つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

話し合いで片づけることのできない   この思い

2016年06月25日 | 徒然に、

「え、お寺の大黒様なの?」

 

末っ子の新学期が始まって回ってきたPTAのクラス委員のプリントに

ほかにやる人がいなければに○をつけて提出した。

いつも思う、こういう時にほかにやる人が必ずいない。

そんなわけで回ってきた人生でこれが最後であろう子どものPTA活動。

その中で引き受けた研修係。

みんなでバス仕立ててあれこれ見学して歩く・・・・というようなことを仕立てるかかりなようだ。

その委員長さんが、市内のお寺の大黒様だという。

ふううううん、

いろいろな話をしていて雑談になっときに、今一番問題になっていることをサラッと聞いてみた。


我が家には仏壇が二つあるということ。

今は家も二つあるからそれぞれにお祀りしているが、いずれは家は一つにしたい。

その時に仏壇をどうしたらよいか頭を抱えている。

婚家と実家で同じ仏教なのだが宗派が違っているのだ。

困ってしまった。

調べていくと、こういう時にどちらか一つにまとめるものらしい・・・・

 

なんともそう簡単に心の整理はできかねる・・・て感じです。

 

旦那と一緒になったときに旦那の両親はまだ健在で、

毎月お坊さんがお参りに来ていた。

あ、まあ、それが今も続いているのですが、

これってなかなか己の中で整理をつけるのが大変で、

それは結婚して苗字を旦那のものにしたときに感じるあれと同じようなくすぐったいような腑に落ちないような、

これからはこのお寺さんと付き合って行くと徐々に徐々に覚悟を決めて、

実家は姉が見ていたので、娘二人のこの家の墓や仏壇はいつかは始末をしてお寺にお願いすると話をしていた。

だがそれはもっとずっとずっと先の話で、

姉が亡くなって菩提寺のご住職には、私が元気なうちは守っていくがそのあとは永代供養にとお話をしている。

そうやって自分の中で、生まれ育って暮らした家と、嫁いだ家との折り合いを長い時間をかけてつけてきた。

 

東京の家を守ってきたのは当然だが私の血につながる人たちで、

その人たちをひとまとめに婚家の宗派にまとめるなど、思いきることができない。

では、東京の家に移すからと婚家の宗派を吸収していいのだろうか?

それも私の中では納得できないのだ。

もう当の昔に実家の宗教は、姉と私の代でおしまいと結論が出ていたから・・・

 

PTAの会合では、私より若いお母さんたちが

「それはご主人と話し合いで決着をつけるしかない」と即断に言われたが、

旦那と私の対決というよりは、私の内部での葛藤が収まらないのだ。

そうそう簡単に長い時間をかけて覚悟した結論を覆す勇気が出てこない。


一つの家に二つの仏壇はよくないといわれても、

どちらも私たち家族の先祖   で仲良くしてしてもらえないだろうか?と考えている。

仏様でもキリスト様でもアラーの神様でも、どの神様もみんな、みんなの幸せを願っていたのではないだろうか?

手に手をとって並んでもらうわけにはいかないのだろうか?


思い余って住職に問い合わせをしたが、ご住職も困っているのだろう?

これは私がこれでいいと結論を出す以外にないのだろう。

家を新築すると悪いことが起こる  や、一つの家に二つの仏壇は・・・ は、


禍福は糾える縄の如し


ということで、

運をためてなんとか災いが小さくて済むように精進するしかないのだろう。

だれの結論でもなく自分で収まりがつくまで、いじいじと考え続けよう。

誰の問題でもなく、これは私の問題だから、








コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする