HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

愛されるのは「店」なのか。

2015-12-30 09:59:45 | Weblog
 あと1日で2015年が終わる。今年こそ、良くなる。良くありたい。と願いながら、むしろ悪くなっているような感じがする。

 そんなことを考えていると、とある老舗百貨店が広告代理店と仕掛けるネット記事が目を止まった。

http://www.advertimes.com/20151224/article211741/

 熊本に本拠を構える「鶴屋百貨店」が「電通」と組んで、「熊本一愛される店をめざして」をテーマに自己革新を共に歩むという企画だ。

 記事元は「宣伝会議」。メーンの読者は企画書を書くコピーライターや企業向けにプレゼンする代理店の営業だから、イントロから「伸びている企業の経営者のそばには、優れたクリエイターがいる」との煽りで、購読に誘っている。

 内容は地方百貨店が苦戦を強いられる中、鶴屋の経営者が電通の熊本支社長から渡された「コミュニケーションをデザインするための本」から、それまで気づいていなかった経営のヒントを見いだしたというもの。

 鶴屋側も成長を続けるためには、自己革新が不可欠と考えていたようだ。そこで、「百貨店業界にはない考え方を持つクリエイターの視点と手法で、組織を揺り動かしてもらうのが良いのではないか」と決断したと、記事は書いている。

 地方百貨店と代理店の関係。これは主に新聞広告やテレビCMでつながってきた。鶴屋も魔性の女優、斉藤慶子が国立熊本大学の学生時代に出演したことで、企業CMが話題になったことがあるが、基本的には同じ構図だろう。

 かつては高島屋系グループに所属していたが、競合店?の熊本岩田屋~県民百貨店が閉店したことで、伊勢丹系の全国デパートメントストアーズ開発機構(ADO)に加盟した。でも、全国的な知名度、ブランド力はその程度でしかない。

 ご多分に漏れずバブル崩壊の影響、大規模小売店法の改正、市場やお客といった外部環境の変化で、地方百貨店には代理店が仕掛けるマーケティングやマス広告が通用しづらくなっている。

 鶴屋から仕事を持ちかけられたクリエーターは、「この先50年、100年と事業を継続するために今何ができるのか」「そもそも地域の百貨店とはどうあるべきか」「鶴屋さんの期待に、何とか応えたいと思った」と語っている。

 それが「全社的な意識改革で、自由闊達で自己改革できる企業づくり」とか。社外の人間ながら「鶴屋イノベーション・プロジェクト」のリーダーとして、「社員の意識改革」「自己革新を続ける組織づくり」というミッションに取り組むのだという。

 小売業界では以前から「代理店に期待するのは広告制作や枠取りではない」との声があがっている。経営者の中にも「メディアの支配力ではない。時代がどう変わっていくか教えてほしい」と、代理店のあり方を問いただす人も出てきているほどだ。

 だから、宣伝会議の記事を好意的に受け取れば、地方百貨店が代理店に期待するものが変わってきたということだろう。

 ただ、よくよく記事を読むと、エッ、これってクリエーターの仕事なの?数々のコンサルタントがやってきたのに、彼らでさえ実現できなかったのに。なぜ他店に自身のマーケットを食われたのか反省しているの?と思う部分は多々ある。

 経営者側も内部のイノベーションをクリエーターが手ほどきできるほど、百貨店経営は甘いものではないことを自覚しているはずだ。なのになぜ、なのか。

 筆者はこれまでに業界誌などの仕事を通じ、百貨店のイノベーションには何度も触れてきた。だが、大半が功を奏したとは言い難いと感じている。

 経営者は業績が目に見えて回復すれば、プロジェクトのおかげだと叫び、効果が出ないと他の理由をあげつらう。そんな事例が枚挙に暇がない。すべては結果論なのである。

 記事で取り上げられている「鶴屋ラララ大学」も然りだ。クリエーターが感心したという「現場スタッフの博識」。そうした専門知識を生かし、お客を大学生に見立てて、百貨店の価値は人であると体現していくものだとか。

 しかし、百貨店が得意とする和菓子やスウィーツ、和・洋惣菜、魚介や塩干、食材、ワインなども、今では専門店の方がはるかに充実している。さらに価格競争力もあり、確実にお客を呼べている。

 それらが実現できるのは卓越した商品知識と情報収集があってのこととは、多くの小売り関係者が認めるところだ。それ以上にインターネットを背景にして、お客の方がはるかに情報を持っている。 だから、すんなり機能するとは思えない。

 ファッションになれば、なおさらだろう。ADOに鞍替えしたので、伊勢丹に入るブランドはリーシングしやすくなった。反面、ミッシーやミセスといった高島屋系列のコンサバブランドからは相手にされなくなるのではないか。

 そうした状況は、地元アパレル関係者や通のお客の間では、当然のように語られている。裏側の情報収集は鶴屋のスタッフ以上なのだ。



 筆者は食材やファッションについては、百貨店のリサーチは欠かさないが、売場スタッフの知識不足に弱ることが少なくない。

 かつて鶴屋のワイン売場で、イタリア産スパークリングのことを訊ねると、スタッフが応えきれなかったことがある。

 電通のクリエーターが言う「現場スタッフの博識」と、何をもってそう言えるのか。自分のクライアントである別の百貨店との相対比較なのか。

 鶴屋の競合店は地場の専門店、郊外SC、さらに福岡エリア、ひいてはECまで及ぶ。絶対比較してそうでなければ、何の説得力もない。

 宣伝会議は主に代理店や制作会社、コピーライター志望などが購読している。ネット版と言うことで、県外の読者はリアルなマーケットなど見ていないわけだから、記事を頭から否定的に捉えることはないだろう。

 しかし、熊本のマーケットは代理店のクリエーターと百貨店の経営者が悠長に語り合えるほど、安穏とした状況ではない。

 90年代後半から郊外には続々とSCやディスカウントストアが進出。また高速道路網の整備で福岡にもお客が持ち出されるようになった。その額は年間で100億円とも、150億円とも言われている。

 さらに市内で手に入る商品には限界があることから、ネット販売にシフトするお客が増えているのも事実だ。流通戦争が激化の一途を辿っているのである。

 熊本市は2002年に市街地の活性化事業を行った。鶴屋が面する通町筋一体の環境を整備するもので、熊本日々新聞本社ビル跡には、鶴屋がNew-S館、隣には鶴屋東館を誕生させている。

 鶴屋は郊外や福岡に奪われたお客を取り戻すために、こうしたハコには若者向けのショップやラグジュアリーブランドを誘致した。もちろん百貨店として自前で黒字化はできないので、歩率家賃による運営や消化仕入れである。

 ところが、それらが「持ち出し」に歯止めをかけるほどの効果は出ていない。そこで今度はNew-S館に値ごろなSC向け業態を誘致し、東館では苦戦のラグジュアリーブランドをセーブして、人気のセレクトショップやカフェをリーシングする有り様だ。

 また福岡天神に手芸店の「ユザワヤ」がオープンすれば同店を、JR博多シティに「東急ハンズ」が進出すれば同業態の縮小版を誘致するだけ。経営戦略の軸は、福岡や郊外にお客を持ち出さない対症療法としか見えない。

 それに日本の消費を下支えする中国人旅行者は、鶴屋が見上げる熊本城内を観光するだけで城下商店街には降りて来ず、そのまま貸し切りバスで阿蘇などの観光地に向ってしまう。

 このほど鶴屋から東に数キロ離れた観光地、水前寺公園近くに「ラオックス」が出店することが発表された。それも貸し切りバス専用の駐車場が完備できるからだ。

 鶴屋にとってはまざまざと爆買いを中国資本の奪われるわけだが、目に見えた対策を取れないところに経営の腐心ぶりが見え隠れする。

 記事では、「鶴屋は創業から60年以上にわたり地域に愛され、業績も好調な百貨店です」と、クリエーターのコメントを掲載している。でも、それは競合店の県民百貨店が閉店したことによるお客の流入で、一時的なものに過ぎないと思われる。

 それどころか、県民百貨店の閉店後、「地元で一人勝ちすることは良しとしない」など呑気に言っていると、流通業界ではまことしやかに語られているほどだ。

 県民百貨店跡地一帯の再開発事業が完成するまでまだ時間がある。だが、下通り商店街の城屋ダイエー跡には福岡天神で「VIORO」を運営するデベロッパーがビルを開業し、1~4階がファッションゾーンになることが決まっている。

 当然、鶴屋に出店するユナイテッドアローズ、シップス、エディフィスをはじめ、熊本初の業態、人気テナントの争奪戦が繰り広げられるのは、想像に難くない。競合相手は待ってくれないのである。

 一方、代理店も厳しさを増している。マス媒体離れも顕著で広告収入が低迷している。地方ではまだまだと言っても、九州におけるビッグクライアントは、菓子、味噌醤油、酒が主体だ。

 熊本地区は酒とパチンコ屋を除き、大手クライアントがないため、代理店が鶴屋を大事にしたい気持ちはわからないのでもない。しかし、クリエーターが謳う「自己革新」をよそに、地方百貨店の業況は厳しさを増している。

 エリート電通マンが月に一度程度、熊本を訪れたところで、市況の厳しさがわかる訳でもないだろう。地方百貨店の経営革新とは、焼酎メーカーの広告づくりとは違うのだ。

 今の時代、経営者なら「あんたらが表現するコピーやデザインで、うちの商品がどれだけ売れるのか」と、もの申しても不思議ではない。それが見えないところに地方百貨店と代理店との馴れ合いが透けて見える。

 地方百貨店が本当に手をつけるべきイノベーションとは、MDと販売戦略だ。

 百貨店のMDは、テナント構成で決まる。だから、売上げもテナントリーシングと編集の巧拙に左右される。当然、熊本のように取り巻く環境が激変する市場では、百貨店に期待される役割も年毎に変わっていく。

 その一つが高齢者に的を絞った店づくりなんかだろうが、如何せんその販売でさえ、鶴屋は郊外SCやディスカウント業態に勝てない状況だ。

 生活に欠かせない生鮮食品しかり、ドラッグしかり、高齢者は呼び込めているのは郊外店の方である。品、量、価格とも百貨店を凌駕し、見せ方、加工、売り方、ターゲット設定でも群を抜く。

 もちろん、中高年向けのファッションでも言わずもがなである。

 市場を取り巻く環境変化を理解できる経営者なら、市場における役割の変化を察知し、革新に取り組んでしかるべきである。小売業とはお客が求める商品を適正な価格で、適正な時に、適正な場所で、適正な販促のもと行うことだからだ。

 お客もちゃんとわかっている。このくらいの素材(コスト)で、このくらいの感性(デザインや質感)で、このくらいの価格なら、十分に購入するに足る。店頭でそれに出会った時、買い物スチッチが入るのである。

 しかし、 百貨店経営者はそれさえ満足させきれず、簡単に「地元に愛される店」と口走る。

 本当に愛されるのは「店」なのか。お客はそれを百貨店に求めているのか。鶴屋がそこに切り込んで考えていかなければ、何の解決策にも見いだせない。

 代理店のクリエーターに方法論を求めること自体が本末転倒で、小手先のことしか考えない戦略の乏しさを露呈する。

 店を見れば、経営がわかる。まさに鶴屋そのもの。宣伝会議もその辺を知ってか、知らずか、代理店と企業をへたに持ち上げるところに、的外れな視点が見えて仕方ない。
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衝動買いの受け皿も用意する。

2015-12-23 21:31:19 | Weblog
 ZOZOTOWNを運営するスタートトゥデイがCtoC(消費者間取引)のフリーマーケット事業「ZOZOフリマ」に参入した。

 ZOZOTOWNやコーディネートアプリ「ウェア」の商品データベースを活用して、簡単に出品できるもので、不用の衣料を出品して新品を購入する流れを促進するファッション販売のプラットホームを目指すという。

 過去10年にZOZOTOWNで販売した商品、画像データを生かすというから、出品者は自分で「壁掛けハンギング」などの撮影をする必要がなく、またスマホで撮ったから「商品の写真にピンが来ていない」なんて失敗をすることもなくなる。

 少なくともZOZOTOWNのプロライクなモデル撮影の写真をそのまま使えるのだから、ヤフオクで指南されるような写真の撮り方ができなくても、気軽に出品できるということである。

 ECもここまで来たかということである。Web利用はできる限り操作を簡単にしないと、出品者は増えないということだろう。

 特にPCではなく、スマートフォン向けがメーンになるのだから、なおさらである。まさに至れり、尽くせりということだ。

 もっとも、データベースの写真は、販売当時の「新品」だから、出品アイテムがユーズドである限り、現在の状態を言葉で説明したり、リアルな写真も併せて掲載しないと、閲覧者を欺ことになりかねない。

 記事ではその辺の詳細が書かれていなかったが、おそらくレギュレーションというか、その辺のルールづくりも不可欠になると思う。

 CtoCのフリマ事業では、メッセンジャーアプリのLINEがサービスを提供する「ラインモール」が先行する。

 価格は出品者が決めたワンプライスで、オークションのような出品や販売の手数料もかからず、購入者にとっても手数料や配送料は発生しないことが受け、アプリのダウンロード数は200万を超えたと言われている。

 ただ、ラインモールは、ワンプライスゆえに出品者、購入者にとってオークションのように高く売れた、安く買えたという偶然性はない。また、ヤフーのようなサイトコンサルティングも希薄で、商品がピックアップされない=それほど目立たないなどのデメリットも露呈していた。

 しかも、ラインはヤフーやZOZOTOWNのようにショッピングサイトをもっているわけではないので、あくまでラインユーザー向けのサービスに止まっていた。

 ところが、ZOZOTOWNでは自社のショッピングサイトで新品を売り、その購入者がZOZOフリマで最長10年間のスパンで不要になったものを処分するということになる。

 しかも、ほとんどが有名ブランドだから、新品は買えないけど中古で十分という賢い消費者のアクセスは増えるはずだ。

 今期のZOZOTOWNとZOZOユーズドの併用者数は全体の5.5%、年間平均購入金額は12万円超で、ZOZOTOWNのみの利用者の2倍以上の購入額となっているという。

 こうした状況から、スタートトゥデイでは、新品購入にも弾みがつくと見ている。

 もはやネットで簡単に買い物ができる。だが、サイトの画像をチラ見し、ブランド名や色柄、デザインが好きだったら即買い。いわゆる「衝動買い」も少なくないはずだ。

 結果として、店舗で現物を試着し、姿見に映しながら、販売スタッフの接客を受けるわけではないから、商品が届いて実際に来て見ると、「何か違う」「しっくり来ない」「今イチ」という印象を受ける購入客はかなりいるのではないか。

 そうこうするうちに返品期間が過ぎ、「しょうがない、売るか」ってことになる。まずはオークションにかけて1円でも高く処分するか、街中のブランドリサイクル店に持ち込むか。

 ただ、買い手が付くまでのタイムラグや買いたたかれるリスクもあるわけで、だったら言い値で処分した方が手元に早くキャッシュが入る。

 また、消費者の大半がかなりのタンス在庫をもっている。トレンドが変われば、着る機会は少なくなるし、次の流行まで待って着ることなど、ほとんどありえないだろう。

 こうした消費者の心理を巧みに捉え、フィットするサービスが、ECの次なる肝なのかもしれない。

 「新車が売れないと、中古車のタマも揃わない」との話は良く聞く。ただ、洋服は車ほど高額ではないし、タンス在庫はかなりに上るだろうから、これが吐き出されれば中古市場は活況を呈する。ただ、そこには「売れるブランド」という条件がつく。

 それらをメーンに狙っている賢い消費者や業者もいる訳で、そこではマーケットが生まれ、ビジネスチャンスがある。それをいかに作り出していくかがカギになると言うことだ。

 ZOZOTOWNに出店している有名ブランドはすでにほとんどがSPA化し、中国などのアジア生産が増えているとは言え、若者にとってはブランドネームの方が優先される。

 だから、それほどダメージがなければ、感覚的にユーズドでも十分の許容範囲になるのである。

 ちまたには全国チェーンから個店まで、ブランド品買い取り店も増えている。こちらが若者を捉えきれているとは言えないことも追い風だ。

 全国チェーンでは、買い取り方法がマニュアル化されてはいるが、アルバイトが査定に携わることや所要時間の長さ、提示された額と期待した金額との開きなど、買い取り相手目線のイメージは拭えない。

 つまり、売り手と買い手の間の限られた市場がそうさせるのである。

 出品者自らが言い値を付けて、それでもOKというお客に買ってもらった方が、お互いにウィンウィンの関係になることができる。こうしたことも売り手と買い手が時空を超えて存在できることがECの魅力である。

 ZOZOフリマは、そうした消費者心理、特に若者の感覚をうまく拾い上げたサービスではないかと思う。ユーズドを購入したお客には、ZOZOポイントがつくわけで、これが新品購入にもつながっていくわけだ。ECは中古市場においても、競争原理をもたらしていくのは間違いない。

 一つ心配材料としては、個人がユーズドで相当額の売上げを上げれば、当然、課税の対象になってくる。

 来年からはマイナンバーが導入されるわけで、もしかしたら税務署がこうしたサービスに番号登録またはサービス事業者に報告の義務を課すかもしれない。

 その辺の制度づくりや法整備が新たな課題になってくるだろう。ビジネスモデルが進化し、消費者にとって便利になることが良いのだが、お上はそこから搾り取ることも忘れていないのだから。
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過大な期待は禁物。

2015-12-19 14:17:09 | Weblog
 The FLAGイシュー、前回に続いて下半期のニュースも振り返ってみたい。

 いちばんというか、この2つ以外はあまり浮かばないという印象だ。一つ目はユニクロが発表した「週休3日制の導入」である。

 内容は1日の労働時間が現状の8時間から10時間に変更されるが、給料は据え置きで、休みは土・日曜日、祝日以外で取得するというもの。まずは地域限定社員のみを対象とし、様子を見てその他の職種にも広げていくという。

 制度の背景には、ユニクロの店舗が次々と大型化していることがある。商品展開する棚や什器はそのままストックも兼ねるため、売場スタッフは乱れた商品を畳んだり、ハンギングしたりと、閉店後の作業は膨大な量になっている。

 ユニクロ側はなるべく残業させないように指導しているようだが、店内が片付かなければ翌日の開店は迎えられない。当然、店長職までのサービズ残業が増えていくことになる。

 そのため、幹部候補で入社したものでさえ、3年以内に3割が退職する状況だ。ユニクロ側としては、何とかブラック企業の汚名挽回と行きたいから、少しでも働き易さを強調したのではないか。

 週刊文春が告発した「過酷な労働環境」についても、ユニクロ側は高額な損害賠償訴訟に踏み切ることで封じ込めようとした。ところが、司法は「国内店舗は繁忙期のサービス残業を含む月300時間超の労働は真実」と認めた。

 この司法判断は、ユニクロにとっては非常に旗色が悪いものとなったのは言うまでもない。そこで、柳井会長兼社長とすれば、それを少しでも払拭するために週休3日制を打ち出したように思えてならない。

 人事部でも各店舗にヒアリングし、「約2割が週休3日制を希望」「大学院通学や趣味にあてる」など、多様な時間の使い方を想定しているという。広報も「魅力が高まり、入社してくれる人が増えればいい」とコメントしている。

 ただ、実際はどうなのだろうか。趣味はともかくとして、地域限定社員で大学に通うほどの人間がどれくらいいるのか。事例だから無きにしもあらずだろうが、理由があまりに極端すぎる。

 地域限定社員の顔を立てているのか、それとも一流企業然としたプライドがそうさせるのか。どちらにしても、週休3日になったところで、労働時間は変わりないのだから単なる組み替えに過ぎない。

 さらに穿った見方をすれば、問題になったサービス残業を名目上減らすには、通常の勤務時間帯を増やせばいいということだ。つまり、これまで8時間勤務で、残業が4時間だったものが、10時間勤務で2時間になるだけである。

 ユニクロの店舗は品出しや商品補充にかかるコストをできるだけ削減するために、棚や什器には在庫をフルに並べている。当然、お客が手に取ったあとは乱れてしまう。それをマニュアル通りに整理するには閉店後の作業は膨大になるだろう。 

 管理職はそれ以外にも営業関連の事務処理などの仕事があるわけだ。だから、売場づくりをはじめ、商品展開などのストアオペレーションを根本的に変えない限り、ユニクロでの残業時間は改善されないのではないかと思う。

 まして、週休3日制導入の理由とした「働き方の多様性」とは、一面でしかない。若者が働く価値観は、「自分のやりたい仕事」「仕事より自分の生活を大事に」」「定時で勤務を終えたい」など、さらに広がっているからだ。

 休みが3日なるからといって1日当たりに働く時間が増えること。さらに土日が休みでなくなることが大量採用に決め手になるとはとても思えないのである。

 売場で店長から「10時間勤務は給料分の仕事だから、やれ」と言われかねず、返って離職者を増やすのではないかとの懸念すらある。

 もう一つは、バーバリーとの契約を終了を受けた三陽商会が新たなメーン商材として、「マッキントッシュ・ロンドン」を発売したニュースである。

  マッキントッシュは、もともとアパレル専門商社の八木通商が開拓した英国のコートブランド。三陽商会よりもはるか以前から、中小のセレクトショップが「インポート」を先行して販売して来たという経緯がある。

 1800年代にデザインされたゴム引きのコートは、その撥水性と上質な作りに見られる本物志向が受け、1着20万円近くするにも関わらず、一定の顧客をつかんでいた。

 2007年には、八木通商がマッキントッシュのブランド自体を買収しているので、バーバリーのような契約終了のリスクはない。

 しかし、三陽商会が生産するマッキントッシュは、 高級ラインの「ロンドン」も普及版の「フィロソフィー」もライセンスだ。フォロソフィーはコートで7万円台、ジャケットで3万円台、ロンドンはコートで12~14万円と、本家インポートよりは低額である。

 フィロソフィーはネット通販があるものの、ロンドンはこれまでバーバリーを展開していた百貨店240~260店の代替展開であるため、ブランドとしてバーバリーの受け皿にならない限り、売上げがつくことはありえない。

 そもそも中小のセレクトショップがマッキントッシュの顧客を開拓できたのは、インポートが持つもの作りの良さや質の高さはもちろん、品揃えの中で商品を際立たせ、他ブランドのセーターやパンツ、ブーツなどとコーディネート販売したからである。

 セレクトショップが得意とする編集の妙があったから、売れたということである。

 これに対し、ロンドンは百貨店の売場でコートメーンのブランド単体を販売するだけで、ターゲットも市場も異なり、専門店の顧客を奪うとまでは行かないと思われる。

 言い換えれば、三陽商会側としても客層が違うので、競合がないと踏んだのだろう。しかし、バーバリーの客層はすでに高齢化し、リタイア組みも少なくない。ロンドンがすんなりバーバリーの売上げをキープするとは考えにくい。

 セレクトショップでマッキントッシュの良さに触れてきた客層は、まだまだ高くても40代後半。それゆえ、セレクトショップの感性で磨かれてきたが層がライセンス、しかも百貨店の売場に移行するとは思えないのである。

 八木通商のマッキントッシュ事業部も、それを十分認識した上で、ブランド戦略を構築している。

 既存のインポートを格上げしてラグジュアリー化し、プレステージラインにロンドン、セカンドラインにフィロソフィーという組み立てだ。

 ただ、プレステージと言っても、ロンドンは中価格帯に位置づけられ、セカンドラインのフィロソフィーは普及版と言った方がしっくりくる。

 ラグジュアリーブランドを見ると、最高級からボリュームまでのグレード別に展開するマルチブランド戦略を取るところが少なくない。
 
 しかし、今のマーケットを冷静に見ると、一部の富裕層と大多数の貧困層に大別される傾向にあり、中価格帯のブランドは売上げ的に厳しい局面にある。

 平たく言えば、H&Mがカールラガーフェルドやマルニと、ユニクロがジル・サンダーやクリストフ・ルメールとコラボすれば、お客が殺到して即完売の商品が出る。

 つまり、ラグジュアリーには手がでないが、ボリュームなら買える。結果、百貨店の中価格帯ブランドは閑古鳥が鳴いているに近い状況となる。悲しいかな、それがブランドマーケットの現実なのである。

 そうなると、百貨店に展開するロンドンがどこまでバーバリーの受け皿になれるか。何店舗か売場を巡ってみたが、初老のバーバリーファンが販売員に説明を聞いている風景に出くわすも、特別に売れている感じはなかった。

 今年下半期のニュースからは、過大な期待は禁物という印象を受けた。
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継ぎ接ぎがクルーに再登場?

2015-12-16 12:58:16 | Weblog
 12月の半ばを過ぎ、アパレル各社では2016年春夏企画の営業が佳境を迎えている。

 特にレディスは、この秋の流れを引き継ぎ、やや太め、ストンとした落ち感のあるラインが目立つ。

 また年が明けると、日差しが日に日に明るくなるので、企画サイドとしては気分を高揚させて、服を買ってもらおうという意図から、柔らかく光沢のある素材に目が向く。

 素材は定番の綿や麻よりも、レーヨンやポリエステルの方がしわにならず、シルエットをスッキリ見せてくれるから、立ち上がりは採用しがちだ。

 ただ、毎年、春先の気温は低温傾向が続くので、アイテム自体は羽織ものやコート類の方がニーズは高いだろうからと、企画に盛り込んでいるメーカーが少なくない。

 SPAは1月末からライトな単品にコロッと変わってしまうけど、重衣料も押さえておかないと、数字が取れるアイテムはそうそうないのである。

 個人的には、レディスにはブライトカラーの春レザーを数年前から提案しているが、「価格が割高になる」「販売期間が短い」「お客は冬物の代用で十分だろう」などから、中々採用されないでいる。

 まあ、レザー単品というより、インナーやボトムと組み合わせたMD全体がカギになることは理解している。だからと言って、インナーやボトムにそれほどトレンド変化があるかと言えば、それもありそうもない。

 とすれば、立ち上がりはシルエットを変えたアウターで勝負しようってことになる。レディスでいうところのスプリングコートか、コーディガンか。

 数年前から、冬のコートが余分な装飾を削ぎ落としたシンプルなデザインに回帰。ヤング向けはコクーンやチェスターなど、シルエットに主張を持たせてカジュアルなアイテムと上手に組み合わせて着こなすスタイルが定着している。

 その流れは来春にも引き継がれている。だから、コートの裾からのぞくボトムにも何か主張があるアイテムはないだろうかと思った矢先、あるメーカーから何種類かに染めを変えたデニムをパッチーワークしたジーンズが発表された。

 パッチワークジーンズはジーンズという名称さえ定着していなかった昭和47~48年頃、原宿を中心に大流行した。だから、我々世代には「継ぎ接ぎのGパン」と言った方が馴染みがある。

 裾幅30cmくらいの「ベルボトム」が主流で、英国から上陸した踵高10cm以上のプラットフォームシューズ、いわゆるロンドンブーツを合わせるのがお決まりのコーディネートだった。

 最初にミュージシャンが一斉に穿きこなし、次いで芸能人の多くが飛びついた。

 ベルボトムジーンズは、もともとカウボーイのブーツカット仕様がタウンウエアにも採用されたり、裾が広がったフェミニンなパンタロンの影響を受けて流行したようだ。

 だが、今ほど体格に恵まれなかった若者にとっては、身体に貼り付くようなタイトなシルエットで、膝下からは極端に広がるフレアライン、さらに博多で言うところの「地面をぞろひく」長さが奇妙ながら、実にカッコ良かったのである。

 少なくとも身長が男子で170cm、女子で150cmに満たないものにとっては、ロンドブーツとの組み合わせは、脚を長く見せるための救世主となったのは間違いないだろう。

 「膝下が異状に長い」とか「短足の証拠だ」とか揶揄されたが、業界的には中古のジーンズを寄せ集めて作り、新品より高い値段で売れたのも事実である。だから、今でいう付加価値アイテムとして先鞭を付けた商品ではなかったかと思う。

 筆者は当時、中学生だったが、好きなミュージシャンが穿いていたのを真似したくて、お袋に無理を言って、手持ちのジーンズ2本をテレコにして縫い合わせてもらった記憶がある。

 その後、スリムなシルエットも売り出され、パッチワークの前裾を割って、ブーツを出す穿き方も流行した。でも、50年代に入ると、原宿ファッションがデザイナー系に移ったため、貧乏くささから完全に消滅した。

 ジーンズ業界では、プロモーション用や染め見本など非売品としてパッチワークを作ってはいたのだろうが、市販では今回久々にお目にかかり懐かしくも新鮮に感じた。

 発表された ステュディオ・ダ・ルチザンの商品は、4種類のデニムをブロック状にカットして、パッチワークに縫い合わせたもの。シルエットはストレートで、トレンドの細身ではない。

 他にハーフパンツもあるということだから、こちらはサーファーが良く穿いているシアサッカー・パチワークのデニム版と言えそうだ。

 デザイン面を比較するとどうだろうか。70年代のジーンズはあえて接ぎ1枚1枚の大きさを変えたクレイジーパターンだった。そのため、ジーパン屋のおじさんの感性で生み出された1点ものに他ならない。

 それに対し、今回は当時とは時代も生産背景も大きく変わったので、同サイズのブロックデニムが採用され、色のみが染めや加工で4種に分かれるというもの。ある程度の量産を前提とするから、あまりに非効率にならないように計算された上での企画だと思う。

 筆者はジーンズ業界のことはあまり詳しくないので、これ以上の解説は専門家である南充浩さんに譲るとして、はたしてパッチワークジーンズを穿いて、街中を闊歩する若者は増えるのだろうか。

 まあ、ジーンズはユニクロなどのSPAが進出して、専業メーカーはマーケットシェアでも価格競争でも厳しい状況に置かれている。

 ただ、SPA側にしても、細身のシルエット、ストレッチ素材、加工以外のトレンドを打ち出せずにいる。今回のようなパッチワークを大量生産のラインに乗せようとすれば、複雑な仕様から生産効率が下がってコストが跳ね上がる。

 それ以上に、トレンドにならなかった時のリスクから、どうしても突飛な企画や派手なデザインには二の足を踏む。だから、こうした手間がかかり、マニア受けしそうなデザインは中小専業メーカーの企画力の見せ所でもあるだろう。

 これがトレンドになると、一気にSPAも生産し出すだろうが。

 ジーズンが値段の差だけでどこも変わり映えしない中、 スタイリングや着こなしを考える上では、価格の高さは抜きにしても面白いデザインではないかと思う。

 どうしても、春ものの着こなしはトップスやアウターがスッキリしてしまうと、主張がなくなってボケてくる。その点では、ボトムがパッチワークになると、スニーカーとの組み合わでも相性よく、意外にイケるかもしれない。

 レディスを担当してきた身とすれば、スカートなんかもでもモザイク柄のように見えていい線いくのではないかと思う。

 特殊加工なんかを施して、洗うたびに色落ちの違うパッチワークも面白いのではないだろうか。加工にこだわるシャネルなんかが発表しそうな感じだ。

 ともあれ、春物のボトムが気になるところだ。
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負の話題しか印象にない。

2015-12-13 14:28:20 | Weblog
 The FLAGイシュー、今回は2015年上半期(1月~6月)で驚きの多かったニュースについて、振り返ってみたい。

 何といっても、衝撃的だったというか、そうならざるを得なかったのだろうと思ったのは、5月に発表された「ワールド 過去最大の構造改革」である。
 
 ニュースの見出しとしては、前向きな印象も受けるが、平たく言えば莫大な数のブランドリストラと閉店を意味する。

 具体的には今期末(2016年3月)を目処に、不採算だった10~15のブランドを廃止し、400~500店舗をクローズするというもの。1社規模でこのようなリストラをこれまでに見た記憶がないので、その大ナタ振りがうかがい知れる。

 ワールドはイトキンと双璧をなす「専門店系アパレル」の筆頭格だった。ところが、成長の原動力だった展示会卸営業による受注生産、売れ筋フォロー生産が通用したのは、バブル期までだったと思う。

 景気低迷で卸先専門店が売上げ不振に陥り、売掛金の回収にも事欠く有り様。そこで独自企画による製造小売り、いわゆるSPAにシフトし、百貨店やSCへの直営店展開をメーン販路とし、店頭起点によるQRなど情報整備にも注力した。

 ところが、そうしたビジネスモデルも、大企業ゆえの効率優先、売れ筋追求、安易なODM企画などが仇となってブランド乱立によるカニバリゼーションを引き起こす。さらにデフレ禍は、完全に消費者のファッションに対する価値観まで変えた。

 かつてのように高額な投資をする客層は少なくなり、一部のセレクトSPAやSC業態を除き、中途半端なブランド、原価率を圧縮しただけの商品企画は、目の肥えた消費者には見透かされてしまった。

 行きつく先が低価格ブランドやファストファッションにまで、自社のマーケットが食われるようになったのだ。

 ただ、構造改革におけるブランド廃止や閉店は、マイナス面の処理やコストカットに過ぎない。

 百貨店向けのニューミセスブランド「リフレクト」や、リブランディングが奏功した「インデックス」が売上げ好調だから注力する、EC専用のブランドを立ち上げるといっても、これまでの経緯を考えると、かつてのような「すごいお店」や「感動する商品」はイメージしづらい。

 基本的にSPA路線は引き継いでいくのだから、全体的にヒットブランドが生まれにくいマーケット環境おいて、どこまでプラス成長に転換できるのかは疑問に思う。

 それでなくても、消費者の高級ブランドへの関心の薄れ、マーケット自体の縮小均衡と低価格化は深刻だ。既存の好調業態という持ち駒が少ない中で、V字回復への道筋は決して容易ではないと感じる。

 2つめの注目ニュースは、「ノームコアの波及」である。ノームコアそのものは、昨年、究極に普通のファッション?として流行した。

 今年は春夏からヤングメンズで、「大人っぽいスタイリング」として登場している。

 だが、もともとメンズ自体にそれほどアイテムがなく、デザインのバリエーションも限られている。ご多分に漏れず、ヤングのトレンドファッション離れも進んでいるようで、購入するアイテムは着回しが利くアイテムに偏りがちみたいだ。

 売って行きたい側としては、少しでも数字を伸ばす上では、誰もが着こなせるプレーンなアイテムにならざるを得ないということだろう。

 ただ、トラッドテイストまで行ってしまうと、シーズントレンドが打ち出せない。だから、「究極」「普通」のノーマル、コアというニュアンスで、気分くらいは今年風のトレンド色を打ち出したかったのではないか。

 ヤングも買い物には学習効果が働き、消費者としてもどんどん賢くなっている。それはそれでいいのだけど、1点豪華主義とは言えないまでも、着回しが利くアウターなんかは少し上質なものを選んでほしいと思っていた。その辺の仕掛けが今年の春夏には、打ち出されたということなのだろう。

 個人的には、プレーンなアイテムによる着こなしの方がセンスが問われると思うし、ノームコアをファッションとして際立たせるように感じる。

 どちらにしても業界用語というか、言葉だけは「コツン」くらいのヒットになったのかもしれない。でも、メーカーやブランドの大半が商品企画の面で「ノームコアらしさ」を打ち出したかと言えば、それほどでもなかったという印象である。
 
 もう一つが「トップショップの国内5店舗閉店」だ。

 グローバルブランド、ファストファッションと、デフレの中で騒がれたのもつかの間、多店舗化できずに一等地へのイニシャルコストが早期回収できず、ペイしなかったのが最大の要因だと思う。

 低価格を実現するための超ローコストなもの作りは理解できるが、それを超えるだけのブランド力やデザイン性がなければ、外資と言えども日本市場では競争力を持てないのを露呈したということだ。

 ラフォーレ原宿で最初に見た時、事前にプレスリリースに書かれていた「デザイナーとのコラボを仕掛ける」「モードの匂いのある旬の商品」というセールスポイントには、首を傾げざるを得なかった。

 レディスはともかく、メンズの「トップマン」はロンドンのストリートテイストと言われれば、そうかなという程度だった。

 ファストファッションだから、「リーズナブルで買える」のは確かだが、それほど高いデザイン性はなく、逆に素材のクオリティがかなり低く、「モードの匂い」からコレクションのランウエイを想像すると、全く期待はずれだった。

 モード=練りに練ったクリエーション、素材からデザインまで凝りに凝って作り上げているとのイメージをもつお客からすれば、正直、デビュー時から肩すかし、期待はずれに映ったのではないだろうか。

 いきなりの閉店発表は、デベロッパーにとっては、寝耳に水だったのかもしれない。でも、同時期に撤退した韓国のMIXXOを含め、何でもかんでも目新しいグローバルブランドを持ってきただけでは、日本市場では通用しないということ。

 その辺の難しさが教訓となったニュースではなかったかと思う。

 以上、今年上半期で、印象に残ったものを挙げてみた。だが、あまりポジティブな話題はなかった。来年は少しでもテンションが上がって、服を買いたくなるように、一縷の望みを持ちたい。

 
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クラウドは感性まで満足させられるか。

2015-12-09 13:52:30 | Weblog
 九州・熊本県を地盤とした発行部数35万部程度のローカル紙に熊本日々新聞がある。

 農業と観光が主産業の同県にあって、新規産業の成長・発展など地場経済の振興は同紙にとってもスポンサー確保する上で、至上命題である。

 そのため、頭数だけは豊富な記者を県内くまなく配置し、少しでもビジネスシーズになるようなネタを拾い、大々的に報道する。

 中小企業の応援キャンペーン的記事も多数掲載され、毎月第1日曜日には気鋭の起業家を紹介する「開拓者/スピリット」というコーナーがある。さる12月6日には、sitateru(シタテル)の河野秀和社長が登場した。

 福岡市在住の筆者が同紙を常時購読することはできないが、過去にもシタテルの記事を読んだことがあるので、今回で2度目だと思う。

 同社はインターネット上で、独自企画の商品を生産したい企業と縫製工場をつなぐ、「クラウドソーシングサービス」を提供している。

 具体的な手法は、まず同社がデザイナーやパタンナーを擁して、有名ブランドなどのOEMなどを担う縫製工場と組んで、技術的な特徴をデータベース化しておく。

 商品を発注したいアパレルや小売業は、同社のWebサイトに登録しておき、発注時の依頼内容によって同社が工場の稼動状況に応じて生産を委託。高品質を維持しながら、納期を1~2ヵ月に短縮するものだ。

 また小ロットの受注にも対応して、流通の多重構造を解消するため、工場側には十分な工賃を確保し、原価も従来より安く抑えているそうだ。

 インターネット、ベンチャーと言えばヒルズ族を想像するから、これだけを読むと読者は地方都市の熊本に凄い企業が登場したと思うだろう。一方で、ローカル紙だからこれぐらいの報道でないと地場経済へのエールにはならない。そうした意図も伝わってくる。

 しかし、問題はアパレル業界が同社をどう見るかである。

 日本のアパレル流通は、その起源と発展の歴史から構造が複雑だ。そのため、川上から川下までにいろんな業者が介在する流通システムを簡素化して、それぞれのマージンをカットすれば、「縫製業者が利益を最大化できる」との理屈はわかる。

 商品が店頭に並ぶまでに絡み合う「商社」「卸売業者」「アパレルメーカー」の役割を、クラウドというネットワーク経由で提供することで、実体としての人力やサービスを一掃することになるからだ。

 ただ、先日取り上げたファクトリエが国内工場にこだわっているのに対し、シタテルはインターネットの利点を生かし、国境を越えたシステムを構築して、海外との取引も視野に入れる。縫製工賃が安ければ、その分のコストも下がる。

 さらに現物の商品を見て、触って、着てみないと発注や仕入れに二の足を踏む企画担当者やバイヤーを意識してか、「机上の空論ではなく、生身の人間の問題があって、それを解決するテクノロジーじゃないとダメだ」と、河野社長は(クラウドソーシングサービスに)含みを持たせている。

 しかし、クラウドと言うと、いかにも最先端でベンチャー的だが、同社の立ち位置は所詮、アパレル商社に過ぎない。現実の中間業者が介在するか、ネットワークでスリム化するかの差があるだけだからだ。

 「デザイナーやパタンナーを擁する」も、社員として抱えているのか、外注なのかは記事には書かれていない。

 「服を作りたいと思う人のデザインを形にするインフラになりたい」ということなら、トップスからボトム、布帛からニット、コンサバからアドバンストまでのニーズがあるわけで、自前のデザイナーやパタンナーではとても対応できないだろう。

 工場にしても、発注者のニーズに応えきれるところが同社の登録ブレーンにいれば良いのだが、もしいなければどうするのだろうか。できそうなところに無理に頼むのか、それとも発注を断るのか。

 現在でもコムデギャルソンやヨウジヤマモトなど、モードライクで特殊な縫製加工を行う工場はそれほど多くなく、逆にこちらは汎用のアイテム生産は受けないだろう。

 さらに工場側のキャパの問題もある。一般にアパレルの稼動状況は1年を通じて繁忙期、閑散期は似通っている。大ヒットアイテムの追加があるなどについても、忙しいのはどこも同じだ。

 仕事が空いた工場があるといっても、そこが発注者側の仕様ニーズに応えられる技術をもつかどうかである。こちらにしても、できそうなところに無理に頼むのか。工場側が断ると、どうするのか。海外に発注すれば、納期はどうなのるのか。課題は尽きない。

 一口に「服を作りたいと思う人のデザイン」と言っても、ニーズは様々だ。そんな人の中では、縫製が簡単なプレーンなデザインを好むのは少数派と思われる。むしろ色(染め)、素資材、デザインやシルエットにこだわり、加工、縫製にも一家言をもつ人が少なくない。

 それらに対する受け手をインターネット上のネットワークに揃えたくらいで、簡単に対応できるとは思えないのである。

 また服を作りたい人、発注者個々で、「感性」は異なる。その感性頼りがアパレルビジネスをダメにしたという意見もあるが、服を作りたい人間にとって譲れないのが感性でもあるのだ。

 例えば、色が「黒」と言っても、墨黒、漆黒、ブラックがあり、作り手と受け手でとらえ方が違えば、全く異なった色になる。

 生地の打ち込みも、番手で指示すれば問題はないが、単なる「厚手」「薄手」に対する受け取り方はデザイナーとテキスタイルメーカーでは異なる。たかが生地、されど生地なのである。

 他にもステッチ糸の太さやかけ方、玉縁縫いのミリ数、パンピングの幅、まつりや刺しの処理、ダーツ、シャーリング、ギャザーなどの始末は、「クラウド仕様書」に書き込んだにしても、上がったサンプルでイメージが違うことは無きにしもあらずだ。

 こうした生地から縫製までのやり取りがそれぞれ百戦錬磨でアパレルとツーカーの中間業者を介在させず、ネット上のコミュニケーションだけで簡単に解決できるとは思えない。



 記事には「ネットで新たな流通基盤構築」との見出しが躍る。これが縫製工場に最大利益を提供するとの意味合いなのだろうが、本当にそうなのか。

 クラウドというデジタルシステムは、1か0かだ。微妙な部分はやはり人間が入って調整していかないと、完璧な服には仕上がらない。そこにはアナログな世界も必要なわけで、その分のコストはかかってくる。

 新たな流通基盤と言えば、カッコいい。しかし、バブル崩壊後にも似たような意味合いの言葉をマスメディアは流布した。

 オフプライスストアやディスカウンターを盛んに取り上げ、安さや価格破壊の背景を「中間流通のカット」で成し得たと、消費者に伝えた。確かに一部はそうだったかもしれないが、大半は原価率を圧縮し、最初から安い商品を作っただけに過ぎなかった。

 アウトレットモールに出店するそうした業態を見る限りでは、レアなブランドが安いを謳う割に高品質な商品にお目にかかったことがない。結局、「中間流通業者のカット」は、安さの裏側と品質の維持を錯覚させるロジックでしかなかったような気がしてならない。

 だからといって、シタテルがそうだとは思わないが、クラウド頼みで品質を含めた発注者のきめ細かなニーズ、先鋭的な感性に応じきれるとは思えないのである。

 同社は今年1月の本格稼動から1年弱で提携工場は約80、登録取引先は約1200社に及び、そのうち約500社から生産を受注。東京五輪の東京都知事や幹部職員用のコート数十着を生産し、関連製品の生産依頼もあるという。

 依頼分の「小売り流通総額は3億円に迫る勢い」というが、アパレル商社としての純粋な売上げはいくらなのかは記されてはいない。4掛けなら1億2000万円、5掛けで1億5000万円というところだろうか。

 商品の卸値や小売り価格は、発注者側のアパレルや小売りが決めるのだから、最終的な売価がいくらで、それが売れたかどうかも記事ではわからない。

 アパレルは基本的に量産によって、メーカーも工場も潤う。それゆえ、クラウドソーシングサービスは、アパレルにおけるニッチビジネス、マスマーケットの隙間を狙った仕組みの域を出ない。

 現状では受注生産の域を出ないから、 売上げを拡大するには、多様化するニーズにいかに即応できるかになる。そのための営業力が求められるということだ。

 ただ、それはネット上にWebサイトを公開するだけでは限界があるだろう。河野社長も仰っているように、生身の人間の問題を解決できるアナログな部分もないと、クラウドだけでは多用化するニーズには対応できないと思う。

 その辺のビジネスインキュベーションにまで踏み込まないと、熊本経済界、熊本日々新聞が期待するような産業振興、雇用拡大は望めないのかもしれない。新たな流通基盤は、人間産業のアパレルにとって諸刃の剣なのだから。
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思惑通りに市場は動かない。

2015-12-05 12:58:14 | Weblog
 The FLAGイシュー(http://theflag.jp/blog/16)、今回のテーマは、 「ファクトリーブランドは国産比率を高めることができる?」について。

 ファクトリーブランドとはイシュー曰く、「下請け工場が独自に立ち上げたブランドのこと」を指すのだそうだ。

 「工場が直接、企画、デザイン、製造までを行うことによって、デザイン料やブランド料等がカットされ、我々に品質の良いものがこれまでより安価に提供できるようになる」と、メリットもあげている。

 しかし、どうだろうか。工場が直接、企画、デザイン、製造まで行うだけなら、それは単なる「プロダクト」に過ぎないのではないか。そもそも、ブランドと言うからには、ある程度の知名度があることが前提になる。

 確かにファクトリー発なのだからメジャーブランドに比べると、ブランド化に不可欠とされる広告宣伝費は省けるのかもしれない。

 いや、資金力の面からかけられないと言った方が正確だろう。果たしてそれを抜きにしてブランド足り得えるのか、である。まあ、ブランド化するための施策が先か、すでにブランドありきのビジネスかを議論しても始まらない。

 きちんとネーミングされ、ロゴマークがあって、タグが付けられているものなら、ブランドと言えなくもないだろうから、厳密な定義云々はこの辺にしておこう。

 もっとも、ブランド足るにはネームバリュ以前に商品のそのものの素材や縫製のレベルがカギになる。これについては海外生産が劣っていて、日本製が優れているという単純な論理には根拠を欠く。

 ファクトリー側が言う、日本には「素晴らしい技術をもつ工場がある」というのは、何と比較してそう言っているのか。

 海外、とくに中華系資本によるアジア生産も、技術レベルは日進月歩で向上し、日本を凌ぐところはいくらも登場している。だから、相対比較に過ぎないのである。

 メディアは日本の職人技が「海外」で評価されていると騒ぐが、セレクトショップといった個店レベルの判断や一アパレル担当者のコメントでは、数字的割合で国産比率が増えるとまではいかないだろう。

 マーケティングの問題もある。どんなお客をターゲットに想定し、そのお客にどのような商品を提案し、お客が欲しくなるような市場を作りあげなければ、ファッションビジネスは成り立たない。

 日本製のファクトリーブランドがこれを世界標準としてできるか、である。でなければ、商品は流通しない。

 一般にアパレルメーカーでは企画担当者はブランドに対して、前年の実績をもとに仮説を立てる。そこからデザイナーやパタンナーを使いこなし、その表現を商品に落とし込むために仕様や価格政策を精査し、量産に乗せる工場を選定していく。

 そして、時にはインダストリアルスペックを見直し何度も作り直す。でなければ、企画担当者が思い描く商品が仕上がらないからである。当然、その先にはそれをしないと納得しないバイヤーやお客がいるからだ。

 簡単にファクトリーブランドの国内生産というが、マーケティングやマーチャンダイジング、それが生まれるプライスラインを抜きに、国産だから売れるということはあり得ない。

 国産の素晴らしい技術というが、何をもってそれなのかを問いたださないとならないし、技術のみではビジネスが立ち行かないのがアパレルなのである。

 一方、小売りではバイヤーは、基本的にショップのコンセプトに沿って商品政策、いわゆるシーズンMDを組んでいく。昨今、MD構築のために必要ならば、ワールドワイドの商品開拓も辞さない。

 専門店として特徴ある商品を打ち出す時、素資材や色出し、感性の面で国内生産が海外より優ることはなかなかないからだ。

 パリやロンドンのトランクショーでは、新進のファクトリーが次々と商品を発表して行く。だから、バイヤーは思い描くMDに見合う商品が一般の展示会では見つからなければ、こうした展示会を積極的に活用する。

 さらに有名ブランドを手掛けるスペインやイタリアの工場に別注をかけることも珍しくない。最近では大手のセレクトショップがSPA化してしまったので、中小の専門店ほどこうした新しい仕入れ方法を選択するようになっている。

 もちろん、国内のメーカーでも別注に対応してくれれば厭わずであるが、現状ではそうしたケースはそれほど多くはない。それ以上にお客は「価格」にシビアだ。商品価値に相対して、納得いくバランスでないと財布の紐は緩まない。

 メーカー主導のプロダクトアウトが市場変化のスピードに合わなくなり、小売り主導のマーケットイン発想、QRなどのシステムで、ファッションビジネスは市場が求めるものを投入する方向に変化した。

 ところが、今度はどこを切っても同じ商品、海外生産頼みの効率主義が逆に業界のクビを締めるようになった。

 そのため、ファクトリーが再び声をあげ始めたのは、商品を創る側が主導権を取り戻したいのと、メイドインジャパンの復権というメンタリティの方が強いように感じる。

 海外のメジャーなブランドと単純比較して、中間コストを削減すれば、簡単に売れて国内生産が増えるほどマーケットは甘くない。

 アパレル、小売りの現場で行われているビジネスの本質を注視せず、いかにも浪花節的な理論だけで語るのは、あまりに短絡過ぎやしないだろうか。

 テーマを謳うテキストへの登場を含め、最近はメジャーからローカルのメディアまでが取り上げるアパレル通販サイトの「ファクトリエ」。同社が提唱するビジネスの仕組みは以下のようだ。

 「従来は商品発注者と工場との間にOEM業者などが介在していたため、工場側は非常に低い工賃で縫製を引き受けなければならず、非常に疲弊してきている」

 「これに対し、工場がしっかりとした売上・利益を確保していくには、中間業者を完全排除して工場と消費者をダイレクトに結び付ける工場直販を提供していく」

 「発注側と工場が直接つながると、中間業者をカットできてコストが削減でき、工場側も利益がつながる」仕組みということである。

 同社代表の山田敏夫さんは、熊本市中心部の商店街にある老舗ファッション専門店のご子息。仰っていることはIT世代のベンチャー起業家らしく、一般的には説得力があるようにみえる。

 おまけにイケ面で、テレビや新聞の写真映りは良い。 NHKまでが同社の番組を作り、キャスター自らフィリップでビジネスの仕組みを説明するくらいだ。

 おまけに最近では大学生を対象としたトークショーなどにも「クリエーター」という肩書きで登壇されている。ファッション業界を知らない一般人が話を聞くと、「なるほど」と思ってしまう。

 しかし、商品や商品政策を考えてきた業界人からすれば、前述したような問題点が山積みなのだ。どうもネットベンチャー礼賛のサクセス論には首を傾げざるを得ない。

 「パリのグッチで働いた」「日本には本当のブランドがないと言われた」「その言葉を覆したい」等々。山田さんが事あるごとに語るカッコいいコメントは、いかにもメディア受けする。

 しかし、グッチで働いたのは、一介の販売員ではないのか。決してメゾンのデザイン深くに関わったわけではないだろうし、クチュリエなどの作業現場に簡単に立ち入ることなどできるはずもない。

 日本に本当のブランドがないのは、ファッションの世界で改めて言うまでもない。

 欧米人は日本人よりもはるか前から洋服を着てきているわけで、ブランドの背景にあるデザイナーのクリエーションはもちろん、色出しから縫製に至る職人技が日本より優れるのは当然だろう。

 しかも、国家規模でこうした伝統技を保護しているし、クチュリエ側もユニオン(労働組合)などの団体活動を通じて自分たちの地位保全を求め、雇用者であるメゾン側と対峙している。

 こうしたバックボーンを考えると、中小零細企業がほとんどで、国から支援もほとんどなく、法的な活動も行わない日本のアパレル工場を同じ次元で扱う方が無理である。

 だから、国内のファクトリーが立ち上がらなければという気持ちはわからないでもない。しかし、最終的に商品を購入するのはお客さんなのだから、どこまで納得させられるかは決して簡単ではないと思う。

 ファクトリーブランドが国産比率を高めるには、まずジャパンブランド足る様々な仕掛けを行うことが前提になる。そして、それをブランドとしてお客さんが認めて購入するようになってくれるかだ。

 この傾向が太くならないと、結果として、国内工場への発注は増えないと思う。

 ファクトリエが展開する通販サイトはインターネット頼みだ。しかし、現状の技術力では着心地や肌触りを伝えることはできない。

 日本製のファクトリーブランドが差別化としてクオリティや出来映えと謳うのなら、なおさら試着をしてみないと、お客には伝わらない。

 じゃ、展示会を開催すると言っても、わざわざ店舗まで試着に来るお客やバイヤーが増えるとも思えない。集客するには東京開催にならざるをえないとすれば、逆にコスト増につながる。自ずとネット通販では限界が生じてしまうのだ。

 試着は必要ないと感じるお客を増やすことができればいいのだが、そこまで来ると海外の通販サイトの方が良いと感じる方向にお客の嗜好が広がって行くことも考えられる。

 「ネットの向こうには莫大市場が広がっている」とは、ネットベンチャーがよく言う常套句。しかし、ファクトリエが本拠を構える熊本はどうなのか。1年間に100億円、いや150億円以上の売上げが福岡に持ち出されているではないか。

 これは多くのお客がマスマーケットに流れているということ。低価格帯から中価格帯の人気ブランドが多数を占め、この中にどれほどの日本製があるというのか。

 足下商圏すら深耕できないのが地方専門店の現状なのである。それはそのまま日本中の都市間競争の縮図とも言える。

 一度でき上がってしまったこうした大きなうねりに対し、ファクトリーブランド、日本製が堰となって歯止めをかけるのは至難の業だろう。

 海外のアパレルでは日本以上に感度の高い商品が、価格はピンキリでどんどん登場している。お客の目も肥えて来ているし、海外からダイレクトに商品を購入する手法もますます整備されている。

 現状、日本の工場がプロダクト、ブランドの両面で海外アパレルを凌駕できるとは思えない。これからもできるとは懐疑的である。

 正攻法から言えば、日本のファクトリーブランドが日本のアパレル、バイヤー、お客にどこまで求められる価値が提供できるかなのである。しかし、日本のマーケットやニーズを考えると、そこまで国産を求めるとは考えにくい。

 とすれば、ファクトリーブランドが国産比率を高めることは、非常に厳しいと言わざるを得ない。
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移民は戦力になるのだろうか。

2015-12-02 14:32:39 | Weblog
 さる11月25日、ユニクロなどを運営するファーストリテイリングは、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)との間で、グローバルパートナーシップを強化するための合意書を締結した。

 今後はさらに「3年間で総額1,000万ドル(約12億円)の支援を実施」「国内外のユニクロ店舗で難民雇用を100名に拡大」「バルカン半島諸国、アフガニスタンに越冬支援として、ヒートテック15万点の寄贈」も行うそうだ。

 これは受けて、柳井正会長兼社長がSankeiBizのインタビュー( http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151125-00000013-fsi-bus_all )で、移民の受入れについて語ったコメントがすごく気になった。以下がそれだ。

 Q:人口減少問題も企業経営に影響する



 柳井:人口減少は非常に深刻な問題だ。このまま放っておくと、日本は労働人口が不足する社会になる。人口が減って栄えた国はない。

 Q:日本は何をすべきか



 柳井:すぐに受け入れるかどうかは別にして、移民や難民を受け入れる必要性や、受け入れるには何が必要なのかという議論、準備を国レベルで始めなくてはならない。(中略)観光客が来てくれるのは歓迎だが移民や難民は受け入れたくないというのは通用しないし、日本は受け入れないと国そのものが滅んでしまうことになる。

 毎回、その言動が物議を醸す柳井社長だが、ネット民もさほど食いつくまでもなく、今回は軽く受け流したようである。

 移民問題については中立であるべきマスメディアも、「受け入れは慎重であるべき」との論調と同時に、人口減少による将来の労働力不足を想定した上で、「有能な移民外国人はビジネスでも戦力になる」的な報道を行っている。

 難民と有能な移民は数の上では決してイコールではないのだが、メディアが報道するといかにも正論のように多くの国民が誘導され、錯覚に陥ってしまうのは非常に危険である。

 それでなくても、シリア難民については、ドイツ行きの列車を待つ悲しそうな表情の子供たち、越境がかなわず砂浜に流れ着いた死体などの映像が、インターネットを通じて瞬時に世界中を駆け巡る。

 それを見た多くの人々が「かわいそう」「何とかしてあげたい」と思うのは、当然だ。しかし、情緒論に流されてそれが政治の道具に利用されることを忘れると、パリの同時多発テロのような二次的な被害を生んでしまうことも考えておかなければならない。

 柳井社長は「移民や難民の受け入れ議論、準備を国レベルで始めなくてはならない」という。しかし、自国民に対する限りないリスクをはらんでいることを抜きに、「受入れありき」の議論は成り立たない。

 さらに言うなら、ブラック企業の汚名を着せられ、社員募集に苦しむ企業経営者にとって世界戦略を進める上で、労働力の確保、人件費コストの削減といった課題が頭をもたげているとさえ思えてくる。それではあまりに自己都合だ。

 日本人の生命、財産を守るべき国家として、自社の利益最優先しか考えない一企業の言動を、容易く受け入れられるはずもないのである。

 柳井社長の「受け入れないと国そのものが滅ぶ」の発言には、筆者周辺の業界関係者からも異論や懐疑的との声が上がっている。

 「教育を受けた日本人でさえ離職率が高い職場で、難民を雇用し維持できるんですかね」

 「難民を格安で雇いたいだけ」

 「難民や移民の受け入れを議論する際に欠落している事。それは定住させるためのコスト。その後に発生する教育や治安に懸かるコスト。様々な国内対策費をどれだけ見積もっての話か。何処の誰が幾ら負担するのか」

 「対極で利益を得るのは何処の誰か。そのヒト達はどれだけの納税を果たす考えを持つのか」

 (移民受け入れという)「事前の事は議論にも上がるが、(受け入れ)事後に生じる様々な事について、現状では、想定できないと逃げ続けてきたじゃないか。その結果、在日韓国朝鮮人問題を引き起こした根源だろうが」

 等々である。

 今後の社会構造と一企業の労働力問題を決して同じ土壌で議論してはならないのである。なおさら日本は法治国家だ。これには労働という社会問題よりも先に国際私法である国籍法が関わってしかるべきだ。

 国際私法は国内法である。当然、UNHCRとの取決めである国際法より優先される。在日外国人の定住問題ですら法律の抜け道があるのだから、国籍法より労働問題が先に来るのは筋が通らない。

 このコラムは、ファッション業界の問題について取り上げているので、政治論や社会問題についてこれ以上深入りすることは避けたい。

 むしろ、「日本人の若者がファッション業界に進まなくなった」と言われる中で、労働力の確保として移民を活用できるのかの方向で考えたい。それには販売スタッフという小売りと縫製スタッフというアパレル工場の両面がある。

 小売りでは、ユニクロよるはるか前からグローバル展開を行っているGAPの例がある。

 GAPのグローバル戦略を象徴することとしてあげられるのが、「ジーンズの3レングス」展開である。最近では見かけなくなったが、90年代はこれが当たり前だった。

 一つの理由は、お直しをする手間を省くこと。もう一つは、外国人がミシンがけの訓練を行っても、みなが一律にマスターできるわけではないからである。ならば、最初から丈上げはしない方がいいと考えたのである。

 グローバルスタンダードには、売場での作業を平準化することも含まれる。つまり、教育を行ってもスキルにバラツキがあるのなら、当然そのコストはムダになる。だから、経営者は最初から違う方法に投資することを選択するのだ。

 ユニクロも当初はGAPの商品展開をサル真似していたので、ジーンズも3レングスを採用していた時期があった。ところが、あるときから1サイズに変えている。

 理由はまず外国人ほど脚が長いお客はいないからだ。それに3サイズ展開すると、1サイズ展開より生産効率が落ちる。効率が良くないのに販売効率がさほど上がらなければ、経営者は1サイズで十分と考える。

 まあ、日本人はそこそこ学習能力は高いし、丈上げくらいのミシンがけは研修すれば、ほとんどのスタッフがマスターできる。ならば、1サイズでお直しすれば言い訳である。

  他にもGAPが商品展開で畳みをできる限り少なくし、ハンギング中心にしているのも、省力化と同時に人種、民族による作業レベルの差異を売場からなくそうということだ。

 GAPでは世界中の人々を雇用する上では、きめ細かな売場作業はさせないことを前提にオペレーションを組んでいるということである。

 接客の面でもなおさらだろう。日本のGAPでは、英語のあいさつを無理矢理日本語に直している。だから、日本人のお客にとっては聞き慣れないし、こそばゆい感じがする。

 でも、販売員がお客に積極的にアプローチしないのは同じだ。これらがグローバルスタンダードなのである。

 ところが、日本ではほとんどのショップが永年の慣習や文化から、お客をそのまま放っておくことを良しとしない。中には売上げを取らんがために積極的なアプローチを奨励する小売り店さえある。それはそれで日本の良さでもある。

 ただ、最近では長らく続いてきたその辺のノルマ的な手法がスタッフの離職や人出不足を招いていると悩む企業もあり、考えや方法を変えるケースも生まれている。その結果、売上げが付いているかと言えば、決してそんなことはない。

 どちらにしても、移民という外国人を採用する上では、日本企業の販売方法や接客スタイルが通用しないという前提で考えていかなければならないだろう。果たしてそれでアパレル企業の経営が維持できるかである。

 アパレル工場では、なおさら技術問題が関わってくる。縫製では売場サイドの丈上げとは比較にならない細かな作業が要求される。日本人はもちろんだが、外国人であっても不器用であれば、端から採用しないと考えるのではないのか。

 イギリスやフランス、イタリアのように縫製ノウハウの確立と、クラフトワーク、職人技を守り続ける次元とは別に、量産に耐えうる最適化技術を導入するには、やはりコストの安い国々の労働者に任せざるを得ない。

 筆者がかつて90年代半ばパリで購入した「Loft Design by」のシャツは、原産国がアフリカの南東、インド洋に浮かぶ「モーリシャス」だった。

 つまり、ヨーロッパのアパレルは高い技術をもつイメージがあるが、コスト面からアフリカや東欧の工場や外国人労働者の利用ははるか前から行ってきたのである。

 ただ、最近はユーロ圏のアパレルでも工場はパキスタン、インド、ベトナムなどのアジアシフトが進んでいる。 もちろん、日本のアパレルが中国、ミャンマー、バングラディッシュなどで生産する理由も、言わずもがなである。

 米国内のアパレル工場でも、働いているスタッフはアジア系が少なくない。

 アジアシフトの最大の理由は、アジア人特有の手先の器用さもさることながら、勤勉さがアパレル関係者にとっては生産効率を上げる好都合だからではないのだろう。

 縫製レベルでアジアの人々が最優良であることを考えると、今後、日本のアパレルが移民を受け入れて、教育し一人前に育てることを選択するとは思えない。それは円安が続いても変わらないだろう。

 ただ、アジア系と言ってもすべての人々がアパレルに向くかと言えば、それも違う。名指しで申し訳ないが、難民で移民したいというシリアの子供たちがどれほど日本の小売りやアパレルの最前線で戦力になりうるのか。筆者は懐疑的である。

 ユニクロのようなセルフサービスならともかく、日本流のホスピタリティを前面に出して差別化していくのなら、なおさら外国人の労働力は限られてくると思う。英語が喋れるという程度の次元で語るのは、接客の本質をわかっていない人間である。

 また、仕様書に添った縫製というルーチンワークを1日、1ヵ月、1年と繰り返し続けることに対し、シリアやアフリアの移民たちがどこまで対応できるのかである。

 いくらイランの女の子に一生かけてペルシャ絨毯を作り上げるほどの真摯さがあると言っても、同じ中東のシリア人の子供たちの能力や性格を一緒にすることはできない。

 中東でもいろんな民族がいる。イランはペルシャ系、シリアはアラビア系。同じハム系のユダヤ人とパレスチナ人でも宗教が違うだけで、諍いが絶えないくらいだ。

 人間の技術や能力、性格はそのまま国情を反映する。だから、その辺を冷静に分析していかなければならない。いくら労働力不足になるからと、一律に移民を採用にしていく考えはあまりに短絡的である。

 GAPのケースを見ても、グローバルスタンダードの中でショップマネジメントやオペレーションを平準化するのは、人種や民族、それぞれの性格、器用さなどが関わる。それらとコストとを両天秤にかけなくてはならないのだから、簡単にはいかないのだ。

 筆者は人種のるつぼニューヨークで、外国人労働者がかなり雇用されているのを見てきたが、日本人の感覚では閉口した対応を受けたことが少なくない。

 いくら日本が労働力不足に陥ると言っても、ユニクロお得意のシステムで、簡単に移民を日本の商慣習やマーケットにあった戦力できるとは思えないのである。
 

 2年ほど前、ファーストリテイリングは世界同一賃金を打ち出した。しかし、これには「仕事で付加価値がつけられなければ、途上国の賃金水準まで賃金を引き下げる」という裏の側面もあった。

 つまり、柳井社長には日本の法整備や労働事情をクリアすることを布石に、海外店舗では安い賃金で移民をこき使おうとの商魂がないわけでもないだろう。UNHCRとのパートナーシップはそうした露払い、政府の外堀を埋める狙いがあるような気がしてならない。
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