政治家や役人と言った、国の役職にある人がこの頃さかんに連呼している
“コメントを控えさせていただく” に私は違和感を感じる
私は「コメント」という言葉からは、
感想、評論、講釈…といったあいまいな個人の意見が含まれるように感じる
だが今あの人たちに求められているものは、
「事実の説明」や「どのように解釈して動いたか」で、個人の思いは問われていない
「コメント」は差し控えてもらっていいから、何があったのかしっかりと「説明」してもらいたいと思う
これと同じ違和感を私はスポーツ選手の
“いいパフォーマンスをしたい” “パフォーマンスができた” にも感じる
「パフォーマンス」と言われると、その種目の本質的な魅力よりも
「人の目を引く行為」のようなものように感じる
スポーツ選手のやっていることは、本来人目を引くことではないだろう
結果として注目を浴びているだけで、注目を浴びることが一義ではないはずなのだが、
どの選手も総じてこの言葉を使う
“いい泳ぎをしたい” “いい走りができた”
それでいいのではないか?
ただ、どちらも私が個人的に感じていることで、
「いいパフォーマンスができていない」私は、これ以上の「コメントを控えさせてもらいたい」