つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

秋休み

2011年10月03日 | 子育て

たった一日だが次女の通う高校、今日は「秋休み」
昨日、娘と二人学校に出かけた。 いわゆる「三者面談」
次女は進学希望のはず……さかのぼること2カ月、天国に昇るような“嵐”のコンサートが過ぎて、現実を目の前にして涙目でひとこと
「私、本当に大学に行きたいのかわからなくなった」
あれえ!? 今、ここでそこまで戻っちゃう…?

大学受験は、高校受験とは雲泥の差がある。
札幌の高校受験の倍率は、どんなに高くても1.5倍ほど。3人に2人は受かる計算。それが大学はとたんに倍率が跳ね上がる。5倍10倍当たり前、その中で頼りになるのは己の力だけ。なんとか合格を引き寄せても、そのあとにかかる費用は高校の比ではない。入って違っていたらどうしよう…そんなもろもろの不安に押しつぶされそうになっているのだろう。

「何、聞かれるかな?」という私の問いに娘は無言……目茶苦茶緊張しているのが伝わってくる。
それを見ていて私もどきどき、そのまま担任の先生の前に二人並んだ。
先生はにこにこしながら、これまで娘が事あるごとにいろいろ書いてきた志望校の試験日程や科目、願書受付の締切日、受験の方法等の説明をして下さり、いよいよ本題の成績だ。隣で娘がごくんといったような気がした。

娘がヒステリーを起こしていた8月初めの成績では、第一志望は箸にも棒にもひっかからない。
それを我慢して我慢して1カ月を過ごし、9月の模試で上向きになった。
「このままの調子で延びていければ、ぜひ受けなさいと言えます」と言って下さった。
ほっとした。

頑張った……という手ごたえがあれば合否は添え物だと親が思わなければ、子どもは哀れだ。
受かっても、受からなくても、わが子の人生はそこにある  と気がつくのに、上の子どもの受験体験が何度か必要だった。
不合格だったとしてもそれは決して失敗ではない。合格しなかったというその子の道を歩むだけ、それだけなのだ。
そう分かっていても、頑張るわが子の姿をみると合格を手に入れてほしいと願ってしまう。

他に取り立てて高い才能を見いだせなかったわが子たちは、少しだけ「努力して勉強する」というとりえがあった。
継がせられる家業があるわけでもなく、素のままで世の中を渡っていけるような力強さも要領の良さもない。
だとしたら、なんとかこれで生き抜く力を手にしてほしいと願っている。

たった一日の秋休みだが、JKは朝から机に向かっている。 ガンバ!!

 

 

コメント (2)
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