以前書いた記事 から 2 年、なんだかこの日まで、あっという間でした。
最終日の 2 月 28 日、偶然にも津田沼での所要があり、午後 4 時頃に駆け付けることができました。
大規模区画整理の中で建築されたファッションビル PARCO は、昭和 52 年(1977 年)この地に誕生。
当時、学生だった私は、ことあるごとに店内をフラフラし、お姉さんたちが身に着けるお洒落な洋服やバッグ、靴やアクセサリーを羨望の眼差しで眺めていました。
新卒で就職するとき、初めて買った化粧品もここで買ったんだよなー。
誕生からまる 45 年。
子供だった私もすっかりバァさんになりましたが、間違いなく、この場所は私の青春でした。
最終日 28 日、JR 津田沼駅快速ホームの一角に「ありがとう つだぬまパルコ」の駅名標が設置されたそうですが、あまりの人気で行列ができ、ホームの安全が危ぶまれたため、午後 3 時で改札の外に移動されたそうです。
その駅名標がこれ。
いいなぁ、JR 東日本の心意気を感じるわ。
最終日の店内は、品物は少ないのに、人はいつにも増して多かった。
きっとみんな私と同じ気持ちでこの場所にいるんだろうなぁ。
それぞれのお店にたくさんの思い出があります。
レストラン街にも、たくさんたくさんお世話になりました。
友人と行ったり、同僚と行ったり、元気だったころの父母と行ったり。
思い返せば、楽しかった時間ばかりが思い出されますね。
今後この場所がどうなっていくのかはまだわからないけど、駅前の一等地、期待を込めてこれからも応援していきたいと思います。
午後 9 時、閉店セレモニーとして、壁面には PARCO からの感謝の言葉が投影され、「津田沼パルコはとても幸せな 45 年間でした。ありがとうございました、バイバイ!」というアナウンスが流れると、最後を見届けようとペデストリアンデッキに集まった多くの人々からは、大きな拍手が送られたそうです。
共に歩んだ 45 年間、私からも「ありがとうございました!」
最終日の 2 月 28 日、偶然にも津田沼での所要があり、午後 4 時頃に駆け付けることができました。
大規模区画整理の中で建築されたファッションビル PARCO は、昭和 52 年(1977 年)この地に誕生。
当時、学生だった私は、ことあるごとに店内をフラフラし、お姉さんたちが身に着けるお洒落な洋服やバッグ、靴やアクセサリーを羨望の眼差しで眺めていました。
新卒で就職するとき、初めて買った化粧品もここで買ったんだよなー。
誕生からまる 45 年。
子供だった私もすっかりバァさんになりましたが、間違いなく、この場所は私の青春でした。
最終日 28 日、JR 津田沼駅快速ホームの一角に「ありがとう つだぬまパルコ」の駅名標が設置されたそうですが、あまりの人気で行列ができ、ホームの安全が危ぶまれたため、午後 3 時で改札の外に移動されたそうです。
その駅名標がこれ。
いいなぁ、JR 東日本の心意気を感じるわ。
最終日の店内は、品物は少ないのに、人はいつにも増して多かった。
きっとみんな私と同じ気持ちでこの場所にいるんだろうなぁ。
それぞれのお店にたくさんの思い出があります。
レストラン街にも、たくさんたくさんお世話になりました。
友人と行ったり、同僚と行ったり、元気だったころの父母と行ったり。
思い返せば、楽しかった時間ばかりが思い出されますね。
今後この場所がどうなっていくのかはまだわからないけど、駅前の一等地、期待を込めてこれからも応援していきたいと思います。
午後 9 時、閉店セレモニーとして、壁面には PARCO からの感謝の言葉が投影され、「津田沼パルコはとても幸せな 45 年間でした。ありがとうございました、バイバイ!」というアナウンスが流れると、最後を見届けようとペデストリアンデッキに集まった多くの人々からは、大きな拍手が送られたそうです。
共に歩んだ 45 年間、私からも「ありがとうございました!」
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