HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

ブームが終わった後が本当の勝負。

2014-02-26 15:19:01 | Weblog
 博多で生まれ育ち、東京、海外と仕事をしてきて、その違いを感じるのは、博多には美味しいお菓子が多く、しかもほとんど外れがないことだ。特に今年は大河ドラマ「軍師 官兵衛」の影響で、地元菓子舗では関連商品が続々と企画されている。

 でも、菓子舗間では「千載一遇のチャンス」「ブームには乗りたくない」と、温度差があるのも確か。どちらにせよ、すでに藩祖官兵衛ロングバーム、官兵衛の赤かぶと、官兵衛の赤合子などが売り出されており、第二、第三の商品も近々発売されると聞く。

 いちばんの課題はブームが去った後も、売上げをキープできるか。また、ネーミングやパッケージは変えるとしても、いかに定番化していけるかだろう。これには各社とも、いろいろ熟慮しているようである。

 翻って、ファッション業界はどうか。アイテムデザイン、業態開発、出店政策。最近はじっくり企画を練って作り込む商品は、なかなか見当たらない。

 業態も海外ブランドのリーシングか、売れ筋テイストの後追いが主流で、手っ取り早く売上げがとれるものに偏っている。出店は都市部、郊外を問わずビルインばかりで、路面展開にはごく一部の個店を除き、ほとんどお目にかかれない。

 商品は流行を追いかけ、マス化してブームになった時にいちばん売上げがとれる。所詮、「誰も着ていない服は、着る気がしないし、誰もが着ている服も、着る気がしない」。それが消費者の心理なのだから、しょうがない面はある。

 でも、業態についてはオープンからいきなりのロケットスタートは狙わないとか、1年目、2年目と徐々に売上げがつくような開発手法をとっても、いいのではないだろうか。

 特に「小売り」、純然たるセレクトショップなら、出店時にMDの完成度を70~80%くらいに止めておく。そして、お客の様子を見ながら修正を施し、時間をかけて作り込むことはできるはずである。

 出店政策と絡めば、なおさらだ。大型商業施設の開発計画が持ち上がると、判を押したようにブランドのハコが集められる。そして、出店した以上は、オープンからひたすら売上げを取ろうとする。特にデベロッパー側はその意識が強い。

 でも、開業景気が終わった途端に失速していく業態も後を絶たない。グローバル競争に撃ち勝つには「スピード」が不可欠なことはわかるが、拙速で売れ筋狙いの商品企画や品揃え、店づくりでは、同質化は否めない。結果、お客にすぐに見透かされてしまうのだ。

 商品開発をブランドで仕掛ける場合、後からテイストを変えるのは難しい。でも、ヤングを狙ったつもりがヤングミセス、あるいはマインドの若い30代を捉えるケースは、往々にしてある。だから、デザインの修正や質感のアップなら十分可能なはずだ。

 セレクトショップでは、別注で仕掛けることもできる。品揃えのニュアンスが変われば、そのまま業態の変化にもつながる。店舗のリロケートとまではいかないが、ターゲットが変わっても売上げが伸びると、デベロッパーは残ってほしいはずである。

 3月1日、開業3年目のJR博多シティが「アミュウルトラリニューアル」と銘打ち、97店ものテナント入れ替えて再登場する。案の定、ここも開業景気が沈静化した2年目には売上げが下がったわけだが、デベロッパーは想定の範囲内と言い張るかもしれない。

 ただ、開業時の顔ぶれを見ると、ファッション業態はNB、有名セレクトショップを中心にリーシングされていた。天神とバッティングするブランドも多く、テイストが被れば開業景気が去ってしまうと、テナント個々の苦戦は免れなかったようだ。

 今回のリニューアルで、後背の旧デイトスで永年、独立独歩の営業を行ってきた地元の「某セレクトショップ」が、「アミュプラザ博多」にリーシングされた。リロケートされただけだから、運営が共通するデベロッパーの総売上げに変わりはない。

 でも、インポート&別注で構成するMDが特徴のセレクトショップは、「博多の顔」とも言うべきアミュプラザ博多には、なかった業態だ。

 デベロッパーにとっては「最初から入れておけば良かった」「しびれを切らした」わけでもないだろう。でも、結果をみれば、紋切り型のNB、SPA化したセレクトにはない秀逸なMDの業態が「喉から手が出るほど欲しくなった」ようにも見てとれる。

 地元セレクトショップが大手にはない品揃え&店づくりを提供するのだから、何とも皮肉は話である。これは決して事実誤認ではないはずだ。

 このショップは旧デイトスでも以前の業態からずっと好調で、セレクトショップに変更してもそれを維持してきた。今回のリニューアルで博多の顔に移り、名だたるNB相手に勝負を挑むことになる。もしかしたら、さらに売上げがアップするかもしれない。

 また、バーゲンセールを一切行わないことでも有名だ。バーゲン期間中に他店が割引一色の中、この業態は淡々とプロパー営業を続ける。デベロッパーはアミュプラザ小倉で経験済みのはずだが、博多を訪れる一見客には意外に映るだろう。

 まあ、一業態くらいでは、セールの問題などでNBに影響を与えるほどではない。でも、こうした業態が博多の顔に登場したことは、駅ビルにとってブームが終わった後が本当の勝負になることを如実に表していると思う。
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デザイナーにマネジメントは必要か。

2014-02-19 15:03:55 | Weblog
 前回のコラムで、ファッションウィーク東京の冠スポンサーがメルセデス・ベンツ社だということを書いた。理由は事業に対する国の支援が2010年で終了したことで、コレクション事務局が運営に窮し、助けを請うた米国の「IMG」がメルセデス・ベンツ社を連れてきただけという。

 筆者はメルセデス・ベンツ社だろうがどこだろうが、スポンサーについた意図や目的に大して興味はない。東コレにしても運営していく上では、谷町やご贔屓筋を選べる余裕なんてないだろう。むしろIMGがファッション事業に乗り出したことに興味があるので、書いてみたい。

 IMGとは、いったい何ものか。作家のC・W・ミルズが著書「パワーエリート」の中で、その一翼を担うセレブリティ(著名人)に有名スポーツ選手を上げている。そして、彼らは「パブリシティバリュ=メディア価値を持っている」と、見事に言い当てた。1956年のことだ。その辺にIMGが誕生する素地があったと言えるだろう。


 1960年、有名スポーツ選手に大きなビジネスチャンスを感じた一人の米国人青年がいた。名前をマーク・マコーマックという。名門エール大で法律を専攻したことで、スポーツ選手の「肖像権」に目を付け、契約代行、いわゆる「エージェント業」を始めたのである。

 つまり、この人物は選手のマネジメントを行えば、スポーツビジネスの元になる「権利の源泉を押さえる」ということに目を付けたのだ。そして、その才覚はそれを莫大なカネにする野望に昇華していったということである。

 まさに今はソチ五輪の真っ最中。浅田真央、キム・ヨナといったトップアスリートはみな、スポーツエージェントがマネジメントを行っている。言い換えれば、エージェントがあってこそ、選手活動が行え、メダルに手が届くのだ。そのビジネスシステムをマーク・マコーマックは、50年以上前に考え出したのである。

 マコーマックはエージェント業に参入すると、すぐにゴルフ界のスター・アーノルド・パーマーと契約を結ぶことに成功する。これを下敷きに、インディアナ州のクリーブランドに設立したのがIMG(International Management Group)社だ。あのポロシャツについた傘の「ワンポイントマーク」は、同社があってこそブランド化され、レナウンもライセンス契約が結べたと言っても過言ではないだろう。

 ニック・ファルドも、グレッグ・ノーマンも、同社と契約したからこそ、ゴルフ界で活躍できたと言われるほどだ。昨今ではタイガー・ウッズをはじめ、サッカーのロナウド、テニスのピート・サンプラス、ビーナス・ウィリアムス、マリア・シャラポア、MLBのデレク・ジーター、F1のミヒャエル・シューマッハーなど、今をときめくスター選手は、みな同社と契約をしている。 石川遼についても、海外ツアーでは同社がサポートするほどだ。

 また、全英オープンゴルフや全米オープンテニス、ウィンブルドンなどのスポーツイベントの企画運営も行っているから、冠スポンサーの獲得も仕事のうちなのである。スポーツだけでなく、ファッション事業にも進出し、米国でNYコレクションのマネジメントでも実績を収めていたのだから、東コレに請われた理由も説明がつく。

 さらに特徴的なことは、同社は「スポーツエリートの発掘・育成」も行っていることだ。同社が米フロリダ州にもつ若手選手育成機関「IMGアカデミー」は、東京ドーム16個分の広さで、50を超す屋内外のテニスコートにサッカー場、ゴルフ練習場から2つの野球場までもつ。

 ここではプロスポーツ界の頂点目指して世界中から集まった10代の選手約600人が、日夜練習に励む。さながら米国版の「虎の穴」だ。マリア・シャラポアもそのプレーを見たコーチが素質を見抜き、父親とロシアから移住。施設内の寮に住んでエリート教育を受けた一人である。

 同社はその後、プロテニスプレーヤーとして実績を上げた彼女と契約。アカデミー時代の先行投資をはるかに超えるマネジメント料を稼いでいる。

 ただ、同社がファッション業界に参入したといっても、現時点ではイベント事業の冠スポンサーの獲得以外で、威力を発揮しそうとは思えない。だが、同社のこれまでの実績をみると、今後はデザイナーのマネジメントに触手を伸ばしていくことも十分考えられる。

 デザイナーと言えば、クリエイティブ重視、独立独歩、数字に無頓着など、とかくビジネスとは相容れない気質をもっている。当然、感性、デザインにすぐれ、商品化、ブランド化すれば売れるかもしれないデザイナーであれば、経営面でのマネジメントは不可欠になる。

 日本のファッション史を振り返ると、マネジメントを欠いて事業に失敗したケースは多々ある。昭和50年、菊池武夫氏はビギを独立し、「メンズビギ」を設立したが、事業に失敗し、55年にビギに舞い戻っている。

 理由は売場の声やお客の反応を重視するなどMDをコントロールして、デザインを修正するというマネジメントを欠いたからと言われている。当時の大楠祐二社長も「タケ(菊池武夫氏)が思い通りにデザインしても売れるわけがない。失敗するのは目に見えている」と懐柔しているほどだ。

 また、平成21年にはヨウジヤマモトも東京地裁に民事再生法の適用を申請した。それについて山本耀司氏自身が「歴代の社長に経営を任せる一方で、デザインには口を出すなという姿勢をとり続けてきた。その結果、会社は拡大路線を歩んでいった。海外の新店舗への多大な投資が財務状況の悪化を招いていた。しかも、僕にはいい報告しか上がってこない。自分は裸の王様だった」と語っている。

 両ケースは、明らかにマネジメント=経営上で問題があったと言わざるをえない。他にもミュージシャンからデザイナーになった大口広司、ドン小西こと小西良幸などがいる。すばらしいクリエーターがすばらしい経営者であればいいのだが、実際はそうはならない。だから、マネジメントを担当する人間が必要になるのだ。スポーツ選手の活躍を通じて行ってきたIMGがそれを何より証明している。

 と考えれば、今すぐにはないとしても、近い将来、IMGが東コレからアジアで有望な才能をもつデザイナーを発掘して、商標権からブランドラインセンス、コレクションショーの企画まで手がけることは、無きにしもあらずだ。

 また、ファッション版IMGアカデミーを作って、世界の4大コレクションでデビューするデザイナーを発掘・育成するかもしれない。指ぬきをはめて針を持ち、運針の練習から始める。刺しゅうやボタンの穴かがりもやらせる。

 それができれば、ようやくデッサン画が描け、パターンが引ける。採寸や仮縫いも実際のモデルを使って行う。世界中から取り寄せた生地で、実際に服を何十着も作る。完成度が高まるまで、何度も何度も基礎を繰り返す。そこで、成績のいい学生だけが、卒業コレクションデビューができる。さながらそんなカリキュラムイメージだろうか。

 その時点で、デザイナーデビュー後のマネジメント契約も結ばれるだろう。メジャーブランドになれば、スポーツ選手同様に莫大なカネが入ってくるはずだ。そう考えると、そこらの三流ファッション専門学校の講師陣や経営者が太刀打ちできないのは、確かである。そうなる日が来ることを願う人間は筆者だけではないと思う。
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ファッション事業に冠スポンサーはつくか。

2014-02-17 16:14:33 | Weblog
 「メルセデス・ベンツ ファッション・ウィーク東京」2014-15 A/Wが、3月17日から開催される。懇意にするアパレルメーカーから誘われたので、数年ぶりに見にいくことにする。そこで、今回はファッション事業と冠スポンサーについて考えてみたい。

 2005年にスタートした日本ファッションウィーク(JFW )は、国からの予算措置の関係で5年で終了した。所管の経産省が手を引いたことで、東コレを主催する日本ファッション・ウィーク推進機構は、新たなメーンスポンサーを探さなくてはならなくなった。そこで、NYコレクションで実績のあった「メルセデス・ベンツ」社に白羽の矢が立ったのである。

 自動車メーカーとアパレル。一見、相反するようにも見えるが、ベンツともなれば車づくり対する思想や技術、随所に見られるデザイン感性は、デザイナーズアパレルと共通する部分は多い。卓越したブランド力では最近の東コレの方がはるかに格下だが、そこは代理店の説得力とメルセデス側の懐の広さと見れば、理解できなくもない。

 まあ、 メルセデス・ベンツほどの企業が東コレにスポンサードしたからといって、ディーラーで車がバンバン売れるなんて思っていないだろう。端から目に見えたスポンサーメリットなんて期待はしていないと思われる。慈善事業とまではいかないにしても、三文ローカルメディアが好きな情報発信やブランディングのためと言えば、説明もつく。

 そもそも、冠スポンサーがつき始めたは、80年代からだ。主にスポーツ大会が始まりだったと、ジャック坂崎著の「ワールドカップを売った男」に書いてあったのを憶えている。「デサント陸上」「セイコースーパーテニス」「サンヨーオールスターゲーム」「Jリーグナビスコカップ」などがそうだ。

 スポーツ団体は多くが社団法人であり、潤沢な資金もないことから、大会の運営には苦慮してきた。また、放送局側もテレビやラジオの中継を行う上では、スポンサーが付かないと資金が手当てできず番組を制作できない。こうした事情で代理店やテレビ局がスポーツ大会に触手を伸ばし、企業を冠スポンサーにしていったのである。

 まあ、始まった当初は「スポーツマーケティング」という概念も、それほど浸透してはいなかっただろうから、単なる協賛や知名度のアップ、すこし進んでプロモーションといった感じではなかったと思う。

 しかし、近年は景気低迷やマーケティングが曖昧になったことから、企業側もスポンサーから撤退したり、大会そのものが規模縮小や中止に追い込まれるなどしている。一方、「サッポロビール箱根駅伝」のような人気が上昇しているスポーツコンテンツもあり、スポンサー側も大会そのものを見きわめている状況のようだ。

 地元福岡に目を転じると、「KBCオーガスタゴルフトーナメント」が有名だ。男子のゴルフトーナメントとして1973年に始まったもので、これまで冠スポンサーには「ダイワ」「久光製薬」「アンダーアーマー」「VanaH」が名を連ねてきた。
 
 ただ、こちらも冠料は3億円と言われており、数年前からスポンサー確保には苦労しているようで、今年の大会は未だに決まってないと聞く。主催のKBC九州朝日放送や代理店のDが誰彼構わず地元企業にまで営業しているというのは、あまりに有名な話だ。

 地元企業にとっては冠スポンサーになったとしても、知名度やブランド力が多少あがる程度に過ぎない。莫大な販促効果も、顧客満足も、マーケティングも一介のゴルフトーナメントくらいではほとんど期待できないだろう。メルセデス・ベンツのように端から目に見えた期待はしていないと言えるほど、太っ腹な企業なんて地元にあるはずがない。

 仮に地元企業がスポンサードするとすれば、何らかの「メリット」を要求するはずだ。冠料が2億円、1億円に下がったとしても同じだろう。端的に言えば、ゴルフトーナメントそのものより、KBC九州朝日放送や代理店のDが自社にとって役に立つかどうか。言い換えれば、そのメリットを感じられる企業でないと、スポンサーに付く意味はないということである。

 そう考えると、ファッション・ウィーク東京のような事業は、ますます冠スポンサーの確保は難しいと思う。ファッション業界は中小零細企業や個人起業家に毛の生えたような人間の集合体だ。まあ、何人かベンツに乗っている経営者はいたとしても、スポンサーにとって大きなメリットがあるとは思えない。

 むしろ、クリエーターは個性派揃いだから、車ならベンツよりも「フィアット」や「ミ二クーパー」を好むだろう。現に筆者が乗っていた車もシトロエンだった。メルセデス・ベンツ社がメーンターゲットとする富裕層や高額所得者は、ファッション業界の現状を考えると、これ以上増えないと思われる。

 なおさら、福岡レベルのファッションウィークやイベントで、冠スポンサーなんてまずあり得ない。逆に三文ファッションイベントについているスポンサーは、主催者側がイベント経費を賄うために過ぎない。事業そのものもファッション・ウィーク東京のような明確な目的をもって実施されているわけではないから、スポンサーメリットも感じにくいはずである。

 まあ、ファッション業界としては、三文ローカルメディアに期待することなど何もない。むしろ、うちの商品はあの女子アナだけには着てほしくないというバイヤーがいるくらいだから、かえって迷惑なのかもしれないが。
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日持ちを伸ばしてブランドか。

2014-02-02 18:25:02 | Weblog
 先日、約1年ぶりに博多の老舗菓子舖「IMD」社のIZ社長とお会いする機会をもった。そこで興味深いお話を聞くことができた。

 博多のお菓子は全国的に名前が通ったものが少なくない。古くから愛される「鶴乃子」「ひよこ」「千鳥饅頭」、最近人気が上がっている「博多通りもん」などだ。筆者も子供のころからほとんどのブランドを食べた経験をもつ。

 これらは「土産菓子」として駅や空港、高速のPAといったお土産店で売上げを伸ばし、ブランド力をつけていった歴史的背景をもつ。

 ところが、最近はお土産店の売場でなるべくスペースを確保することが、販売効率を上げ、そのまま売上げにつながるようになってきたという。つまり、菓子業界全体が激しい生存競争に勝ち残るために、「日持ちのするお菓子」に走ろうとしているのだそうだ。

 例えば、饅頭系なら40日、あんこを使ったものでも10日から2週間といった感じ。お土産店側にすると、店頭に日持ちのする商品を山積みすれば、露出が増えて訴求力も高まり、高回転して機会ロスも抑えられる。当然、それは収益につながるのである。

 近年、年間で40億円も売上げを誇る某大ヒットの菓子は、日本人はもとより、中国、韓国のお客さんまでが買って帰っている。言われてみれば、売場にも他社のものより在庫は多く積まれている感じだ。ゆえにロス率はゼロに近いかもしれない。それを考えるとこの方法に行きつくのは、わからないでもない。

 しかし、焼き菓子のようなものならともかく、40日もたった饅頭が美味いはずがない。以前、三重の赤福は本店では賞味期限2日の商品を、お土産店向けでは一旦回収して冷凍し、再び出荷したことが問題となった。これを食って美味いと感じる人間の舌は、いったいどんな神経なのだろうか。

 IZ社長は、「営業サイドがお土産店の売場を取り、取引先が売りやすくするがあまりに、菓子屋が美味しさを犠牲にするようになっている。でも、うちが100年以上もやってこれたのは、お客様に美味しいと言ってもらえるお菓子を作り付けてきたから。TKが売れ続けているのが何よりの証拠だ」と仰った。

 老舗、銘菓と呼ばれる商品は得てして、日持ちが短いものだ。新鮮だから美味しいのである。伝統の技と味はこうして守られてきたのである。とは言え、経営者としては「マーケットの現状もあるのだから、日持ちのするお菓子も開発していかないといけないだろう」と、IZ社長は仰った。

 この話を聞いていて、そのままファッション業界のブランドにも通じると思った。それはヒット商品が先か、ブランドが先かということにもなるが。どちらにせよ、売上げ効率を上げたい商品は「日持ち=ベーシック」に収まり易いと言うことだ。

 勘のいい業界諸兄なら、何を言いたいかおわかりであろう。「店頭に日持ちのする商品を山積みすれば、露出が増えて訴求力も高まり、高回転して機会ロスも抑えられる。当然、それは収益につながる」。それはまさにユニクロやギャップのもの作り、販売手法に共通するということだ。

 言い換えれば、シーズン毎にトレンドを打ち出せば、それはお客の好き嫌いに左右され、鮮度も短くなる。当然、山積みはできないし訴求力も弱く、高回転などあり得ない。パリコレに登場するメゾン系やデザイナーが作るようなブランドがそうだろう。

 でも、伝統の技も味わいをもたず、ただ日持ち優先の工業製品的な商品が、どこまでファッションの歴史を刻むことができるのだろうか。洋服の原点でもあるヨーロッパのブランドなら、歴史があって当然じゃんかと言われるかもしれない。ギャップと言っても高々40年、ユニクロは20年だから、比較しても意味がないという意見もあるだろう。

 しかし、日本だって明治以降、150年近くも洋服を着てきたわけだ。そうした中で、どれほどのブランドが存続しているか。デビューはしたものの、いつの間にか、売上げ効率のみを追っかけ、売れなくなると姿を消してしまう。その繰り返しばかりではないか。しかもそのサイクルはどんどん短くなっている。

 ユニクロはブランドとして認知された。これは多くの業界関係者が認めることだから、異論を挟むつもりはない。しかし、そこに伝統の技や味わいがあるとは思えないし、それを培っていこうという思想も見えてこない。

 まして、ブランドの世界観ということでは、どこに見いだせばいいのだろうか。デザインは飽きがこない。生地や縫製はそこそこ良い。値段は手頃。それらはあくまで性格や特徴であって、ブランドの世界観とは思えない。

 ファッションブランドは名前ではない。生地や質感によって生み出されるデザインや着心地、姿見に映った自分を見るときの気分の変化、気に入ったものを着こなす高揚感などだ。それらが少しずつブランド力を生み、少しもぶれることのない伝統の技や味わいが世界観を醸し出していくのである。まさに100年以上の暖簾をもつ老舗菓子舗が作る「TK」そのものだ。

 IMD社の社長は仰った。「菓子屋にけじめがなくなっている。これではもう銘菓は出にくいと思う」とも。これはそのまま「ファッション屋にけじめがなくなっている。これではもうブランドは出にくい」と言い換えることができる。老舗菓子舖のように永く続くファッションブランドとは何か。真剣に考えなくてはならないと思う。
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