つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

うそをつかない医療

2011年10月11日 | 日記

10月9日の朝日新聞 生活欄に 「うそをつかない医療」貫いて 故清水陽一さん 志受け継ぐ動き というものが掲載された。

人間だからミスはある、その時はごまかさず、正直に打ち明けて謝罪を――そういう「うそをつかない医療」を唱えたお医者さんがいたそうだ。

「謝らない」というのは、自動車事故で保険がらみの交渉から広まったものと認識している。アメリカ流の訴訟世界のやりとりが波及し、少々不愉快な思いも我慢をせざるを得ない……というところだ。本当はどうだったかは別にして、その場でとっさに「ごめんなさい」と言ったことで、己の非を認めたことになり責任をとらされる。だからみんな簡単には謝らなくなったんだよな。
でも、「ごめんなさい」と一言いってくれれば、それでおさまる気持ちもある。“ごめんで済めば警察はいらない”ともいう。だが、交通法規などはお巡りさんにみつからなければ、事故を起こさないという前提のもとに、なにやってもOKではないか。それとすべてを一緒にすることはないじゃないかなあ……。

患者は、いのちをかけている。先がないと思った時、医者が橋をかけてくれるその夢のような出来事に感謝しかない。
私も感じたが、医師は万能ではない。わからないことも多く、初めての症例にいろいろ調べ勉強し、治療を施してくださる。
私の主治医のN先生は初め「絨毛癌」の治療方法をよく知らなかった。北海道では北大がその専門病院で、そのためそちらへの転院を希望するか聞かれた。私は家から歩いて10分足らずの、さほど大きくはないこの病院で治療を受けたいとお願いした。その後N先生は北大出身の同僚のW先生と、北大病院まで出かけ勉強して下さった。
先生は私への説明で「この病気の治療は確立されています。私も、病院としても初めてのことですが、治療中は北大と連携して一つずつ確認しながら進めます」 また、隣接する国立がんセンターにも連絡をしているので、重篤な症状が現れたらすぐ対応すると約束して下さった。

誠心誠意 診てくださったと思っている。何かあったとしても、きっと、受け入れられたと思う。病気治療はそういうものではないだろうか。

亡くなられたしまったそうだが、新聞に取り上げられた清水先生の活動が全国に広がっているそうだ。2006年に医療事故の被害者・加害者・医師・弁護士などとNPO「医療の良心を守る市民の会」が結成されているという。

コメント (2)
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