先日、南柏にある 「#ワークマン女子」 へ行ってまいりましてね。
10 月末に友人とみなとみらいに行った折、桜木町駅前のビルの中にある 「#ワークマン女子」 に寄ったのですが、これが思いのほか興味を引くお店でして、私の居住区近くにもないかなーと、探しておりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/67/c06d1ae410c58446d1dce5c182cf5b6e.jpg)
ウチの近くにも昔ながらの、がっつり 「ワークマン」 はあるんですが (笑) 、見つけた 「#ワークマン女子」 は、南柏。
ええ、ちっとも居住区近くではないんですが、バビューンといってまいりましたよ。
で、せっかく柏まで来たんだから、そのまま帰るのも勿体ないなー、どこか寄れるところはないかなーと、カーナビ眺めながら考えていたところ、ふと思い出したのが、松戸にある 「戸定邸」
実は私、今年の大河ドラマ 「青天を衝け」 をずーっと見ておりましてね。
毎年大河ドラマは、最初の数回を見てその年一年見続けるかどうかが決まるのですが、幕末から始まった時代背景もあり、明治維新後の展開も面白く、とうとう 1 年見続けてしまいました。
その主人公・渋沢栄一と共に、慶応 3 年 ( 1867 年) のパリ万博へ、江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜の名代として参加したのが、慶喜の異母弟にあたる徳川昭武 (当時 13 歳)。
その徳川昭武が、明治 17 年以後居住した建物が、この 「戸定邸」 である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/c2/301e26a814222918cd9105e7927f8531.jpg)
実は私、もう何十年も前から、松戸にある 「戸定邸」 の名前だけは知っていたのですが、ここが徳川の史跡であるとは露ほども知りませんでした。
てっきり土地の豪農屋敷かなにかだとばっかり思っており、調べることもせずに数十年。
ここが徳川の史跡だと知ったのは、 「青天を衝け」 の紀行コーナーで紹介されていたからに他ならない。
ふぅ、知らないということは、本当に恐ろしいことだわ。
その昔、静岡の 「浮月楼」 に行ったときも、そこが徳川慶喜の屋敷であったことを知らず、ぼーっと帰ってきてしまった残念な記憶を思い出す。
ここには、 「戸定歴史館」 も併設されており、その展示品も非常に興味深いものが多かった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/03/02ad39afb0c14c3f5505c4d04c5358fe.jpg)
徳川昭武が明治 9 年 ( 1876 年)にフィラデルフィア万博の御用掛として渡米した際の写真をはじめ、徳川慶喜や渋沢栄一と交流した手紙や写真、職員の日誌などから垣間見ることができる明治以降の徳川慶喜の姿など、いままで知らないことばかりで、非常に面白いものでした。
もちろん、 「戸定邸」 にも入ることができます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/4b/722820355f3e31b8833899b0207488ab.jpg)
座敷から見える広大な庭園を目の前に、もう気分が晴々。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/86/5912eb9e2e20bf63bcfe27ed3ba473d6.jpg)
建築物としても興味深い戸定邸の間取り図を片手に、屋敷のあちこちを徘徊する私は、間取りフェチであることなどを差し引いても、十分楽しかった!
10 月末に友人とみなとみらいに行った折、桜木町駅前のビルの中にある 「#ワークマン女子」 に寄ったのですが、これが思いのほか興味を引くお店でして、私の居住区近くにもないかなーと、探しておりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/67/c06d1ae410c58446d1dce5c182cf5b6e.jpg)
ウチの近くにも昔ながらの、がっつり 「ワークマン」 はあるんですが (笑) 、見つけた 「#ワークマン女子」 は、南柏。
ええ、ちっとも居住区近くではないんですが、バビューンといってまいりましたよ。
で、せっかく柏まで来たんだから、そのまま帰るのも勿体ないなー、どこか寄れるところはないかなーと、カーナビ眺めながら考えていたところ、ふと思い出したのが、松戸にある 「戸定邸」
実は私、今年の大河ドラマ 「青天を衝け」 をずーっと見ておりましてね。
毎年大河ドラマは、最初の数回を見てその年一年見続けるかどうかが決まるのですが、幕末から始まった時代背景もあり、明治維新後の展開も面白く、とうとう 1 年見続けてしまいました。
その主人公・渋沢栄一と共に、慶応 3 年 ( 1867 年) のパリ万博へ、江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜の名代として参加したのが、慶喜の異母弟にあたる徳川昭武 (当時 13 歳)。
その徳川昭武が、明治 17 年以後居住した建物が、この 「戸定邸」 である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/c2/301e26a814222918cd9105e7927f8531.jpg)
実は私、もう何十年も前から、松戸にある 「戸定邸」 の名前だけは知っていたのですが、ここが徳川の史跡であるとは露ほども知りませんでした。
てっきり土地の豪農屋敷かなにかだとばっかり思っており、調べることもせずに数十年。
ここが徳川の史跡だと知ったのは、 「青天を衝け」 の紀行コーナーで紹介されていたからに他ならない。
ふぅ、知らないということは、本当に恐ろしいことだわ。
その昔、静岡の 「浮月楼」 に行ったときも、そこが徳川慶喜の屋敷であったことを知らず、ぼーっと帰ってきてしまった残念な記憶を思い出す。
ここには、 「戸定歴史館」 も併設されており、その展示品も非常に興味深いものが多かった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/03/02ad39afb0c14c3f5505c4d04c5358fe.jpg)
徳川昭武が明治 9 年 ( 1876 年)にフィラデルフィア万博の御用掛として渡米した際の写真をはじめ、徳川慶喜や渋沢栄一と交流した手紙や写真、職員の日誌などから垣間見ることができる明治以降の徳川慶喜の姿など、いままで知らないことばかりで、非常に面白いものでした。
もちろん、 「戸定邸」 にも入ることができます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/6b/59dccb676b37b33446350dbfcda1d216.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/24/48b75d697e7344bfe10164674809f572.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/4b/722820355f3e31b8833899b0207488ab.jpg)
座敷から見える広大な庭園を目の前に、もう気分が晴々。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/2d/0c175f2e78f0fca89bc5f4d82349210d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/7a/7ce421321c8ded724d044d6db8470f52.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/a3/6d114c7016be896c7e3c39230d2fe36f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/86/5912eb9e2e20bf63bcfe27ed3ba473d6.jpg)
建築物としても興味深い戸定邸の間取り図を片手に、屋敷のあちこちを徘徊する私は、間取りフェチであることなどを差し引いても、十分楽しかった!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/51/b9a7e0fa310560a0bb9edbc390bb8073.jpg)
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