7年がたったそうだ…
あの時、姉はまだ生きていて、…入院中で、地震の心配はしなかったが、
長男は羽田で遭遇し一晩羽田にお泊りし、翌日動き出した電車を使い帰宅したという
長女は幸いに自宅におり、
この子を一番に心配した…どこか出かけているときだったらと考えて、連絡が取れた時に
本当にほっとした
私の知人、親類縁者に、大きな被害を受けたものはいなかったが、
あれからの間に、元の生活に戻れなかったものはいる
あの頃は、東京に何かあればみんなで札幌に来てもらえばいいと考えていた
北海道は食糧自給ができる
水も豊富
一時避難にはこんなに素敵な場所はない!だからこの家を維持しようと考えていた…
7年がたち、事情が大分に代わってしまった
何より、私も旦那も体力気力が明らかに目減りしている
動くことにその大事な力を使うことに躊躇してしまう
子どもたちが全員道外に出てしまったことも大きい
3月11日に思う
どこにいても、明日に向かう、そういう気持ちを持てる
穏やかな時間がある
そんな国であるように、
心より思います