HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

革は本物を指す。

2024-08-28 07:55:24 | Weblog
 日本産業規格(JIS)は、「皮革、革、レザーという言葉は合成皮革、人工皮革を除き、牛や豚などの動物の皮をなめして作られたものだけを指す」と、規定した。詳細は以下になる。

 1.革・レザー/皮本来の繊維構造をほぼ保ち、腐敗しないようになめした動物の皮

 2.エコレザー/皮革製造におけるライフサイクルにおいて、環境配慮のため、排水、廃棄物処理などが法令に遵守していることが確認され、消費者及び環境に有害な化学物質などにも配慮されている革(レザー)

 3.皮革繊維・再生複合材/革(レザー)を機械的または化学的に繊維状、小片または粉末状に粉砕したものを、乾燥質量で50%以上配合し、樹脂などの使用の有無に関わらず、シート状などに加工したもの

 4.合成皮革/基材に織布、編物、不織布などを用いて、表面にポリ塩化ビニル、ポリアミド、ポリウレタンなどの合成樹脂面を配して、革(レザー)の外観に類似させ、その特性である感触、光沢、柔軟性などを与えたもの

 5.人工皮革/基材に特殊不織布を用いて、表面にポリ塩化ビニル、ポリアミド、ポリウレタンなどの合成樹脂面を配して、革(レザー)の外観に類似させ、その特性である感触、光沢、柔軟性などを与え、銀付き革調に加工、または特殊不織布を立毛を配して、スエード調、ベロア調、ヌバック調に加工したもの

 


 かつて時計の革ベルトには「GENUINE LEATHER」と刻印されたものがあったが、JISは革、レザーとはなめした動物の皮でないと、呼べないことを明確にしたわけだ。こうした背景には、素材開発の技術が進歩したことがある。動物由来でない原料からでも、天然皮革とみまごうばかりの素材が作られるようになったからだ。

 ただ、天然皮革は丈夫で、保湿性があり、吸湿性にも優れ、使うほど体や手足に馴染んでくる。本来ならそれを「革」と呼ぶべきで、フェイクをつければ革ではないにも関わらず、イメージだけは革だと受け取られてしまう。JISは「それはダメだ」と規定したのである。

 また、近年ではSDGs(持続可能な開発目標)が叫ばれるようになった。そのため、「自然に優しい」「環境に配慮した」「エコ素材」という特徴を前面に出した「〇〇〇レザー」が開発されるようになった。これは動物由来の革とは異なるのだが、消費者に好意的に受け取られるので、本来の革、レザーとの線引きが曖昧になっている。サスティナブルやエコを謳えば、それが動物由来よりも環境に良くて、優れた素材だというのは全くの誤解と言える。

 動物由来の革は有史以来、人間が肉を食べる過程において発生する畜産副産物である。歴史的に見てもこちらの方がサスティナブルであり、古来から人間の生活と密接に繋がってきた動物の死を弔い、供養するという点でも価値あるものだ。動物由来でない素材に革やレザーという用語が使われることは、本来の革が持つ特徴が歪められて解釈される危険性もはらむ。そこで、JISは2024年3月からは革、レザーと呼べる製品とは「動物由来に限定する」と決めたのである。

 一方、毛皮、ファーについては、JISは規定していない。だから、商品名にファーと記載されても、リアルファーだけでなく、毛皮風素材全般を指すことになる。素材表示にも、ポリエステルと表記されても、商品名にはファーがつけられるわけだ。現物に触って質感を見れば、動物由来の毛皮が低価格のはずはないことがわかるが、ECが普及している現状を考えると、素材表記を明確にしないと戸惑う消費者もいるのではないか。

 動物愛護団体が声を上げたことで、高級ブランドでは毛皮の使用をやめたブランドもある。さらに英国議会はEU離脱後に毛皮の輸入の全面禁止を検討しているほどだ。毛皮業界は毛皮が皆フェイクになれば、それにファーの名称をつけることに納得できるのだろうか。別の問題も出てくる。JISは毛皮、ファーについても、国内ではしっかりした規程を示すべきではないだろうか。


ネット通販では未だ曖昧な表記がある




 8月も下旬に入ると、ネット通販各社から秋冬物のメルマガなどが届く。先日もZOZOTOWNから「BANANA REPUBLIC FACTORY STORE」のタイムセール情報が届いた。商品名には「ヴィーガンスエード ボンバージャケット」とあった。販売元がファクトリーストアとあるので、秋冬物の売れ残り在庫だと思われるが、シーズンに入れば売り切れるかもしれないので、「先買いした方がお得ですよ」とのレコメンドだろう。プロパー価格や割引率の表示がないので、正確なところがわからないが。

 BANANA REPUBRICのジャケットは、これまでZOZOTOWNでもブランド直販でも購入したことは一度もない。ZOZOTOWNでは、過去に各ブランドがジャケットにどんな革を使用しているのかを調べたことがあった。その時、検索ワードで「ボンバージャケット」「レザー」「スエード」などと入力したことがあるので、その履歴からAIが判断してメルマガを送ったのではないかと思う。

 MA-1タイプのボンバージャケットは、デザインがシンプルなのでトレンドに左右されず、ファッションアイテムとして各ブランドが素材替え(本物はナイロンだが、ポリエステル仕様)、メンズ・レディス取り混ぜなどの企画で売り出している。一方、2年前には映画の「トップガンマーベリック」が公開され、1980年代の前作を知らない層にボンバージャケットをアピールするには絶好のタイミングだった。これもボンバージャケットがリバイバルするきっかけになったと思われる。

 今回、ZOZOTOWNからレコメンドされた商品は、商品名にはヴィーガンスエード ボンバージャケットと記載されている。商品名だけを見ると、サボテンなどを利用して作られた植物由来の「ヴィーガンレザー」なのかと思ってしまう。ただ、スエードと表記されているものの、レザーの表記はどこにもない。素材の表記を見ると、ポリエステル100%とある。曖昧な表記になるが、JISの規定には触れていない。

 JISが皮革、革、レザーという言葉は合成皮革、人工皮革を除き、牛や豚などの動物の皮をなめして作られたものだけを指すと規定したのは2024年3月だ。ヴィーガンスエード ボンバージャケットが前シーズンの商品だとすれば、規定される以前のものだからと言い訳もできるだろう。それでもレザーという表記をしていないし、素材名ではポリエステル100%と表記しているので問題はないと言える。

 ただ、商品名のヴィーガンスエードの表記はどうなのだろう。元々、ヴィーガンとは肉や魚、乳製品、卵などの動物性食品を一切食べず、レザーや羽毛のような動物由来の製品も消費しない完全菜食主義者、またはそのライフスタイル(完全菜食生活)のことを指す。そこから派生して、植物由来の革製品にヴィーガンという名称が付き始めたのは、2年くらい前からだったと思う。



 2022年1月、米ラスベガスで開催された技術見本市CESで、ドイツのメルセデス・ベンツがEVのコンセプト車を出展したが、この座席シートにサボテンから作られた革(cactus leather)が使用された。同年4月には、LVMH傘下のジバンシィがリップバームの容器にサボテンから作られた合成素材の「デセルト」を使用した。これを製造したのは、2019年に創業したメキシコのアドリアーノ・ディ・マルティ社だ。時計ベルトではサボテン由来の革は、はっきりcactus leatherと刻印されているものもある。

 サボテンはメキシコ各地で自生し、少量の水で育つので灌漑設備が不要。伐採ではなく、毎年成長する葉先をカットするので、環境にも優しい。植物なので二酸化炭素を吸収する上、廃棄されても自然の中で分解される。デセルトは収穫した歯をすりつぶして乾燥させ、別の素材を配合して天然革に近づけた。合成素材に占めるバイオ素材の構成率は現在80%までになっている。それがいつの間にか、メディアなのか、開発者側かのどちらかが、植物由来の革の総称を「ヴィーガンレザー」と呼び始めたわけだ。

 こちらについてはJISの規定に照らし合わせると、ヴィーガンレザーは動物の皮をなめして作られたものではないので、日本ではレザーとは表記できないことになる。BANANA REPUBRICのヴィーガンスエードは、レザーとは表記していないのでJISの規定には触れない。だが、素材がポリエステル100%ということで、果たしてヴィーガンスエードと呼んでいいものか。この辺は国際的な機関が判断することになると思うが、個人的には曖昧に感じる。

 Z世代の間では環境への意識が高まっている。古着人気や廃棄衣料のリメイク、リサイクル素材への関心はそれを如実に示している。とすれば、商品名にヴィーガンなどの用語がつけば、注目は嫌が上でも高まる。アパレルやプラットフォーマーがそれを承知でEC向けの商品名を決めているとすれば、やはり問題ではないか。ネット通販に出品される商品でも、色やサイズは書かれているが、素材について表記されていないものも少なくない。リサイクルまで考えて購入するかどうかを決める消費者が増えていることを考えると、不十分だ。

 もちろん、革やレザーの表記が厳密に規定されたのは、業界団体の地道なロビー活動があったのは、言うまでもない。消費者がしっかり確認すればいいことなのだが、ECがすっかり浸透した中で、曖昧な素材表記は消費者を惑わせるし、本物とみまごう名称でネット事業者がアクセス増を狙う意図なら問題だ。商品名は本物を指すということ。紛い物は消費者の信頼を無くすだけでなく、事業者の信用も失わさせると考えるべきだ。
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上質に触れる服育。

2024-08-21 06:36:58 | Weblog
 ファーストリテイリング(以下、ファストリ)傘下のGUは、さる7月23日のマロニエゲート銀座店を皮切りに8月3日、4日には全国29店舗で子供向けの「服育イベント」を開催した。子供たちが自分で着る服を選べるよう自己成長に繋げることを目的にしたものだ。(公式サイト:https://www.gu-global.com/jp/ja/feature/service/my-first-outfit)

 イベントは「マイ・ファースト・アウトフィット」の呼称で2022年にスタートし、すでに2000人の子供たちが体験している。今年は8月3日、4日、それぞれ10時30分~11時20分、13時~13時50分の2回にわたって開催。参加対象者は幼稚園の年長さんから小学校の6年生まで。服のサイズが110cm~150cm、一人で着替えができることが条件となる。1回につき4名の参加が可能で、参加費は無料だが、先着順で申し込みを受け付け、締め切られる。

 同時にワークショップの開かれ、「服は何からできている?」についても、子どもたちが自ら知識をつけ、夏休みの自由研究のテーマになるように設定されている。プログラムは以下になる。



 ①レクチャーを受ける…GUのスタッフが服選びのポイントなどをレクチャーする。保護者は子供とは距離を置き、店内で待機する。
 ②服を選ぶ…参加者の子供たちはスタッフからカゴを受け取り、店内を歩き回って自由に服を選ぶ。わからないことや質問があれば、スタッフが対応する。
 ③試着する…子供たちは自分で選んだ服を持ってフィッティングルームへ。コーディネートに納得すれば、保護者にお披露目する。
 ④保護者と対面する…子供たちのコーディネートを保護者が鑑賞する。体験中にどんな様子かは、スタッフに聞くこともできる。服を購入するか否かは自由で、写真撮影は可能だ。


 以上のプログラムになる。子供たちの中には、すでにその日に着る服を自分で選んでいる子もいるだろうし、親のアドバイスを受けたり選んでもらったりする子も少なくないと思う。ただ、「好きな着こなし」を自分で見つけることが服育への第一歩になるのはその通り。GUも言っているが、「自分で選ぶ」という自己成長につながるきっかけとしては、有意義な体験になったのは間違いない。服は何からできてるかについては、あまりに大上段に構えすぎたのかもしれないが、少しでも知識がつけばそれはそれで成長につながる。

 まあ、少し下世話な言い方にはなるが、この年代の子どもたちにブランドのイメージやテイストをすり込んでおけば、将来的に顧客になってくれるかもしれないという企業側の思惑もあるだろう。いわゆる、青田買いだ。ファストリ、GUほどの企業なら当然、視野に入れているとしても不思議ではない。

 欧米のラグジュアリーブランドでも、トドラーやキッズのカテゴリーを持つところは、子供たち向けのイベントを展開している。ブランドとして顧客を囲い込む政策を取るのは当然だからだ。一方、日本では子供服オンリーのアパレルが少子化の影響、マーケットの縮小で姿を消している。総合アパレルやグローバルSPAにとって競争相手が減れば、顧客獲得のチャンスだ。その意味で、ファストファッションとしてトレンドを追いかけるGUが子供たち向けの服育イベントを展開するのは自然の流れ。そこまでは評価していいだろう。



 問題は服育を自己成長、いわゆる学びの一つに位置付けるなら、「教材」にも左右される。アパレル業界には、「お客さんが商品に惹きつけられる条件は何か」という命題がある。商品企画やブランド開発を行う上で、無視できない方法論だ。それは一番目が「色」、二番目が「デザイン」、三番目が「素材」と言われる。当然、色、デザイン、素材の基本を学んで思考力や創造力を養うのが服育なのである。これを基本にした時、GUは色のトーンは抑え気味で、キャンディーやビタミンといったヴィヴィッドな色がほとんどない。

 GUは低価格な商品に共通するコストカット路線からカラリングへの投資がなされず、色目を学ぶ教材としては劣ると言わざるを得ない。つまり、服育として子供たちの色彩感覚を磨き、カラーコーディネートの学びに繋げる教材としてGUは、初歩の初歩に過ぎないのだ。もっと高いレベルで色、さらにデザインや素材を学ぶにはさらに高度な教材が不可欠になる。もちろん、服育でも高等教育を受けるにはそれなりの投資が必要だ。家計の制約で十分な教育投資ができなければ、結果的に格差を生じさせる。これについては後述する。

 振り返ってみると、筆者の同級生には高級ブティックの倅や服飾専門店の息女が多くいた。そのため、店舗兼自宅に遊びに行くと、売場に並ぶ国内外の既成服やインポートの服地、ボタンなどを目にすることが多かった。あるブティックの倅は、親が仕入れに行ったイタリアで買ってきたパンツを履いていた。深みのある濃紺地だったが、艶があって色が微妙に変化する。その記憶は今も鮮明に残る。さらに母親がオートクチュール(高級注文服)の洋裁師だったことで、自宅での仮縫い作業時には「ENGLAND」「FRANCE」「ITALIA」の表示が入ったシックな色合いの生地を眺めていた。国名のアルファベットもこの時に憶えた。

 嫌が上でも、子供の頃から色や素材の感覚、感性は磨かれたと思っている。昭和40年代半ばまではレディスの市場は、高級注文服とインポートの高級既製服(プレタポルテ)が中心だった。イトキンやワールドなどの国産も出始めてはいたが、同級生の親たちがメーンで販売していたのは、クリスチャン・ディオールやイブ・サンローランなどのインポートだったと記憶する。だから、購入するお客さんはお金持ちの中高年女性に限られていた。筆者や同級生は高価なインポートと出始めた国産ブランドという環境の中で、服育されたことになる。

 自ら着る子供服は、今とは違い生地も縫製も日本製で、アースカラー系のものを数多く着ていた。逆に女の子たちはデザインはともかく、結構メリハリのある色柄を着ていた。みんなが裕福だったわけではないが、制服を着る中学校までは私服オンリーだから、おしゃれな子が多かったという印象だ。中にはフランスのMICMAC社が作るようなボーダーニットのワンピースを着たり、市販のサロペットにパッチワークを施して履いている子もいた。前の彼女は美術大学に進み、後の子はフランス語学科に進学した。自分にもそうした学びに「デザイン」が加わってさらに造詣が増し、業界人になって仕事をしていく中に大いに役立った。


知育、徳育、体育、食育、そして服育で人は学ぶ



 もう少しフォーカスを広げてみよう。人を育てる教育という視点だ。子どもたちの自己成長、人間形成に必要な教育といえば、知育、徳育、体育、食育がある。これらに次いで服育も加えていいだろう。まず、知育とは知能を伸ばす教育。より多くの言葉とその意味を覚えると秀でた文章が書ける。数字や計算、図形を学ぶことで、方程式が解けたり幾何学が理解できる。外国語を習得してコミュニケーションする等などだ。国語、算数、理科とそれぞれの知識がついて思考力が培われると引き出しが増え、創造力や応用力が磨かれる。

 徳育とは道徳面の教育。社会で生活していく上で、ひとりひとりが守るべき行動ルールの学びと言おうか。人間が生きていくには生活の糧を得なければならないが、ルールから外れると、周囲に迷惑をかけてしまう。だから、躾によって良心を持ち、善を行い悪を行わない人間に育てていく。人が見ていないと、平気で道に唾を吐き、タバコの吸い殻を捨てる。とても徳のある人間とは言えない。社会のルールに従うことからの学びは、人間形成のポイント。自分をコントロールできてこそ、物事を成せるのだ。

 体育とは体の向上を目的とする教育。本来、体育は知育や徳育とバランスよく培われることで、自己成長につながっていく。だが、体育における行きすぎた指導が体罰やパワハラを生んでいる。これは大きな錯覚で、本末転倒なことだ。上手くいかないのは未熟なだけで、そのうちに変わってくると長い目で見ることも重要なのだ。一方、今の子供たちはライフスタイルの変化で昔のように外遊びをしなくなり、運動ができる子とできない子の差が拡大している。だから、体育は大人になるための基礎的な体の学びと捉えるべきだ。その先のスポーツや競技は選手個々が好きな種目に取り組み、掲げた目標にそって育成、指導、強化を受ければいい。

 食育とは食べる経験を通じて、食の知識と選ぶ力を習得するもの。こちらも自己成長、人間形成に不可欠で、幼少期の経験や学びがとても重要だ。学校で食材の生産地域を学ぶことにも意義がある。それらによって人間の味覚が決まり、アレルギーなどの体質を知ることもできる。最初から美食家なんているわけがなく、食育を受けてこそ料理の腕前や舌利きが培われる。学校給食が小中学校で提供されるのは、この年代の子供たちには健全な食育が欠かせないからだが、昨今はレベル低下も指摘されている。
 給食の無償化が議論される中、保護者の中には予算があるなら知育に回して欲しいとの意見もある。しかし、成長期の子供たちにとっては食育が疎かになってはいけないのだ。

 知育、徳育、体育、食育を受けた子どもたちは、成長するに従って自我に目覚めると、自己実現という目標に向けより高い学びを欲する。世の中の課題に取り組みたいという子も出てくる。スキリングに終わりは無いと言われる所以だ。大学を経て大学院に進学し、さらなる高等教育を受け、医者や研究者、専門技術者を目指すのがそうだ。グローバル化した現在、さらに高度な学びを求めて海外留学するのも一般的になっている。

 徳育によって公共心や倫理観が養われると、官僚や検察官、弁護士を目指す子もいるだろう。国の制度設計をきちんと作り上げて国家を安泰に導いていく。社会生活の中で生じる事件や困り事について、法律の専門家として解決に導き、適切な予防や対処方法をアドバイスする。昨今は官僚の不人気、弁護士増による競争激化が指摘されるが、徳を積んだ人間であれば、仕事のやりがいは損得ではないとわかるはず。行政や司法を担える優秀で真摯な人材がいてこそ、国は栄え豊かになっていくのである。

 体育で基本を習得し、スポーツの世界に進むとより高みを目指したくなる。久保建英選手は2歳からサッカーを始め、Jリーグの下部組織を経て、家族ともどもスペインに渡りFCバルセロナ傘下の入団テストに合格した。その後の活躍は周知の通り。佐々木麟太郎選手は高校を卒業後、米国のスタンフォード大学に留学。勉学と野球を両立しながら、プロを目指している。と言っても、まずはメジャーリーガーだろうから、スポーツ界では世界のトップレベルで勝負するのが当たり前になっている。多くのスポーツ選手が同じスタンスだと思う。

 食育でも幼少期の学びが大切なのは食の専門家が証明する。パスタレストランを全国ブランドに育て、ドレッシングで世界進出を果たしたピエトロの村田邦彦元社長が生前に仰っていた。実家が食堂で両親は忙しかったが、母親が我が子に買い食いさせることを嫌い、食事からおやつまで全て手作りしてくれたという。その時に磨かれた味覚がパスタ料理やドレッシングの開発に役立ったと。海外出張では部下が内規に縛られる中、良いホテルに泊まり良いものを食べろと、ポケットマネーを出していた。株式の上場益を得たらお洒落なバスを買って、幼稚園を回って子供たちに食育するのが夢だとも。まさに食を学んだ成果である。



 これらの事例を見ても基礎教育を受けて自己成長すれば、さらに上のレベルで自己実現したくなることがわかる。もちろん、全ての人がそのゴールに到達できるわけではない。また、より高度な教育を受けるには、保護者に資金的な負担が増す。海外では成功者が大学などに寄付をすることで、意欲ある若者の誰もが高い教育を受ける環境が整う。だが、日本ではようやく大学の無償化が論議され始めた程度だ。そこで服育だが、やはり良い服を着るにはお金がかかる。また、幼少期からブランドを着たからと言って、多くのことが学べるわけでもない。

 トップクリエーターを見ると皆、家庭環境から学んでいる。山本耀司氏は母親が経営する洋裁店で学ぶ過程で、男性の視線を意識した服づくりが反面教師となり、女性が自分の視点で選ぶブランドの創造に行き着いた。小篠三兄弟も洋装店でミシンを踏む母親の背中を見て育ち、ファッション専門学校や海外留学で服飾やデザインを学び、ともに自分流の個性的な表現を編み出した。より良い環境と優秀な師のもとで、服を知ったからこそもっと学びたくなる。そして、自己実現すれば、さらに目標を決めて突き進む。現状に決して満足せず、あくなき学びを追求することで、得るものは果てしなく大きくなるのだ。

 もちろん、皆がこうした環境に身を置けるわけではないし、全ての保護者が子どもたちに高度な服育を受けるための学費が出せるわけでもない。ただ、子供たちの身になると、基本を学び、少しずつ自己成長を遂げるほどさらに多くを学びたくなる。それは社会全体で叶えてあげることも必要だろう。そしてもう一つ、子どもたちにはできる限り、より良い環境でより優れた指導者、そしてより良い教材のもとで学ばせてあげることも重要なのである。GUの服育イベントを初歩の初歩と表現したのはこうした理由からだ。



 子供たちが学校で物理や化学といった基礎知識をつけると、大学や大学院では糸や繊維の開発に携わりたいと考えるものも出てくると思う。それが遮熱、紫外線カット、接触・冷感、吸水・速乾、通気性といった機能性素材であり、究極の研究テーマとしてはSDGsや環境保全を考えた時の「溶ける糸」の開発もあるだろう。その意味で、服育もスキリングには終わりがない。現状に満足せず、より高みを目指す人間を育てるには、業界自らが子供たちにそうした場を提供しなければならないということでもある。

 服づくりということでは明暗、彩度、色調といった各条件で色に親しむ。基本型を学ぶのはもちろん、そこから変化したバリエーションまで提供してデザインの奥深さを教える。職人技の染めや卓越した技術による織り柄、天然から合成までの糸が織りなす組織変化など、手間とコストをかけた素材に触れることで、服作りの発想力を養っていく。より良い環境でより優れた教材のもとに、有能な教育者がシンクロしてこそ、学ぶ意義は大きく人材が育てられる。上質に触れることが服育の第一歩なのだ。
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職人が支えた五輪。

2024-08-14 06:44:40 | Weblog
 パリオリンピックが幕を閉じた。日本選手並びに出場された全選手の健闘には心から敬意を表したい。ここでは今回のオリンピックを別の角度で論じてみたい。過去にも何度か取り上げた各国公式スーツやウェアの紹介と、それを提供するサプライヤーの論評である。本来なら大会前にすべきだったのが、伸び伸びになってしまった。そこで、今回は国を絞って注目点のみ触れることにする。

 今大会は何といってもモードの国、フランドで開催された。そのため、同国の代表団が着る公式スーツは、これまで以上に力が込められると容易に想像できた。案の定、大会スポンサーとしてグローバルパートナー次ぐ階位のプレミアムパートナーには、LVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)が就いており、7月初めにはフランス代表団が開幕セレモニーで着用する公式ウエアが発表された。同グループ傘下の老舗メゾン「ベルルッティ」がデザインしたものである。

 キーコンセプトは、エレガンスとコンフォート。スポーツの祭典とは言え、19世紀末にクーベルタン男爵が提唱した近代オリンピックだ。男爵は普仏戦争敗戦の沈滞ムードをひきづるフランスにとって必要なのは、若者の育成だと考えた。その一つがスポーツを取り入れた教育改革であり、次第に国際的競技会の構想を膨らませていった。貴族出身だけに競技会にも、格式や規律を重んじたのはいうまでもない。それが当事国フランスで受け継がれてきたわけだから、ウエア一つにも伝統美が映し出す優雅さを取り入れるのも納得できる。

 もちろん、選手は男女で骨格、体型が異なり、競技によっても鍛える部位が違うため、四肢の長さ、体幹の形が変わる。だが、その誰もが開幕セレモニーという公式の場において、フランス国旗のトリコロールがはためく下で胸を張って船上パレードを行う以上、スマートで誇らしくあるには着心地が良い服装であることも重要になる。しかも、かつては西岸海洋性気候で1年を通じて気温が穏やかだったパリも、近年は地球温暖化の影響で熱波に襲われるようになった。礼服であっても現時点の気象条件に対応することも求められたはずだ。ただ、実際の開会式は雨が降って肌寒かったようだが、天候は予想がつかないのでしょうがない。

 そうした概念と条件を盛り込んで生まれたのが、ミッドナイトブルーのタキシード風のジャケットとパンツ、スカート。特にジャケットのショールカラーには、トリコロールカラーを取り入れた青、白、赤を見事に配色したグラデーション処理が施されている。使われた技術はベルルティが継承するパティーヌ(革の染色技法)。職人が手作業で色を何層にも重ねて染め上げ独特のムラ感を出す技法で、今回はそれがプリントで再現されている。しかも、ジャケットのサイズによって幅広いものを制作する必要もあったことから、プリントはサイズごとに最適なバランスになるように調整されたそうだ。



 特に目を引いたのは女子選手のジャケット。こちらはノースリーブ仕立てで、インナーに着るシャツ(コットンとシルクの混紡)も同様。ベルルッティ側は真夏という気候を考慮して暑苦しさを一掃し、着心地の良さを加味しながらセレモニーのドレスコードから大きく外れないデザインを導き出した。フランス流の真のエレガンスが全ての選手のあらゆる体型にフィットするようにと、計1500着以上を作り上げたというから流石だ。



 ベルトは白地のものをベースに、こちらもトリコロールカラーがグラデーション処理され、全てハンドペイントで作られたというから老舗メゾンの妥協を許さない姿勢が窺える。シューズはベルルッティのロレンツォをパティーヌでネイビーカラーにアレンジ。男女、競技で、選手の足の寸法が違うため、サイズは1から22までが用意された。既存の製品で展開されるレンジを大幅に上回るサイズを製作する必要があり、その点も大きなチャレンジだったという。

 プレス発表で主に男子選手が履いていたスニーカーは、アッパーがニット、アウトソールがラバーで、軽量化と履き心地を追求した仕様で、競技前の段階で選手の足に負担をかけない配慮が見られる。こちらもタンや踵部分のカラリングはトリコロールのグラデーションで、ジャケットやベルトとのカラーコーディネートを考えた作りになっている。

 ベルルッティのジャン=マルク・マンスフェルトCEOは、「パリオリンピックの開会式でフランスチームのスタイリングを担当するという特別な機会を得たこと、また選手はじめ、プロジェクトチームとのクリエイティブなコラボレーションに大変満足している。この衣装で、私たちはフランスのエレガンスを称え、アスリートとコーチに貢献することを目指しました」と、語っている。

 現時点で、市販されるとは発表されていないが、今回のウエアについてLVMHが投資回収に言及していないところを見ると、母国オリンピックへの参画はビジネスを抜きにしたスタンスでいることへの無言の表明のようにも映る。まあ、開会式の公式ウェアについては世界中のファッションメディアが一定の評価をしているだろうし、業界人もフランスの職人技はオリンピックの公式ウエアでも変わることを見せつけられた。改めてモードの国、フランスの偉大さに脱帽せざるを得ない。

スウェーデンはLifeWearの派生版



 今回の大会でも、スウェーデン代表の公式ウェアを提供するのがユニクロだ。こちらは同ブランドが提唱するLifeWearの価値観を継承し、品質、革新性、持続可能性を全面に打ち出して共同開発されている。提供する競技はオリンピックがゴルフ、卓球、カヌー、セーリング、射撃、スケートボード、水泳、ビーチバレーボールの8競技、パラリンピックが卓球、水泳、ボート、射撃、ボッチャの5競技。ハイパフォーマンス・シンプリシティ・オフ・ライフウエアをコンセプトに、スポーツウエアの機能美と洗練されたデザイン?を両立させたという。



 開発にあたっては、大会の暑さ指数など天候データの分析を行うために、有明ユニクロ本部の人工気象室にパリの温度・湿度などの環境を再現してモニターテストを実施。運動時の発汗ポイントと量の検証を行い、ウェアにおける通気孔の配置やフィッティングの改良に取り組んだ。また、選手からのストレスなく着たいとの声を反映し、ポケットをあえてつけないことでより軽くスタイリッシュなシルエットに仕上げられている。動きを妨げず体に適度にフィットするシルエットを追求するために、パンツ丈やシャツの身丈、首周りの立ち襟の長さなど細かくミリ単位で調整を施し、フィット性を高めている。

 素材は、ユニクロの店舗で回収した商品(ポリエステル高混率素材)の一部をリサイクルした素材を、選手団が着用するスウェットやTシャツなど16アイテムに採用した。開閉会式やメダル授与式で着用する3Dニットジャケットは、1本の糸を立体的に縫い目なく編み上げるホールガーメント技術で、美しいシルエットと動きやすさを両立。通気性を高めたニット編みによって、汗の蒸れや熱を外に逃がしやすく快適さを維持する。

 ファスナーの引き手は、指を通して上げ下げしやすいユニバーサルデザインを採用。 セーリング競技用のシャツには、同社のエアリズム素材を採用し、汗をすばやく乾かすサラリとした肌触りだ。卓球のユニフォームでは、ドライEXの吸汗速乾機能と抗菌防臭機能付きで、汗をかきやすい部分に通気性の良いメッシュ構造を配置し、競技時も快適な着心地を実現した。ショートパンツやスコートは、縦にも横にも自在に伸びるウルトラストレッチ素材と、速乾性に優れたドライ機能を使用している。これらを見ると、オリンピック向けのウェアづくりで、ユニクロが追求したのはサイエンス&テクノロジーであることがわかる。

 スニーカーについては「専門機関の協力を仰ぎ、足にかかる負担を最大限に減らすためのリサーチと改良を重ねた」という。そうした技術開発への投資が身を結ぶには、選手がどれほどのパフォーマンスで、メダルに繋げられるかにかかっている。ユニクロ側が市販化を考えているのかはわからないが、スニーカーでもビッグブランドの牙城を少しでも崩したいのなら、オリンピック代表が残すハイパフォーマンスやレコードという結果がエンドースメントモデルには重要だ。

 ファッションの面ではパリ大会ということもあり、ユニクロ側は「美しい街中に溶け込むよう都会的で落ち着いた雰囲気」のデザインやカラー使いにこだわったという。しかし、スポーツウェアのベースカラーはスウェーデン国旗の基調色であるブルーとイエローのほか、ネイビー、ペールブルーといったフラットな配色で、プリント柄や剥ぎによる切り替えはない。あとはロゴマークのワッペンやスウェーデンNOCの刺繍がある程度で、特段ファッションブルだとの感じはせず、ユニクロの技術を結晶させたウェアといった方が適切だろう。まあ、スウェーデンの人々をはじめ、ヨーロッパの方々の印象は違うかもしれないが。

 過去のオリンピックで各国選手が来たウエア、ジャージではリユースルートに流れる物もあった。それが古着店で販売され、ストリートファッションのアイテムになっていたのだ。2000年代の初め、パリの街中で胸元に「NIPPON」という朱色のロゴマークが入った白のジャージを着た若者に出会ったことがある。その時はバレーボール日本代表の古着ジャージかと思ったほどだ。ユニクロがスウェーデン代表に提供したジャージが同じようにストリートファッションになり得るのか。ファッションスナップなどを注視していきたい。






 ということで、フランスの公式スーツとユニクロの競技ウェアのみに絞って論評してみた。他にも、米国はラルフ・ローレン(https://www.instagram.com/reel/C8W74fqAlvp/)、イタリアはエンポリオアルマーニ(https://youtu.be/cgnPBPAQMjM)と、それぞれ国を代表するブランドがウェア作りに参画するのは今大会も変わらなかった。また、陸上男子100mの決勝で、9秒79で優勝したノア・ライルズ(米国)が履いていたシューズはY-3だった。アパレルブランドが選手の競技生活を陰で支えていることも忘れてはならない。

 日本のスポーツメーカーでも、ウエアからシューズ、各競技の道具類では職人さんの技術が生きたものもあったと思う。ただ、オリンピックでもSDGsが意識され始めており、公式ウェアにもリサイクル素材が使われるようになっている。伝統の技に加え、最新技術が活用された点も見逃してはならないだろう。選手はウェアや道具を提供するメーカーとの契約から使用のレギュレーションに縛られる。だが、ウエアについては特徴のあるデザインや色、素材も多いので、市販化されないのであれば、ぜひリユースルートで再利用してほしいものである。

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百貨店は建てて貸す。

2024-08-07 06:54:08 | Weblog
 2024年は地方百貨店の一畑百貨店、名鉄一宮店、岐阜高島屋が相次いで閉店。8月18日には埼玉の丸広百貨店東松山店も営業を終了する。一方で、鹿児島の山形屋は私的整理の事業再生ADRが第三者機関に受理されたことで、持ち株会社の山形屋ホールディングス(以下、山形屋HD)を設立し、再建の道を歩み始めた。

 山形屋HDではメーンバンク鹿児島銀行の関連会社から中元公明氏を取締役会長に迎え入れたほか、岩元修士山形屋社長はそのまま取締役にスライド。また、経営体制を監視し財務の透明性を確保するため、6名の経営陣のうち鹿児島銀行とファンドのルネッサンスキャピタルから1人ずつ取締役を受け入れた。同HDは、各社が事業に専念できるようグループ全体の戦略決定を行い、組織、人員体制のスリム化と収益の向上、不動産の売却などを通じ、5年間で事業の見直しと財務の健全化を目指す。

 しかし、山形屋を取り巻く環境は、厳しさを増している。鹿児島市の人口はすでに60万人を切り、周辺を含めた商圏人口は今後も減少が続く。当然、顧客予備軍である40代、30代も減っていくわけで、お客がこれ以上増える状況にはない。鹿児島銀行など県内4金融機関が進めるスマホ決済アプリ「Payどん」がカギを握るとは言っても、山形屋で展開できるブランドや品揃えは限られる。ネット通販の品数、利便性を享受している若年層が、山形屋でのショッピングに移るとは考えにくいのだ。

 山形屋がメーカーと結ぶ取引形態もネックになる。商品政策は商品を買い取るのではなく、メーカーの派遣社員に売ってもらう「委託販売」、商品が売れてはじめて仕入れた形にする「消化仕入れ」が大部分を占め、自店に並ぶ商品であってもほとんどが自らの商品ではない。だから、動きが悪い商品を自由に値下げして販売することができないのだ。そこから脱却するためにはデジタルトランスフォーメーション(DX)が叫ばれるが、どうなのか。振り返ると、バブルが崩壊し百貨店の低迷が始まった1990年後半にも業務の効率化を目的にレイバー・スケジュール・プログラム(LSP)を導入したところがあった。

 これは「その日に出勤した社員に合わせて仕事を割り振る」のではなく、「目標達成に必要な仕事をメンバーに割り当てる」ものだ。目標や仕事ありきで、人の手配が決まるのだが、これで百貨店の業務効率が上がり生産性が高まったかと言えば、その後の凋落ぶりを見ると否としか言えない。百貨店には自主編集、委託販売、消化仕入れの売場があり、自店社員とメーカーの派遣社員が混在する中では、LSPが馴染むような組織風土ではなかったのかもしれない。なおさらDXを導入して業務を効率化しても、稼ぐ力がつくかは全くの未知数と言える。

 山形屋も業績が低迷して以降、最初に手をつけたのは販売管理費の削減だった。省ける経費をカットした方が手っ取り早いと考えたからだ。2014年から23年までの9年間で同費用を118億5,800万円から84億3,500万円まで30%近く削った。主に正社員の数で14年2月期から8年間で自然減を含めて540人近くをリストラした。しかし、収益が好転するどころか、むしろ悪化している。粗利益率は14年2月期が25.46%(販管費率は24.67%)に対し、22年2月期には22.68%と8年で2.78ポイントもダウン。粗利益が低下し続けたのは、人員削減で納入掛け率が高い委託販売の売場が増えたためと見られる。



 山形屋本店前を走る電車通り沿いにはホテルや飲食店が多く、訪日観光客によるインバウンド消費に期待する声もある。ただ、観光庁が行った「訪日外国人消費動向調査」をもとにした2023年の都道府県別集計によると、鹿児島県全体の旅行消費額は53億円で、全国27位。消費単価は一人当たり4.7万円で同11位だが、訪問者数は11.2万人(同31位)と、九州では福岡県(214.9万人)、大分県(84.1万人)、熊本県(41.9万人)には、大きく水をあけられている。現状では山形屋にインバウンドの恩恵は少ないということだ。

 11月の米国大統領選挙でトランプ氏が勝利すれば、為替相場はドル安に揺り戻すとの見方もあるが、前政権時代にはFRBが利上げを重ねており、逆にドルは上昇している。要は為替相場は金融政策によって決まり、円安が続いたとしてもインバウンド消費が鹿児島県を潤すかは極めて不透明だ。つまり、地元民が消費を盛り上げることが肝心なのだが、売上げが下がっていることで、メーカー側はブランド展開などで二の足を踏む。百貨店としての商品調達力が落ちると、お客にとっても買い物への期待値が下がってしまう。山形屋が業績を伸ばせる素地は全く見当たらないということだ。


地方百貨店の旧来型ビジネスは終焉へ

 大都市の大手百貨店ですら、系列の地方店については閉店や再開発を検討し始めている。2018年から岩田屋三越の社長として同店を成長軌道に乗せ、2021年4月1日付で三越伊勢丹ホールディングス(以下、三越伊勢丹HD)のトップに就いた細谷敏幸社長。就任時には「百貨店のビジネスモデルはもう消費者から受け入れられないのではないか」と語り、危機感を露わにしている。それから3年が経過した今年夏、「地方百貨店については再開発を検討している」ことを明らかにした。



 まず、子会社の札幌丸井三越が運営する三越札幌店や丸井今井札幌本店で、建物の老朽化などから建て替える計画を仄めかす。百貨店にホテルやオフィスを組み合わせた複合施設に再開発するスキームだ。三越伊勢丹HDが自社物件をもつ他都市でも同様の再開発を検討しており、三越仙台店も候補になっている。さらに百貨店事業が堅調な伊勢丹新宿店や三越日本橋店でも、2030年頃から10~15年をかけて5000億円規模の不動産投資をする方針とか。



 伊勢丹新宿店はコロナ禍明けから過去最高の収益を更新したが、本館そのものは手をつけないで営業を続けると言うから、メンズ館や駐車場など周辺の所有地を活用して高層ビルを建設する構想があるのかもしれない。大手デベロッパーが手掛ける不動産開発の基本プランは、土地の価値をいかに上げるかだ。そこでは高層ビルを建設してさまざまなコンテンツを入居させる。低層には商業施設、中層はホテルやオフィス、高層がマンションという形だ。細谷社長が考える再開発の内容も同様だと思われる。

 大手百貨店には日本人富裕層の高級品志向、旺盛なインバウンド消費など、追い風が吹く。ただ、高い収益を生み出しているのは、宝飾品や高級時計、アートといった高単価の商品だ。それでも消費は水物。いつ円高に振れるか、いつ不況に戻るかはわからない。現に8月5日、東京株式市場で株価が大暴落。日経平均株価の下げ幅は4400円を超え、過去最大となった。専門家は「米国の景気後退の不安が和らげば、日本株も落ち着いていく」との見方を示すが、今の高額消費に翳りが出てくることも十分に考えられる。経営者には常にそうした危機感がつきまとう。近視眼的では百貨店の経営には携われないということだ。

 まして、消費者ニーズに対応するとは言っても、一百貨店のキャパでは3億5300万品目以上を扱うアマゾンなど、ネット通販には太刀打ちできない。細谷三越伊勢丹HD社長が言う百貨店のビジネスモデルはもう消費者から受け入れられないのではないかは、それを象徴する。また、百貨店ビジネスは景気に左右されるのはもちろん、都市型、地方を問わず前出のような取引形態を続ける限り、純利益が15%、20%と伸びるとは経営者としても思ってもいないだろう。これまでのようなスタイルでは、成長には限りがあるのは自明の理なのである。

 では、どこで収益を出していくのか。都市の中心部に所有する店舗など不動産を有効に活用し、小売りをメーンとする百貨店事業以外で業績を伸ばすしかない。百貨店の中には、売場を委託販売や消化仕入れからテナントへの賃貸に切り替えているところもある。そちらの方が収益効率が上がるからだ。それでも、地方店では店舗の老朽化、集客力の低下、顧客の高齢化、そして人口の減少からテナントの撤退や出店見合わせが相次ぎ、それがさらに売上げ不振を招くという負の連鎖に陥っている。とどのつまりが閉店や営業終了だ。

 むしろ旧来型の百貨店ビジネスへの危機感は、都市型百貨店ほど強いようである。すでに東急東横店は渋谷スクランブルスクエアとなり、東急本店も高層の複合ビルに生まれ変わると発表された。2022年9月末で営業を終えた小田急百貨店跡地には、29年に48階建ての高層ビルが竣工する。中低層部は商業施設になるが、小田急百貨店がそのまま入るかは未定だ。 京王百貨店・ルミネ1も地上19階・地下3階建て、高層ビルに建て替えられ、高層階には宿泊施設も設けられる計画があるものの、着工時期は未定という。



 三越伊勢丹HDが不動産を有効に活用した再開発事業に乗り出すのは、百貨店の構造改革を鑑みると当然の帰結と言える。そこで、地方百貨店の山形屋は今後、どう再建を進めていくのかである。手始めに経営の効率化に向けた組織再編が行われた。24社あった関連会社は15社に再編成され、(株)川内山形屋や(株)国分山形屋ら6社は(株)山形屋へ、(株)日南山形屋ら2社は(株)宮崎山形屋に統合される。新体制は8月1日から始動したが、これでどこまで業績が伸長するかは未知数だ。

 山形屋が申請した事業再生ADRでは、DES(デット・エクイティ・スワップ=債務株式化)で40億円、DDS(デット・デット・スワップ=借入金の劣後ローン化)で70億円を調達し、残る250億円の借入金については、5年間は返済を猶予するというもの。ただ、DESにより銀行団に発行する40億円の優先株の買い入れ消却予定も、DDSにより生じる70億円の劣後ローンの返済予定も具体的には示されていない。6年目からは250億円の返済も始まる。百貨店のままではとても負債の返還どころか収益の回復すらおぼつかないと言える。

 三越伊勢丹が地方店の再開発に乗り出したことを考えると、山形屋も同様の複合型ビルへの建て替えで収益力の底上げを目指すしかないのではないか。あとは銀行団やファンドから送り込まれた経営陣が創業者一族や従業員組合とどう折り合いをつけるかだろう。ただ、5年の猶予期間なんてあっという間に過ぎていく。おそらく銀行団が目論むスキームも既存店舗を解体して、複合ビルに作り替えることではないかと思う。
 
 その場合の資金の出どころ、スポンサー候補としては山形屋が同系列におかれる伊勢丹ではないかと思う。山形屋HDの取締役となった岩元修士山形屋社長が伊勢丹出身ということを考えると、銀行団やファンドも支援要請を説得しやすい。少なくとも伊勢丹がスポンサーとして乗り出してハードを新しくできれば、出店するブランドが増えていくのは間違いない。競争力もつくだろう。ただ、その時点で山形屋の暖簾をどうするか。残すとすれば、それが手切れ金代わりになるのか。伊勢丹にとっても、それなら安い買い物かもしれないが。
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