HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

デジタルを超えて見えてくるもの。

2015-07-29 13:12:26 | Weblog
 ギャラリードポップというメーカーがある。筆者がプレスプロモーションの仕事をし始めた頃は、ポップインターナショナルという社名だった。本社は目下、国立競技場建設の渦中にあるエリア、千駄ヶ谷だったと記憶している。

 筆者が大学生の頃、バイトしていたマンションアパレルも千駄ヶ谷にあった。原宿から近いこともあり、ビギグループがあった代官山と並んで、居を構えるDCアパレルは少なくなかった。

 当時、このポップインターナショナルが作っていたのが、カジュアルの「プードゥドゥ」と、エレガンスの「ブロンドール」。90年代に入ると、急速にDCブランドが勢いを無くしていく中、後発ながらも企画に力を入れた数少ないメーカーだった。

 プードゥドゥは販売価格のケタを一つ下げ、中高生までもターゲットにした量販系ブランドになってしまったが、ブランドとしては堂々と残っているだけに、大したメーカーである。

 現在、ギャラリードポップは、プードゥドゥの他にレディスの「パドカレ」、メンズの「サージュデクレ」を持っている。

 筆者がこのメーカーに注目するのは、DCブランド世代ということもあるが、その素材使いのレベル、加工の妙がすごく秀逸なところだ。素資材のコストを下げて、原価率を圧縮するアパレルが多い中で、他社とは一線を画するもの作りには頭が下がる。

 周りを見回しても、多くの人気ブランドやセレクトが名前におぶさり、コスト増となる素資材や加工にあまり注力していない。そんな中、パドカレは組織に特徴を持つ素材から徹底して吟味し、後加工にも匠の技が光る。

 それだけに東京だけでなく、パリやニューヨークのファッション感性にもフィットするようなデザインを創り上げようと、企画では隅々まで妥協がない。言ってみれば、「インターナショナルクリエイティブ」を追求するブランドなのである。

 今から10数年前、 ギャラリードポップは、 メンズのサージュデクレをシンクロさせて、「オキュ」というセレクトショップを展開していた。

 筆者も何度か購入したことがあるが、今でも穿いているコットンのトラウザースもある。それほど、素材は確かなものを使っていたということだ。

 一方、パドカレは昨今のお客からすれば癖のある商品に映り、都市部展開では苦戦は免れなかったようだ。直営店は次第に縮小され、サージュデクレを含めて、セレクトショップ向けの卸に舵を切っている。

 ただ、創業のブードゥドゥを知り、パドカレの好む層は各地に点在する。彼女らは共通して今のSPAではデザイン的にも、素材的にも満足していない。かといっておばちゃんファッションは着たくないし、何もラグジュアリーファッションである必要もない。

 国内店舗による商圏設定ではなく、もっと世界にマーケットを広げれば、顧客の開拓は十分できるということで、パドカレは海外市場の開拓を進めている。パリやニューヨークの感性にフィットする企画力を見ても、そちらの選択の方が正しいと思う。

 現地でのコレクションを積極化し、海外のセレクトショップ向けの卸に注力。ファッションマーケット全体が縮小し、消費者の感度そのものが鈍っている日本に比べると、新陳代謝がある海外の方がポテンシャルは高いとの経営判断なのだろう。

 このパドカレがこの秋冬シーズンに向け、自社製作本の「パドカレ001」を制作した。こちらも世界マーケットを意識した「ブランドブック」という位置づけである。

 多くのメーカーがコスト削減で、販促ツールはタブロイド判のフリーペーパーくらいしか作らなくなった。ところが、パドカレ001は72ページもあって、ちゃんと背をもつムック本である。

 コムデギャルソンやヨウジヤマモトなどは、TASCHENやV&Aといった海外の出版社主導で、フォトブックを販売している。しかし、パドカレのようにいくら販促ツールとは言え、自社制作のブランドブックはここ数年、お目にかかったことはない。

 日本だと、せいぜいPenのような雑誌が「丸ごと◯◯◯」というようにブランドに1冊の誌面を買い取ってもらうようなタイアップ企画に過ぎない。そう考えると、ここまでコストをかけたブランド本は、国内ブランドでは異例と言える。

 ブランドブックの出版になると、やはり海外の方が進んでいる。とすれば、インターナショナルクリエイティブのブランドバリュウを伝える方法としては、当然の選択だったのかもしれない。

 編集内容は毎号、どこかの国をフィーチャーし、その地域のショップやそこで働くスタッフへの取材とともに、ブランドの魅力を伝えるという。1号目は、秋に路面旗艦店を出店するパリに焦点を当てたというから、力の入れようが違う。

 関係者向けに英語版と日本語版を制作したようだが、一定額以上商品を購入したお客にもプレゼントされるというから、筆者も何とか手に入れようと思っている。

 ファッション業界では、すっかりインターネットが浸透し、Webデザインが情報発信としても、あるいは仮想店舗が重要な販路を築きつつある。

 消費者の生活ではパソコンやスマートフォンを利用するのが当たり前の時代、ネット関連ツールがファッションでも主導権を握るという考えを否定するつもりはない。

 しかし、どのブランドメーカーもネットメディアをもつのが当たり前の今、フォーマットが決まっているWebデザインで、ブランド力にどこまで差を付けるか。コンサルタントを入れコストをかけて、SEOまで切り込んでレスポンス率を高めるのか。

 どちらにしても、ネットメディアが乱立してしまった環境を考えると、単なる情報発信や販売ツールとしての機能だけでは、限界が生じてくるのは否めない。

 ファッションのように触れる、羽織る、着こなす、着替えるという行為がお客に感動を与えるという点を鑑みると、至ってアナログな部分にこそ、ブランドバリュウを上げるヒントが隠れているのかもしれない。

 新品の服を手に取った時の触感や匂いと同じように、ブックにも紙の手触りやインク独特の匂いがお客の感性が刺激する。

 単に本を読むという行為だけでなく、所有して時にそれを手に取って何度も見る行為に、自分らしさを感じる読者は少なからずいるはずだ。

 それはアナログというリアルなものだからこそ、五感で直に感じられる世界だと思う。

 出版物は何も情報を得るだけのツールではない。生活の豊かさや感性の醸成など、デジタルでは決して味わえない、デジタルを超越したところで想像力をかき立ててくれるのだ。

 パドカレの商品を見ると、素材から吟味して企画しているところが如実にわかる。だから、現物の商品をショップで見て、実際に着て、そこからバリュウを感じてほしいというデザイナーサイドの強い意思が伝わって来る。

 ブランドが放つエッセンス、空気感、スタイリングという情報も、紙という媒体でのアナログ感覚だからこそ、わかる部分は往々にしてある。それがブランドバリュウを形作るということは、決して否定できないと思う。

 素材、デザイン、作り。すべてにクリエイティブな思想を絶やさないブランドだからこそ、ブランドブックはそれがわかる人々にだけにバリュウを伝えていくのだと思う。
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アッパーミドルは個を目指すべき。

2015-07-22 08:40:00 | Weblog
 ワールドやTSIホールディングスにおけるブランドリストラや店舗の大量閉鎖、オンワードHDのラオックスとの連携、ファイブフォックスの売上げ急落など、このところNBアパレルの中でアッパーミドルクラスの苦戦ぶりが目立っている。

 要因にはユニクロなど低価格業態の躍進、ザラやH&Mといったファストファッションの台頭、お客のファッション離れなど、いろいろ上げられている。しかし、筆者は根本原因を忘れてはいけないと思う。

 それは企画力の低下や原価率の圧縮で、「商品力」が落ちているということである。ここにメスを入れない限り、ネットなどの販路を整備したくらいで、こうしたアパレルが浮上することなど、あり得ないと思う。

 一般メディアはそこまで深く解説していないが、従来、ワールドは専門店系、オンワード、TSIとなる前の東京スタイルは共に百貨店系のアパレル(卸)だった。自社ブランドをワールドは全国各地の専門店に卸し、オンワード樫山や東京スタイルは百貨店のハコで販売した。

 TSIのもう一社、サンエーインターナショナルはキャラクターブランド系、ファイブフォックスはデザイナーズブランド系。

 この両社は駅ビルやファッションビルを中心に直営展開するSPA(製造小売業)の道を歩み、ワールドやオンワードも取引先の売上げ不振から追随していった。

 SPAシフトは、卸のような年2回の展示会営業、受注生産では、目紛しく変わるトレンドや嗜好の変化に対応できなくなったからだ。直営店にとって、シーズン半年前に見た商品を半年先に売れる自信がなくなったこともあるだろう。

 言い換えれば、SPAとは川下である小売りの店頭で売れる商品情報を川上の企画・デザイン部門にリアルタイムでフィードバックし、売れ筋の商品を素早く店頭に送り込むために導入したシステムなのである。

 そうすれば、できる限り販売や機会のロスを避けられ、効率よく売上げを上げられると考えたからだ。

 しかも、DCブランドブームの終焉、バブルの崩壊で、ファッションスタイルがカジュアル化すると、ミリ単位で変わる着心地やカチッとしたスタイリングのアイテムは、あまり求められなくなった。

 それよりも価格が安くて見映えが良く、そこそこのネームバリュがあれば十分満足というお客が大半を占めるようになってきたのである。

 それはアパレル側が素材開発やパターン製作に深く関わる必要がないことを意味する。つまりは企画デザイン、仕様開発から生地や付属品の調達、生産・管理、検品・物流まで、オール外注でも事足りるようになった。

 もう製造メーカーである必要はないってことである。

 生地の調達から生産、物流までのネットワークを持つ商社を間にかませると、アパレルの要望に十分対応してくれるし、OEM業者はブランドタグはそのままに布帛以外のニットやレザーまで、またODM業者はデザインそのものから、請け負ってくれる。

 さらに振り屋というアイテムごとに得意な工場を紹介してくれる業者まで出現した。

 アパレルメーカーとしては、ブランドさえもっていれば、後はスタイル画やイメージマップで、企画デザインの方向性や意図、商品の納期や販売価格を伝えるだけで、商品のサンプルが上がって来る。

 それを直営店やFCの店長、販売スタッフと一緒になって、売れるか売れないか、シーズンのMD計画にそって見せる商品、売る商品など検討し修正をかけて、発注をGoすればいいわけだ。

 大手アパレルと言えど、もはやこうしたシステムは当たり前。それがファッション業界の実態なのである。

 自社のスタッフをこき使って働かせ、労務管理上の問題が生じることもない。アパレルメーカーにとっては、ネットワークを持つ商社、OEMやODMの業者を介在させた方が商品づくりのプロセスは円滑に行く。

 またそれらがSPAが効率よく売上げをあげていく上で、適時、適所、適価、適品を投入するために不可欠な「スピード」も提供してくれる。

 ところが、商社、OEMやODMの業者は、クリエイティブ集団ではない。大半は手持ちのパターンにアパレルの企画を載っけるだけである。

 当然、アパレル側が企画デザインを安易にとらえ、外注任せにするだけでは、ブランドタグが違うだけで、どこかで似たようなものが生まれていく。

 大手通販サイトを見ると、一目瞭然だ。ブランドは違うけど、似たような企画、素材感、デザインが並んでいる。そりゃそうだ。アパレルが安易に業者に丸投げすれば、商品が同じ様になっていくのは、当たり前だからである。

 当然、商品を買うお客の大半は、企画、素材感、デザインが同じで、ブランド間の差別化が図られていないのであれば、少しでも安い方に流れていく。これが価格競争を助長してしまう。これもファッション業界の必然である。

 問題はそれだけではない。ユニクロやファストファッションといった低価格業態によって、アッパーミドルは値下げ圧力を受けてしまう。経営者が「うちとはターゲットが違うから」と言っても。そんなものは気休めにしかならない。

 経営者がいくらブランド力だの、店頭での接客サービスだの、差別化を口にしても、昨今のお客にとって、商品を購入する最大条件が価格であるという必然性は変えようがない。経営者もそれをわかっているから、価格で勝負せざるを得なくなっていく。

 と言っても、ブランドロイヤルティは守らなければならないから、販売価格は極端に下げられない。また人件費、家賃や広告宣伝費などのコストカットにも限界がある。

 ところが、業者を介在させている分、「中間コスト」はかかっているのに、荒利は十分に確保したい。全くわがままな経営政策が頭をもたげる。

 となると、行きつくのは素材や縫製といった「原価」になる。すっかりカジュアル化したマーケットを見ると、お客がさほど商品にこだわらないのであれば、経営者が「原価率を下げることは構わない」と判断するのは当然だ。

 DCブランド世代の筆者にとって、ブーム終焉し、さらにバブルが崩壊すると、商品レベルが格段に下がり、品質が劣化したのはファイブフォックスだと思う。

 郊外業態のコムサイズムは低価格業態だからしょうがないとしても、アッパーのボナチョルナータでさえ、往年のコムサデモードに比べると、クオリティは見る影もない。

 ワールドにしても、卸時代と今のSPAを比べると、商品の質は言わずもがなである。リザの売場で際立っていた商品を見て、触ったことのある人間からすれば、アンタイトルもインディヴィもリフレクトも、品質の低下は否めない。

 なでしこのオフィシャルスーツもワールドだった。ドイツやイタリアの男子チームのスーツと比較してしまうと見劣りする。契約だから仕方ない部分を割り引いても、サッカー強豪国と見比べると、選手のスーツさえクオリティは遠く及ばない。

 ファッション業界では、2008年のリーマンショック以降、アパレルの自社開発ブランドの原価率は2.5ポイント低下したと言われる。OEM商品ではさらに5ポイントほどダウンしているのは間違いない。

 以前、百貨店卸の原価率は40%前後あって、そこそこのクオリティをキープしていた。ところが、バブル崩壊後、さらにリーマンショック以降、百貨店は売上げの減少に歯止めがかからないため、荒利益をかさ上げして埋めようとして、アパレルに歩率の積み上げを求めていった。

 百貨店SPAはそれに応えるため、中間コストを吸収すべく原価を切り下げた。バブル崩壊後に33~35%くらいあった原価は、リーマンショック後には25%程度まで落ち込んでいると言われる。

 それは「中国生産に切り替えたからだ」と言ったところで、生地の質も落ちているのだから、言い訳にはならない。

 一方、メディアの中には、アッパーミドルのアパレルが不振を脱却するには、インターネット通販がカギになるというような論調もある。

 ところが、アパレル側がネット通販は販売員の人件費や店舗家賃がかからない分、原価率を上げて上質な商品を提供してくれるならまだしも、実際はそうではない。

 人件費や家賃をといったコストを削減することによって、アパレル側が利益を上げるだけしか考えていない面も見られる。それでは抜本的な解決策にはならないのである。

 またSPAで商品を量産し、店頭の販売が不振だから、在庫を消化するシステムとしてネット通販を機能させるのであれば、それはキャッシュフローを進めるためのアウトレット機能に過ぎない。

 今はブランド通販の「安さ」に引かれ、お客はネットで購入しているのかもしない。それは現物を手に取らない仮想状態だから、ある種の錯覚ビジネスに引き込まれているとも言える。気に入らなければ、ネットオークションで捌けばいいという心理も働くだろう。

 しかし、そもそもの製造原価が低いのだから、決してクオリティの高い商品が安く購入できているわけではない。現状では玉石混淆のネット通販業界だが、お客がそうした「まやかし」に気づいていけば、頭打ちになるのは目に見えている。

 アッパーミドルのアパレルが百貨店やファッションビルで苦戦しているのは、SPA化に頼りすぎて原価率を下げ、それが品質の劣化を招いたことに尽きるのだ。

 ただ、アッパーミドルと言っても、厳密な定義があるわけではない。メジャーなブランドアパレルを対象にプライス、いわゆる「売価」で決めつけているだけに過ぎないと思う。 

 販売価格には、外注先の手間賃など商品の価値を左右しない「中間コスト」が載っているわけで、厳密に売価から原価率を計算してみれば、ユニクロ以下ってところも少なくないと感じる。

 つまり、原価を圧縮すれば、ユニクロより質は低くなるのに、価格が高いままなら、いくらブランドを押し出しても売れるはずがないのである。

 現状、アパレルの経営者からは、ブランドのリストラや店舗閉鎖など、マイナスの政策しか聞こえてこない。でも、まず先に取り組むべきは、商品のデリバリーにおけるロスを少なくすることだ。

 そのための適正な在庫量を見極め、コストを低下させなければならない。あの紋切り型で売れもしないような店頭在庫に手を付けるのが先なのである。

 店頭で売れなければネット通販で、さらにアウトレットで消化すればいいなんて、素人レベルの単純発想で、不振や低迷を脱却できるはずもない。

 個人的見解を言わせてもらうと、商品のクオリティを上げること。もう安い商品はいくらでもある。

 ただ、今の原価率で、クオリティの高い商品ができるはずはない。だからロスを抑えコストを低減できれば、その分を原価を載せることができ、商品の質は上げられる。

 要は生地のレベルや加工始末を質を上げるべきなのである。さらに服をつくりたいデザイナーを抱えれば、隅々のディテールにもこだわれるし、ユニクロなどとの差別化も図られる。縫製は海外の技術力も上がっているので、それで十分だ。

 高い技術力をもつ国内工場を使いたいのであれば、工場側が求める工賃を受入れ、その分をコストを上乗せした「適正価格」で、販売するべきなのである。

 商品の価値を高めるには、自社にデザインと生産管理の部署を設け、素材の開発調達に力を発揮するテキスタイルコンバーターをパートナーとして加えることも必要だ。

 つまり、アッパーミドルのアパレルはリストラ策で規模を縮小させるなら、専門店系アパレルのような工場直発注型にシフトするのも一手ではないかということである。

 成熟した日本のファッションマーケットで、マスを攻略するのはグローバルSPAと低価格の量販チェーンで十分ではないのだろうか。

 残るアパレルは、単品企画を軸にしたMD構成で、クオリティアップによる差別化を図る。小刻みに隙間を狙う真の専門店戦略である。

 あとはお客さんが自由に選んでコーディネートすれば良いだけ。低価格やプレーン過ぎた商品に辟易している層もいるはず。アッパーミドルのアパレルが苦戦しているのは、そうした層が離れていったことも一因であるとすれば、なおさらである。

 アッパミーミドルの規模が縮小均衡し、個性的なアパレルが競い始めると、ファッション業界も少しは活性化するのではないだろうか。

 少なくとも専門店系マンションアパレル出身の筆者は、仕事では量を追わず、企画デザインと素資材で勝負できるレディスに携わっていきたい。

 ただ、メンズについてはよくわからないので、自分が気に入るアイテムを自分でデザインするだけ。とても量産する自信もないので、サンプル生産程度のものを作るしかない。この夏は、来春に着るレザージャケットを作ってみようと思っている。

 もちろん、上質な革を調達し、自らデザイン、パターン製作まではやっていくつもりだ。さて、中間コストを省いた工場ダイレクトなメンズアイテムとは、どんなクオリティになるのか。まず隗より始めよということ。出来上がりが楽しみである。
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こじつけ企画も頭打ち。

2015-07-15 07:05:34 | Weblog
 先日、夏休み恒例の「福岡アジアファッション拠点推進フォーラム」の案内が届いた。期日は7月29日水曜日、午後2時から1時間半で開催されるようだ。

 例年通り、二部構成で、第1部は活動報告と今後の取り組みなど、第2部が「民間から始まる、福岡大名と台北東區地区のエリア交流」と題した講演になっている。

 今年は会場がホテルの大広間から貸しホールに変更された。バーニーズが入るリソラ天神階上の多目的ホールである。

 変わった一番の理由は経費面だろう。またフォーラム後に企画されていた懇親会に参加者がほとんどなかったせいもある。それに推進会議としては「他社にも仕事を出さないと」という配慮もあるから、当然である。

 活動内容の報告については、昨年度末の3月に開催した「ファッションウィーク福岡2015/FWF」とそのしんがりを務めた「福岡アジアコレクション/FACo」を除けば、大したものはない。

 ほとんどの事業予算が年度末に行われるFWFとFACoと費やされているわけだし、後は民間の活動を推進会議が広報しているに過ぎないからである。

 ただ、ファッションウィークと言っても、ミュージシャンやタレントによる「客寄せイベント」で、ファッションとは何ら関係ないものに大半の事業費を費やしている。

 昨年から企画を代理店のHに丸投げし、本来のファッション事業とは大きくかけ離れ、いわゆる糸へんビジネスへの経済効果を図るものでない。

 そんな事業内容を業界からの批判を避けるため、メディアを使ってことさらにファッション事業っぽく広報したに過ぎないのである。

 高島市長が申請にした特区の利用も、福岡県からの予算に限りがあるから、抱き合わせて利用しただけだ。来年からは「かわいい区」の事業費はない。まあ、水面下ではあれこれ別の事業をでっち上げ、予算を獲得しようという魂胆は渦巻いているだろうが。

 唯一、注目すべきは「期間中に参加店舗から、総額1000万円のボーナスがもらえる」というポイント還元も盛り込まれたことだ。これにどれほどの実績があったのかが、一番興味深いところである。

 しかし、売上げに関わる数字は参加店舗の秘匿情報だ。また、利害関係者にすれば、店舗から「大した効果はなかった」と言われる方が失笑ものである。

 企画運営委員長にとっては、「自らに不利な情報は出さない」方が好都合だから、信憑性のある報告がなされるとは思えない。

 それは福岡アジアコレクション/FACoについても然り。RKB毎日放送がプロデュースしているとは言え、関西コレクションの劣化コピーと化しているからだ。

 ファッションウィークにおけるメディアの取扱いでは、FBS福岡放送が夕方の「情報番組」、めんたいワイドで、行われたイベントの模様、商工会議所担当者のインタビュー、専門学校生やスタイリストを事前取材のVTRが目を引いたくらいだ。

 ただ、10分程度の内容だったところを見ると、おそらく有償のタイアップと思われる。テレビ局にとって「電波」は商品だ。ニュースならともかく、自社制作のドル箱情報番組で、10分もの枠をタダ売りすることは考えにくい。

 これを見ても、ファッション事業と言いながら、RKB同様にメディアに資金が流れるという構造がますますエスカレートしている。地元ファッション事業者が直接的な恩恵を受けることなど、ほとんどないと言っていい。

 とすれば、結果的に「総額1000万円ボーナス」は、少しは効果を発揮したのだろうか。報告の信憑性は毎度のことながら疑わしいが、「プレミア商品券」が各地で大人気を呼んでいることは多少なりと効果はあっただろう。

 地域によっては早朝から長蛇の列ができたり、代行購入で数百万円も買っていくお客がいるなど、混乱も生じている。

 購入できる商品はファッションアイテムとは限らないが、福岡市も参加店のカテゴリー調整に苦労した末にようやく腰を上げ、今年は「NEXTプレミア商品券」を売り出す。

 ただ、これにしても募集対象店舗は小売り全般、飲食、宿泊施設などと広範囲になっている。12,000円分の買い物が1万円でできるが、換金手数料に1~2%が徴収される。 予約販売、事前登録が必要で、すでに6月21日で締め切られている。

 お客にとっては予約しないと買えないし、店舗側は登録をしないと対象店にならない。市側が地元事業者にどこまで広報し、周知されているのか。ファッション事業者がどこまで参加するのか。お客がお目当てのショップで使えるのか。課題は少なくない。

 まあ、利用できる店舗はファッション関係の店舗に限定されるわけではないが、これまでの陳腐なイベント企画に比べると、少しは地場業界に貢献すると思われる。おそらくフォーラムの「今後の取り組み」で、企画運営委員長の御仁が何らかを語るだろう。

 今回のフォーラムで注目すべきは講演会だ。テーマは「民間から始まる、福岡大名と台北東區地区のエリア交流」となっている。

 講師は2名で、1人が地元でスタイリング雑誌を発行する編集者と、もう1人が「GANSTA CREATIVE DESIGN CO.,LTD」という企業で、ストリートファッションをデザインする台湾人のデザイナーである。

 案内にあった社名は、GANSTAは間違いで、GANGSTAの方が正しい。講演というより、編集者とデザイナーによるファッションエリアをテーマにしたパネルディスカッションに近いのではないか。

 フォーラムの開催日は平日の午後。業界関係者が参加できるような時間帯ではない。だから、集客には姑息な手段が取れられきた。ここ数年は確信的に専門学校生を惹き付けるようなテーマ、講演者をブッキングして、動員をかけている。

 そのため、企画運営委員長やFACoプロデューサーの利害でしか考えていない人選には、多くのファッション関係者が閉口しているのも事実だ。大した効果も無く、使える経費にも限界があるから、今回はこの両名に落ち着いたというならなおさらである。

 講師を務める編集者が発行するスタイリング雑誌にしても、地元の業界関係者なら多くが知るところ。だが、地元では全く知名度のない台湾人デザイナーより、プロフィールが詳しいところに違和感を拭えない。

 Windows版のwordで制作した案内状がMacと互換性がないため、レイアウトがグチャグチャになるとはいえ、日本で無名の台湾人の横顔を詳細に紹介すべきじゃないのか。この辺も主催者のいい加減さが窺い知れるということだ。

 穿った言い方をすれば、すでに休刊しているとは言え、マガジンハウスの「Hanako」での編集経験を取り上げるあたりは、いかにもミーハー学生が飛びつきそうなこと。この辺にも企画運営委員長の思惑が透けて見えるのである。

 それにしても、テーマが今のファッションビジネスにおいて的を射ていればいいのだ。しかし、それにも?がつく。これも、大名地区に憧れるミーハー専門学校生に振ったものであるのは想像に難くないからだ。





 この編集者はかつての大名小学校裏手の古ぼけたマンションの一室に編集部を構えていた。日々、ストリートファッションを着飾る若者に目を向けられるので、スナップ撮影には好都合だからだろう。

 ならば、大名地区に事務所を構えて20年の筆者と同様に、街の栄枯盛衰はわかっているはずだ。

 大名地区では、一昨年秋にコムデギャルソン福岡店が移転し、今年春先にはビームス福岡店もパルコ新館に移った。他にも退店するファッション業態は後を絶たない。また新規出店のペースは年毎に鈍っている。

 コムデギャルソンの店舗あとは、約1年半の空き家状態を経て、コスチュームナショナルの日本法人CNジャパンが土地ごと買収したと言われ、5月に福岡店がオープンした。そして、この夏には2階にバーがオープンするようで、内装業者が出入りしている。

 ラグジュアリーとまではいかないまでも、小ぶりなショップの出店もあるにはある。だが、顧客でもつコムデギャルソンはともかく、ビームスがリロケートすることを見ても、大名はすでにかつてのような若者を集める力は、なくなっているということだ。

 さらにコムデギャルソンより立地条件が良いビームス後に、未だに出店がないところを見ても、地盤沈下の割に家賃は下がらないということ。つまり、若者を対象としたファッションエリアとしてポテンシャルは、すでになくなっていると言っていいだろう。

 専門学校のファッション部長を務める企画運営委員長にしてみると、自校のミーハー学生にビジネスインキュベーションの機会を与えなければならない。となると、大資本が中心の天神や博多駅、郊外SCでは無理である。

 この御仁はこれまで大名の花形館、RKB跡地のヴィヴィ福岡、イオントップバリュコレクション(ルート80)のFACoコラボと、学生にビジネス機会の提供をしてきているが、ことごとく軌道に乗せられず尻すぼみに終わっているからだ。





 一方、ビジネス感度が低い専門学校生は、ローコストでショップ展開ができるような知名度のないエリアなど眼中にない。となると、天神の隣町で、多くの若者が知る「大名になってしまう」ということである。

 もっとも、ファッションビジネスの実務として基礎知識を勉強していない専門学校生が、講演を聞いたくらいで大名に新たなビジネスの可能性を見いだせるはずがない。

 まず大名のようなストリートエリアでショップを展開するための収益やコストといった会計の基本を学んでいない。スタッフなどの採用や管理、マネジメントの進捗と乖離に伴う修正、コミットメントなんてほど遠い話だろう。

 大名というエリアで今後どんなファッションを発信すれば、マーケットを開拓できるか。マーケティングとして地盤沈下が激しい市場を捉えるポイント、お客さんというターゲットの分析などの知見があるとも思えない。

 さらに天神や博多駅、郊外、そしてネットなどのコンペティターがいる現在の競争環境において、それに対する理路整然とした自店の戦い方とは何かなど、微塵も考えていないのではないか。

 ファッションリテラシーのない若者を対象に「民間から始まる、福岡大名と台北東區地区のエリア交流」というテーマで、一介のスタイリング誌の編集者や台湾人デザイナーが何を語りきれるというのか。

 そんなレベルで地元ファッションビジネスの到達点なんか見えてこない。単なる安っぽい、中身のない内容にしか終始しないだろう。つまり、フォーラム事業自体が企画運営委員長とRKBのFACoプロデューサーのやっつけ仕事に過ぎないということである。

 いかにもミーハー学生を惹き付ければいいだけの講演会で、本当に若者がビジネスを展開するためのリソースではないことがよくわかる。

 台湾人デザイナーにしても、大名の現状など細かく分析しているわけではないだろう。アジア諸国との交流の中で、イメージ先行で福岡大名というエリアに目を向けたところで、ビジネスが成功することなどありえないのである。

 作っている商品を見ても、すでに日本のでは見向きもされないテイストだ。正直、ダサい。この程度のレベルが大名、いや日本のショップで売れると思っているのなら、あまりに日本のファッションマーケットをバカにしていると言わざるを得ない。

 講演のテーマはもちろんのことだが、商品そのものでさえ、業界人が飛びつくようなものではない。まず、バイヤーはつけるのに二の足を踏むだろう。

 仮に仕入れたにしても、日本では若者自体が減っていて、買い物にも慎重になる中で、かつての裏原ブームのようにバカ売れすることはありない。

 まあ、スタイリング誌の編集者が台湾版を発行したことで、今回のダブルキャストが実現したのはわかる。しかし、雑誌メディアが一介の台湾人デザイナーと交流したところで、大名にファッションエリアとしてのポテンシャルが復活することなどありない。

 企画委員長を中心に無理やりこじつけたチンケなテーマなんて、福岡大名のをフォーカスするもの、つまりはファッションムーブメント足り得ないのである。

 現大名雙葉小学校の裏手、編集者のかつての事務所の階下隣が衣料品ではなく食品業態であること。週末には、料理音痴の女子たちが俄人気のスウィーツ目当てに長蛇の列を作ることetc.

 それもドーナツ、フレンチトーストと次々に代わるところを見れば、わかりそうなものである。いや、事務所を薬院に移した時点で、わかっているはずである。

 そもそも、利害関係者がただ自分たちの身入りになればと考える程度の事業において、秀逸で卓越した企画力が発揮されるとは思えない。高島福岡市長以上に、企画運営委員長の脳みそも限界値に達したようである。おっと、それは最初からだろうが。




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紙だってブランド化で生き残る。

2015-07-08 13:36:36 | Weblog
 ウェアから雑貨へという軸足の流れから、国内外、大小、異業種混合で、新業態が開発されている。取り扱う商品もアクセサリーからホーム、キッチン、ステーショナリー、コスメ、バス、レジャーと様々だ。

 OEMやODMといった商品開発のシステムも整い、アジアや東欧、南米とった生産基地側の競争激化で、あらゆるアイテムに対応してくれるようだ。

 価格がチープということが受け、さらに100円ショップなどが入り乱れて、ファッション性のみならず、アイデア商品や機能性追求など、いろんなベクトルで勝負する業態も登場している。

 まあ、世界的な不況や節約意識の浸透からか、かつてのように雑貨が「ギア」として存在感をもつよりも、消費されるものだから賢く使うという考えの方が強いように感じる。欧米の合理的な思想が世界的にも雑貨の潮流なのだろう。

 ただ、あまりにいろんな業態があり溢れすぎて、店頭のアイテムやその出来映えを見ると、そろそろ出尽くしてきたかと思う。

 ほとんどが商品はオリジナル生産か、製造委託をしているため、為替の変動や製造コストの上昇で、利益の確保が厳しくなっている。そのため、ビジネスモデルや商品づくりで効率追求に腐心してところなどをみると、それもいたし方ないのかもしれない。

 これだけ業態が溢れると、消費者の目も肥えて来るだけに、もっとお洒落、もっと使いやすい、もっと便利と要求は厳しくなる。それに対する妥協点は個人差があるだろうが、筆者は価格は5割増しでも良いから、少しは「規格外」も加えてほしいと思う。

 先日、取引先に郵送する封筒で、定型より大きめのものが必要になった。事務用の茶封筒や白地封筒では、郵便番号の罫が入ったものはいくらでもある。

 しかし、デザイナーが自分のクリエーションの延長線上で、ビジネスフォームに利用できるようなものは、市販されていない。

 バブル期にはブランドメーカーがポストカードやビジネスカード、レターヘッドと一緒に、ロゴデザインのVIを図っていた。

 そこでブランドオリジナルの封筒も、「製袋」していたのである。ブランド価値を顧客に伝えるには、 クリイティブなビジネスフォームに統一するのは重要な要素だ。もちろん、その分の経費も十分に回収できたから、怯まずに作っていた。

 ところが、バブルが弾け、低成長が続き、コストダウンや効率追求で、商品本筋ではない、プロモ用のビジネスフォームにはカネがかけづらくなった。名刺一つとってもパソコンで簡単にプリントアウトできるくらいだ。

 さらにインターネットの浸透や環境保護の観点から、ゴミになる印刷物は削減される傾向にある。それがプリント関係で食ってきたグラフィック関係者の仕事を縮小均衡させている点は否めない。

 ただ、知り合いの紙問屋によると、「デジタル時代の技術革新により小ロット印刷に対応できるようになり、質感のある紙へのニーズは高まっている」という。筆者も上質で組織に特徴がある生地を好むの感覚で紙にも接して来たので、全く同感である。

 それが気軽に市場に出回れば良いのだが、現実にはそう簡単にはいかないようだ。これだけ欧米を含め雑貨店が登場しているのだから、封筒や便せんでも規格外サイズや手に馴染む質感の良い紙があっても良さそうだと、思いながら探すがなかなか見つからない。

 定型サイズより少し大きめの封筒を探しまわると、デザイン関係者には馴染みのある製紙メーカー「竹尾」がDresscoというブランドで、ENVELOPE GRANDシリーズを発売していることを知った。

 サイズは天地157mm、左右230mmで、市販の封筒にはないイレギュラーサイズである。これなら大きめのDMも楽々入るし、キャビネ判の写真を送ることもできる。

 竹尾の紙だけに質感も申し分ない。送料に120円かかるが、大量に送るわけではないので、経費とすればたかが知れている。

 ファッション業界はともかく、商品をブランド化する上で、クリイティブなビジネスフォームに統一するのは重要な意味を持つ。

 ショップの店頭に置いたり、顧客に送付するポストカード、スタッフが名前やショップの連絡先を教えるビジネスカード、お客にお礼状を出すレターヘッド、いろんな情報を伝えるPOP、経費をかけたフォトブックなどだ。

 いくらネット販売が充実とは言え、店舗にショッピングに出かけて来るお客が無くなることはない。そうしたお客に強烈なブランドバリューをすり込むには、アナログツールも不可欠だと思う。

 それらにおいて、エッジの利いたリテイルグラフィックに切り込む。そして、顧客に目で見て、手で触れてもらうために、紙の色や質感にも気を配る。これはやはりアナログの感覚でしかだせない。特にもらった方の気持ちが違うだろう。

 まあ、こんなもん、わからない人間にはわからないのだから、伝わる人にだけ伝えればいいだけの話だ。筆者はマンションアパレル時代にそんな仕事もしていたから、ずっとその感覚が抜けきらない。

 ある晴れた日の日曜日、表参道でプロモーション用の撮影をし、その写真をもとにトレーシングペーパーを使ったフォトレターをデザインしたことがある。自分なりにあまりに出来映えが良かったため、個人的に流用して高校や大学の友人にまで送ったほどだ。

 まあ、服づくり以外にそんな仕事もしてきたもんで、フリーランスになってもコストダウンのご時世ながら、ステーショナリー選びでもなかなか妥協できない。

 クライアントに請求書を送る封筒一つにしても、ブランド戦略をだぶらせてしまい、市販の定型サイズでは満足できないのである。

 先日、購入した竹尾のDresscoは、紙質、手触りとも申し分ないのだが、白地の封筒がなく、厚めでプリンターを通せないことが唯一の難点だ。 薄くするとIT対応は可能だが、質感が損なわれてしまう。この辺が紙屋として微妙なところだろう。

 まあ、それをクリアするには製袋するしかないのだが、製紙業界もデジタル時代を捉えつつ、逆にそのアナログな製品も進化させる。

 そのバランスを上手く取り入れるブランド紙が、ファッションやデザインのクリエイティブビジネスには不可欠だと思う。紙も生地と同じ面があるということである。

 もちろん、当事務所としてもそれを十二分に知った上で、コストとのバランスを考え、住所シールを貼るなどで妥協したが、自分なりには様になったと思う。 CIイメージも訴求できるので、当分は利用していきたい。

 クリエーター気質から封緘シールは、シャープなラインを出したいから、トムソンで型抜きしたものを使いたいのだが。もっとも、今日は1枚から印刷できるという点で、アナログのビジネスフォームも隔世の感があることだけは確かだ。

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SPAに頼らないMDに期待。

2015-07-01 13:29:51 | Weblog
 7月に入った。博多の街は祇園入りで、各地域では一斉に飾り山づくりが始まった。各流れの当番はお汐井とりに出かけ、ご神入れが終わると舁き山の管理と、15日までのぼせの日々が続く。

 わが大黒流れには櫛田入り、追い山では是非、トップを飾ってほしいものである。

 山笠の話はこのくらいにして本題に入るとしよう。博多駅前の飾り山と並んで、その風貌を表したのが、福岡では地域5番店となる百貨店、「マルイ博多」。日本郵便が運営する再開発ビルの1階~7階に出店する売場面積1万5,000平方メートルの店舗である。

 マルイと言えば、われわれの世代にとってはパルコや東急ハンズと並んで親しみのある業態だ。百貨店ではあるが、対象がヤングであったため、クレジット事業を強化し分割でファッションを購入できるようにしていた。まさに「好きで、いっしょで。」だ。

 80年代のDCブランドブームでは、ファッションビルと並んでマルイがその牽引役を担ったといって間違いない。その後、90年代には郊外店ではファミリーをターゲットに、食品まで品揃えするなどフルラインに舵を切った。

 だが、都心の店舗ではヤング狙い重視の戦略は変わらなかった。ファッション衣料が中心で、成熟した大人を捉えるまでにいかず、苦戦していたように感じていた。実際、筆者もこの頃からほとんど利用しなくなった。

 それを変えたのが2007年に開店した有楽町マルイではなかっただろうか。

 ここではMDがファッション衣料以外にも広げられ、従来は商品が詰め込まれて圧迫感のあった売場がずいぶん開放的になった。什器や棚などもマルイオリジナルで作られ、通路に置かれた椅子にまでカネがかかっている印象を受けた。

 靴売場で試着する際にちょっと腰掛けるソファでさえ、座り心地が重視されるなど、とにかく顧客満足を得ようとマルイの本気さが伝わってきたのである。というか、百貨店経営はそこまでの次元で勝負する時代に入ったとの印象だった。

 マルイが有楽町店で、こうした店づくりに生かしたのが、「お客の声」。マーケティングリサーチと言うと、「それくらい他社もやっている」と突っ込まれそうだが、マルイが断行したのは、「真摯にお客の声を聞く」ということである。

 マルイサイドがわかっていそうで、本当はわかっていなかったこと。また、わかっていても、改善や修正に二の足を踏んでいたことなど、百貨店経営に対し何の利害もないお客からのストレートな「意見」に耳を傾けたのである。

 筆者もそうだが、お客がマルイを利用しなくなった最大の理由は、DCブランドブームが去り、ファッションがカジュアル化、普遍化したのに、依然として服偏重のMDに固執していたことである。

 カッコいい服を着てきたお客にとっては、売場に並ぶ商品に何の面白みを感じられなければ、マルイに買いに行く必要もない。不便でもブランドの旗艦店の方に足が向くはずである。お客の声も大半は「マルイって服だけじゃんか」だったと思う。

 とすれば、マルイが進むべきは、衣料一辺倒からの脱却でしかなかったということだ。有楽町のように大人が闊歩する成熟した市場では、客層の目も肥えている。百貨店系アパレルの商品レベルや感度で満足するはずは無い。

 マルイはファッションという切り口を広げ、雑貨や食材などまでのライフスタイルで捉えることで、MDを形作っていった。これが当たって新しいマルイ像ができ上がった。

 丸井は有楽町店の手応えを成功体験に、その後の京都出店、さらに来春の博多店オープンでも、お客の声を参考にするという手法を踏襲したのである。

 マルイ博多は丸井の政令都市展開という戦略から、2013年10月に進出が決定された。

 天神にはすでに3つの百貨店がひしめきあう。博多駅前でも博多阪急が定位置を確保した。マルイ博多は言うなれば、地域5番店ということだ。それでも、九州の玄関口、アジアからのインバウンドは、よほど魅力に映ったようである。

 丸井は有楽町店での手応えと自信を胸に、14年5月、丸井は福岡市に開店のための事務所を開設。8月からは「店づくりに関する企画会議」をスタートさせた。地元に住むお客から参加者を募り、店づくり対する忌憚ない意見を集める場を設けたのである。

 その場所が博多区の奈良屋町だ。折しも始まった博多山笠の区割りでは、土井流れのエリアにあたるランドマークである。先遣隊のスタッフは開所早々、周囲のオフィスや店舗がこぞって舁き山に勢い水をかける姿には、圧倒されたのではないだろうか。

 一方、丸井はネット上でも「コミュニティサイト」を開設し、地域との情報共有を図るなど、地元密着の意気込みを示している。

 筆者は長らくファッション業界で仕事をしてきているが、マルイ以外に開店準備でお客の声を聞こうとした百貨店は思い当たらない。

 岩田屋がZサイド開業に際しては、何人もの社員をNYでのリサーチに派遣した話は聞いたが、でき上がった店舗はブルーミングテールズにも、サックスにも、はてはバーニーズにも似ても荷つかないアパレルどっぷりのMDだった。

 経営者は堂々と「商品の買取」まで公言しときながら、メーカーへの配慮からセール時期は他店と同じという中途半端な政策が禍して、破綻、私的整理ガイドラインの受入れ、中牟田一族の経営退任という憂き目にあってしまったほどである。

 福岡三越に至っては、本店で起こった岡田茂事件の影響は薄れていたものの、出入り業者にカード会員獲得や内覧会のアテンドまでさせる始末。スキャンダル事件は何の反省、学習にはつながらず、越後屋商売という土壌は脈々の受け継がれていると感じた。

 こうした既存百貨店と対峙する丸井は、5月には建設中の店舗から目と鼻の先の博多駅前に開設準備室を開設している。オープン準備は佳境に入ったということだ。

 おそらく、これまで数千名のお客から意見を収集したであろうから、それをもとにしてリーシングするテナントとの最終交渉の段階に入っていると思われる。

 これから内装工事に入り、少しずつかたちがハッキリしていくだろうが、何せ福岡、九州ではほとんど知名度のない百貨店である。反面、これまでの百貨店進出が期待はずれだったお客にとっては、新鮮な気持ちで迎えられる。

 丸井側も博多、福岡といったコアとなるお客の気質は、まだまだわかりかねているのではないか。価格に対しては大阪ほどシブチンではないが、デフレ禍の影響でコストパフォーマンスの良い商品が求められるのは全国的な傾向である。

 ファッションに限って言えば、 ワールドが16年3月をもって400~500店を閉店することを併せて考えると、もうSPA系のブランドは必要ない。当然、お客からもそうした声は出ているはずである。

 既存の百貨店にもない、郊外SCやグローバルSPAにもない、商品が見つかるかどうかわからないが、アパレルの隅々にまで張り巡らせた情報網を駆使して、バイヤーが探し出してくれることを期待したい。

 また、お客の半分は東京発である丸井の若々しい感性で、セレクトしたアイテムに期待感を寄せていると思う。「福岡だから少々ダサくても、ブランドを置けば売れる」と考えるような殿様商売は通用しない。丸井とてそんなことは、微塵にも感じていないと思う。

 あとは現状のファッションMDにどうソフト力を組み合わせるか。お客の意見収集はオープンすれば終わりではなくて、継続して収集されていくはず。開業後に行われる新たなイベントの仕掛けや賑わい創出などでは、それの格好の舞台になる。

 もっとも、マルイ博多は百貨店であり、小売業だ。集客イベントや各種プロモーションも大事だが、個人的にはお金を出してももらいたい袋や包装紙、各種ビジネスフォームなんかにも、ブランド浸透のカギがあるような気がする。

 また、天神で完結するファッションの中で、足りないものが一つでもマルイ博多にあるのなら、成熟した大人が足を運ぶ可能性は高い。それはステーショナリー、靴、アクセ、グッズ、そしてレアな食材とそうした食生活を演出する小物ではないか。

 チープでナチュラルなグッズは郊外店に譲るとして、大人がライフスタイルをお洒落にスタイリッシュに演出できるアイテムが百貨店ファッションの真骨頂ではないか。それには大いに期待したいし、更なるお客の声が反映されると思う。

 すでに代理店が開業キャンペーンのアカウントを得るために、営業攻勢をかけているはずだ。毎度、百貨店がオープンする時は、花屋が代理店の名前が書かれた胡蝶蘭を届ける姿を見かける。同じ光景はマルイ博多でも想像に難くない。

 ただ、成熟したお客が子飼いの制作会社やクリエーターを使ったプロモーション程度で、簡単に集客されるような時代ではない。それは丸井が何よりも知っている。

 イベントやプロモーションなんかのレベルではなく、行きたくなる店とはまず環境である。そこに一番のコストが割かれて然るべきである。

 場所柄、博多駅は早朝から深夜まで人の通行が絶えない。そうした人々が買い物はしなくても、立ち寄りたくなる店が集客のいちばんのポイントだと思われる。

 計画では売場面積は1万5,000平方メートル。これまでの百貨店の中でいちばん小ぶりだが、売れもしないようなアパレルブランドやSPAでスペースを稼ぐことも無くなり、お客の視点に立ったアプローチが可能になる。それだけ店作りしやすいということだ。

 あとは足下と広域の商圏を想定して、いかにバランスの良いMDを作りあげることができるか。マルイ世代としては期待に胸が高鳴る。
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