昨年 10 月に青森旅行をした際、もう一度やってくれないかなぁ・・・・と呟いた JR 東日本の乗り放題券が、 3 月にファイナルと称して発売されると聞き、心がざわついた私である。
3 月は私の職場も繁忙期なのだが、まぁ一日ぐらいなんとかなるだろうと休みの申請を出したら、何事もなく受理された。
ならば行くしかないでしょう。
陸前高田には 2013 年の 11 月 に一度訪れている。
その時はまだ震災の傷跡が色濃く残り、気仙沼港の周辺には、津波に削られた家の土台があちこちに残されていた。
当時、レンタカーで陸前高田へ向かった道には、現在 JR 大船渡線の BRT が走り、その車窓から見える整然とした街並みは、 12 年前から新たに刻まれている新しい歴史を見ているようで・・・・なんとも複雑な想いが去来する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/9d/ab6bceed2976479be56abc6cc44dd4e1.jpg)
BRT の駅 「奇跡の一本松」 の前には、東日本大震災津波伝承館 「いわて TSUNAMI メモリアル」 が建てられ、地震と津波の恐ろしさ、そしてそれに立ち向かう人間の生きる力が、記録や資料として展示されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/c1/f094dfc4c6bad519418559fcb008b945.jpg)
10 年前に訪れたときにも無残な姿を現していた旧・道の駅高田松原 「タピック 45 」 は、震災遺構として残されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/e8/9390dbc7e3d3cf81dab748c4f97f83c7.jpg)
この建物の海側は当時イベント会場となっており、建物の屋根は階段状の観客席になっていた。
あの日、この階段を最上段まで駆け上がり、 3 名の命が救われたことは、今回初めて知りました。
奇跡の一本松を救ったといわれるユースホステルの跡も、今なおその姿をとどめています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/97/c0bd04095b0d249abe21cb642df844c0.jpg)
海を望む場所に建てられた 「海を望む場」 の献花台。
その向こうには、無数の松の若木が植えられています。
この松が成長するにはどのぐらいの年月が必要なんだろうか・・・・・。
穏やかな海に向かって黙祷。
3 月は私の職場も繁忙期なのだが、まぁ一日ぐらいなんとかなるだろうと休みの申請を出したら、何事もなく受理された。
ならば行くしかないでしょう。
陸前高田には 2013 年の 11 月 に一度訪れている。
その時はまだ震災の傷跡が色濃く残り、気仙沼港の周辺には、津波に削られた家の土台があちこちに残されていた。
当時、レンタカーで陸前高田へ向かった道には、現在 JR 大船渡線の BRT が走り、その車窓から見える整然とした街並みは、 12 年前から新たに刻まれている新しい歴史を見ているようで・・・・なんとも複雑な想いが去来する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/d6/23462c39d827a3e1ffc2cef51f5a6a22.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/9d/ab6bceed2976479be56abc6cc44dd4e1.jpg)
BRT の駅 「奇跡の一本松」 の前には、東日本大震災津波伝承館 「いわて TSUNAMI メモリアル」 が建てられ、地震と津波の恐ろしさ、そしてそれに立ち向かう人間の生きる力が、記録や資料として展示されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/8c/c29762c1521d6f6f5b1fecf4c4476b1f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/c1/f094dfc4c6bad519418559fcb008b945.jpg)
10 年前に訪れたときにも無残な姿を現していた旧・道の駅高田松原 「タピック 45 」 は、震災遺構として残されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/da/743d0557300f2c4a0959cd7193e56a92.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/e8/9390dbc7e3d3cf81dab748c4f97f83c7.jpg)
この建物の海側は当時イベント会場となっており、建物の屋根は階段状の観客席になっていた。
あの日、この階段を最上段まで駆け上がり、 3 名の命が救われたことは、今回初めて知りました。
奇跡の一本松を救ったといわれるユースホステルの跡も、今なおその姿をとどめています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/97/c0bd04095b0d249abe21cb642df844c0.jpg)
海を望む場所に建てられた 「海を望む場」 の献花台。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/c7/41d61021121c7fb62eab4138de41844f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/8c/a5f9cb63eb5081daf01a13701209e814.jpg)
その向こうには、無数の松の若木が植えられています。
この松が成長するにはどのぐらいの年月が必要なんだろうか・・・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/f8/e4ffcda70c67f1706002b1134c813b73.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/3b/effd8170388e806988acc125512e6fe7.jpg)
穏やかな海に向かって黙祷。
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