました。
ただ萌奈は萌奈で母に認めてもらいたいという思いがあったようです。
しかし「私こそが母に認められている」と思うために絵梨を「駄目な妹」として貶める行為はいかにも稚拙で子供っぽく、本当は萌奈も心の奥底ではいくら妹を貶めてもその分自分が母から認められるわけではないというのが分かっていたのではないかと思います。

病院に入院して死の危機を脱した絵梨は次のような気持ちになります。
頼らずに、助けを呼ばずに、生き直すということができるのだろうか。自分でも無防備のうちに、人生の淵に立ってしまったのだ。そこからまた再生する……。
「頼らずに、助けを呼ばずに」とありますが、実際にはそんな悲壮な決意をしなくても良いのです。
実家に近づきたくないのなら、この病院のお世話になった医師に定期的に相談するという手もあります。
なのに「頼らずに、助けを呼ばずに」と悲壮な決意をしているのを見て、まだ絵梨の心は硬直した状態にあり、完全には回復していないのだと思いました。

やがて食べることの意欲が戻った絵梨は自分で農作物を作りたいと思うようになります。
そして小田原の久野という山のほうにある、父の伯母、絵梨から見ると大伯母の家が空き家になっているのでそこへの引っ越しを決意して、家庭菜園を始めます。
絵梨は村山慶介という男が無人となっていた北杉集落で森林保全や里山の再生に着手し、自給自足の生活をしているという情報を地域密着の無料ミニコミ誌で得ます。
興味を持った絵梨は慶介のもとを訪れて一緒に木の伐採や農業の手伝いをしながら、どうやって農作物を作るのかを学んでいきます。
のどかに、西丹沢の大自然での季節が過ぎていきます。

やがて慶介と絵梨の距離が縮まっていって結婚することになり、悠太が生まれます。
悠太が生まれて実家に里帰りしている時も絵梨は母や萌奈へのわだかまりを解消できないでいるのが印象的でした。
やはり長年の積もり積もったわだかまりを解消するのは簡単ではないと思います。

西丹沢で田植えや収穫野菜の処理をしていく中で、「そうだ、きっと誰も私に完璧さなど期待していないに決まっている。」と絵梨が気持ちを楽にする場面がありました。
今まで経験したことのなかった農業に体当たりで挑んでいるのですし、完璧でないのが当たり前です。
その完璧でなさを当然のように受け止めてくれる慶介の包容力に絵梨は救われます。
絵梨ちゃん、適当にやろうよ。
慶介のこの言葉は良いと思いました。

ようやく穏やかに暮らせるようになった絵梨が、毎日を楽しく幸せに過ごしていってほしいと思いました。
この西丹沢での日々が母や萌奈に対する心境を変化させていってくれるのではと思います。


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「静かな雨」宮下奈都

2017-01-02 14:39:02 | 小説


2017年最初の小説レビューです。
今回ご紹介するのは「静かな雨」(著:宮下奈都)です。

-----内容-----
忘れても忘れても、ふたりの世界は失われない。
新しい記憶を留めておけないこよみと、彼女の存在がすべてだった行助(ゆきすけ)。
「羊と鋼の森」と対をなす、著者の原点にして本屋大賞受賞第一作。

-----感想-----
2004年に文學界新人賞佳作に入選した宮下奈都さんのデビュー作が単行本化されたので読んでみました。
冒頭、クリスマスの日に行助は会社が倒れたことにより無職になります。
幸い年が明けてすぐ昔いた大学の研究室の助手という職を得ます。

ある日行助は最寄り駅の近くにあるたいやき屋に寄りそれが思いの外美味しかったことからそのたいやき屋に興味を持ちます。
そのたいやき屋はこよみという女の子が切り盛りしていて、学生からは「こよみちゃん」、大人からは「こよみさん」と呼ばれ親しまれています。
行助はこよみに好意を抱くようになり、たいやきを買いつつ話をするようになります。

たいやきについてこよみが「食べるのは急がないと、味が全然違っちゃうもの」と言っていたのはそのとおりだと思いました。
たいやきは買った瞬間はカリッとしていて時間が経つとしっとりとしてきます。
そしてカリッとしている時のほうが風味も良いので早めに食べたほうがより美味しく食べられると思います。

行助は生まれつき足に麻痺がありずっと松葉杖を使っています。
そんな行助を見てこよみは「瞳に秋の夜みたいな色と、あきらめの色がある」と言います。
「あきらめを知ってる人ってすぐにわかるの。ずっとそういう人たちを見てきたから。あきらめるのってとても大事なことだと思う」
これを言った時のこよみの声は優しかったとあり、こよみはただ優しく朗らかなだけの人ではないことが伺われました。

ある日、こよみがひき逃げ事故に巻き込まれ、意識不明の重体になってしまいます。
なかなか目を覚まさなかったのですが3ヶ月と3日眠り続けた7月のある日、ついに目を覚まします。
しかし目を覚ましたこよみには高次脳機能障害という診断が下され、短期間しか新しい記憶を留めておけないことが明らかになります。
その日一日の、日付を跨ぐ前までなら夜になっても朝の記憶を忘れてはいませんが、寝て起きて次の日になると何もかも忘れ、事故に遭う日までの記憶に戻ってしまいます。
事故の日以降の新たな記憶を積み上げていくことができなくなったのです。
この記憶障害は第1回本屋大賞受賞作の「博士の愛した数式」の80分しか記憶が持たない数学者が思い浮かびました。
こよみは正式には「外因性精神障害」という診断になりました。

行助はこよみのそばにいて助けになってあげようとしますが、行助の姉が「覚悟はあるの?」と言ってきます。
行助は少なからずこよみに好意を持っているため姉はそこを心配していました。
一晩寝て起きると前の日の記憶が全てなくなってしまう人と恋人として付き合っていくのは甘いものではないです。

秋になりこよみはたいやき屋を再開します。
ある男子高校生がたいやき屋に来てこよみに学校での勉強のことを愚痴るのですが、「もう高校なんて辞めちゃいたい」「何のために勉強してんのかわかんないよ。勉強したら将来何かの役に立つと思う?」といった愚痴はいかにも子供っぽいと思いました。
辞めちゃいたいと言っていますが実際には辞める気はなく、「勉強にうんざりしている自分」をこよみさんに見てもらいたいだけにしか見えないです。

こよみはよく図書館で本を借りてきて、読んでみて気に入った場合に初めて買います。
そしてその中でさらに気に入った本を小さな本棚に残します。
行助はその本棚の中で同じ本が二冊あるのに気付きます。
読んでみると「記憶力をなくした数学者の話」とあり、これは明らかに「博士の愛した数式」のことだと思いました。
その本が出たのは2003年で「静かな雨」が発表されたのは2004年なので、執筆する時に「博士の愛した数式」が結構影響を与えたのかも知れないと思いました。

行助はこよみを守っていくのだと決心していたはずなのですが、ムカムカしていたことからこよみに前の日の記憶がなくなってしまうのを知っていて「昨日も言ったのに、忘れたの?」「覚えてないの?」と意地悪なことを言ってしまいます。
これは行助の弱さです。
一晩寝て起きると前の日の記憶が全てなくなってしまう人と恋人として付き合っていくのが甘いものではないというのが、こういうところにも現れてきます。

男子高校生は相変わらずたいやき屋に来てこよみに話しかけ続けます。
私は大して悩んでもいないのにさも悩んでいるように言い、悩んでいる自分をアピールするような人に良い印象は持たないです。
そしてそんな男子高校生の何もかもを見抜いた上で大人の対応をしてあげているこよみは偉いと思いました。

「静かな雨」は107ページという短い物語なので簡単に読むことができます。
デビュー作なのでさすがに最近の作品にして2016年本屋大賞受賞作でもある「羊と鋼の森」などと比べると文章表現力が見劣りしてしまいます。
それでも今日の宮下奈都さんの透き通るような静謐な文章の片鱗は見ることができ、今回作者の原点の小説を読むことができて良かったです。


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新年

2017-01-01 11:48:16 | ウェブ日記
2017年になりました。
昨年の年初に実家の祖母が亡くなったため、今年の新年の挨拶は「明けまして~」はやめて簡略化したものにします。
今年もよろしくお願いします。

2017年は酉年です
酉と聞くともっぱらチキンカツ、チキンステーキ、親子丼、オムライスなどの鶏肉料理、卵料理が思い浮かびます。
丑年ではそんなに食べ物のイメージは湧かないのですがなぜか酉年では湧いてくるのが不思議です。
そして酉年にはのほほんとしたイメージがあります。
辰年の竜が空高く昇るような派手なイメージはないですが、ここは平穏無事に一年過ごせれば良いと思います。

今年の元日も朝からさっそくお雑煮を食べました
お正月三が日はやはりお雑煮やお汁粉を食べるのが良いです。
特に元日の朝に食べるお雑煮が好きで、毎年これを食べられるのが嬉しいです。

今年もマイペースにブログを更新していこうと思いますので、よろしくお願いします