買い物客の百貨店離れが顕著になる中、打開策として百貨店をSC(ショッピングセンター)化するのがトレンドになっている。それに伴い、屋号もそれとわかるものに変わっているが、重要なのはターゲット層に対する明確な提案力だ。
百貨店のSC化は今に始まったことではない。高島屋は1963年、不動産事業に特化する東神開発を設立し、デベロッパー事業に参入した。69年には横浜髙島屋玉川支店を核店舗に、テナントに専門店を集めた「玉川高島屋ショッピングセンター」を開業。東神開発が初めてSCに携わった案件で、この時は屋号と言うより、業態名がそのまま店名となっている。
高島屋は1996年には東京・千駄ヶ谷に「タカシマヤタイムズスクエア」を出店。この店舗では百貨店とは明らかに違う屋号を用いた。2018年には周辺の再開発に伴なって日本橋店を増床し、テナントを集めた「日本橋高島屋S.C.」を開業(19年)。立川店も同様な構成で「立川高島屋S.C.」(23年1月末には百貨店区画の営業を終了)と改めた。S.C.をショッピングセンターと読めば業態名だが、略してエスシーとすれば屋号とも受け取れる。
高島屋は今秋、京都店が専門店ゾーンを増床オープンをするのに合わせ、屋号を「京都髙島屋S.C.」に変更する。同社がこぞって屋号に店名+S.C.を使用するのは、百貨店と専門店を合体した商業開発が成功しているとの自信からか。阪急百貨店も今秋に改装を完了する高槻阪急の屋号を「高槻阪急スクエア」に変更する。阪急では本店を除く地方店はSC化することで、何とか生き残ろうという戦略が見てとれる。
一方、東急百貨店は1月31日、東京渋谷の本店を閉店した。後背には高級住宅街の松濤を抱え、渋谷駅直結の東横店と差別化を図るため、高級ブランドを強化。1989年には複合文化施設Bunkamuraを併設し、アートや演劇、音楽も発信した。しかし、開業から半世紀余り、建物の老朽化が進む中、親会社の東急電鉄などと渋谷ヒカリエ、渋谷スクランブルスクエアなど足元エリアの再開発を進めていることで、55年の歴史にピリオドを打つ形となった。
跡地には2027年度の完成予定で地上36階、地下4階建ての複合施設が建設され、低層階には商業施設、中層階には高級ホテルなど、上層階には賃貸住宅が整備される計画という。ただ、商業フロアに百貨店が入ろうが入らまいが、渋谷ではその存在が薄れたのは間違いなく、商業フロアの名称も全く別のものになると思われる。
東京都心では他にも電鉄系、ターミナル型百貨店の再開発が相次いでいる。2022年10月、小田急百貨店は新宿店本館の営業を終了した。親会社の小田急電鉄などが29年度に地上48階建ての高層ビルを建設するが、こちらも百貨店が入居するかは決まっていない。京王百貨店新宿店も再開発ビルに建て替えられる計画だが、百貨店の入居は未定という。
そもそも私鉄各社がターミナル型百貨店に参入したのはなぜか。それは沿線の住宅開発で鉄道の利用客が増えるため、発着や乗り換え駅の百貨店を設けて買い物してしてもらうためだ。しかし、私鉄と地下鉄が相互に直通運転するようになると、乗り換える必要がなくなり百貨店での買い物客は減っていった。私鉄会社が百貨店を経営するメリットは薄れたのである。
東急グループのように東京渋谷という街全体の再開発を手がければ、複合ビルに商業施設を組み込みテナントを誘致すれば、賃料収入で収益を稼ぐことができる。ターミナル型ではない松坂屋銀座店ですら、従来の百貨店業態から「GINZA SIX」に業態変更し、賃料で稼ぐSC型に舵を切っている。
しかし、地方百貨店はそうはいかない。1月31日には北海道帯広市の「藤丸」が閉店した。こちらはメーンの顧客が高齢化したのに加え、帯広駅前周辺には「エスタ帯広」や「イオン帯広」などのSCがあり、消費者の多くがそちらで買い物し新たな客層の開拓が厳しかったからだ。地方は人口減少でマーケット自体が縮んでおり、SCへの業態変更すら難しい。これは今年8月に閉店する函館の「テーオーデパート」にも言えることだ。
売却問題で揺れるそごう・西武百貨店にしても、地方店のSC転換は容易ではない。仮に主要フロアをヨドバシカメラに押さえられると、百貨店向けのブランドは撤退していくと思われる。ヨドバシカメラが自店と親和性があるテナントを誘致するにしても、ヨドバシ博多の例を見れば、残るフロアの全てを埋めることは難しい。SC化すら厳しい状況だから、施設全体の維持や従業員の雇用を継続してほしいセブン&アイHDの要求にも、暗雲が立ち込める。
SC化でもブランドはスライドさせる
百貨店がSC化すると言っても、実態ははるか前から不動産業と化していたのだから、それほど不思議ではない。もともと百貨店はブランドのハコ単位で売場を構成し、品揃えも運営もメーカー任せで、在庫リスクも販売スタッフも負わない場所貸しモデルだった。一時、声高に叫ばれた自主MDも、そこまでに踏み込めなかったのは専任人材を育成・確保できず、取り組む経営の意志がなかったことに尽きる。
百貨店の多くは都市部の好立地に位置し、店舗コストが高い(高額な地価税など)のだから、それを吸収できるだけの高付加価値を創造しなければならない。にも関わらず、場所貸しに浸りきる長年の体質から抜けきれず、バブル崩壊以降は中間層の没落が影響して、多くが事業モデルに終止符を打たざるを得なくなったわけだ。
百貨店がSC化していく上で、名称をどうするかは経営陣の判断だ。一方、これから百貨店の跡地に誕生する複合ビルでは、商業施設部分にテナントを集積するから、オリジナルの名称が用いられる。また、地方百貨店の再生・リニューアルでも、ビルごと再開発されることになれば、百貨店がサテライト店で残ったにしても、一テナント名でしか語られなくなる。
SCとなれば、競争力はテナントの顔ぶれと施設全体の運営力にかかってくる。特に大都市では百貨店がSCに変わっても、ファッションを主体に高感度で独自性のあるMDを提案していかなければ競争力を持てない。百貨店時代に増して厳しくなるだろう。
ただ、メーンターゲットが40代以上であるのは変わらない。だから、他社との差別化や集客力を発揮するには、百貨店時代のブランドを継続して誘致するほか、ショールームに徹する「売らない店」をブラッシュアップできるかにかかってくる。逆にテナントの中には、常時展開はできなくても、ポップアップストアやイベントスペースへの展開で、継続出店が可能かの様子を見るところも出てくるだろう。
百貨店向けのブランドがスライド移転すれば、デパ地下の和洋菓子、各種惣菜、ワインなどもテナント出店を継続していくと思われる。生鮮や食材などはロスがあるので自主運営での継続は難しく、渋谷スクランブルスクエアのように「紀ノ国屋」などの高級スーパーをテナントで誘致するしかない。
課題は平場の「洋品」をどうするかだ。ハンカチやスカーフ、マフラーや手袋、ベルト、財布などは、ブランドのセカンドライセンシーであるメーカーなどが商品を製造し納入してきた。こうした商品は地味ではあるが、ヒット商品となればシーズントレンドを表し、百貨店経営のバロメーターにもなっていた。おそらくSCでも一定の売場を確保してスタッフを配置し、メーカーや卸からは商品を納入してもらうのではないかと思う。
さらに外商顧客はそのまま維持すると思う。また、「新富裕層」と呼ばれるマーケットの攻略も課題となる。東急百貨店は渋谷ヒカリエShinQs内に外商顧客専用のコーナーを新設するが、顧客に対しいかに情報、モノ、コトを提案できるかが問われるところだ。
百貨店が次々と閉店し、完全なSCに衣替えしていくことは、時代の趨勢だから仕方ない。お客にはいろんな思い出があり、それが郷愁を誘うのも理解できる。だが、感傷に浸っても先には進めないし、ビジネスだからドライに割り切ることも必要だ。
アパレル側とすれば、SCの売上げ状況などを見ながら、新たに百貨店顧客をターゲットにしたブランド開発への取り組みも求められる。百貨店がSCとなれば、それはそれで新たなモノやコトが生まれるし、そうした変化にも期待していきたい。
百貨店のSC化は今に始まったことではない。高島屋は1963年、不動産事業に特化する東神開発を設立し、デベロッパー事業に参入した。69年には横浜髙島屋玉川支店を核店舗に、テナントに専門店を集めた「玉川高島屋ショッピングセンター」を開業。東神開発が初めてSCに携わった案件で、この時は屋号と言うより、業態名がそのまま店名となっている。
高島屋は1996年には東京・千駄ヶ谷に「タカシマヤタイムズスクエア」を出店。この店舗では百貨店とは明らかに違う屋号を用いた。2018年には周辺の再開発に伴なって日本橋店を増床し、テナントを集めた「日本橋高島屋S.C.」を開業(19年)。立川店も同様な構成で「立川高島屋S.C.」(23年1月末には百貨店区画の営業を終了)と改めた。S.C.をショッピングセンターと読めば業態名だが、略してエスシーとすれば屋号とも受け取れる。
高島屋は今秋、京都店が専門店ゾーンを増床オープンをするのに合わせ、屋号を「京都髙島屋S.C.」に変更する。同社がこぞって屋号に店名+S.C.を使用するのは、百貨店と専門店を合体した商業開発が成功しているとの自信からか。阪急百貨店も今秋に改装を完了する高槻阪急の屋号を「高槻阪急スクエア」に変更する。阪急では本店を除く地方店はSC化することで、何とか生き残ろうという戦略が見てとれる。
一方、東急百貨店は1月31日、東京渋谷の本店を閉店した。後背には高級住宅街の松濤を抱え、渋谷駅直結の東横店と差別化を図るため、高級ブランドを強化。1989年には複合文化施設Bunkamuraを併設し、アートや演劇、音楽も発信した。しかし、開業から半世紀余り、建物の老朽化が進む中、親会社の東急電鉄などと渋谷ヒカリエ、渋谷スクランブルスクエアなど足元エリアの再開発を進めていることで、55年の歴史にピリオドを打つ形となった。
跡地には2027年度の完成予定で地上36階、地下4階建ての複合施設が建設され、低層階には商業施設、中層階には高級ホテルなど、上層階には賃貸住宅が整備される計画という。ただ、商業フロアに百貨店が入ろうが入らまいが、渋谷ではその存在が薄れたのは間違いなく、商業フロアの名称も全く別のものになると思われる。
東京都心では他にも電鉄系、ターミナル型百貨店の再開発が相次いでいる。2022年10月、小田急百貨店は新宿店本館の営業を終了した。親会社の小田急電鉄などが29年度に地上48階建ての高層ビルを建設するが、こちらも百貨店が入居するかは決まっていない。京王百貨店新宿店も再開発ビルに建て替えられる計画だが、百貨店の入居は未定という。
そもそも私鉄各社がターミナル型百貨店に参入したのはなぜか。それは沿線の住宅開発で鉄道の利用客が増えるため、発着や乗り換え駅の百貨店を設けて買い物してしてもらうためだ。しかし、私鉄と地下鉄が相互に直通運転するようになると、乗り換える必要がなくなり百貨店での買い物客は減っていった。私鉄会社が百貨店を経営するメリットは薄れたのである。
東急グループのように東京渋谷という街全体の再開発を手がければ、複合ビルに商業施設を組み込みテナントを誘致すれば、賃料収入で収益を稼ぐことができる。ターミナル型ではない松坂屋銀座店ですら、従来の百貨店業態から「GINZA SIX」に業態変更し、賃料で稼ぐSC型に舵を切っている。
しかし、地方百貨店はそうはいかない。1月31日には北海道帯広市の「藤丸」が閉店した。こちらはメーンの顧客が高齢化したのに加え、帯広駅前周辺には「エスタ帯広」や「イオン帯広」などのSCがあり、消費者の多くがそちらで買い物し新たな客層の開拓が厳しかったからだ。地方は人口減少でマーケット自体が縮んでおり、SCへの業態変更すら難しい。これは今年8月に閉店する函館の「テーオーデパート」にも言えることだ。
売却問題で揺れるそごう・西武百貨店にしても、地方店のSC転換は容易ではない。仮に主要フロアをヨドバシカメラに押さえられると、百貨店向けのブランドは撤退していくと思われる。ヨドバシカメラが自店と親和性があるテナントを誘致するにしても、ヨドバシ博多の例を見れば、残るフロアの全てを埋めることは難しい。SC化すら厳しい状況だから、施設全体の維持や従業員の雇用を継続してほしいセブン&アイHDの要求にも、暗雲が立ち込める。
SC化でもブランドはスライドさせる
百貨店がSC化すると言っても、実態ははるか前から不動産業と化していたのだから、それほど不思議ではない。もともと百貨店はブランドのハコ単位で売場を構成し、品揃えも運営もメーカー任せで、在庫リスクも販売スタッフも負わない場所貸しモデルだった。一時、声高に叫ばれた自主MDも、そこまでに踏み込めなかったのは専任人材を育成・確保できず、取り組む経営の意志がなかったことに尽きる。
百貨店の多くは都市部の好立地に位置し、店舗コストが高い(高額な地価税など)のだから、それを吸収できるだけの高付加価値を創造しなければならない。にも関わらず、場所貸しに浸りきる長年の体質から抜けきれず、バブル崩壊以降は中間層の没落が影響して、多くが事業モデルに終止符を打たざるを得なくなったわけだ。
百貨店がSC化していく上で、名称をどうするかは経営陣の判断だ。一方、これから百貨店の跡地に誕生する複合ビルでは、商業施設部分にテナントを集積するから、オリジナルの名称が用いられる。また、地方百貨店の再生・リニューアルでも、ビルごと再開発されることになれば、百貨店がサテライト店で残ったにしても、一テナント名でしか語られなくなる。
SCとなれば、競争力はテナントの顔ぶれと施設全体の運営力にかかってくる。特に大都市では百貨店がSCに変わっても、ファッションを主体に高感度で独自性のあるMDを提案していかなければ競争力を持てない。百貨店時代に増して厳しくなるだろう。
ただ、メーンターゲットが40代以上であるのは変わらない。だから、他社との差別化や集客力を発揮するには、百貨店時代のブランドを継続して誘致するほか、ショールームに徹する「売らない店」をブラッシュアップできるかにかかってくる。逆にテナントの中には、常時展開はできなくても、ポップアップストアやイベントスペースへの展開で、継続出店が可能かの様子を見るところも出てくるだろう。
百貨店向けのブランドがスライド移転すれば、デパ地下の和洋菓子、各種惣菜、ワインなどもテナント出店を継続していくと思われる。生鮮や食材などはロスがあるので自主運営での継続は難しく、渋谷スクランブルスクエアのように「紀ノ国屋」などの高級スーパーをテナントで誘致するしかない。
課題は平場の「洋品」をどうするかだ。ハンカチやスカーフ、マフラーや手袋、ベルト、財布などは、ブランドのセカンドライセンシーであるメーカーなどが商品を製造し納入してきた。こうした商品は地味ではあるが、ヒット商品となればシーズントレンドを表し、百貨店経営のバロメーターにもなっていた。おそらくSCでも一定の売場を確保してスタッフを配置し、メーカーや卸からは商品を納入してもらうのではないかと思う。
さらに外商顧客はそのまま維持すると思う。また、「新富裕層」と呼ばれるマーケットの攻略も課題となる。東急百貨店は渋谷ヒカリエShinQs内に外商顧客専用のコーナーを新設するが、顧客に対しいかに情報、モノ、コトを提案できるかが問われるところだ。
百貨店が次々と閉店し、完全なSCに衣替えしていくことは、時代の趨勢だから仕方ない。お客にはいろんな思い出があり、それが郷愁を誘うのも理解できる。だが、感傷に浸っても先には進めないし、ビジネスだからドライに割り切ることも必要だ。
アパレル側とすれば、SCの売上げ状況などを見ながら、新たに百貨店顧客をターゲットにしたブランド開発への取り組みも求められる。百貨店がSCとなれば、それはそれで新たなモノやコトが生まれるし、そうした変化にも期待していきたい。