HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

天災に優るものはなし。

2016-04-20 14:26:43 | Weblog
 熊本市を地震が襲った。4月14日に午後9時26分頃にマグニチュード6.5、最大震度7、16日1時25分頃にはM7.3、同6強の地震が発生。現在も余震は続き、死傷者、建物倒壊などの被害は増えるばかりだ。今回のコラムは、現地の状況をルポしながら、地元ファッション業界、九州全体への影響を考えてみたい。

 筆者が現地に入ったのは、4月19日。原稿の締切や夏場の企画に追われ、余震も続いていたので見合わせていた。おそらく熊本の人々がこれまでに経験したことのない未曾有の大震災だと思う。マスメディアは被害が深刻な益城町や南阿蘇を主体に報道するため、毎度のことながら被災格差が生じてしまう。だからこそ、現地に行けば、中心商店街、ファッションストリートが受けた被害が決して少なくないことがよくわかった。

 被災の状況がよりわかりやすいように、熊本のファッションマーケットやエリア構造を簡単に解説しておこう。

 熊本市の中心市街地は、熊本城が見下ろす通町筋を中心に形成されている。上通、下通という2つの商店街を分けるように電車が走り、軌道の北側に上通のアーケード、鶴屋百貨店が運営するファッションビルNew-Sがセレクトショップやブランド店をリーシング。西側にはB&Yユナイテッドアローズやビームスが路面展開している。

 南側に鶴屋百貨店本館、東に東急ハンズなどを擁する鶴屋新館、下通り入口脇にはパルコがある。下通は南に数百メートル続き、ザラなどの海外ブランドも出店、大火災を起こした大洋デパート~旧ダイエー城屋の跡では、天神ヴィオロの熊本版が建設中だ。 通りの東側には破綻したスーパーの寿屋から派生した不動産会社が旧店舗を活用して運営するカリーノがある。

 アーケードが切れる先は、30年前にファッションストリートとして一世を風靡したシャワー通り。L字に曲がった新市街を抜けて電車通りを渡ると、旧熊本岩田屋~県民百貨店は更地になって再開発を待つばかりである。

 一方、上通は商店街に老舗専門店が軒を連ね、アーケードが切れる並木坂、東側の上乃通りの路地裏、横町には若手経営者のショップや飲食店が数多く立ち並んでいる。

 ただ、中心商店街に買い物に来るお客は、周辺に住む高齢者や通勤するビジネスマンやOLと20代前半の若者。経済の中心は郵政省などの出先機関など官公庁が主体、民間企業は少ないことから、マーケットとしての規模はそれほど大きくない。

 それでいて、郊外の住宅ラッシュで、SCやロードサイドショップは増えている。熊本第2の都市,八代市近郊には旧ダイヤモンドシティ(現在はイオンモール宇城バリュー)が九州で初めて出店。現在は市内にイオン八代ショッピングセンター、ゆめタウン八代も出店する。この他に地震で被害を出した上益城郡嘉島町にはイオンモール熊本、宇土市に宇土シティ、北部の菊陽町にゆめタウン光の森と、SCが乱立する。

 これらにディスカウントストアやドラッグストアが加わってマーケットを捕食。さらに福岡まで高速バスで2時間の距離から持ち出しは、年間で100億円以上とも言われている。行政の再開発事業も大した効果はなく、市内に大型客船が着ける港がないため、訪日外国人の爆買いもほとんど見られない。中心商店街はかつての賑わいを取り戻すどころか、高齢者の日常の買い物と一部の若者によるファッション消費しか集められない構造に陥っている。

 ところが、ファッション傾向については、福岡に対する対抗意識が強い。それゆえ、福岡のトラッド志向に対して、熊本はレアなブランド志向が顕著だ。裏原よりも先にストリートにスポットを当てたシャワー通りをはじめ、最近の並木坂や上乃裏通の隆盛もそうした意識からだろうか。業界紙誌に堂々と「熊本はセレクトショップ生誕の地」とまことしやかに書かせるのは、それだけファッションでは他に負けたくないという「肥後もっこす」「わさもん」の現れかもしれない。

 しかし、今回の地震では、そうした反骨精神は何の役にも立たず、新しいもの好きも地震対策には生かされてはいなかった。というより、ハード面での整備が立ち遅れていた点がもろに出た格好だ。中心市街地に立つビルや建物の多くが阪神大震災前に建設されたもので、基礎、柱脚や筋交いの強度、耐力壁のバランス配置が新耐震基準に達していなかったと思われる。

 今回、そうした施設や店舗がかなりの影響を受けている。アーケード天井板の落下や湾曲、民家を改築した店の壁や屋根瓦の破損、道路の亀裂や陥没、シャッターや窓ガラスの大破など、ほとんどが大なり小なりの被害を受けている。上通と並木坂、上乃裏通は被害が酷く、下通の店舗もほとんどが休業している。被害を受けなかったところも建物が立つ位置や地盤との角度から免れたわけで、たまたま良かったというのが正解だろう。



 では、代表的な店舗の被害状況を見ていこう。セレクトショップの代表格、「ベイブルック」は上林町にある本社ビルは仮囲いがついたままで外観さえわからない。上通の旗艦店はシャッターが降りたままだが、外から見ただけではそれほどの災害は感じられないが、春竹町のアルファ東などは店舗自体に破損が見られた。しばらくは全店で休業のようである。(20日から路面店8店で、時間限定で営業再開)


 
 同じ上通にあるインポートセレクトの「モーヴドゥーエ」。こちらもシャッターが閉じられ店舗は休業。商店街のアーケードや通路が所々で被災しているため、単独での再開は難しそうである。鶴屋百貨店が運営するNew-Sも休館。店頭の公開空地では訪れる度に何かしらのイベントが開催されているが、その中止を告知する手描きの紙が空しく柱に貼られていた。




 ただ、電車通りに面するビームスは地震の影響ははとんどなかったようだ。19日は営業していたが、こんな状況で洋服を買いにくるお客はいるはずもないから、スタッフが暇そうに話している姿だけが見られた。その手前のB&Yユナイテッドアローズは店舗自体の被害はないようだが、ビルのアウネがエレベーター、エスカレーターとも機能が停止、復旧工事業者のスケジュールも調整がつかない状態という。




 鶴屋百貨店は本館、東館、ウイング館のすべてで休業。さすがに今回ばかりは、電通のコピーライターに頼んだ社員の意識改革、自己革新を続ける組織づくりは、柱の突っ張りにもならなかったようである。通りの入口脇にある熊本パルコも休館。ビルと接合するアーケードの天井が折れ曲がるほどだからかなりの衝撃だったと推察できる。もし、開館中だったらお客さんにも相当の被害が出たのかもしれない。パルコがどれほどの危機管理をしているのかは知らないが、今回は不幸中の幸いだったと言えるだろう。



 下通を入ってすぐの右手には「マルタ號」のビルがある。メディア露出がやたら増えている「ファクトリエ」の母体である専門店だ。こちらも1階のテナント共々休業していた。 ファクトリエ自体は商社、卸系だから物販ほどの影響はないと思う。その先、左手にあるザラも、当然のことながら休業。斜向いにあるダイエー城屋跡の再開発ビルも鉄骨が組み上げられているが、まだまだ余震が続いているだけに工事が計画通りに進むかは予断を許さない。





 下通、新市街を抜け、電車通りを渡った先の産業文化会館跡地は、広場として開放されていたが、それが今回の地震で避難場所に様変わり。西側の県民百貨店で進む大型商業施設の計画にも影響が出るのは間違いない。耐震構造など地震に強いハードづくり、被災時の避難誘導などのソフト面などが改めて浮き彫りにされた。こうした課題を克服しない限り、テナントリーシングも進まないのではないかと思う。

 その他、知り合いのアパレル会社が展開する雑貨店も休業に追い込まれていた。出店するイズミのゆめマートが被災し、まだまだ余震が続くため、デベロッパー側からの要請があったのかもしれない。

 電車通りを健軍方面に向い、県庁通りから自衛隊西部方面隊基地横を抜けると、遠くに益城インターやグランメッセが見えてくる。今回の震災でいちばん被害が大きかった益城町に近づくに連れて、幹線道路に面するビルの被害は酷い。安普請なのか、老朽化なのかはわからないが、壊れたままでは営業の再開は無理かもしれない。

 インターに近いさくらの森ショッピングモールは、核テナントにスーパーのハローデイやホームセンターのフタバが出店する。ハローデイは入口のドアが折れ曲がり、ガラスは大破。まだまだ震度3以上の余震が続き、益城町の住民は買い物どころではないだろうから、当分営業再開はできないと思う。



 その他、ショッピングモールではゆめタウンが全館休業。イオンモールも変則営業を余儀なくされている。これらにはユニクロやグローバルワーク、無印良品といった全国チェーンの大型店が出店しているので、売上げへの影響は少なくない。客数、売上げともに減少しているユニクロにとっては、泣き面に蜂となるのだろうか。

 筆者が熊本市内から郊外にかけて見て回った被災の状況はざっとこんなものである。ただ、影響は熊本に限ったことではない。筆者が住む福岡市も21日には博多マルイが開業するし、月末からはゴールデンウィークに入る。大型休暇の間にはどんたくも開催されるので、福岡は県外からの集客に弾みがつくはずだった。

 しかし、交通手段では九州自動車道が熊本の植木インター以南が通行止めで、福岡熊本間の高速バスは全便運休。新幹線も車両の脱線、橋脚の破損、線路の隆起などで、博多から新水俣までは運行停止で、再開の目処は立っていない。おそらく新幹線はゴールデンウィークには間に合わないかもしれない。

 JR博多シティはこの春にテナントを入れ替え、今年も増収増益させる計画だったはず。それがいきなり躓いた形だ。出店するブランドのほとんどはネット通販に対応しているため、実店舗の集客が厳しければ何らかの対応は取れる。しかし、デベロッパーにとっては店舗の売上げが上がらなければ、歩率家賃が入って来ない。それだけでなく、旅行客が買って帰るお土産需要が減少することも避けられないだろう。鉄道が麻痺すれば、駅ビルへの影響は必至ということである。



 JR九州にとっても、ゴールデンウィークは書き入れ時で、新幹線はドル箱でもある。それを見越して、この春にはタレントのローラを起用し、鹿児島旅行のキャンペーンを張っていた。博多行きには大した販促をしなくても乗客はあるが、観光が主体の鹿児島にはある程度力を入れないと乗客は伸びない。それでなくても鉄道事業単体は赤字だ。それに輪をかけるように今回の震災。物販や不動産が好調なために収益は上がって来たが、いい事は長続きしないというのが神の摂理でもある。この辺が潮目なのかもしれない。ともあれ、広大なマーケット設定、広域商圏、広域集客は非常にリスクが高いということがわかったのではないか。

 そうは言っても、鹿児島キャンペーンでは代理店に多額の広告費を払っているはず。それが今回の震災で全く当てが外れてしまったわけだ。広告業界は大災害に見舞われると、CMの放送を自粛する。ローラのCMも地震以来流れていない。ローラ自身もため口、父親の犯罪、今回の震災と、ネガティブな話題には事欠かない疫病神キャラになってしまった。クライアントには今回のケースで起用リスクというより、 ジンクスとして受け止められたのではないだろうか。

 こうした悪夢を払拭するため、九州新幹線開業時に制作費を格安であげ、広告賞をとったあのCMを復活させようなんて話も聞かれる。それをJR九州が言い出したかどうかはわからない。ローラのCMが放送中止でお蔵入りになったから、代理店が媒体料を稼ぐために苦肉の策で提案したとも考えられる。それをパブリシティで九州のテレビ、ラジオ各局に振れまわさせているのではないかとさえ思えてくる。

 筆者は2005年3月20日の福岡西方沖地震で被災した。その日は休日だったにも関わらず、天神コアのショップスタッフの撮影があり、8階にある管理事務所に入った瞬間だった。 打ち上げ花火があがるような「シュルシュル」という音とともに、「ドン」と突き上げる衝撃でビル全体が大きく揺れた。とても立っておれず、事務所のカウンターにしがみついたのをはっきり憶えている。

 当然、大名にある当事務所も惨憺たる有り様だった。パソコンや液晶テレビの画面が破損し、シェルフやチェストは倒れてデザイン本や資料が散乱。撮影用の小道具にストックしていたカップやグラスもほとんどが割れ、足の踏み場もないほどだった。だから、10年以上が経過した今でも、震災は他人事とは思えない。

 今回の震災は交通網が寸断されているので、アパレル工場や材料の供給でもかなりの影響が出ている。でも、起きてしまったことは仕方ないし、天災に対して人間は何と無力なのかもわかっている。復興の兆しは少しずつ見えているが、まだまだ時間はかかりそうだ。個人的にも東日本大震災の時と同様に、何らかの業界支援をしていきたいと思う。
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