HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

人は使い捨てない。

2023-10-25 07:31:34 | Weblog
 先日、以下のニュースが目を引いた。入り衣替えのシーズンになったことで、制服を一新した企業が目立つという。2023年のWBC日本代表として活躍したラーズ・ヌードバー選手をCMに起用したメガネ店の「Zoff(以下、ゾフ)」もその一つ。同社は2018年の秋以来、5年ぶりに店舗スタッフの制服を刷新した。



 こちらは「アダストリア」が循環型経済を実現する目的で開発したブランド「オー・ゼロ・ユー」とゾフが協業したもの。制服には持続可能な素材を使用しつつ、多様性の時代に対応すべく制約や枠組みも見直した。同社のコーポレートカラーであるブルーに濃淡をつけたジャケット、エプロン、ベスト、パンツの組み合わせだ。

 デザインは、店舗スタッフが担う視力測定などに見られる職人的な仕事から着想し、ビンテージのワークウェアからインスピレーションしたという。公開された写真を見ると、こしのあるギャバ系の素材が使われ縁に地縫いが施されるなど、ヨーロッパ製の古着で見かける仕様になっている。並行してスタッフの身なりでも髪の毛やネイルのルールが緩和され、新しいユニフォームスタイルでも自由なファッションを楽しめる位置付けだそうだ。制服刷新には他にも目的がありそうだが、それについては後述するとする。



 ゾフはJins(以下、ジンズ)と並び、度付きメガネが5000円台から買えるようにしたパイオニアだ。商品の企画から製造、販売まで一貫することで低価格を実現する手法は、ユニクロや無印良品と同じSPAシステムだが、ゾフ自体は独自性も打ち出している。例えば、パソコンの長時間使用で目に負担がかかる「ブルーライト」をカットするレンズは追加料金なし。また、自分の好みに合わせてレンズをカスタマイズできる。アパレルブランドとのコラボも人気の一つで、アダストリアと協業できたのもそうした下敷きがあったからだ。

 フレームのデザインはそれほど個性的ではないが、逆にかける人を選ばないのが安定した人気の理由と言える。レンズは屈折率1.55(標準型)で統一され、ジンズのようにど近眼向けの超薄型レンズ(屈折率最薄で1.74)があるわけではない。レンズの設計は「球面」のハード&マルチコートで、確かな品質のものが揃っている。最上価格でも20,000円以下で購入できるので、お気に入りのフレームを比較的長くかけたいという人には向いている。

 従来のメガネ店はフレームもレンズも高価だったため、一度購入すれば急激に度数が進行しない限り、買い替えるケースは少なかった。反面、定期的なメンテナンスを行うことで、店舗は顧客をがっちり捉えることができたのだ。背景にはフレームもレンズも原価に対して利幅が大きな「高荒利」商品だったことがある。一度、お客に作ってもらえば、非常に儲かる商品だったわけだ。ところが、バブル景気が崩壊し、不況が長引くとアパレル同様にメガネにも価格破壊の波が押し寄せた。

 フレームは自社オリジナルのデザイン、レンズは業界規格に則るものの、どちらも海外でのローコスト生産が可能になり、販売価格を抑えることが可能になった。それ以前にもメガネスーパーといった低価格のメガネ専門店はあったが、ゾフやジンズ、眼鏡市場などが参入したことで、ファッションアイテムという位置付けとなり、購入や買い替えのハードルも下がっていった。

 老舗メガネ店のある経営者はこう警鐘する。「メガネが視力補正の道具であることは変わらない。専門の技術者によるコンサルティング販売が欠かせないし、高度な付加価値が反映される。そこでは店とお客との間で信頼関係ができ上がるため、顧客商売として成り立ってきた。よく見えてかけ心地がいいなどの機能が大事で、その鍵はレンズが握っている。だが、先にフレームを選んでそれに合うレンズを後から付ける商売がまかり通っている。お客一人一人目の形や瞳の位置が違うのにフレームに合わせたレンズで機能が果たせるわけがない」と。

 確かにそれも一理ある。ただ、日本には「国が認めた眼鏡士は存在せず、専門学校や団体等で認定された資格」に過ぎない。さらに格安メガネ店はメガネを「雑貨」ととらえるので、規制を受けずにパートアルバイトでもメガネを作ることができる。それが格安メガネ店の急拡大を促した。高額なメガネを販売してきた専門店の中は、郊外のショッピングセンターなどに格安メガネ店が出店したため、そちらに流れるお客が増えて経営が厳しくなったところもある。一方で、メガネ業界にも競争原理が働いたことで、商品の価格が下がったのも事実。それは消費者にとって好ましいことでもある。


格安メガネ店での勤務を持続可能するには

 先の老舗メガネ店の経営者は他店を巻き込んで「眼鏡士の国家資格化」に動き、政治家へのロビー活動を行ったこともあると語っていた。しかし、実現に漕ぎ着けることはできなかった。それはなぜか。国家資格とは特定の人に業務の独占権を与え、それ相応の責任を果たしてもらうもの。公的資格を制度化することで、業務を独占させているわけだ。医師や弁護士、公認会計士、税理士、建築士、また看護師や理・美容師といった職種がそれに当たる。

 彼らはそれぞれ専門的な技術や能力を有し、しかも患者の生命や依頼者の財産(預貯金、不動産、美顔、髪や美肌)に関わる仕事をする。無資格なのに医者として手術をされたり、建築士として建物を設計されるなんてのを認めれば、後々とんでもないことになりかねない。だから、それなりの専門性を有し、生命・財産に関わるという2つを満たす仕事に対しては、国が公的資格を与えることで業務を独占することを認めているのだ。

 では、眼鏡士も公的資格にして業務独占にした方がいいのか。ゾフも他の格安メガネ店もそうだが、そこにいるスタッフは眼の測定をしたり、眼鏡の加工調整をしたりするが、「レンズの玉擦り」については外部に委託しているケースが多い。だから、眼科医のように眼に疾患があるかどうかを診るのが業務ではない。お客の眼に合うレンズの度数の提案し、メガネのかけ心地などを調製する業務だ。つまり、生命や財産に直接関わるものではないから、業務独占とするほどのものではないと考えられるのだ。

 老舗メガネ店が国に要請した眼鏡士の国家資格化が認められなかったのは、こうしたメガネに携わる仕事内容が関係していると思う。ただ、こうも考えることができる。メガネ店の新規参入が増えたことで、競争が激化している。そこでは勝てる店もあれば、負ける店も出てくる。勝つためには優秀な人材を育成し、売上げを右肩上がりで伸ばしていかなければならない。もちろん、スタッフ側のモチベーションアップも必要になる。

 では、スタッフの能力の基準、成長の指標をどう判断するか。格安メガネ店の場合、マネージャーや上司から見た接客サービスの能力、顧客化やリピーターの数があるが、これらも至って漠然としているし、流動的で客観視しづらい。会社としてはスタッフの人事考課を平準化し報酬やポストを決めることで、勤務年数を増やしていきながら人材育成に繋げたいはずだ。スタッフ側も自分が成長していることを自覚でき、その対価として報酬がアップしていかなければ、モチベーションは上がらないだろう。



 ゾフが制服を刷新したのは、まずは仕事上で身につけるモノをお洒落にし、髪の毛やネイルの規制も緩和することで自由なファッションを楽しみながら、仕事をしてもらおうというもの。そうすることで、勤務の持続可能スタッフの定着率を高めながら、成長を促そうとの狙いが見てとれる。制服効果がどこまで出るかはわからないが、できることから地道にやっていく点は評価できる。では、その先はどうするべきか、である。

 メガネ店としてスタッフの成長度合いを客観的に評価できて、人事考課を標準化していくには、やはり業界内での何らかの資格というか、マイスター的な制度も必要ではないかと思う。それは業務を独占するためではなく、スタッフにできる限り長く仕事をしてもらうことで、スキルの程度が公平かつ客観視できるような仕組みである。つまり、これを持っていれば、「あなたは誰からも評価される優秀なメガネスタッフ」と認められるものである。

 奇しくも老舗メガネ店の経営者が国に働きかけた眼鏡士の国家資格化は実現しなかった。だが、格安メガネ店の参入で業界の競争が激化し始めたことがスタッフの高度なスキルを可視化するような制度醸成につながるのは、皮肉である反面良いことだ。

 今や全ての企業が脱炭素、SDGsという持続可能な開発目標に取り組み始めている。メガネ業界でも、古くなって使わなくなったメガネの下取りを行うところもある。プラスティックならリサイクルは可能だし、再生素材の使用はトレンドにもなっている。並行して、メガネ店のスタッフにも業務を長く持続してもらい、スキルアップに繋げていくのは企業目標になるのではないか。

 モノだけでなく、人間も使い捨てずに大事にする。格安メガネ店は価格戦略だけでなく、有能な人材をいかに育てるか。新たなテーマに取り組まなければならない。制服刷新がそのきっかけになることを期待したい。
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変わるには抜け出すこと。

2023-10-18 07:31:07 | Weblog
 セブン&アイホールディンス(以下、セブン&アイHD)傘下のイトーヨーカ堂は、構造改革を急ピッチで進めている。2026年2月末までに全国で展開する「総合スーパー(GMS)」125店舗のうち、33店舗を削減するのに加え、祖業であるアパレル事業からの撤退も表明した。GMSの苦戦はイトーヨーカ堂に限ったことではなく、現イオンでも同じだ。経営陣が進めるGMS改革は店舗閉鎖や在庫圧縮などで利益を改善するもので、業態としてはお客から総じて支持を受けなくなっていると言える。

 元々、GMSは、食品スーパーに生鮮やグロサリーの買い物にやって来たお客に、階上で展開する衣料品や日用雑貨を「ついで買い」してもらう業態。一言で言えば、食品で集客し、非食品で稼ぐというビジネスモデルだ。1990年代に入ると、郊外に大型のショッピングセンター(SC)やロードサイドショップが開業。専門性の高いテナントが登場し、お客にとっては選択肢が増えた。そのため、品揃えがフラットで奥行きのないGMSは、お客にそっぽを向かれるようになっていった。特に衣料品では顕著だった。

 もちろん、イトーヨーカ堂も手をこまねいていたわけではない。2005年には、伊勢丹でカリスマバイヤーと目され、独立後には福助の再建を成し遂げた故・藤巻幸夫氏を迎え入れて、衣料部門の立て直しに取り組んだ。ビジュアルマーチャンダイジング(VMD)に力を入れ、従来のようなハンガーラックに並べただけから、商品一つ一つが見やすく買いやすい売場に変更。だが、オリジナルブランドは売上げ目標に届かず、藤巻氏自身の体調不良もあって退任を余儀なくされた。在任期間はわずか3年程度だった。



 その後、セブン&アイHDは、傘下のイトーヨーカ堂とそごう・西武との共同で「セットプルミエ(SEPT PREMIÈRES)」を企画・開発した。同社にとってはPB「セブンプレミアム」のアパレル版で、商品はベーシックでありながらも時代性を映し出す色・素材・フィット感を追求。第1弾ではジャンポール・ゴルチェ氏を迎えたコラボレーション企画も加えられた。2015年10月からイトーヨーカドー 135店舗、そごう・西武 全24店舗で発売した。

 アイテムは、イトーヨーカ堂で販売したセットプルミエがアウター、トップス、ボトムス、ワンピースで、価格は2900円から19000円。そごう・西武で販売したジャンポール・ゴルチェとのコラボ企画は同様のアイテムに雑貨をプラス。こちらの価格は1400円から49000円と幅広いプライスラインとなった。

 ところが、セブン&アイHDは1年後にはセットプルミエ含む衣料品3ブランドを2017年2月期中に廃止すると発表。「衣料品については厳しい状況が続いており、精査を行っている。1つ1つのブランドの価値や収益性を見直し、今回のブランドの統廃合に至った」と説明した。要は当初計画した売り上げ目標(=需要予測を見誤った)に届かず、ライセンス料やコスト面などを考えると、とてもペイするような状況ではなかったのだ。

 うまくいかなかった理由はこうだと考えられる。企画の段階で、そごう・西武の両百貨店とイトーヨーカ堂というスーパーでは、ターゲットが異なるのにセットプルミエという統一ブランドにし、百貨店のみデザイナーズコラボという付加価値をつけたのが、中途半端だったということ。むしろ、共同でブランド開発を進めたのは、イトーヨーカ堂とそごう・西武の店舗数を合算することで、最低生産ロットの帳尻を合わせたとしか思えない。

 ブランドのレベルも、百貨店向けにデザイナーズコラボという価値をつけたにしても、投入された商品が本当に百貨店レベルを維持していたのか。マーケティングの論理から言えば、スーパーと百貨店では商品作りからコスト管理や生産背景、販売スタイルまでが異なる。セブン&アイHDの理屈はイトーヨーカ堂には通じても、百貨店では通用しないということ。これはセブンプレミアムがそごう・西武のデパ地下救世主となり得なかったこととも共通する。



 イオンの「トップバリュコレクション」はどうか。元々、イオンは肌着などの実用衣料が強く粗利も高かったが、ユニクロなどにシェアを奪われる中で、GMSの存在意義さえ失っていった。2023年3~8月期の連結決算では、衣料品の収益は回復している。これはGMSの営業損益が36億円と黒字に転じたからで、要因は在庫を4年前の1678億円から直近は1138億円と3割も削減したことによるものだ。

 子会社のイオンリテールは、衣料品売場を「デイリーカジュアル」「オケージョン」「セカンドライフ」「ネクストエイジ」「スポーツライフ」「雑貨」と、年齢別・シーン別に分類した「専門店モデル」を拡大するという。船橋店での実験では、2ケタの伸びを示すなど好調な滑り出しだが、全国のお客が求めるレベルまで完成度を高められるか。商品作りではユニクロなどのSPAが先行しており、専門店モデル、年齢別・シーン別と掲げたところで、アソートメントの呼び方を変えただけでは意味がない。課題は依然として残ったままだ。


アパレルが絡むと状況が変わるのか



 こうした状況から一歩抜け出そうとする企業がある。ベイシアグループ傘下でショッピングモールやスーパーセンターを展開する「ベイシア」は、大手アパレルのワールドと協業しオリジナルのレディスブランド「YORIMO(ヨリモ)」を開発。10月4日からベイシア50店舗で販売をスタートした。ベイシアは1959年、群馬県伊勢崎市で創業し、現在ではホームセンターの「カインズ」、職人御用達の店「ワークマン」など20社以上からなるベイシアグループに属する。同社はベイシアファションセンターという名も専門店も展開していたが、10中旬にはこちらを全て閉店すると明らかにしており、それに代わる業態がヨリモと見られる。

 従来、ベイシアがモールなどで展開していた衣料品は、PBも含めタイやベトナムで生産した低価格の実用衣料やジーンズ、Tシャツなどのデイリーカジュアル。いわゆる、どこのディスカウントストアでも見かけるような、とてもオシャレとは言い難い代物だ。そこで衣料品について、ワールドの手を借りてファッション性やコーディネート力を高め、タウンウエアとして通用するようMD改革に乗り出したわけだ。ワールド側にとっても、ベイシアほどの規模なら協業するメリットはあると判断したと思われる。

 ヨリモはベーシックなデザインからエレガントな服までと幅広い展開。価格はストライプシャツやヘンリーチュニック、ベイカーパンツなど、いずれも税込み4378円と値頃感がある。秋冬物は63点が投入されている。さらに今後は商品面の協業に止まらず、ベイシアの衣料事業部がワールドのプラットフォームサービスを導入することで、店舗の内装デザインや運営、EC販売にも踏み込み、そこではワールド側も全面支援していくという。

 ベイシアグループでは、カインズが東急ハンズを買収し、ワークマンはワークマン女子を開発するなど、本流の低価格路線を維持しながら新たなマーケットの開拓にも積極的だ。GMS他社が衣料品改革を一向に進められない状況で、ベイシアにしてもワールドが持つノウハウを頼ったとは言え、抜きん出るような商品を安定して生み出せるか。あの広大なスペースの中でハンガー陳列が多用される売場がどう変わるのか、が期待される。

 ただ、ヨリモの売場だけが異彩を放つようでは、周辺の売場との整合性がなくなる懸念もある。ベイシアのことだからその辺の売場配置やレイアウト調整も考えていくだろう。それにしても、ヨリモはファッション衣料だから、商品を作って専用売場を展開したからといって、セルフのままでは売れるわけがない。インナーからアウターまでの編集を軸にしたコーディネート展開を行う以上、それを実際にお客に提案し、接客で販売するスタッフの力がものを言う。専門のスタッフ育成も不可欠なのだ。そこまでできるかがカギとなる。



 量販店を本業とする企業がアパレルと協業するのはベイシアが初めてではない。広島のスーパー「イズミ」も2022年から「アダストリア」と共同で、衣料品のリブランディングに乗り出している。アダストリアがもつ生産背景や店舗デザインのノウハウを活かし、30~40代の女性向けの新ブランド「SHUCA(シュカ)」を開発。同年9月からイズミが西日本、九州一円で展開する郊外型SC「ゆめタウン」の全46施設で展開をスタートした。

 ゆめタウンにはユニクロやグローバルワーク、レプシィムの他、地元のセレクトショップなどのファッションテナントが並び、安定した集客と売上げを維持している。しかし、イズミが運営する自主編集売場のファッション衣料では、どこの施設でも閑古鳥が鳴く有様だ。ゆめタウンはGMSではないが、やはり衣料品改革は待ったなしの状況。SCとして持ち前の集客力を生かし、テナントでカバーできない30~40代の女性層を開拓する狙いと見て取れる。

 ゆめタウン博多のシュカを見てみたが、アダストリアが参画しただけに従来の衣料品コーナーからは商品力が上がったのは間違いない。だた、シュカは30代~40代の女性がターゲットというものの、商品のテイストを見ると50代の方が好むのではないか。実需を考えても、そちらの方向性で行く方がうまくいくと思う。

 ヨリモも、シュカも、目的は量販店の衣料品を改革すること。だからと言って、アパレルとの協業で、簡単に改革できるほどファッションは甘くない。まずは食料品やグロサリーを買いに来たついでに売場を見てもらうこと。そこで消費者に「結構、おしゃれな商品もあるじゃん」と感じてもらうことが再生の一歩になる。識者の中にはベイシアとワールドの取り組みから、他のスーパーでもアパレルと協業するのではないかと見る方もいらっしゃる。

 ただ、ベイシアやイズミが衣料品改革に乗り出せるのは、グループ内に好調な事業を抱えているからだ。それでも、ファッション衣料を売るには店作り(売場作り)から商品編集や販売スタッフの配置まで、小売りというか、専門店のノウハウが欠かせない。SPAはそれを確立し、はるかに先行している。まずは商品作りから踏み出し、一つずつ小売りノウハウを積み重ねていくしかない。

 シュカは販売開始から1年が経過したが、特に好調だという話は聞こえてこない。ベイシアもイズミもグループ全体が好調だからと、「ヨリモやシュカが赤字でもいい」と言うことにはならない。「1社でも赤字企業があれば、そのままにしてならない」が、子会社をいくつも抱える企業グループの経営の本質だからだ。おそらく向こう3年で黒字化できなければ、セブン&アイHDのセットプルミエと同じ運命を辿るかもしれない。どう転ぶかはわからないから、現状では様子見というところになるだろう。

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生え抜きが覆すもの。

2023-10-11 06:40:35 | Weblog
 遅ればせながらこの話題に触れる。ユニクロ社長の交代劇だ。柳井正社長は親会社、ファーストリテイリング(以下、ファストリ)の会長兼最高経営責任者(CEO)(以下、柳井会長)となり、2022年からユニクログローバルCEOを務めた塚越大介取締役(44)が新社長に抜擢された。ユニクロでは、生え抜き社員がトップに上り詰めたのは初のケースになる。

 ユニクロにとって過去、柳井会長以外がトップに就いたのは一度だけある。1998年、日本IBMからファストリに転職した玉塚元一氏だ。同氏は2002年、ファストリの代表取締役社長兼COOに就任。ところが、売上げがダウンしたことで、05年には柳井会長から社長を解任され、同社を退職した。澤田貴司副社長も玉塚社長より先に社長就任を打診されたが、固辞してユニクロを去っている。それ以降は柳井会長が社長に返り咲いて兼務し、ユニクロは右肩上がりの成長を遂げた。

 もちろん、柳井会長も歳を取る。折につけ、メディアから後継者について問われた。その都度、「事業をさらに成長させられる人間なら、登用は社内外を問わない」「外国人が社長になるかもしれない」等などのニュアンスで答えていた。ただ、2名のご子息が取締役であることから、「どちらかが次期社長になるのでは」との憶測も呼んだ。それに対し、柳井会長は「子息を社長にはしない方針だ」と回答。つまり、世襲を否定したのである。その言葉通り、塚越取締役が社長に就いたわけだが、将来的にどうなるかはわからない。



 では、塚越新社長とはどんな人物なのか。同氏は武蔵工業大学を卒業後、2002年にファストリに入社。新卒社員として現場で経験を積み、順調にキャリアを重ねていった。19年には40歳の若さでファストリグループの上席執行役員に就任。ユニクロの米国事業やカナダ事業を担当し、05年の参入以降ずっと赤字が続いていた米国事業を22年8月期に初めて黒字化した。マスメディアやSNSを利用した販促策や米国向けの商品開発が奏功したとは言え、不採算店をクローズするなどドラスティックなリストラを断行した功績は大きい。

 柳井会長としては、自分の目が黒いうちにファストリの長期目標「10年後に連結売上高10兆円」を何としても達成したい。そのためには今後も成長が期待されるアジア、海外市場の攻略がカギになる。グループ売上げの8割を握るユニクロ事業がその柱になるのは言うまでも無い。その点、塚越新社長はユニクロの米国事業で実績を上げたことから、その手腕が期待されての抜擢だったと言える。今後の功績次第ではファストリのトップもあり得るとの見方もあるほどだ。

 もっとも、ファストリの経営陣には錚々たるメンバーが揃う。日本長期信用銀行やマッキンゼー&カンパニーに勤務し、ファストリでは最高財務責任者(CFO)を務める岡﨑健氏。弱冠19歳で来日し、ファストリに勤務後は中華圏、東南アジア事業を軌道に乗せ、執行役員までに上り詰めた潘寧氏。伊藤忠、GEキャピタルを経てファストリでは食品販売事業を手掛けるも失敗。その後、経営不振が続いていたGU事業を立て直して挽回を図った柚木治氏。各国別に陣頭指揮を執るCOO(最高執務責任者)を統括するユニクロ欧州CEOの守川卓氏。

 これらの面々の中から新社長が誕生してもおかしくなかった。それでも、塚越上席執行役員に白羽の矢が立ったのは、一歩抜きん出ていたからだろう。ファストリの企業収益が右肩上がりで伸びているとは言っても、ビジネスはいつどう転ぶかはわからない。柳井会長はある意味孤独だ。常に経営に対する不安や部下に対する疑心暗鬼が付きまとい、それから逃れることはできない。



 だからこそ、全ての事業を有機的に結びつけて相乗効果をあげ、グループ全体が収益向上に繋げられる組織体であることが不可欠なのだ。そこまでを俯瞰で見られるCEO育成には、まだ少し時間を要するのかもしれない。では、塚越新社長はユニクロをどう舵取りしていくのか。そして、直面する課題をどう乗り越えるのか、である。経済紙誌ではよく「経営者には、生え抜きとプロのどちらがいいか」という比較論が展開される。答えは概ね「プロ経営者の方がいい」というものだ。

 確かにプロ経営者なら業界にどっぷり浸かっていないので、柵や慣習にとらわれずに自由な発想ができ内部の人間が気づかない点も感じ取れる。経営課題に取り組む上でも、痛みが伴う変革にも躊躇することはない。逆に生え抜き経営者であれば、自分を育ててくれた風土や環境に情が生まれる。それを壊して同僚や部下、店舗、商品、取引先を切り捨てることにどうしてもためらいが生じる。それが変革を遅らせ、経営を行き詰まらせてしまうこともあるのだ。


叩き上げの社長に求められるものは何か

 だからと言って、現場叩き上げの塚越新社長がそうとは限らない。赤字が続く米国事業では、現地法人のトップとして米国人マネージャーに臆することもなく、「No means no!」と店舗閉鎖を突きつけたのは、プロ経営者にも劣らない才覚の持ち主だと言える。

 過去にユニクロで経営に携わった玉塚社長や澤田副社長と比較してみると、両氏はフリースを大ヒットさせ、ユニクロのブランド化に貢献した実績がある。だが、これはメディアが過大評価した面は否めない。それまでのフリースは、L.L.BeanやPatagoniaといったアウトドアブランドが主流で、価格も高くメジャーになりにくかった。

 そうしたアイテムをアジア生産によるコストダウンで廉価版のデイリーカジュアルに焼き直し、プロモーションへの集中投下と店舗網を駆使してマス市場を発掘したに過ぎず、ゼロから商品を企画・開発したわけでない。現にリーバイスなどのNBが市場を押さえるジーンズでは、商品や廉価政策では牙城を切り崩すことができなかった。澤田副社長はフリースの反動減をカバーする施策を打てないジレンマからユニクロを退社。玉塚社長も売上げダウンで解任され、澤田副社長の後を追うように同社を去っている。

 一方、柳井会長が澤田、玉塚両氏を幹部候補として招いたのは、ファストリを成長させる上でプロ経営者候補を欲したからだ。だが、両氏とも現場経験は半年くらいで、本部に呼び戻されている。当時のユニクロはまだ成長途上にあった。外部出身の人間がそんなユニクロの性格を十分に理解していないのだから、生え抜きの店長やスタッフとの間で乖離が生まれる。マネジメントできないのは当然である。

 では、塚越新社長はユニクロをどう舵取りしていくのか。少子高齢で市場が縮小していく国内事業は、高齢者向けや介護用品などの商品開発が考えられる。マーケットとして好調が続くアジア事業だが、中国は台湾有事の問題が燻り、リスク要因にもなるだろう。それに代わるインドは製造体制を現地化しなければならず、ブランド力のさらなる向上と店舗展開、マーケティングを強化した市場即応の商品開発が不可欠だ。膨大な売れ残り在庫の活用や再収益化として「リ・ユニクロ」のプロジェクトを始動するが、実効性のあるものにしなければならない。



 9月15日から発売されている「ユニクロ:C」は、+Jに代わるほどのヒットアイテムに昇華できるかである。コラボ企画は、レギュラーの商品では満足できない層を開拓する機会であり、春夏、秋冬2回の投入とは言え、売場の活性化には欠かせない。ユニクロ:Cはジェンダーフリーを意識してか、レディスなのにオーバーサイズで男性でも着られるアイテムも投入されている。コストパフォーマンスを生かした廉価政策の中で、従来のユニクロ路線と一線を画する企画にも踏み込めるかだと思う。

 苦戦が続いてブランド単独店の閉鎖が続く「プラステ(PLST)」は、ユニクロ店舗内へのインショップ展開を進めると発表されている。これが塚越新社長の初英断かどうかはわからないが、プラステはセオリーから派生した商品企画であるものの、価格だけ割高で店作りや展開方法などでユニクロとの差がわかりづらい。昨年、ららぽーと豊洲の店舗を見たが、そこだけ閑古鳥が泣くほど閑散としていて、何らかのテコ入れが必要だと感じた。

 ようやくユニクロへのインショップ化が動き出したわけだが、いくら集客力があるとは言え、現状のプラステのままでは厳しさは続くだろう。セオリーのノウハウを活かしてビジネス向けのテイストに特化したり、デザイナーの起用を含めゼロから商品を作り直すなど、大胆な施策が必要ではないか。その結果、ブランドとして成長すれば、再び単独展開もあり得る。そこは塚越新社長も状況を見ながら、判断していくと思う。



 ユニクロは10月20日からファストリ傘下の「コントワー・デ・コトニエ」とのコラボ商品を発売する。価格はアウターが1万2900円、パンツ・スカートが3990円~4990円、シャツが2990円、ニットが3990円。ブランド本体はシャツが7990円~9990円、ニットが1万2900円~2万9900円といった価格帯のため、コラボ商品のプライスは3分の1からそれ以下に設定されている。

 テストマーケティング的な要素との見方もあるが、本家がそれほど売れていない中で、価格のみが選択肢となってコラボ商品にお客が流れるようでは本末転倒だ。ユニクロが一人勝ちする一方で、他の事業の足を引っ張ったり、傘下ブランドが苦戦から脱却できないのは、塚越新社長も本意ではないと思う。

 右肩上がりの売上増で、死角がないように見えるユニクロだが、意外にも自社の方に多くの経営課題が潜んでいそうだ。塚越新社長がそれにどう立ち向かっていくのか。生え抜き経営者に対する限界説を覆す手腕を見せてほしいものである。

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ポテンシャルは服に出る。

2023-10-04 07:31:40 | Weblog
 大学時代にマンションアパレルでアルバイトをして以降、ずっとレディスのキャリア及びコンテンポラリーの服ばかりに触れてきた。だからだろうか、ついスイートやフェミニン、エレガンスなソーンと、比較してしまう。仕事仲間の女性陣に対し、あからさまに「コンサバは嫌いだ」と公言し、顰蹙を買ったこともある。それでも、余分な装飾がないミニマルデザインの服を着た女性がいると、ついつい見入ってしまう。この傾向は何年たっても変わらない。

 話は変わるが、去る9月半ば、岸田政権が自民党の役員人事と内閣の改造を行なった。岸田総理は女性の活躍推進を意識してか、党選挙対策委員長に小渕優子衆議院議員、閣僚にも5名の女性議員を起用。その後も、総理補佐官には国民民主党で副代表を務めた矢田稚子元参議院議員を任命した。ここでは彼女たちの手腕や力量は置いておくとして、ワーキングスタイルはどうかを見てみたい。首相官邸での記念撮影の正礼装は別にしても、仕事服はメディアやその向こうにいる国民の目を意識しているように見える。



 彼女たちに共通するのは、スーツスタイルであっても上品さや女性らしさを失わないエレガンスなテイストであることだ。生き馬の目をぬく永田町で生きている割に自己主張の強いファッションとは言い難い。この傾向は保守層の間で大臣候補の期待が高い小野田紀美参議院議員、立憲民主党の次期党首候補と噂される蓮舫参議院議員にも見られる。中には稲田朋美元防衛大臣のようなセンスの方もいらっしゃるが、男性議員の前で堂々と自分の意見を主張しながらも、装いはコンサバ路線を超えてはいない。

 財界に目を向けても、経団連の南場智子副会長、連合の芳野友子会長は、男性がずっと占めてきたポストに分け入るほどの能力を持ちながら、気品や高級感を感じさせるプレタのスーツを愛用していらっしゃる。これは米国の民主党のカマラ・ハリス副大統領、共和党のニッキー・ヘイリー大統領候補などを見ても同様だ。そちらの装いの方が政界、財界の代表として知性や教養を重んじる姿勢が表せるという意識なのだろうか。

 もう少し詳しく見てみよう。前出の議員さんや財界の方々は、とにかく多忙である。閣僚や経営者ともなれば、分刻みのスケジュールになる。仕事帰りにウィンドウショッピング、行きつけのショップで買い物なんて時間的な余裕はないと思う。当選回数が多いベテラン議員ともなれば、地元選挙区に御用達のショップが何軒かあって、そちらのマネージャーやスタッフにお任せで選んでもらうというパターンが多いのではないか。財界のお二方も似たようなもので、銀座や青山などをぶらっと入ったブランドショップや百貨店で偶然見つけた商品を購入するというのは極めて稀だと思う。

 田中真紀子元衆議院議員はデザイナーの故・森英恵氏と懇意にしており、第一次小泉内閣での外務大臣就任の折には、森氏が一晩でオーダーメードのドレスを誂えてくれたという。だが、外務大臣としての執務時はこちらも至ってコンサバなスーツをお召しになっていた。むしろ若かりし頃、田中角栄総理大臣の外遊に同行した時の方が先端ファッションを着こなし、おしゃれだったという印象が強い。自ら大臣となれば、やはり官僚やメディアの視線を意識せざるを得ず、至って大人しめのファッションに終始されていたように感じる。




 彼女たちを取材する記者、各メディアの政治部キャップにも女性が増えた。彼女たちはほとんどがプレーンなスーツスタイルだ。だが、日本テレビで解説委員を務め、「防衛省ハラスメント防止対策有識者会議」のメンバーでもある菅原薫氏は、先日の監察結果の公表時の装いが目を引いた。オフホワイトでダブルのパンツスーツ、インナーには黒のクルーネックシャツ。もちろん、スタイリストが付いているわけではないだろうから、あくまで自分でコーディネートしているはず。コンテンポラリーでエッジの効いたスタイルは、男社会の中でも決して怯まない自信を垣間見せた。

 メディア関連の女性陣は、上司から自分の武器は何でも使ってスクープを取ってこいと厳命されているかもしれない。だが、カメラが回っている状態では、セクシーさはセーブしなければならないのだろう。まあ、キャバクラ嬢ではないのだから男性好みの装いにまで言及すれば、セクハラと捉えられかねない。あくまで彼女たちの裁量に任せられているとは思うが、紋切り型になってしまうのはどうなのだろうか。

 装いや着こなし、ファッションの嗜好と仕事ぶりは関係ない。確かにそういう意見はあるだろうし、おそらく男性の多くは同じ考えだと思う。ただ、やや陳腐な言い方になるが、女性の生き方は装いに現れるのも事実だ。さらに突っ込んで言えば、男性から愛される=良き妻を目指すことから、仕事をしてしっかり稼ぐ=キャリアを積む女性も増えている。前者と後者のライフスタイルが同じはずはなく、当然、ファッションに対する価値観が違い、装いやテイストも変わってくるのだ。


今の課題に取り組むため、今を着る。



 では、ファッションという概念が絡むライフスタイルとは何だろう。それはただ毎日を生きているだけではないということ。日々の暮らしに精神的な豊かさを求め、生活を取り巻くカルチャーを大事にし、一人の人間としての感性や個性を重んじる。特に女性は生活にファッションを取り入れる=着飾る場合、自分をより美しく見せたい、昨日と今日の自分を変えたいという心理が働く。さらに働く女性になると、仕事に対する熱量やこだわりがある人ほど、服選びにも個性が滲み出る。必ずしも美しいことだけが服選びの条件にはならないのである。

 かたや人間は美しい女性に対しては敬愛し、近寄ってコミュニケーションを取りたくなる。ただ、仕事ができる女性は、多くの人からすれば近寄りがたい雰囲気を持つ。本人はそこまで意識してなくても、周りが何となく壁を作ってしまいがちだ。外見で判断してはいけないのだが、多くの人間は着ている物を見て判断する。だから、多くの人と接しなければならないと、どうしても人を遠ざけない無難な装いになってしまうのである。政治や経済の世界はどうしても男性中心だから、自己主張が強い装いは自分にとってはデメリットに感じてしまうのかもしれない。

 一方で、女性にはいろんな美意識がある。ただ、「こんな女性でありたい」「あんな女性に憧れる」という価値観は実に幅広い。女性らしく甘さのあるフェミニンから、歴史や伝統を重んじるトラディショナル、機能的で活動しやすいスポーティ、少女のような可愛らしさを失わないロマンティック&ロリータ、枠に捉われず外し崩しも許容するストリート、洗練されていながら女性らしさも失わないソフィスティケート、メンズライクなマニッシュ、虚飾を排したデザインを好むモダン、とにかく前衛的で奇抜なアバンギャルド、そして優雅で上品なイメージを大切にするエレガンスまで。

 これらをエージで区切りながら、さらに価格を落とし込むことで、ファッションマーケットが分類される。いろんなアパレルメーカーが存在できるのも、女性ファッション誌が何とか生き残れるのも、それらを販売する各種業態、各店舗が成り立つのも、こうした市場があるからだ。もちろん、各マーケットのボリュームは時代やトレンドにも左右されるし、ビッグマーケットではないにしてもコンスタントに売れ続けるものもある。どの市場をターゲットにするかは、各メーカーの理念や方向性、各業態や店舗の戦略にもよる。



 メーカーにしても、デベロッパーにしても、小売りにしても、やはり大ヒットするアイテムが出現した方がいい。しかし、大ヒットは続かないというのがファッションの摂理でもある。だから、独立独歩で軸がブレずに自らのテイストを貫く小規模なメーカーやショップも存在する。競争が激しいマス市場より、確実な市場を押さえるということだ。しかも、エージで区切るのではなく、マインド=ずっといくつぐらいの年齢でいたいか。心理的かつ精神的な年齢に焦点をあて、トレンドに左右されず、テイストをしっかり維持する服作りもある。

 レディスではコンテンポラリーでミニマルなテイストはそれに該当する。流行にとらわれず、今日的なエッジの効いたデザインで素材やディテールに多少のスパイスを加える。時代に遅れてもいないし、尖りすぎてもいない。時代感覚にジャストフィットする。アップトゥデイトとでも言おうか。ターゲットが歳を重ねても、マインドで区切るので着こなすことができ、流行にもほとんど左右されない。体型をキープできれば、ずっと着こなせていける。

 これを政治や経済に置き換えたらどうか。日本が直面する「今日的な」課題に向け、決して遅れることなく、かといって浮世離れで革新的でもない方針を打ち出し、それに向けた施策を手当する。まさに政治家や経営者として当面の課題に対し、ジャストフィットする手腕。甘さもか弱さもそっと胸の奥にしまいこみ、凛として理念や政策がブレない。保守でも、左翼でもない。まさにコンテンポラリーで中道な信条の持ち主。もちろん、確固とした国家観や歴史観は持ちながら、「今の」国や企業の舵取りに全身全霊を傾ける。そんな女性の政治家や経営者が登場することを望みたい。

 それは女性活躍の風潮だからではない。派閥順送り、社内人事のポスト空きということでもない。人数だけ多ければいいわけでもない。できる人間が女性だったというだけで、一向に構わないのである。おそらく政治手腕や実行力にはその人の生き方そのものが出てくると思う。なおさら、ここは日本だ。中国ではない。装いは政界でも、財界でも相手に不快を与えないなら、もっと自由であっていい。ならば、手腕や能力は着こなしにも現れるのではないか。まさに虚飾のないワーキングスタイルとでも言おうか。女性ならなおさらである。男としてそんな女性は応援したくなる。
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