なんでも内科診療日誌

とりあえず何でも診ている内科の診療記録

危なかった話

2024年03月21日 | インフルエンザ

 3月16日(土)は当直だった。17日(日)の早朝に(午前7時前)、他院でインフルエンザB型と診断された36歳男性から、発熱40℃で頭痛がするので診てほしいと連絡が入った。

 午前1時半に救急外来を受診した患者さんが帰って、その後は幸い受診がなく、救急要請もなかった。まだましな当直ではあった。

 すぐには解熱しないだろうと思った。緊急性はないので、午前8時に来てもらうことにした。その時間だと、日直の看護師さんも出てきている。当直だった年配の看護師さん(リハビリ病棟の看護師長)もほっとした様子だった。

 診断は付いているが、発熱外来なのでコロナも含めて迅速検査になる。コロナもインフルエンザも陰性だった。

 3月14日から発熱があり15日に市内の医院を受診して、インフルエンザB型と診断されていた。抗ウイルス薬はゾフルーザが処方された。妻と子供2人もインフルエンザB型に罹患していて、診断は間違いない。

 咽頭違和感があるが、咳はほどんで出なかった。頭痛がひどいという。ほぼ3日目なので、そろそろ軽快して来ることにはなる。咳・痰がほどんで出ていないので肺炎を併発したようにも見えない。発熱以外のバイタルは問題なかった。

 インフルエンザでウイルス性髄膜炎というのはどうなのかと思った。jolt accentuationを確認してみると、「首のヘルニアで整形外科でロキソプロフェンを処方されている」といいながら笑顔で首をぶんぶん振ってくれた。陰性だろう。

 

 念のため血液検査(時間外は簡易検査のみ)と胸部X線を確認することにした。肺炎像はなかったが、白血球14000・CRP 23.0と著明な上昇があって驚いた。胸腹部CTを追加して確認したが、やはり肺炎像ははっきりしない。腹部にも問題はなかった。

 正しくは血液培養を出すところだが、ムチムチして血管が見えにくく手背の静脈しか見えない。インフルエンザをきっかけに細菌感染を併発してことは(たぶん)確かなので、抗菌薬は必要だろう。

 入院はできませんということで(一家でインフルエンザ罹患で子供がまだ小さい)、外来でセフトリアキソン(2g)を点滴静注して、翌月曜日に外来で相談することにした。

 

 翌月曜日は、朝に38℃だったという。整形外科のロキソプロフェンを飲んできたためか、受診時は36℃台だった。頭痛は楽になりました、という。このまま外来治療で、ということになった。セフトリアキソンを点滴静注して、その後は抗菌薬内服を数日続けてもらうことにした。

 これまでも風邪を引くと、40℃の高熱がでるそうだ。ただし、40℃になるのは1日だけで、その後は下がるので受診はしないという。(多分、翌日平熱ではない)まだ若いが喫煙者であり、気道に感染を来しやすいのはあるのかもしれない。体重が100Kg近いことも関連している?。

 

 抗菌薬内服はレボフロキサシンにしようと思ったが、入力すると薬局からすぐに連絡がきた。21歳の時に、風邪症状で耳鼻咽喉科でクラビット500mg(レボフロキサシン)を処方されて、喉頭浮腫・喘息発作を来したことがあり、当院に3日間入院していた。危なかった。

 カルテに小さく薬の印が確かにあった。確認しないのが悪いのだが、当院のカルテではわかりにくい。付箋で重要項目(赤色)として貼っておくことにした。(オグサワに変更)

 以前外科医がキシロカイン・ショックの既往がある患者さんにキシロカインを注射してショックをきたしたことがある。確かに薬の印は小さくついていたが、見逃してしまったのだった。カルテを開いた瞬間にわかるようにしないと危ない。

 当院のカルテは、「問題患者さんの印」だけはわかりやすくできている。

 

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血液培養で真菌

2024年03月20日 | 呼吸器疾患

 3月10日に記載した左肺炎の88歳男性のその後。

 一時は左肺の広範囲に陰影が広がり、発熱も続いていた。その後は解熱して炎症反応の軽減していた。そろそろ抗菌薬(ゾシン)を中止しようとした日の午後に、突然悪寒戦慄が出て体温は41.7℃に上昇した。

 ちょうど午後の分のゾシンを入れ終わった時だったので、薬剤熱も考えた。看護師さんの話ではその日の朝に喀痰が増えていたという。嚥下調整食も開始していたので、誤嚥して肺炎が再発再燃した可能性はあった。

 それにしても体温が高すぎる。肺炎再燃に薬剤熱が加わったのかもしれない。その日は点滴(補液)を増やすだけにして、抗菌薬を休止した。

 翌日の午前中は発熱がなかったが、血液培養2セットを提出した。採血では軽快していた炎症反応が再度上昇していた。ゾシンは使えないので、仕方なくカルバペネム(メロペネム)を開始した。

 朝のうちに喀痰培養は採取されていたが、多くは唾液でその中に吸引による血液が薄く混じり、喀痰らしいものが少量あった(検査室から不良検体としては返却されなかった)。尿混濁はなく(尿培養は提出)、入れていた抗菌薬からみても尿路感染症が別に起きるとは考えにくい。

 胸腹部CTで確認したが、左肺炎は一番進行した時と比較して、肺炎の悪化とは断定できなかった。その後も発熱が38℃から39℃が続していた。

 3月16日(土)に当直で病院に来たときに、病室に見に行くと、患者さんは大相撲中継を見ていた。(余裕?)左上腕から入っていた点滴刺入部が硬めに浮腫を呈していた。圧痛はなかったが、末梢静脈カテーテル関連感染症も否定できないので、抜去して、刺し直してもらった。

 血圧と酸素飽和度低下はなかったので(悪寒発熱時から酸素吸入は開始していた)、週明けの血液培養の結果を待つことにした。抗菌薬としてはMRSA(MRCNSも含む)を考慮して、バンコマイシンを追加しようかとも思っていた。

 3月18日(月)に検査室から、血液培養2セットで酵母様真菌が出ていると報告が来た。カンジダかアスペルギルスかその他かはわからない。

 抗菌薬は中止して、抗真菌薬(ミカファンギン)を開始した。(院内にある点滴静注の抗真菌薬はこれだけ)肺炎としての真菌感染なのか、それ以外なのか。

 

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統合失調症、治療中断

2024年03月19日 | 精神科疾患

 3月16日(土)は当直だった。日付が変わる直前に47歳男性が救急搬入された。

 症状は動悸ということだったが、統合失調症で治療を中断しているという。身体的な評価は行うが、統合失調症の入院治療はできないことを家族に確認してもらった。

 以前にも受診したことがあり、要注意の印が付いていた。「暴力団の一員だと名乗っている」とあった。(病状的にとても勤まらない)

 搬入されると、救急隊が伝えてきた動悸があるわけではない。正常洞調律だった。搬入後、体温が37℃台だったので、コロナとインフルエンザの迅速検査を行ったが陰性だった。(発熱のある患者全員にすることになっている)

 「周囲の人に(悪意をもって)見られている」という。「兄弟とゲームをして心臓が血だらけになる」とも言っていて、主訴動悸というのはそのことらしい。妄想の内容だった。

 血液検査と心電図、それに症状がつかめないので胸腹部CTを行ったが異常はなかった。頻繁に10~20秒くらい急に笑うことを繰り返した(空笑)。

 

 隣県の精神科病院に統合失調症で通院していたが、服薬はしたくないと思っていて、実際に中断していた。体調不良(というか生活ができない)で当地の実家に戻って来ていた。

 父親が、通院している病院に1~2度処方を取りに行ったが、それ以上は本人が受診しないと出せないといわれた。当地の精神科病院にも行ったが、やはり本人が受診しないと処方できないといわれた。

 処方はアリピプラゾール(エビリファイ)12mg錠1錠と単純なものだった。当院にはアリピプラゾール3mgの内用液が入っていた。

 前の前の薬局長が、リスペリゾンより副作用が少ない?というのを何かの講演会で聞いて入れていた。通常はリスペリゾンが処方されるので、ほとんど処方されていなかった。

 当直看護師に薬局から持ってきてもらい、3mg内用液を4包飲ませた。せっかく当院に来たのだから、当院の薬は飲んでほしいと伝えると、拒絶はしなかった。

 父親に身体的には異常がないこと、妄想があり、このまま治療中断が続くと精神科病院入院になることを伝えた。アリピプラゾール2日分を持たせて、週明けには精神科病院に連れて行ってもらうことにした。本人にも、このまま治療を中断すると、したくない入院になってしまい、拘束されてしまうことを伝えた。

 受診や服薬を拒否して、そのまま中断が続く可能性もあるが、そうなると精神科病院のような拘束は一般病院ではとてもできない。認知症のBPSDでの身体拘束は、体力の低下している高齢者だからできるので、40歳代男性には到底無理だ。

 

 父親が気の毒になってくるが、この父親も妻に対する家庭内暴力で、しばしば自宅に警察のパトカーが行っていたはずだ。

 

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外傷性硬膜下血腫、脳挫傷

2024年03月18日 | 脳神経疾患

 3月13日(水)の当直は腎臓内科の若い先生だった。循環器の専門病院から外傷の72歳男性が紹介されてきた。

 脳出血を来して、当院の脳神経内科(当時)に入院したことがある。幸い保存的治療で軽快して、右半身不全麻痺はあるが、ADL自立で仕事を続けていた。その後、胆嚢や大腸の手術も受けたが、乗り切っていた。

 自宅の階段から下に転落した(高い位置からではないのだろう)。その後から背部の激痛があり、本人は整形外科疾患ではなく、大動脈疾患と思ったそうだ。

 救急要請して循環器の専門病院に搬入されたが、大血管は問題なかった。左肩甲骨の骨折があり、階段転落時の骨折と判明した。体動困難で保存的治療でも入院を要する。そちらの病院には整形外科はないことと、当院に関わりがあるということで、搬送されてきた。

 頭部CTも撮影されたが、特に病変はないと判断したようだ。当院に搬送後、CT像確認で硬膜外出血と脳内出血が疑われた。頭部CTを再検して矢状断・冠状断の像も作成した。急性硬膜下出血があり、脳挫傷も疑われた。

 受けた先生は、地域の基幹病院脳外科に連絡した。保存的治療でそのまま経過をみていいとされたが、何かあったら(悪化したら)搬入も考えるともいわれたそうだ。

 翌日に頭部MRIを行うと、CTで予想したよりははっきりしなかったが、やはり脳挫傷疑いありとされた。脳浮腫の治療も追加となった。急性期の悪化は今のところなさそうだ。

 

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中葉・舌区の病変

2024年03月17日 | 呼吸器疾患

 3月9日(土)に市内の医院から50歳女性が紹介されてきた。咳が続くという症状で受診して、胸部X線で陰影を認めたということだった。土曜日は休診日なので、日当直で来ている内科の若い先生が対応した。

 昨年12月末に38.5℃の発熱があり、紹介した医院をしていた。コロナとインフルエンザの迅速検査は陰性だった。詳しい内容は不明だが、断続的に治療していたようだ。

 ずっと咳は続いていたが、その日は左胸部の痛みも感じて受診していた。心電図は異常がないが、胸部X線で両側中下肺野の内側に陰影があった。体温は37.1℃で、酸素飽和度は98%(室内気)。

 血液検査では白血球 8100・CRP 0.2だった。他の生化学検査は異常がない。胸部CTで右中葉と左舌区に浸潤影を認めた。

 「原因は、悪性腫瘍、細菌性肺炎、肺NTM症、肺結核などが鑑別にあがる」と記載していた。(付け加えるとすると器質化肺炎か。悪性腫瘍ではないだろう。抗菌薬(オーグメンチン+アモキシシリン=オグサワ)を処方して、呼吸器外来を受診としていた。

 3月14日(木)に呼吸器外来(大学病院からの応援医師)を受診した。特に検査は追加されなかった。「第一印象は肺非結核性抗酸菌症(肺NTM症)」としていた。その場合病変が限局して、年齢も比較的若いので手術も考慮とある。その点を家族と相談してもらって再受診となった。

 肺NTM症とするには菌を検出しなければならない。通常は地域の基幹病院呼吸器内科に紹介して気管支鏡検査となるが、他の専門病院を考えているのかもしれない。部位は肺NTM症として合うが、どうだろうか。

 

 土曜日に診てくれた先生は、東京の超有名病院の内科専攻医と伺っている。月1回土曜日に日当直に来ているが、当日朝は間に合わないので前日夜は当地のホテルに宿泊しているらしい。カルテは詳しく書いていて、診断推論と対応がわかりやすく記載されている。

 医師向けのバイト情報を見て当院に来ることになったそうだ。その日は金曜日の当直帯で入院した患者さんを診に病院に来て、初めてお見掛けした。たぶん来年度も来てもらえる?。

 

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鉄欠乏貧血

2024年03月16日 | 血液疾患

 鉄欠乏性貧血の51歳女性の経過。病院事務職員で毎年健診を受けている。

 2011年の健診で赤血球431万・Hb 9.6g/dL・Ht 31.0(MCV 72.1)だった。2012年の健診でも同様で婦人科外来を受診している。過多月経・月経困難症の診断で、貧血への鉄剤(一時期のみ)や漢方薬が処方されている。その後はHb 7.2g/dL~12.7g/dLで推移していた。

 

 2019年の健診で、赤血球 396万・Hb 6.8g/dL・Ht 23.5(MCV 59.3)・血清鉄 10・血清フェリチン 1.34と極端な鉄欠乏性貧血を認めた。

 内科外来からの鉄剤投与(経口剤)で、Hb 9.9g/dL(同年の8月)→Hb 11.7g/dL(10月)→Hb 13.4(2020年1月)と貧血は改善した。その段階で血清鉄 132・血清フェリチン 26とまだ鉄は少なめだが、そこで治療は中断した。

 2020年8月はHb 10.5g/dL、2022年1月はHb 10.5g/dL、と低く目ながら保っていた。2023年2月はHb 7.5g/dLと低下したが、そのまま治療をしていない。

 

 2024年2月は、赤血球 385万・Hb 6.1g/dL・Ht 21.4(MCV 55.5)・血清鉄7・血清フェリチン1.34と極端な鉄欠乏貧血だった。MCV50台とこの血清フェチリン値はなかなか見ない。

 内科新患で診た先生(大学病院からの応援医師)はまた鉄剤の処方を開始した。腹部単純CTを行っていたが、異常は指摘できない。

 3月7日(木)の仕事中にめまい・ふらつきを覚えて、内科外来を受診した。その時は常勤の内科医が診て、めまいの注射や処方を出していたが、改善しなかった。

 鉄欠乏貧血そのものの症状として、鉄剤を連日静注することにした。症状は改善してきたので、ある程度続けて、血算再検後に内服だけにするのだろう。

 年齢的には婦人科の原因による貧血は軽快するころになり、消化管内視鏡検査も必要かもしれない。。それにしても、慢性だと貧血がひどくても身体的には慣れて対応できるものだと思う。

 

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原発性胆汁性肝硬変

2024年03月15日 | 消化器疾患

 3月11日(月)に原発性胆汁性肝硬変(PBC)の72歳女性が受診した。

 2023年6月21日に記載した患者さんだ。その時は、内科クリニックで処方されたループ利尿薬で肝性脳症が悪化した。入院治療を担当して、外来へ戻していた。

 昨年まで大学病院消化器内科からの外来応援があった。患者さんは大学病院消化器内科と当院の外来を1回おきに交互に受診していた。今年1月からは大学病院の外来と当方の外来を1回おきに交互に受診となった(それぞれ2か月分の処方を出す)。

 

 肝性脳症で入院した時に担当したことをすっかり忘れていた。まだ2回目なので外来予約の名前を見ても、カルテを開かないと、どんな患者さんだったかピンとこない。

 病状は安定していて、大学病院の処方を継続するだけになっている。大学病院で検査するのは大変なので、上部消化管内視鏡検査と肝臓の画像検査は当院で施行して結果を送るように、とされていた。

 以前は軽度の食道静脈瘤(F1)があったが、今回は認めなかった。腹部エコーは肝硬変像(肝嚢胞あり)と脾腫を認めるが、肝腫瘍はなかった。

 白血球1900・Hb11~12g/dL・血小板6~8万の汎血球減少がある。肝機能は直近ので、AST 63・ALT 36・ALP 176・GTP 366・総ビリルビン3.6。血清アンモニアは入院の時は100を越えたが、現在は16~68くらいで正常域にある。

 処方はウルソ・エルカルチン・リーバクト・アミノレバン(就寝前)・ラグノス経口ゼリー・スピロノラクトンになっている。ラグノスは昨年の入院時に当方が追加した。

 現在診ている肝硬変の患者さんは、大抵アルコール性肝硬変で、胆汁性肝硬変はこの患者さんだけだ。手のかからないい患者さんなのだった。(アルコール性の患者さんは易怒性がある)

 

(腹部CTは昨年の入院時)

 

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脳梗塞画像の推移

2024年03月14日 | 脳神経疾患

 2月24日に記載した脳梗塞の76歳女性のその後。

 2月13日に言語障害(失語+構語障害)で受診して、頭部MRI・MRAで左中大脳動脈(MCA、M1)の閉塞を認めた。拡散強調画像でMCA領域にまだらに高信号を認めた。

 翌14日には右半身麻痺が出現してきた。次第に病変が広がり、2月20日の頭部CTが最も広がった像になる。

 それでも食事摂取はできるようになり、嚥下調整食4を食べているが、半身麻痺の方の回復は難しかった。

 

 担当の先生がフォローの頭部CTを3月11日に行うと、低濃度域が随分縮小して、驚いていた。(他の人にも見せたかったらしく、これを見て下さいといってきた)浮腫が改善したのと病変自体の萎縮の結果なのだろう。

 食事摂取がどうなるかと思われたが、食べれれて車椅子移乗ができるようにはなれた。

 

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気管支肺炎

2024年03月13日 | 呼吸器疾患

 3月11日(月)の新患に66歳男性が上気道症状(咽頭痛・咳)で受診した。当方が高血圧症で診ていて、3月4日に受診していた(特に変わりなし)。

 再来で出ていたので、ふだん診ている患者さんは回されるのだが(現に別のふだん診ている患者さんはその日回されている)、新患扱いになっていた。

 3月5日(火)から上気道症状(咽頭痛・咳)があり、市内の内科クリニックを受診していた。多分かぜ症状の時は以前からそうしているのだろう。症状が続いて、その週に再受診していた。コロナとインフルエンザの検査は陰性だった。

 同じ処方が追加されたが、症状が続いての当院受診だった。発熱外来扱いでコロナとインフルエンザの検査が行われてから(陰性)の受診になった。

 血液検査では白血球6000・CRP3.6と、ウイルス感染としてもいいような値だった。胸部CTが行われて、右上葉(S3)に粒状影が散在していた。左上葉(S1+2)にも若干同様の陰影があるようだ。(別の救急患者さんのCTを行っている時に、この患者さんのCTに気づいた)

 気管支肺炎として抗菌薬が処方されて、5日分の処方で再診予約となっていた。きれいな?気管支肺炎像は珍しいかもしれない。ウイルス性か、細菌性かといわれると何ともいえないが、日数的には細菌性併発?。

 

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腸閉塞

2024年03月12日 | 消化器疾患

 3月11日(月)に内科再来を診ていたが、その日は新患がいっぱいで、58歳男性が回されてきた。

 9日深夜から腹痛が始まって、4回嘔吐していた。腹痛は間欠的に強くなり、治まっても痛みは残っている。市販の整腸剤を買って飲んでいたそうだ。その時に少量の水分をとったが、食事はとれなかった。排便もない。

 2014年にS状結腸捻転で、地域の基幹病院消化器内科で内視鏡的整復術を2回受けている。2015年もS状結腸捻転で当時当院消化器科にいた若い先生(当時は消化器科2名体制)がいったん整復したが、すぐまた捻転した。

 内視鏡的整復は限界として、当院外科(当時)で腹腔鏡下にS状結腸切除術を行った。「捻転はしないだろうが、癒着性腸閉塞になる可能性はある」といわれたそうだ。

 診察室には普通に歩いて入ってきた。腹部は膨満していて、左下腹部に手術痕周囲に圧痛がある(腹膜刺激症状はない)。症状からは「癒着性腸閉塞」だった。

 腹部X線できれいな?ニボーを形成していた。血液検査では炎症反応の上昇と、脱水症による血液濃縮・腎前性腎不全を呈していた。

 腎障害があるので、CTは単純だけにした。小腸が拡張して、消化液が貯留している。一部腸管が急に狭窄している部位があった。腹水はない。

 まだ保存的に診れる段階とは思うが、腸閉塞は外科疾患で手術の適応を考慮しながらの経過観察になる。現在当院は外科がないので(非常勤医の外来のみ)、紹介搬送になる。

 基幹病院の地域医療連携室に連絡すると、外科医に回す前に「現在満床ですけど相談はできます」、といわれた。あとは搬送できそうな病院はどこだろうかと考えた。

 外科の先生が出て、入院できるか検討して返事しますという。ひょっとして入院できるかもしれない。その後連絡が入って、男性なら1名可能という。

 すでに診療情報提供書と画像CD(コロナとインフルエンザの迅速検査もして陰性)を準備していたので、救急車を要請して搬送させてもらった。たまたま空いたところに滑り込んだのかもしれない。

 

 3月8日(金)は外部の先生が当直で、皮膚科の先生が遅番(当直医の到着までの担当)だった。医局で話をしていると救急隊から連絡が入った。

 患者さんは高齢者で地域の基幹病院にパーキンソン病で通院している。COVID-19に罹患して、酸素吸入10L/分でも酸素飽和度が90%に満たないという。病棟の事情もあり、無理ですと断っていた。

 その日の夕方に大腿骨骨折の患者さんが基幹病院に搬入されたが、ベット満床で入院できなかった。当院の整形外科医に入院依頼の連絡が来て、担当する先生が時間外まで残っていた。(出勤者が少ない病棟に無理に頼み込んで入れた)

 

 先週は若手の看護師さんから、今月いっぱいで辞めます、といわれた。できる看護師さんで、物おじしないので上に立って指導もできそうだと思っていた。残念。

 

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