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日頃からコンスタントに新聞投稿をしています。今回のテーマは『クリーンエネルギー』でした。石川の方では今、風力発電が17基稼働しています。そして現在、能登半島では100基を越える申請があり、さらに金沢近郊でも20基を越える申請があります。能登半島は渡り鳥の大切な中継地。100基も乱立すれば能登の自然は破壊的でしょう。アメリカなどでは、風車に巻き込まれて多くの野鳥の被害が報告され始めています。風車の速度は近くではかなり早くて鳥の目からは見えないともいわれています。北海道でもオジロワシの首が切断されて風車の下に落ちていたらしい。これだけ風力発電に人気が集まるのは、クリーンなエネルギーというだけでなく助成金が出るからだとも聞きます。クリーンエネルギーについて、あなたはどう考えますか?
テーマ:【クリーンエネルギー】~未来に残そう自然との共存~
できるなら地球に優しいエネルギーは大いに歓迎したい。今の日本はまだまだ原発に比重を置く政策を続けているが、ヨーロッパなどではチェルノブイリの事故以来、脱原発の社会を目指している。核廃棄物の処理も完全にできないまま稼働している原発は決して未来を生きる子どもたちを幸せにはできないだろう。風力もソーラーもエネルギーとしてはとてもいいものだと思う。しかし、設置する場所には自然破壊がないのだろうか。私たちの国は決して広くはない。その中で開発という名の下に自然破壊が著しい。豊かな自然と共存しながら作り出されるクリーンなエネルギー。そんなエネルギーこそが未来の子どもたちに残していきたいエネルギーだ。
テーマ:【クリーンエネルギー】~未来に残そう自然との共存~
できるなら地球に優しいエネルギーは大いに歓迎したい。今の日本はまだまだ原発に比重を置く政策を続けているが、ヨーロッパなどではチェルノブイリの事故以来、脱原発の社会を目指している。核廃棄物の処理も完全にできないまま稼働している原発は決して未来を生きる子どもたちを幸せにはできないだろう。風力もソーラーもエネルギーとしてはとてもいいものだと思う。しかし、設置する場所には自然破壊がないのだろうか。私たちの国は決して広くはない。その中で開発という名の下に自然破壊が著しい。豊かな自然と共存しながら作り出されるクリーンなエネルギー。そんなエネルギーこそが未来の子どもたちに残していきたいエネルギーだ。
『省エネ』と言う言葉をことさらに狭く捉えていたようです。あらゆるものがエネルギーが形を変えたものなのだから省エネを突き詰めればライフスタイルの転換につながらざるを得ないと言うご指摘はよく分かります。
ライフスタイルの転換と省エネを総論と各論の関係のように捉えてみました。やれることは何でもやる,これ即ち各論だと思います。でもそれだけでは息切れしてしまいそうな気がするので、総論であるべき理想の姿をも追求していきたいと思います。
富の分配の極端な不均衡や過当な競争が、エネルギー問題に影を落としている面もあるように思います。
人類が助かる方法はコペルニクス的に価値観を転換し、物質的に貧しくても不便でも精神的な充足感が幸福だと感じるように人間そのものが変わるしかないのかもしれません。
しかし、今すぐそれができるでしょうか。情緒的な理想論だけでは何も変わりません。(理想を持つことはもちろん大切なことですが。
私は今できることから実行するしかないと考えます。
私は今できる2つのことが、再生可能エネルギーの導入と省エネだと思うのです。省エネと言うと節電をイメージする人が多いと思うのですが、それだけではありません。
私たちの身の回りのものすべてがエネルギーが形を変えたものです。食糧、衣料、住居、書籍、飲料水などありとあらゆるすべてのものです。
省エネルギーに取り組むということは結局のところライフスタイルすべてを見直すということにつながります。
世界規模で考え、身近なところから行動する。良く言われる言葉ですが、できることはなんでもやる。それしかないの思うのです。
一つ間違えば壊滅的な事態を招きかねない原発によって電力の多くをまかない、それをやめて化石燃料に頼らざるを得ないとすれば遠からず温暖化その他の被害でこれも取り返しのつかない事態に陥ることが目に見えているという、何と危うさの上の繁栄,あるいは虚栄でしょうか。
原発運転中止命令判決によって、より多くの人々がこの現実を今以上に直視せざるを得なくなるという点でもこの判決は重要だと思います。(政府に対しても!)
先の風力発電の功罪についての論議も、この判決の前と後とでは違ったものになるかもしれません。少なくとも私自身は『待ったなし』の状況を以前より深刻に考えるようになっています。(原発電力1/3のショックです)
ところで、しらさんのおっしゃっている『生活の見直し』と言う提起と、通りすがりさんの言われる『省エネ』は必ずしも同じではないように思います。
遠くない将来に、よほど画期的なエネルギーや資源が発掘されないかぎり、私達の今の豊かな生活を維持しながら脱原発,脱化石燃料を言うのはすでに幻想でしかなくなっていると思います。『価値観の違い云々~』などと言ってはいられない,『価値観の転換』を否応なく迫られている,今はその時代だと思います。
そのことの認識を人類全体のものにして行くという課題は省エネの言葉では言い尽くせないと思うのですが・・。
(※言葉尻を捉えるようで申し訳ありませんが、決してそのような意味ではありませんので御容赦下さい)
ですから、原発をすべて停止しても生活に支障がないということはありません。2/3弱を占める化石燃料は二酸化炭素を排出しますし、石油にいたってはそろそろ埋蔵量に陰りが見えています。
省エネルギーを推進するのはもちろん大切なことですが、それだけでは問題は解決できません。現在私は4人の子育て中(と言っても妻まかせですが)ですので、将来のことが心配でたまりません。子供のことを考えると原発を容認する気にはなれませんし・・・
私はこれを機会に、電気に頼る生活をみんな
で考え直せたらいいと思っていますが、さてどうなるのでしょう。
『ヒバクシャ』という映画では、チェルノブイリの事故が日本での乳がんの発生に大きく関わっている事を暴きだしていました。地球はつながっているので、どこで何が起きてももう他人ごとではありません。まずは少しづつの進歩ですが喜びたいですね!
万が一、最高裁でも運転差し止めの判決が出たとしても喜んでばかりはいられません。
なぜなら、原発が止まるということは日本の二酸化炭素の排出が増加するということだからです。京都議定書の遵守は当然不可能となります。
私もこの地震国の原発の危険性を危惧しておりますが、さてどうしたもんでしょう。
全国各地の原発でこれからどんな動きが起こるのでしょうか・・・。目が離せません!
今、ここではエネルギー問題を取り上げたのですが、他の問題も同時にとても深刻です。
何かのために何かを犠牲にするのは、やっぱりそれがいい方向の事でも?を感じます。それは一人ひとりの大切と思う細かい事が違うからなのでしょうか?私は植物である森や他の生き物を犠牲にして人間社会が成り立つのはやっぱりどうしてもおかしいと思ってしまうのです。自然の景観と人工物を比べると比較にならないほど自然は美しいと思います。
インディアンたちの自然と一体になった生き方を私は美しいと感じますが、日本ではインディアンのようには生きられないでしょう。でも心はそうでありたいと思うのです。電気が最小限であろうが周りに生き物たちがあふれ森が生き生きしていれば、本当はそれだけで人は心豊かに生きていけるのではないで
しょうか。化石燃料や電気を巨大に消費していく社会。そんな化け物のような社会がこの星を傷つけてしまっているのではないでしょうか。
何だか自分のなかでもまとまりきらないものを感じていろいろ書いてしまいました。同時に便利な生活から抜け出せなくなってしまっている社会や自分自身も感じています。
木偶さん、この場でこういうふうに話せた事はとても良かったと思います。これを読んでいる人たちにも考える場を与えて下さってお二人にはお礼を言いたいです。顔を合わせていろいろ話したりお聞きしたりしたいと思ったくらいです。ブログで話すにはどうしても言葉足らずになってしまいますからね。
『とおりすがり』さん,ご丁寧なコメントをありがとうございました。お話しの中身もお気持ちよく分かりました。大型化するしかないと言うところにジレンマを感じますネ。
知人が自宅に風力発電機を備えました。普通車1台分の費用がかかった上にうまく稼動しないとぼやいておりますが、太陽光発電のように各家庭にと言うものでもなさそうですね。
でも、ごく限られたエリアで限られた目的のために限られた出力の範囲で住民合意のもとに建設するということは考えられませんか? それともそういうのは太陽光発電の方がいいのでしょうか?・・・,等と、伺いたいことが山ほどありますが、今後はこの記事にTBされているブログの方にアクセスさせて頂きます。よろしくお願い致します。
しらさん,問題の提起と意見交換の場を提供下さいましてありがとうございました。
私が電柱、電線、自動販売機を持ち出したのは、これらのものを醜悪だと感じていない人たちもたくさんいるということが言いたかったのです。景観に対する感じ方はそれぐらい人それぞれで曖昧なものであり、そんな中で風車の景観ばかりが問題になるのはどんなものなのだろうかと日ごろから疑問に思っているのです。
また、港については、人の生活や財産を守る港の景観にクレームが付かないのはその必要性が認められていることプラス当たり前の見慣れた風景だからでではないかと考え、風車も港と同じぐらい重要な施設であり、これから見慣れていけば徐々に違和感が消えて行くのではないかと日ごろから考えていたので、説明も無しに唐突に例に出してしまいました。
私も国内に建てる風車は1000kw以下の大きさが適切ではないかと考えていますが、エネルギー密度が低いという風車の弱点から、風車はどんどん大型化しています。風車を高出力化するためには羽の直径を大きくするしか現実的な方法がありません。また、高いところほど風が強いので風車の高さもより高くなる傾向があります。
しらさん、何でも外国の真似をすればいいとはなったく考えていませんが、残念ながら現在のところ自然エネルギーで実用性と言う点では大型風車に並ぶものはありません。私ももっといい方法を様々な角度から探る努力は続けるべきだとも思いますが、現時点で地球温暖化は既に手遅れだという学者もいるほど切羽詰まった問題です。
私は行きがかり上風力発電に関係のある仕事をしているのですが、鳥類や景観の問題をニュース等で見るたびに、本当に自分のしていることは正しいのかと常に自問自答を繰り返し悩んでいます。私ごときが焦ってもどうにもならないことはわかっているのですが、それでも焦ってしまいます。地球温暖化は今そこにある危機なのです。
長々と失礼いたしました。
私も他の国で成功したり実現している事が、全ての国にあてはまるわけではなく、もっといい方法があるかもしれません。いいと思う事でも何かを犠牲にするときは慎重にいろんな角度でものごとを進められたらなぁと思っ
ているんです。
風車が醜悪で景観を損ねていると言っているのではありませんし、ダメとも言っていないつもりですが・・・。
また電柱や自販機が醜悪で無いとも言っていませんし、電力を無駄に消費しているという点には同感ですが、電柱は埋設の方向に進む可能性があるし、自販機は世論の成熟を待って撤去していく可能性があります。私も自販機を許している利用者の1人ですから。
港の防波堤や堰堤の場合は見た目が醜悪かどうかの次元だけで決められるものでもないでしょう。
風車の場合,大きさも大きいし設置面積も広範囲に及ぶと思います。もののよしあしとは別に景観に対して不釣合いに巨大な建造物ではないかと言っているのです。
やってみてよくなかったらやめようよと言えるような規模のものではないので、そこに住む人達やもともとの景観に愛着を持っている人達の受け止め方や気持ちを無視することは出来ないんじゃないかと思うのです。
原発をやめ、環境に負荷を与えないクリーンなエネルギー生産を願う者として、風力発電が新たなエネルギー生産の担い手として、誰からも歓迎されるような形で発展して欲しいと願う立場からの疑問と意見です。
私たち市民もいろんな情報交換をして、よりよい方向に進むようにあるんでいきたいですね。
新エネルギーの導入にも限界があるので省エネルギーも併せて進めて行く必要があります。例えば技術の進歩で車の燃費は向上していますが、残念ながら無駄な大排気量化が進んでいます。2~3人家族で乗るのにワンボックスやミニバンは本当なら必要無いと思うのですが・・・
しらさんが言うようにライフスタイルそのものの見直しが絶対に必要だと思います。
地球温暖化の加害者は私たち現代人で、被害者は将来の世代の人たちです。
自然エネルギー関連のクリッピングサイトを運営しています。そのうちのひとつのソフトエネルギーの関係のありそうな記事からトラックバックを送らせていただきました。
今後ともよろしく御願いいたします。
しかし、私は風車より醜悪なものは他にいくらでもあるのに、と思います。身近なところで言えば、電柱や電線。或いは無秩序、無計画に乱立する看板類。自然景観を壊していると言えば、港一つとっても、防波堤や岸壁もコンクリートの塊です。
エネルギー問題とも関係しますが日本全国に260万台以上はあると言われている自動販売機が夜中に煌々と光続けている風景(光景)も醜悪ですし異様だと感じます。自販機を無くしただけで原発数基分の電力が節約できます。
これらの醜悪なものには無反応で風車だけがなぜダメなのでしょうか。これからの世代にとって風車は決して珍しいものではなくなります。風車を見ながら大きくなったり、生まれた時から風車が比較的身近な風景の中にあった、という子供達どんどん増えて行きます。私たちと比較したら案外将来の世代にとって風車のある風景は自然に馴染んだ違和感のないものになるかもしれません。
ところで、1万kw以上の風力発電所の場合、補助金申請の際に環境影響調査の実施が実質上必須となっています。この調査の内容と調査結果の評価は1ヶ月以上は縦覧して意見書を提出できる仕組みになっています。普通は建設予定地にある市役所や町役場が事業者に縦覧場所を提供します。
意見を出したからと言ってそれが必ず事業に反映されるとは限りませんが、興味や意見がある方は何もしないよりは良いのではないかと思います。
乱立と言う表現が適切かどうかは別にして、『クリーンエネルギーの象徴として景観にマッチしているではないか』と言う言い方が出来なくはないと思いますが、クリーンさを評価しつつも、程度や場所によってはやはり『異様な』感じを否めないと私は思います。今のあのような形でしか風力発電が出来ないのかどうかも疑問です。
二酸化炭素の排出を抑えることの優先順位は言うまでもありませんが、環境に対する影響と言うものはもっと多面的に論じられるべきではないかと思います。
もう一つ思うのは、誰がどのように推進するかと言う問題です。『クリーンだから~』と金と力のあるものが勝手に推進していけば必ず歪が出るでしょうし、その歪を正す場がありません。
私はこの点についてまったくの門外漢ですが、私達一般市民がその推進の課程で意見を述べる機関があって、地元の市民の利害に配慮しつつ国民全体の合意形成をはかりながら推進してもらわないと、私達はいつまでたっても蚊帳の外です。風力発電についてのみなさんや私の意見はどこにどう反映させることが出来るのかがまったく見えません。
日本に建つ風車がおよそ1,000台として、実際にバードストライクはどの程度起きているのでしょうか。事業者の情報公開も必要でしょうし、野鳥保護の立場の方たちも、もっと突っ込んだ研究が必要かもしれませんね。
私が専門家に聞いた話では、渡りのコースさえはずせばそれほど大きな影響ではないとのことでした。猛禽類はメチャクチャ目が良くて、また一度風車を認識すればむやみに風車に近づいたりしないとのことでした。本当でしょうか?
私は基本的に風車建設推進の立場です。地球温暖化問題が顕在化して以降は、自然保護、環境保護を叫ぶだけでは結局自然(もちろん野鳥も)を守ることはできないと考えています。ですから、温暖化防止のために現段階でできることは何でもやるべきだと考えています。
本当は技術革新などにより、風力発電を必要としないような世の中が早く来ればいいのになと思います。その時は風車を撤去することも可能だと思うのですが。
100本の風車が乱立とのことですが、日本の94%の広さのドイツでは日本の15倍?ぐらいの風車が建っているようですし、九州程度の大きさのデンマークには日本の3倍ほどの風車が建っています。もちろん、平地の広さが違いますから単純には比較できないことは承知してますが、これも環境問題に対する考え方の違いでしょうか。
本当に能登半島に100も乱立したら大変な事になりそうですね。
場所と環境を良く考えないと本末転倒になりそうです。