HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

専門学校には格付けを。

2018-06-27 06:51:28 | Weblog
 学生の就職内定率はメディアも積極的に取り上げるので、嫌が上でも注目してしまう。リクルートキャリアによると、2018年春に卒業した大学生の内定率は96.7%。19年春卒業予定の学生も今年の4月1日時点で19.9%と、対17年比で5ポイント以上アップし、好調な出足だ。高校生は文部科学省がまとめた17年10月時点(18年春の卒業生)では、男女平均で76.95%と、こちらも対前年同期比で2.4ポイント増加している。

 一方、専修学校(2年程度就学の専門学校)の2018年卒業時点の内定率は、68.9%(前年同期比1.8ポイント減/厚労省、文科省調べ)。景気回復と人手不足で大学生、高校生の内定率が向上する一方、専門学校生にとって目指す専門職は狭き門のようだ。

 と言うか、そもそも専門職は営業マンやエンジニアのように新卒・一括採用ではない。欠員が出た場合など不定期・通年で採用されるケースが多く、学生が学校を卒業する時の内定率が就職の好不調を表しているとは限らない。率をあげるなら内定というより、就職といった方が正確だろうか。

 では、専門学校生の内定率が下がっているのは、何が原因なのだろうか。頑に専門職を目指し、一般的な仕事には就きたくない学生が増えているのか。さらなる技術の習得に励むために学業を続ける傾向が強いのか。それとも就職そのものをしないで卒業するのか。はたまた学校が大学編入にシフトし、就職より進学を選択する学生が増えているのか。確実に言えるのは、専門学校生の就活は大学生のような企業説明会や求人サイトを経由して就活〜面接〜内定とは進んではいかないことだ。それもあると思う。

 まず、専門学校生のみを対象にした会社説明会はほとんどない。学校に来る専門職の求人情報を頼りにエントリーするのが一般的だ。また、面倒見のいい講師が就職先を紹介するケースもある。いわゆるコネというやつだ。そのため、実際にどれくらいの求人数があるかは把握しづらいし、学校側が内定率や就職先を公開したにしても、そこには一般企業に内定した学生も含まれるから、厳密に専門職での就職とは言い難い。

 厚労省、文科省が公開した内定率の68.9%にもたぶん、一般企業、一般職が含まれている。だから、厳密に就職した専門職となると、さらに数値は下がるということである。 

 かつて専門学校の売りには、就職率99.9%なんてのがあった。だが、学校によっては「家業を継いでも、アルバイト就業でも就職にカウントしている」と、現役の学生から聞いたことがある。さすがに今はそこまではできなくなったにしても、大学や高校と比べると内定率の公開データについて、曖昧な点があるのは確かである。

 ところで、専門学校生が目指す職業(国家資格が必要な職業を除き)とは、どんなものか。デザイナー(ファッション、グラフィック、Webなど)、パタンナー、アタッシュ・ド・プレス、カメラマン、ゲームクリエーター、CGアーチスト、イラストレーター、映画監督、俳優・タレント、 声優、 漫画家、アニメーター、 CA(客室乗務員)、スタイリスト、ヘアメイク(美容部員)、 エステティシャン、ネイリスト、 インテリアコーディネーター、アナウンサー、ナレーター、パティシエ、トリマー、スポーツトレーナー、プロ釣り師等々。

 ざっくり言うとこんな職種だろうか。どれも夢があるというか、自己実現させたいというか。高校を卒業した18歳の若者たちが憧れる仕事には違いない。そうした職種のリクルーティングはどうなっているのか。筆者が仕事をしている業界から見てみよう。

 まずファッションデザイナーやパタンナーは、アパレルメーカーが企画職として募集するケースがある。しかし、会社説明会で一般の大学生と一緒に求人されるケースは少ない。専門学校に直接求人(作品添付も条件)があり、応募したい学生は個別にエントリーするなどの手続きを踏むことになる。

 次にグラフィックデザイナーについては、大手広告代理店でも新卒を募集する。会社説明会や企業サイトで一般職として「アートディレクター補」として求人する企業もあるが、新卒では4年制以上の芸術系大学の学生が対象で、専門学校生には応募資格がない。美大出身であっても、学校や教授の推薦が必要とされる場合もある。それは佐野研二郎氏が卒業したタッタ多摩美でも変わりない。

 アナウンサーはキー局、ローカル局とも一般職採用の中に枠を設けているが、新卒では4年生大卒、大学院卒が条件なので、端から専門学校生は対象になっていない。

 専門学校生でも公募でエントリーが可能なのは、航空会社が採用するCAや化粧品メーカーが募集する美容部員がある。専門教育を受けたことが条件となるし、ルックスや器量が重視されるので、こればかりは学歴重視とはいかない。あとはコンピュータ系の専門学校生を対象にしたシステムエンジニアやプログラマー、ゲームクリエーターくらいだろうか。

 他の職種ではほとんど一般公募、新卒採用はない。欠員が出たときや離職率が高い職種での中途採用だ。それでも、専門職は若者には人気が高く、大学生までが受験すると、競争倍率は高くなる。それゆえ、専門学校の内定率が70%を切っている実態、実際にははるかに低い専門職の就職率を学校側はどう受け止めるのか。高卒よりも内定率が低いという現実を見れば、はたして専門学校は就職へのポテンシャルは高いのか。学生や親の意識も変わらざるを得ないのではないかと思う。

 ところで、繊研PLUSでは6月20日付けニュースで、「服飾系専門学校の入学者は? 18歳人口減『2018年問題』」とのタイトルで記事を配信した。https://senken.co.jp/posts/2018problem-fashion-school-180620

 それによると、ファッション専門学校は18歳以下の人口が減少していく2018年問題に直面しており、18年4月の入学者数が増加した学校は35%(前年から11ポイント増)、減少したは35%(同6ポイント減)だった。(全国の服飾系専門学校対象 アンケート調査/有効回答44校)
 
 ただ、内容を精査すると、「減少した前年からの反動による増加」や「周囲の学校の募集停止」「留学生の増加」から入学者が増加した面があるという。日本は少子高齢で、18歳の総人口は17年10月時点で121万人(総務省統計局)。2000年から何と80万人も減少している。これを大学進学や就職とで奪い合うわけで、就職内定率の減少はますます学生募集に影響するのは間違いない。

 若者が夢を追うのを否定するつもりはない。しかし、専門学校側の教育には問題が少なくない。例えば、講師は基本的に非常勤で1コマいくらのギャラで契約し、授業を実施しているところが大半だ。一応、カリキュラムやシラバスは学校側がチェックするが、授業内容や指導法はほとんど講師任せになる。ファッションやグラフィックデザインの専門学校は、学校を掛け持ちしている講師もいて、学校で授業レベルに差があるかかどうかも疑わしい。



 ファッション専門学校に限って言えば、未だに洋裁学校の延長線上のところもあるわけで、そこで教えているおばちゃん講師たちが果たして時代や業界の変化をどこまで切実に感じているのか。それを理解して授業内容を変化、進化させているとは思えない。確かに学生に基本技術を身につけさせ、理屈をわからせるのは大事だ。しかし、それを高々2年程度で習得できるのか。とても時間が足りないような気がする。

 一方で、学校側は学生数の減少からコスト削減に踏み込み、1コマあたりの授業時間を90分から75分に短縮していているところもある。それも名目上は科目を増やし、授業全体が充実したように見せかけたに過ぎない。1科目あたりの年間の授業数を19回から14回まで下げているところもある。学生数の減少という問題に授業時間の削減で対応しているのだ。

 4月に入学してもオリエンテーションやら模擬授業やらで時間を稼ぎ、本格的な授業開始はゴールデンウィーク明けという学校もある。さすがに「まだ、授業が始まっていないの」と、大学生の友人から怪訝に思われた学生もいる。かつては年間の授業時間を800時間と謳っていた学校もあったが、今ではまともにそんな授業数を提供していたら、コストが合わないはずである。

 あるファッション専門学校の講師には「学生を育てたい」と、堂々と開き直る御仁がいた。実に都合のいい言葉だ。学生が学校を卒業し専門職どころか、まともな仕事に就いていなくても、「育てたい」と言い放っておけば、講師自身は正当化される。

 また、別の講師は「海外研修にも連れて行っている」という。だが、実態は旅行代理店に丸投げした御上りコースの観光ツアーに出かけているだけ。おまけに最低催行人員を賄うために他学科の学生までかき集められている。クリエーターの工房を訪れて作業風景を見学・学習したり、トランクショーや生地見本市に出向いて商品や素材に触れるなどは皆無なのである。

 そもそも海外に出向く前に、海外に行く目的の設定をしていない。どこが研修なのだろうか。その割に学校側は「何かを掴んで来なさい」と平気で送り出すのだから、片腹痛くてしょうがない。 まさに学校や講師陣には「学生が育ってないなら、あんたらの負けだぞ」と、突っ込みどころはいっぱいである。

 繊研新聞は、今回の記事でも「学生が働きたくなるような企業や産業の姿を示すことができれば、服飾系専門学校を目指そうとする学生を増やすことにもつながる。今こそ、産・学が連携して取り組むことが求められている」と、呪文のような結論を述べている。

 しかし、専門学校自体が授業数を削減しているのは事実である。そうした実態に対しては何ら問題提起をしていない。入学者数の減少で物理的に学習量を減らせば、教育機関として疑問符が付くのに、やみくもに専門学校を目指せという理屈は全く白けてしまう。

 メディアは簡単に産学連携を語るが、消費者が服飾にかける金額はどんどん減り、衣料品の98%が海外で生産される中で、国内におけるファッションの雇用環境が改善される見通しは立たない。衣料品の消費構造が実店舗からどんどんECに軸足を移しているのも事実で、販売スタッフの雇用すら変わっていかざるを得ないのである。

 従来のような洋裁学校の延長線上にある服飾教育のみでは、通用するはずがない。第一、そこで教えているおばちゃん講師たちがまず専門学校にでも通ってITから勉強しないといけないのだ。自らはリ・スタディにコストをかけず、 昔取った杵柄のみで手っ取り早く講師のギャラを稼ごうという魂胆がある以上、どだい無理な話である。

 数々の人財を輩出している文化服装学院、学生の作品づくりでは群を抜くモード学園といった高度な教育ノウハウをもつ専門学校が残れば、もう十分ではないだろうか。それでもファッション教育を続けたいというところは、経営実態はもちろん、教育レベル、専門職への就職率まで公開し、第三者機関による格付けが必要ではないかと思う。それでDランク以下になれば、潔く学校を閉じる。ファッション教育の市場も縮小均衡されてしかたないと思う。

 学生側も本当に専門職、スペシャリストを目指すのであれば、義務教育を終えた直後の高校から学んだ方が確実に成長できるはずだ。そのためにはアパレル企業などのバックボーンは少ない地方都市ではなく、東京もしくはパリ、ミラノ、ロンドン、ニューヨークの学校に通った方が自己実現に近づけると思う。本当に産学連携を叫ぶなら、企業やメディアが試験を行い、優秀な学生には奨学金を出せばいいのである。

 数字は嘘をつかない。内定率の減少は業界の今を表す。変化も進化もとげないファッション専門学校と講師陣は、淘汰されてしかるべきである。

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見せる踵、隠す踵。

2018-06-20 07:13:48 | Weblog
 6月12日、シンガポールで米国と北朝鮮の首脳会談が開催された。メディアは史上初とか、非核化への道筋とか、いろいろ書き立てた。しかし、外交には武力はもちろん、大国の後ろ盾など様々な要素が絡む。実態はトップ同士が話し合う前に、政府の要人たちによる事前の詰めが行われているわけで、曖昧な落とし所になるとの予想通りになった。

 と言っても、このコラムで政治を語ったところでつまらないので、ファッションネタを考えてみたい。北朝鮮の金正恩委員長は祖父の金日成、父親の金正日氏と肥満体質の家系。身長こそ日成氏は176cmと高かったが、正日氏は158cmと小柄。その血を引いたのか、正恩委員長も背が低いと見られている。そのため、一国のトップとして他国の首脳と堂々と渡り合うためにいろいろ腐心していると、様々な報道が飛び交っている。

 正恩委員長の身長は162cmとも、165cmとも、170cmとも言われ、実際のところはよくわからない。今回の米朝首脳会談でトランプ大統領と並んだ写真を見ると、身長差は10cm程度しかないようにも見える。ツーショット撮影で背の高さの合わせるため、業界で言う「雪舟」、いわゆる足場を積み上げたわけでもないだろう(映画「戦場にかける橋」に出演した日本人俳優の早川雪舟が多用したことから)。

 ただ、トランプ大統領の身長は190cmと言われるので、写真を見比べると正恩委員長は180cm程度ということになる。仮にトランプ大統領が身長でサバを読んでいるにしても、あの差を見れば正恩委員長が背を高く見せる「シークレットブーツ」を履いているのは間違いない。もしかしたら相手に合わせてヒールの高さを変えていることもあり得る。

 北朝鮮のトップは歴代、人民から「尊敬する指導者」とか、「偉大なる領導者」とか、「敬愛する将軍様」とかと呼ばれているので、貧相で寸足らずではとても話にならない。体重はとにかく食べれば増やせるが、身長は親の遺伝だから如何ともし難いのである。父親の金正日氏もシークレットブーツを履いていたと言われており、息子が愛用するのも何となくわかる気がする。

 すでにメディアにはいろんな写真が露出しているが、正恩委員長が履いているシークレットブーツは、北朝鮮のトップゆえに特注品と見ていいだろう。一般に市販されているものはドレスシューズ型で、アウトソール、いわゆるヒール部分と上げ底の部分を数cm高くする。トータルで身長は6cm〜高くできるのが売りになっている。

 これなら163cmくらいの身長が170cm程度に見えるのだから、低身長が悩みの男性にとっては救世主と言えるのだ。正恩委員長が背が低いのを悩んでいるかどうかはわからないが、写真を見ると、履いているのはインソールの部分が高いことから、足首が折れてねん挫しないように足首を覆う革の部分がより広げられている。つまり、ハーフブーツタイプということになる。



 一方で、つま先部分には細工がなく、ヒール部分が3cm程度、インソールが7〜8cmだと仮定すれば、踵部分だけが高くなる構造だ。女性のパンブスを履いたのと同じで、男性なら前のめりになってしまうのではないかと思う。そんな心配をよそに専門家の話では、「履くと重心が前に来るので、後ろに体重がかかりやすい太った人や胸を反らし気味の人は、バランスを取りやすい」のだそうだ。これは意外だった。

 正恩委員長にとって祖父・金日成のような威光を放つために偉そうにふんぞり返り、しかも本当の身長を知られずに上げ底靴を隠すには、シークレットブーツはマストアイテムということである。しかし、いくらブーツタイプで足首が保護されているとは言え、見るからに度を超えた肥満体型だ。実際の身長が160cm台とすれば、おそらく肥満度4、BMIは50に近いのではないだろうか。

 2014年には正恩委員長が約40日間、公の場に姿を見せなかったのは、シークレットブーツを履きすぎたため、両足首にひびが入ったのが原因ではないかとも伝えられている。常識的に考えても、膝はもちろん、足首にも相当の負荷がかかっているはずだ。そうでなくても、健康不安説が度々持ち上がっている。それでも権威を振りかざすために、見栄を張って我慢しないといけないのか。国のトップを務めるのもたいへんである。まあ、大きなお世話かもしれないが。

 本当の身長を知られず、上げ底を誤摩化すのがシークレットブーツなら、堂々とハイヒールを見せる「ロンドンブーツ」もある。年齢が60歳前後の方々には懐かしい、1970代に大ヒットしたアイテム。世界でも背が高い人種と言われるアングロサクソンの間で誕生し、日本では先頃亡くなった西城秀樹氏が履いていたところを見ると、必ずしも身長の低さをカバーするものではなかったと思う。ファッショントレンドだったのである。

 名前の通り、英国のロンドン(アッパーの柄がユニオンジャックタイプも)から世界中に伝わったわけだが、ロックミュージシャンたちが奇抜なステージ衣装の一つとして取り入れ、愛用したのが流行の始まりではなかったかと記憶している。正式名称は「プラットフォームシューズ」。かつて欧米の駅は地上がホームだったため、乗客が客車に乗る際には駅員が踏み台を置いていた。それからプラットフォームが生まれ、靴では「壇をつける」という意味から名付けられたとの説もある。

 この靴を日本で最初に履き始めたのは、やはりミュージシャンだった。当時のボトムはベルボトムジーンズや裾広がりのパンタロン、バギーパンツが主流だったため、丈を長めにすればロンドンブーツとの相性も良かった。筆者がロンドンブーツをいちばんお洒落に履きこなしたミュージシャンは「ガロ」だと思う。

 リードボーカルの大野真澄氏は、ユニットのスタイリストも担当していたほどで、そのセンスの良さは今も折り紙付きだ。あの長渕剛が上京して間もない頃、ウエアを購入するために原宿のショップに連れて行ってもらったことがあると語っている。だからと言ってセンスが磨かれたどうかは、その後のコンサート風景を見れば一目瞭然だが。

 それはさておき、ロンドンブーツは70年代のトレンドを過ぎると、巷で履いている人はほとんど見かけなくなった。だが、今まで地道にメンテナンスされてきたのか、レアアイテムとして販売している人たちもいる。今も愛用しているマニアがいるのだろう。90年代にはロックバンド・すかんちのローリー寺西(身長は公称で172cm)が履いているのを見かけたが、これはやはりロックミュージシャンとしての矜持からではなかったかと思う。

 まあ、お笑い芸人が有名司会者が履いているのをこれ見よがしに誇張したモノマネで笑いを取るなど、低身長の人を蔑視するかのようなアイテムに受け取られているは確かだが。 当時、ロンドンブーツのおかげで身長を高く、脚を長く見せることができた男性でも、今はほとんど履いていないと思う。やはり、流行だったのは間違いない。

 ロンドンブーツはつま先部分も高くなっているので、甲や足首への負担は解消される。とは言っても、これからメンズの一大トレンドになることは、おそらくないだろう。レディスでは、90年代に安室奈美恵が上げ底靴ブーツを流行させた。ハイヒールは不変のアイテムとして存在するわけだから、これからもトレンドになる可能性はある。こればかりは男女でハッキリ分かれる。

 正恩委員長の低身長やシークレットブーツについては、各国メディアの北朝鮮に対する敵愾心も多少はあるだろうし、肝心な交渉の行方が見えにくいだけに、報道各社は大衆を惹き付けるために取り上げた面もあるはずだ。

 「正恩氏の実際の身長はおよそ162.5cmだ」(朝鮮日報)

 「キムはトランプと身長差がつかないように、上げ底した靴を履いているようだった。北朝鮮はこの件に関して事前に慎重に検討したと思う」(英ニュース専門局 スカイニュース)

 「金氏の靴には身長を高く見せるための中敷きが入っており、1~2インチ(1インチ=2.54cm)ほど、実際の身長よりも高くなっていた可能性がある」(ビジネスインサイダー)

 「12~13cmは上げ底にしている」(シークレットブーツ専門家の話 ロイター=共同) 等々


 民放キー局の朝の情報番組はスタジオに人の等身大パネルを用意し、正恩委員長のパネルの下に板をはめ込み、「14cmのシークレットブーツを履いていたのでは」と、検証まで行っている。進行役のキャスターH氏は「14cmといえば、ちょっとした竹馬ですね」と、コメントしている。

 それを聞いた時、かつて知り合いが語っていた話を思い出した。このH氏はフリーになる以前はNHKのアナウンサーだったが、もともとは俳優志望で学生時代には劇団で活動もしていた。

 NHKにアナウンサーとして入局したのは26歳と遅く、駆け出し頃にはアルバイトでイベントの司会などもこなしていたという。広告会社に務める知り合いが当時流行っていたネルトンパーティの司会でH氏を起用。そこでは、場慣れせずによそよそしい男女の参加者をよそに、ステージで人一倍盛り上げてくれたのがH氏だったそうだ。

 友人曰く、「それは良かったんだけど、履いていた靴がシークレットシューズでさ。あれにはみんなドン引きだったよ」と。ちなみにH氏の身長は公称では170cmになっている。

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遺伝子を生かす経営。

2018-06-13 05:17:43 | Weblog
 先週の業界ニュースで、筆者が注目したのは二つ。一つは一般報道でも大きく取り上げられた「ケイト・スペード自殺」だ。これにはびっくりした。同氏がデザイナーデビューした1993年は、筆者がニューヨークを訪れていた時期と重なる。94年〜95年は現地で、スペード氏デザインのバッグがショーウィンドウを飾るのを目の当たりにしたし、96年にはソーホーにオープンした直営店にもリアルタイムで訪れている。

 ケイト・スペード氏は、元は雑誌マドモアゼルのアクセサリー担当だった。ファッション誌の編集者からデザイナーへの転身。欧米ではよくあるケースで、夫のアンディ氏、友人とともにブランドの「ケイト・スペード」をスタートさせた。今から25年前。30歳の時である。

 当時、米国、特にニューヨークで展開されるバッグのブランドと言えば、ヨーロッパ製のルイ・ヴィットやグッチ、エルメスなど、米国製ではコーチくらいだった。カルバン・クラインがバッグに進出するのは、数年先である。これらのバッグブランドは、どれもコンサバかつ高価格帯で、顧客は富裕層の女性に限られていた。若い女性の感性にフィットするようなバッグは、ほとんどなかったのである。

 そんな中で登場したのが、ケイト・スペードだった。コンセプトは「プラダのようなシンプルかつモダンで、機能性も併せ持つバッグ」。まさにケート・スペードには、ヴィヴィッドなカラーと適度な遊びごころがありながら、非常に使いやすかった。金字で刻印されたロゴマークは、字間を空けたローマン書体の小文字で、いかにもニューヨークらしい持ち味を醸し出していた。

 そんなバッグに、現地のワーキングウーマンが飛びつき、スペード氏の古巣であるファッション誌が紹介する。それらが起爆剤となって、ケイト・スペードは全米に伝播し、ほどなく日本でも知られるようになった。当時の日本で若い女性向けのニューヨークブランドと言えば、アナ・スイくらいしかなく、それもアパレルが主体でデザイナーズ系だった。ヤングOLが好むような手頃なブランドバッグが求められており、96年にはサンエーインターナショナルが販売を開始した。

 その後、SIとの合弁で日本法人が設立され、2009年より正規輸入・販売を始めたほか、17年には世界269ヵ国、180店が展開されるまでに成長した。ただ、スペード氏自身は07年に米キャリアアパレルの「リズ・クレイボーン」社に株式を売却し、ブランドデザインの最前線からは退いた。そのリズ・クレイボーンも業績悪化で、17年にケイト・スペードの株式を「コーチ」(現社名:タペストリー)に売却している。

 リズ・クレイボーンが売上げ不振に陥ったのは、やはり米国特有の量産量販、マークダウンやセールによる売り減らしが通用しなくなったことだ。いくら親会社とは言え、そんな経営感覚のもとでケイト・スペードを保持していても、ブランドが生きるとは思えない。スペード氏のDNAを本業に生かすこともなく、宝の持ち腐れではなかったかと思う。

 もっとも、スペード氏がバッグデザインを担ったのは14年ほど。2015年頃にスタートしたブランドについては、ほとんど聞こえて来ない。ここ数年はうつ病を患っていたというが、詳しい自殺の原因はわからないまま。ただ、ブランド「ケイト・スペード」自体は大手の傘下で、これからも生き続けていくのがせめてもの救いだ。今は故人の冥福を祈るばかりである。

 ファッションビジネスおいて、新興ブランドはヒット商品を出すと、旗艦店など店舗網を拡大してブランド価値を上げようとする。その資金を調達するために株式を上場するのが既定路線だ。ブランド価値が確立していれば、より資金力をもつ有名ブランドやコングロマリットが株式の過半を取得し、新興ブランドを傘下に収めていく。新興ブランドの創業者はここでキャピタルゲインを得て、ビジネスから退くものもいれば、一定の株をもってデザインや経営に参画し続けるものもいる。

 買収側の親会社も上場企業であるケースが多い。投資家からすれば短期に収益アップが望める方が良いので、親会社は買収した新興ブランドにも有能な経営者、売れる商品を生み出せるデザイナーやディレクターを起用して投資家の要求に応えていく。LVMHやケリング、リシュモンといったコングロマリットがとる事業戦略がこの手法で、今や国際競争を勝ち抜く上での趨勢になっている。

 17年にケイト・スペードをリズ・クレイボーンから買収したコーチは、事業の多角化で成長するために社名を「タペストリー」に改めている。コングロマリット化を視野に入れてのことだろうが、ヒットしたブランドを買収したからといって、事業全体が上向くとは限らない。ブランドの暖簾とデザイン遺伝子を守りつつ、いかに時代、マーケットの変化に合わせていくか。経営者のマネジメントや舵取りが重要なのである。

 その意味で注目するもう一つのニュースは、三井物産に買収されたビギホールディングス(HD)の新社長に前レッドブル・ジャパンの唐木利治氏が就任したことだ。同氏は三井物産に入社後、P&Gファーイースト・インク、ナイキジャパン、ペプシコ・インターナショナルなどの外資系企業を経験。16年からレッドブルの日本法人で社長を務めているが、アパレルはほぼ初めてと言って良い(ナイキの在籍はあるにせよ)。

 報道によると、三井物産は商社のネットワークを生かし、国内外のブランドをビギHDの販売網で拡販していく考えとか。4月にはメルローズが英ブランドの「ジョンスメドレー」を輸入販売するリーミルズエージェンシーを子会社化している。でも、これだけをみると既存ブランドをどうするのか、ビギ再生戦略の全体像はよくわからない。

 ビギHDが傘下にもつ各ブランドは「wb」を除いて、陳腐化が激しく企画重視、デザイナー系の面影は消え失せている。それがグループ全体の売上げ不振の原因でもあるのだ。メンズビギもメルローズもヤングを意識しているものの、商社ルートのODM丸投げで企画に注力しているとは言い難い。ジョンスメドレーのような高級品を一緒に販売すれば、逆にジョンスメドレーのブランドイメージを毀損してしまうのではないかと思う。

 それとも、既存ブランドは廃止・休止し、居抜き店舗をジョンスメドレーのオンリーショップにリニューアルする布石なのだろうか。それにしても、ジョンスメドレーがセレクトショップのキーブランドになっていたのは、20年も前のことである。英国ブランドらしくハイゲージニットでフラットデザインは変わらないが、こうしたテイストの商品がこれから今以上に拡販できるとは思えない。

 唐木新社長は商社、外資系企業出身だけに、海外ブランドの市場拡大には長けているのかもしれない。だが、ビギHD傘下の既存ブランドをどうテコ入れするのだろうか。そもそも、ビギがデザイナーズブランドとして一時代を築けたのは、今回の人事で最高顧問に退いた大楠祐二・代表取締役会長が豪腕によるものだ。手法を振り返ってみよう。

 一つは、マーチャンダイジングを重視すること。「デザイナーズブランド全盛の時代にあっても、売場の声やお客の反応を重視したマーチャンダイジングを大楠元社長自身が行い、それに基づいてデザイナーがデザインを修正したから売れた」。ビギはこのバランスが非常に上手かったというのは、多くの業界人が認めるところだ。

 二つ目は、ブランドは大きくせず、いろんなブランドをもつ。「デザイナーのカラーを全面に押し出さないメルローズを開発したのは、菊池武夫氏にビギを去られた苦い経験から」。一つのビジネスに賭けていると痛い目にあうことを反省材料に、ブランド(会社)をいくつも作った。

 三つ目は、服づくりではデザイナー対営業の比率は3:7。「デザイナーが作りたい服、売れる服を作らせたい営業サイドとの意見調整は、過去の実績データから見せるイメージ商品3割、売れる商品7割にする」。服づくりにおいてどちらの意見が強いかと言うと営業サイドになるが、デザイナーブランドの立ち位置も失わない。
 
 四つ目は、展示会でブランド間の競争心を煽る。「大楠元社長は展示会での取引先(バイヤー)の声、マーケットの情報を収集し、『モガではこれだけの受注を取った』『ラ・ブレアではこんな評判だった』 として、ブランド間の競争心を煽り、スタッフの営業マインドを刺激した。ブランド間の競争こそが成長の原動力と見たのである。

 他にも、あまりにビジネス重視の経営方針にデザイナーの反発を買ったことから、ブランドの陰で目立たないアシスタントたちにブランドデビューの機会(ファッションショー「第1回 東京主義」の開催)を与えている。ブランドは量産し過ぎれば飽きられ、少ないと儲からないことから、生産量のバランスを重視した。ファッション感覚は斬新すぎれば着る消費者が限られるため、表現面では一歩先より「半歩先」を徹底させた等々、その手腕には目を見張るものがある。

 今から30年以上前のスタイルだが、決して過去の遺物とは思えない。特に4つの手法は今でもアパレルの王道ではないだろうか。当時は業界紙誌の他に経済誌でも取り上げられ、業界人以外にも注目されていた。唐木新社長は筆者とほぼ同世代。ビギ全盛期は商社マンとして駆け出しの頃か。書店で立ち読みくらいしていれば、記憶のどこかに残ってるはずだ。

 その意味で、「ECに注力していく」なんて戦略を表明するようでは、当たり前過ぎて失笑ものというか、今どき小学生でも言えると突っ込みどころ満載である。まあ、ECごときでビギHDの経営が上向ことは、まずあり得ない。



 もちろん、ブランドデビューを夢見る新人や実績のあるデザイナーを企画の責任者に起用したからといって、簡単にメンズビギやメルローズの活性化できるはずもない。数年前にMade in Japanを打ち出したパパスやマドモアゼル ノンノとて、それで売上げが回復したかと言えば、ノーだろう。新社長にはアパレル経営の基本の基を押さえながら、経営者としていかにアレンジしていくかが求められるのである。

 バーバリーを失った三陽商会は、ワンブランドの売上げ比率があまりに大きすぎた。それに代わるポジションを狙ったクレストブリッジとて、ディレクターに三原康裕氏を起用したが、ブレイクできないままだ。バーバリー柄に代わる英国風のテキスタイル意匠を作ってブランド化を目指すようだが、ベースとなる生地があまりに安っぽくては、 デザイナーズアパレルとしても体を成さないし、ファン客は獲得できない。百貨店向けアパレルがなぜ不振に陥ったのか。その反省をまったく企画に生かせていないのである。

 社長が交替しても、ブランドの再生も活性化もできないアパレルはいくらでもある。だから、その反省からいかに新しい戦略構築の糸口を掴んでいくか。三井物産の力を借りれば、フランスやイタリアから生地調達も容易なはずだ。それらテコに企画デザインに注力するのも一つの方法である。今のマーケットにない新しいデザイナーズアパレルの創造は、決して不可能ではない。

 唐木新社長の業務経歴を見ると、今回も企業経営を軌道に乗せれば次の企業に移るように受け取れる。その時、就任した新社長に「前社長の経営スタイルを反面教師にする」なんて言われないようにしてほしい。ビギのDNAを生かせる経営が求められる。

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洋服バカの文化度。

2018-06-06 05:43:48 | Weblog
 2年ほど前、日経ビジネスがビームスの設楽洋社長のインタビュー記事を掲載した。そこで、設楽社長は楽天の三木谷浩史社長から「楽天市場にビームスを出店してほしい」との誘いを受けたが、すでにAmazonやZOZOTOWNに出店し、自社サイトも運営しているため、「楽天に出しても面白くない」と断った様子だった。

 ただ、設楽社長は「では、何ができるだろうか」と、一考。三木谷社長に楽天市場が展開している商品数を訊ね、1億3000万点もあると告げられると、ビームスがこの中から商品を選ぶ=キュレーターとなり、ビームスの仮想店舗を作ってしまおうと考えたと、答えている。

 2014年、ビームスは実験的に「Rakuten meets BEAMS」というHPを作り、同社が選んだ楽天の商品を提案した。この時はキュレーションビジネスと言えどもそれほどは注目されず、ネット上で商品を紹介する程度に止まった。だから、どこまで商品のプロモーションに繋がったのか。業界関係者から参考になったとの話は聞こえて来なかった。ただ、「ビームスと楽天が手を組んだ」という実績を生んだのは間違いない。

 この試みがきっかけになったのか、今回はビームスは楽天と正式に協業した。 コラボ企画は4年前のものを踏襲し、「楽天・ミーツ・ビームスジャパン」とのタイトルで5月23日からスタートしている。

 内容はビームスのスタッフが「楽天市場で実際に購入し、使っている商品をネットと店舗の紹介する」ものだ。楽天市場の専用ページ(https://event.rakuten.co.jp/rakuten_meets_beamsjapan/)、実店舗のビームスジャパンで、それぞれバイヤーやプレスなど16人のスタッフが選んだ商品が紹介されている。

 現在、楽天市場が取り扱う商品は2億5000万点にも及ぶ。このうち、生活に必要とする雑貨や食品がどれくらいあるかはわからない。もちろん、 楽天・ミーツ・ビームスジャパンでは紹介される商品からは、消耗品や必需品は除外されている。

 当然だろう。セレクトショップという立ち位置や権威から「こだわりの逸品」でなければ、キュレーションには値しない。専用ページを見ると、コスメや雑貨、家電、食材、そして趣味関係のグッズやギアが並ぶ。あるスタッフは料理が趣味のようで、フランス生まれのキッチンウエア「ル・クルーゼ」を紹介。自身で調理した料理の写真も公開している。



 こうした企画は、「MONOマガジン」得意の鉄板企画で、単に商品紹介だけでなく、使用方法や使った満足感まで訴えるのが編集の肝になっている。商品紹介だけでは企業側が一方的に流す広告に過ぎず、効果は限定的だ。商品を使う人間が自分の言葉で感想を語る、または編集者が商品の利用方法や使った満足感までを使用者に取材して記事を書けば、読者(消費者)側の共感や信頼も得やすくなる。

 ただ、楽天・ミーツ・ビームスでは、スタッフが自分で商品を使っているシーンまで詳細に公開するのは、厳しかったのだろうか。 動画による本人の一方的なナレーションやショッピングSNS「ルーム」 で、ユーザー同士のコメントのやり取りに収まっている。ビームスジャパンでも、恒久的な商品展開に踏み込むにはスペースや仕入れの問題などがあるだろう。雑貨関連の編集力では東急ハンズが格段に上だし、食品や食材についても見せ方は、カルディコーヒーファームのような専門業態にはかなわない。

 ビームスのバイヤーやプレスというロイヤルティはあるにせよ、商品紹介に終始し消費者に対する訴求力は少し弱いかなと感じる。まあ、ステルスマーケティングとは言わないまでも、楽天としては「ハンズやカルディなどにある商品は、うちでも扱っていますよ」ということをビームスのスタッフを通じて訴えたかったわけだ。

 そこにはビームスや楽天がそれぞれ単独で手を伸ばしてもつかみきれない潜在顧客を掘り起こす狙いがあるようだ。しかし、そうしたお客がビームスのスタッフが紹介した商品くらいで、本当になびくのだろうか。はるかに先のライフスタイルを行っている気がしてならないが。果たして。

 もっとも、ビームス全体を俯瞰してみると、すべてのスタッフがどこまで日々の生活にこだわりをもって暮らしているか。それが気になるところだ。今回のキュレーターはプレスやバイヤーなどに限定された。おそらくみんな本社勤務で、そこそこの年収があり可処分所得は高いと思う。洋服や靴以外の趣味や娯楽、美容などにも投資できるはずだ。

 ビームスは上質で高感度なファッションを国内外から仕入れて編集し、それをメディアを通して広く露出させることで、ブランドバリュを築いてきた。だから、一般のお客は同社のスタッフがもつセンスやスキルを通して、楽天市場の商品にも信頼感をもつことができる。ただ、実際にビームスの商品を販売しているのは、店頭の販売スタッフである。彼らが日頃どんな生活をしているのか。また、服飾を除いた生活用品について、どこまで楽天市場が販売する商品を購入しているのか。

 これについては言うまでもないだろう。服飾に給料の大半を費やしているはずだから、それ以外の商品にこだわって生活を楽しむ余裕は、それほどないと思う。社員割引があるとは言え、20代前半のスタッフなら可処分所得はそれほど高くない。まず売場に立つための服装だけで、生計は圧迫されているのではないか。ビームスクラスが扱う高級ブランドなら、トップスからボトムス、靴まで揃えると軽く10万円は超えてしまう。



 キュレーションビジネスといっても、ビームスと楽天のトップ同士が手を組み、本社の上層部が関わるだけでは、売場のスタッフから「現場の俺たちには関係ない」「販売員にはゆとりがないのに」と、冷めた声も聞こえてきそうである。

 2年前の16年、ビームスは創業40周年を迎え、「セレクトショップの枠を超えて、モノやコト、そしてそれらを通じて生まれるコミュニティを提案していく、新しいブランドのカタチを目指していく」と、発表している。服飾衣料品から生活文化的なことまでに事業領域を広げていこうということだ。しかし、そのためには末端の販売スタッフまでがそうした提案をできてこそ、企業目標は達成でき、ブランドが形成できるのである。

 かつてアパレル業界、特に小売業では「洋服バカ」がもてはやされた。とにかく三度のメシより服が好きだから、業界で働きたい。当然、経営側も洋服バカを歓迎した。だが、ファッション専門学校や大学を卒業したての若者は、 それを「単なる洋服が大好き」「コーディネートやスタイリングが得意」「センスが良いと言われる」としか、解釈していなかった。業界の実態を知らないのだから、無理もない。

 企業側が考える洋服バカとは、アパレルに対する一途な思い、業界をどうしたいかという意気込みを持つ人間だったはずである。しかし、企業側がそれを真の狙いと謳ったところで、社員に服を買わせてきたのは事実だから、どこか嘘くさい。また、まず学校を出たての若者にそんな高尚な目的が理解できるはずもなく、とにかく社販で服を買いまくり、いつの間にかローンが数百万円にも脹らんだという話は、枚挙に暇がなかった。

 バブル期には「夜霧のハウスマヌカン」という唄で、販売職は揶揄されていた。今もファッション専門学校生の中には、1日カップラーメン1食で過ごし、ひたすらコレクションデビューの夢を見ながら、ブランドの服買い集めて作品づくりに励んでいるものもいる。自己実現のためにそれくらいの覚悟は、決して無意味なことではないと思う。

 ただ、ことファッション衣料を販売する小売業界は、洋服について蘊蓄を傾けたい人間がいるからこそ、成り立っている。ビームスのようなセレクトショップについても、それは否めない。同社が自らセレクトショップの枠を超えて、モノやコト、それらを通じて生まれるコミュニティを提案していくのを標榜するのなら、まずスタッフが服飾ばかりに投資するような洋服バカでは務まらないはずだ。

 生活の基本は衣食住であるから、衣以外の食や住から文化的な生活を見つめていける人間が育たないと、ビームスが目指すポジションには到達できない。そのためには、販売スタッフも服を買い揃えるなら、まずそれを収納するインテリアにも拘り、DIYで製作して暮しをより豊かにしたり。いろんな食材を見つけて料理をし健康でクリエイティブなライフスタイルを楽しんだり。さらにアートや舞台、アウトドアなどにも触れあい、生活に取り入れることで造詣を深めたり等々が必要ではないのか。

 すべてのスタッフがいろんなモノ、コトに趣味嗜好の幅を広げて「この分野なら、あいつの専売特許だ」と言われるような企業像を作らなければ、セレクトショップとしてのコミュニティなんて高が知れている。楽天が2億5000万点も取り扱っていることを見れば、商品なんて掃いて捨てるほどあるのだ。その中から、本当にいいモノ、暮らしに活用できるモノ、生活を楽しめるコトをセレクトするには、自らの生活文化のレベルを磨いて、発想を豊かにしなければなし得ない。

 ビームスのスタッフが末端まで、生活文化のキュレーター足るかどうか。また、それに共感を持つファンを集められるかが、コミュニティ提案のカギになると思う。かつてのダイエーは量販店のカラを抜け出して総合生活産業を目指し、あれもこれもと欲張り過ぎて、結局は破綻の道を辿ることになった。

 洋服屋が洋服以外に目を向けることは、服離れを助長することになりかねない。それでなくても販売員人気は薄れている。小売業界で危惧されていることだ。ビームスも現時点では、目指す方向性が絶対に正しいとの手応えはないはずである。しかし、だからこそ、これまでの洋服バカではなく、生活文化全体を見通しながら、提案できる人間を育成することで、ビームスは洋服屋から一皮むけるのかもしれない。

 それは楽天に出店する無尽蔵の商品から、いちばん安いものを見つけて3食をしのぎ、残りを服飾に投資するようなライフスタイルではない。そんな人間にその場限りの商品紹介をされても、潜在顧客と言われるお客が信憑性も説得力も感じるはずはない。

 物を買って所有するのではなく、使って暮しを楽しむ。1シーズンの使い捨てではなく、メンテナンスしてできる限り長く使う。まずは末端の販売スタッフが生活を圧迫されること無く、少しでも文化的でクリエイティブなライフスタイルをおくれるような待遇の改善やバックアップ体制を築くことが必要だろう。

 もちろん、年収は勤務年数と能力で決まるのだから、末端の販売スタッフはその範囲内で精一杯文化的な生活が楽しめるように工夫していくことが求められる。これが本当の生活力ということではないか。スタッフが単なる洋服バカではどうしようもないが、企業側のフォローも重要だと思う。

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