つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

“コメントを差し控えさせていただく”  に感じる違和感

2018年03月12日 | 世の中で起こったこと

政治家や役人と言った、国の役職にある人がこの頃さかんに連呼している

“コメントを控えさせていただく”  に私は違和感を感じる

 

私は「コメント」という言葉からは、

感想、評論、講釈…といったあいまいな個人の意見が含まれるように感じる

だが今あの人たちに求められているものは、

「事実の説明」や「どのように解釈して動いたか」で、個人の思いは問われていない

「コメント」は差し控えてもらっていいから、何があったのかしっかりと「説明」してもらいたいと思う

 

これと同じ違和感を私はスポーツ選手の

“いいパフォーマンスをしたい” “パフォーマンスができた” にも感じる

「パフォーマンス」と言われると、その種目の本質的な魅力よりも

「人の目を引く行為」のようなものように感じる

スポーツ選手のやっていることは、本来人目を引くことではないだろう

結果として注目を浴びているだけで、注目を浴びることが一義ではないはずなのだが、

どの選手も総じてこの言葉を使う

“いい泳ぎをしたい” “いい走りができた”

それでいいのではないか?

 

ただ、どちらも私が個人的に感じていることで、

「いいパフォーマンスができていない」私は、これ以上の「コメントを控えさせてもらいたい」

 

コメント (2)
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