つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

温泉に行くまでは、

2018年03月26日 | ラブラブ



小樽までは高速

そこからフルーツ街道を使って少々ショートカットで、余市をすり抜け積丹半島の根元をトンネルをいくつも抜けて岩内へ

崩落事故があったのは古平へ向かうトンネルだが、あの事故当時はこちらには怖くて向かえなくったのに、忘れたんだなあ〜
3キロ4キロの長いトンネルの中で、そんなことを思い出した





岩内は、仲良くしてもらっているママ友の故郷
一度夏に親子でキャンプに連れて行ってもらった事のある場所で、なんとなく町のあちこちに見覚えがある

ここからはひたすら海沿いに走って行くのだが、
昼を食べてからと言うこともあり、ちょろちょろと寄り道をした



共和町出身の画家だが、
もう呆れるほど贅沢な美術館
あまりにひろひろとした全景に呆れて写真がありません

旦那は抽象画が好きで無いので、渡仏後の作品に絵の前に止まることがなくなってしまったが、
そんなに毛嫌いしなくても…と伝わるものがある絵だったが、

なにより美術館が建てられた理由がビシビシ感じられる環境に、楽しむどころでは無いのです

この建物、丘の上の広い敷地の中に、
原発の防災センターの隣にあるのです
海を見ると湾を挟んで対岸に泊の原発が見えました
事故があれば、この場所が指揮所になるのでしょう
この綺麗な広い美術館には、日に何人が訪れるのでしょう?
分かりやすい表札の無いこの建物の、
本当の存在理由を至って簡単にいろいろ想像しました

口直しに





生まれ出ずる悩み です!

若い頃、この作家の描く薔薇に憧れたのを思い出しました

岩内大火でアトリエを消失
1500枚もの絵を焼いてしまった!
岩内大火は、洞爺丸台風の避難中に火鉢の不始末から火事かおこり、台風の風に乗って市街を焼き尽くしている

余談だが、洞爺丸に私の祖父の弟が乗っていました
この時、この叔父が亡くなったことで、父は、
ドイツ研修を諦めたと聞いています
姉が小さかったので、画家をしていたこの叔父があとから連れて行くという話だったそうです
この頃、転勤には家族が付いていくのが当然でした

それに、大火は海沿いの町にはよくあったことだったのだろう、
叔母が暮らす酒田も何度も町を焼いている



地面が盛り上がるように山を描きたい

と言ったのは木田金次郎ではなかったかな?

公園の脇にちょっとある小さなこの美術館は居心地も良く、この地の人に愛された作家だったと感じた



岩内の道の駅を冷やかして、その向かい側にあった食堂に入った

ちょうどテレビで、

駒大苫小牧対静岡の試合を中継していた



鮨と蕎麦のランチ
さすがネタが新鮮で美味しかった





海沿いの道をひたすら進むのですが、
目的地はあのはるか岬の向こう側です



たどり着いたのが、たまらなくひなびた

ぐうない温泉

良いお風呂でした

岩内の彼女にメールしたら、寿都温泉もいいよお!と返事が来ました

帰りは寿都の道の駅に寄りました







みなとまあれ寿都

うまく考えたネーミングです!
ここで夕食用に、烏賊とホッケの一夜干しと、
小女子の佃煮を購入
これで、冷やご飯があるから、ゆっくり帰れました!





行きとは逆に車の左側に海を見ながら行きます



そうすると当然ですが、目に入ります

泊原発です

なんとも言えません

この原発は、札幌の為にあります
この施設を受け入れて、泊の財政は凄いことになりました
静内でも同じような町の豊かさを感じますが、静内には馬を生産している裏打ちがあります
ギャンブルが関わっていますが、あそこには真摯に馬を育てている空気があります
泊は、…

なんとも言えません

泊と札幌の距離はたった70キロです
事故があれば、札幌はどういう状況になるのでしょう?
札幌ばかりでなく、小樽も、余市も、…
それが冬に起こったら、

大間と函館の距離は20キロです

福島の事故があった時、誰とは言いませんが政治家が500キロ圏外に脱出しようとしたら、
日本にはそんな場所はなかったと報道されました…

この国はどこに住んでいてもそういう身の上なんですね、
よくここまで無事に、

戦争もなく、

やっぱり奇跡だな、

その奇跡が続くといい!



札幌に向かう道、ポッカリ浮かんだ雲がついてきた

なんか特別の雲かと息子に聞いたら、

風が弱かったんだね

と言われた







次は神田日勝を観に帯広に行くそうだ

え?寝袋?と聞いたら、

日帰りだ!と即座に返事がありました

頑張ろう!


コメント (2)
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