さる9月22日、広告代理店の電通が社員に違法な残業をさせた事件の初公判で、山本敏博社長は罪を認めて謝罪。検察は「利益優先で健康を顧みない姿勢が違法な残業を引き起こした」と指摘し、罰金50万円を求刑した。
山本社長は「以前は仕事に時間をかけることがサービス品質の向上につながり、顧客の要望にこたえることになると思っていた。だが、社員が心身ともに健康であることが品質の向上になると考え、改善に取り組んでいる」と説明。併せて「新しい電通を作る」との決意を述べた。
公判に先立って電通は、7月に「労働環境改革基本計画」を発表。そこではコンプライアンスの徹底を謳っている。これにより社内的に長時間労働は解消されるにしても、物理的に仕事量が減って売上げが減少するのは、業界トップに君臨する同社としては許し難いはずだ。まして、電通には4代目社長の吉田秀雄が作った「鬼十則」がある。
その5条、6条にはこう記されている。
「取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……」
「周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる」
筆者は条項をこう解釈する。クライアントから発注される仕事は、いかなる理由があっても手放さない。特に競合プレゼンに勝利した物件はなおさらだ。また、電通が使うブレーンや下請けを徹底して飼いならし、支配することである、と。
ところが、インターネットの普及により、広告業界の環境は変わった。ネット広告は代理店が条件を設定して入札し、表示やクリック数の結果によってスポンサーから料金をとる仕組みだ。反面、予定していた広告が出稿できないこともあるし、アクセス数などを検証しながら条件を変えたりしなければならない。また、膨大な媒体や露出数の中から、確実に広告が掲載されているかをクライアントに調査、報告する必要がある。
従来のマス媒体のようにコントロールはできないのだ。それでいて膨大な作業をこなしながら、媒体料はテレビCMや新雑広告と違って3分の1程度に止まる。当然、「取り」が少ないのだから、「払い」を少なくしなければ利益はでない。自殺した高橋まつりさんが所属したダイレクトマーケティング・ビジネス局では、社外に外注できないために人員が足りず、高橋さんは長時間労働に追い込まれていったのである。
公判で山本社長が述べたように電通が労働環境の改善に取り組み、残業を減らすには、ダイレクトマーケティング・ビジネス局だけでなく、営業からメディア、セールスプロモーション、クリエイティブまで、すべての部局で仕事のやり方を改めなければならない。でも、鬼十則を愚直なまでに貫いて来た電通が本当にそんなことができるのだろうか。
例えば、こんなケースが考えられる。電通がクライアントから新聞広告の発注を受け、制作を下請けのデザイン会社に外注する。営業担当者はクライアントに初校のコピーを見せて確認してもらうが、クライアントの都合でスケジュールが順調に進むとは限らない。上層部の決済がなかなか降りず、修正が何度も発生するケースがあるからだ。
しかし、出稿、掲載日が決まっていると、当然、制作スケジュールは「けつカッチン」(あとがない)になる。営業担当者はいくつものクライアントを抱えているわけで、打ち合わせ後の夕方に修正分をデザイン会社に持ち込み、「明日の朝一までにやってて」と平気で言うこともある。
営業担当者とて、クライアントから「修正したものを上司が明日の午前中に確認するから」と言われると、「それは時間的に無理です」とは言えない。クライアントから「無理なら、次から博報堂さんに出すかな」と言われれば、元も子もないからだ。もちろん、「取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……」の鬼十則が頭をよぎっている。そんな営業マンの心理を下請けのデザイナーがわかるはずもない。
電通の営業担当者は制作作業に携わるわけではないし、クリエイティブも企画を離れるとタッチしない。制作はプロダクション制で行われるので、結果、電通が残業しなくても、下請けの制作会社には恒常的に時間外労働が発生している。写植や版下が姿を消してデジタルに移行した今、以前のようには制作に時間がかからないと言っても、仕事を取られたくないという営業のメンタリティは変わらない。だから、誰かがどこかで長時間労働に晒されることに変わりはないのだ。
電通が全部署で残業をカットすれば、なおさらそのしわ寄せがどこかに行くだろう。ダイレクトマーケティング・ビジネス局も長時間労働ができなければ、赤字であっても外部の会社に委託せざるを得ない。電通側が「今日はここからここまで済ませておけ」と指示すれば下請けとしてやらざるを得ないわけで、別の企業に長時間労働が発生する可能性は高いのだ。
それでも、下請けは仕事だから受けるのか、それとも長時間労働はダメと断りきれるのか。物理的に仕事量を減らせば、売上げも減るのではという危機感は電通以上に、制作会社など下請けの「現場」には常について回る。そんな状況下では、一律に長時間労働を減らせるものではない。安倍内閣は「働き方改革」を進めているが、資源がなくエコノミックアニマルの遺伝子で生き抜いて来た日本人にそれができるのかは、疑問だ。
好きな仕事なら残業も苦にならず
でも、就けるのごく一部の人間
見方を変えると、働く側の仕事に対する意識や考え方でも変わってくると思う。筆者はアパレルのプレスプロモーションの仕事をしていた時、物撮りやモデル撮影を何度も経験した。中小のアパレルならダイレクトに商品を受け取れるが、大手はプレス用に商品を使うことになる。ただ、プレス用が撮影映えに今イチだと、売場に投入されている商品を直に借りにいくこともあった。
ファッションビルなどに出店しているブランドでは、夜8時の閉店を待って通用口からスタイリストと共に入って店舗で商品を借り受け、夜中の2時3時迄かかって撮影し、翌日の朝一に返しにいくことがあった。その役割はスタッフ任せにはせず必ず自ら行っていた。商品を汚したりした場合の責任は元請けにあるから、決して手を抜けなかったのだ。
並行してそれ以外の仕事をこなすと土日が潰れることもあり、残業が100時間以上になる月もあった。そんな状況が2〜3年続いたが、仕事が楽しくて少しも苦にはならなかった。スタイリストやカメラマンなどには負担を強いたが、みんなフリーランスだけに喜んで協力してくれたのである。
自分自身が頑健だったことが幸いしカラダを壊すこともなかったが、今思えばやはり好きな仕事、やりたい仕事ということで精神的にプラスに働いたと思う。それ以上にそんなスタンスを認めて、仕事を評価してくれたクライアントには感謝している。ところが、働き方改革で仕事の量が制限されると、筆者のような人間はかえってやりにくくなる。まあ、仕事を減らすことも本人の能力のうちだ言われれば、それまでだが。
一方、働く側の仕事に対する意識や価値観も大きく変わってきた中、改革はどんな作用を生み出すのかはわからない。人間の仕事に対する考え方や価値観をザックリ分けると、「1.好きなことを仕事にする」「2.仕事より自分の生き方を大事にする」「3.どちらにも生き甲斐を見いだせない」の3つだろうか。
1の好きなことを仕事にするは、聞こえがいいが、すべての人間にできることではない。一般人にはないセンスや技術などをもつからこそ、好きなことを仕事にできてお金が稼げるのだ。電通マンであってもCMプランナーやコピーライターなどクリエイティブ部の一部を除き、ほとんどが仕事と割り切っているはずだ。
ほとんどの人間は、2の仕事より自分の生き方を大事にする、になる。しかし、ここでも会社側から残業や長時間労働を強いられると、肉体的にも精神的にも追い込まれてしまう。この部分がいちばん問題になっているのだ。働き方改革の断行次第ではいく分かは解消されるかもしれないが、労働者不足に悩む企業や業界には二律背反する問題でもあり、それが吉となるかは未知数ではないだろうか。
3は就職氷河期と重なって、1も2も見いだせない人々が多く当てはまるのではないか。働き方改革は3の人たちに正規雇用についてもらう狙いもあるようだが、40代までずっと非正規で働いて来て、経験もスキルもない人間には容易なことでないと思う。
雇用する企業側にも教育など相当の負担がかかってくるから、結果がどう転ぶかはわからない。それにAIが本格導入されてくると、人間が行ってきた仕事も機械に取って代わる。当然、これから雇用が奪われていく職種もあると考えられる。
就職を目指す学生の多くが企業選びの条件として、「働きやすさ」を上げているデータがある。中でも「長時間労働やサービス残業があるか」にいちばん関心があると言われる。仕事はあくまで賃金を得るための手段で、プライベートや家族など、その他の生活を犠牲にして働くことは避けたいとか、趣味に費やす時間が欲しいとか、オンオフのメリハリをつけたいという意識のようだ。
そんな状況下で、ファッション業界、特に小売業は人材確保が難しくなっている。「リクナビやマイナビで販売員の求人を出しても、応募してくる転職組や経験者はほとんどいない」と、嘆くチェーン店の幹部は筆者の周辺にも少なくない。一方で、友人のスタイリストが無償の求人サイトに「アシスタント募集」と掲載すると、専門学校生を中心に100名以上が応募して来たという。
また、筆者が仕事を依頼されている中堅出版社もマイナー雑誌しか発行していないが、「編集者募集」には200名くらいの履歴書が届くと、取締役が驚いていた。こんな状況を見ると、今の日本では働く人間の学歴や技術、能力の差こそあれ、ガチでやりたい仕事は決まってきている証左ではないのだろうか。
好きなことを仕事にできる人間はごくわずかだが、働く人間が仕事の魅力ややり甲斐を感じなくては、環境改善だけでは労働者の確保も人材育成ままならないと思う。おそらく知り合いのスタイリストも雑誌の出版社も、応募して来た人間には「夜中まで仕事することもあるし、土日が潰れることもあるけど、それでもいい?」と聞き返したと思う。
本当に好きなことを仕事にするにはそうでないと務まらないし、本人自身が伸びない。スペシャリストを目指すのではあれば、長時間労働や残業もケースバイケースで考えないといけないわけで、時間外労働は決して悪ではないと、筆者は考える。
人手不足に悩むアパレル小売りは、ネットシフトに少しずつ移行しながら、ECのデメリットである現物確認や試着などをサポートする新たな職種を生み出していくしかないだろう。また、ファッション業界専業のリクルーティング企業にはいびつな求人、ミスマッチな求職構造を変えていくノウハウ構築が求められるように思うが、果たして…。
山本社長は「以前は仕事に時間をかけることがサービス品質の向上につながり、顧客の要望にこたえることになると思っていた。だが、社員が心身ともに健康であることが品質の向上になると考え、改善に取り組んでいる」と説明。併せて「新しい電通を作る」との決意を述べた。
公判に先立って電通は、7月に「労働環境改革基本計画」を発表。そこではコンプライアンスの徹底を謳っている。これにより社内的に長時間労働は解消されるにしても、物理的に仕事量が減って売上げが減少するのは、業界トップに君臨する同社としては許し難いはずだ。まして、電通には4代目社長の吉田秀雄が作った「鬼十則」がある。
その5条、6条にはこう記されている。
「取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……」
「周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる」
筆者は条項をこう解釈する。クライアントから発注される仕事は、いかなる理由があっても手放さない。特に競合プレゼンに勝利した物件はなおさらだ。また、電通が使うブレーンや下請けを徹底して飼いならし、支配することである、と。
ところが、インターネットの普及により、広告業界の環境は変わった。ネット広告は代理店が条件を設定して入札し、表示やクリック数の結果によってスポンサーから料金をとる仕組みだ。反面、予定していた広告が出稿できないこともあるし、アクセス数などを検証しながら条件を変えたりしなければならない。また、膨大な媒体や露出数の中から、確実に広告が掲載されているかをクライアントに調査、報告する必要がある。
従来のマス媒体のようにコントロールはできないのだ。それでいて膨大な作業をこなしながら、媒体料はテレビCMや新雑広告と違って3分の1程度に止まる。当然、「取り」が少ないのだから、「払い」を少なくしなければ利益はでない。自殺した高橋まつりさんが所属したダイレクトマーケティング・ビジネス局では、社外に外注できないために人員が足りず、高橋さんは長時間労働に追い込まれていったのである。
公判で山本社長が述べたように電通が労働環境の改善に取り組み、残業を減らすには、ダイレクトマーケティング・ビジネス局だけでなく、営業からメディア、セールスプロモーション、クリエイティブまで、すべての部局で仕事のやり方を改めなければならない。でも、鬼十則を愚直なまでに貫いて来た電通が本当にそんなことができるのだろうか。
例えば、こんなケースが考えられる。電通がクライアントから新聞広告の発注を受け、制作を下請けのデザイン会社に外注する。営業担当者はクライアントに初校のコピーを見せて確認してもらうが、クライアントの都合でスケジュールが順調に進むとは限らない。上層部の決済がなかなか降りず、修正が何度も発生するケースがあるからだ。
しかし、出稿、掲載日が決まっていると、当然、制作スケジュールは「けつカッチン」(あとがない)になる。営業担当者はいくつものクライアントを抱えているわけで、打ち合わせ後の夕方に修正分をデザイン会社に持ち込み、「明日の朝一までにやってて」と平気で言うこともある。
営業担当者とて、クライアントから「修正したものを上司が明日の午前中に確認するから」と言われると、「それは時間的に無理です」とは言えない。クライアントから「無理なら、次から博報堂さんに出すかな」と言われれば、元も子もないからだ。もちろん、「取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……」の鬼十則が頭をよぎっている。そんな営業マンの心理を下請けのデザイナーがわかるはずもない。
電通の営業担当者は制作作業に携わるわけではないし、クリエイティブも企画を離れるとタッチしない。制作はプロダクション制で行われるので、結果、電通が残業しなくても、下請けの制作会社には恒常的に時間外労働が発生している。写植や版下が姿を消してデジタルに移行した今、以前のようには制作に時間がかからないと言っても、仕事を取られたくないという営業のメンタリティは変わらない。だから、誰かがどこかで長時間労働に晒されることに変わりはないのだ。
電通が全部署で残業をカットすれば、なおさらそのしわ寄せがどこかに行くだろう。ダイレクトマーケティング・ビジネス局も長時間労働ができなければ、赤字であっても外部の会社に委託せざるを得ない。電通側が「今日はここからここまで済ませておけ」と指示すれば下請けとしてやらざるを得ないわけで、別の企業に長時間労働が発生する可能性は高いのだ。
それでも、下請けは仕事だから受けるのか、それとも長時間労働はダメと断りきれるのか。物理的に仕事量を減らせば、売上げも減るのではという危機感は電通以上に、制作会社など下請けの「現場」には常について回る。そんな状況下では、一律に長時間労働を減らせるものではない。安倍内閣は「働き方改革」を進めているが、資源がなくエコノミックアニマルの遺伝子で生き抜いて来た日本人にそれができるのかは、疑問だ。
好きな仕事なら残業も苦にならず
でも、就けるのごく一部の人間
見方を変えると、働く側の仕事に対する意識や考え方でも変わってくると思う。筆者はアパレルのプレスプロモーションの仕事をしていた時、物撮りやモデル撮影を何度も経験した。中小のアパレルならダイレクトに商品を受け取れるが、大手はプレス用に商品を使うことになる。ただ、プレス用が撮影映えに今イチだと、売場に投入されている商品を直に借りにいくこともあった。
ファッションビルなどに出店しているブランドでは、夜8時の閉店を待って通用口からスタイリストと共に入って店舗で商品を借り受け、夜中の2時3時迄かかって撮影し、翌日の朝一に返しにいくことがあった。その役割はスタッフ任せにはせず必ず自ら行っていた。商品を汚したりした場合の責任は元請けにあるから、決して手を抜けなかったのだ。
並行してそれ以外の仕事をこなすと土日が潰れることもあり、残業が100時間以上になる月もあった。そんな状況が2〜3年続いたが、仕事が楽しくて少しも苦にはならなかった。スタイリストやカメラマンなどには負担を強いたが、みんなフリーランスだけに喜んで協力してくれたのである。
自分自身が頑健だったことが幸いしカラダを壊すこともなかったが、今思えばやはり好きな仕事、やりたい仕事ということで精神的にプラスに働いたと思う。それ以上にそんなスタンスを認めて、仕事を評価してくれたクライアントには感謝している。ところが、働き方改革で仕事の量が制限されると、筆者のような人間はかえってやりにくくなる。まあ、仕事を減らすことも本人の能力のうちだ言われれば、それまでだが。
一方、働く側の仕事に対する意識や価値観も大きく変わってきた中、改革はどんな作用を生み出すのかはわからない。人間の仕事に対する考え方や価値観をザックリ分けると、「1.好きなことを仕事にする」「2.仕事より自分の生き方を大事にする」「3.どちらにも生き甲斐を見いだせない」の3つだろうか。
1の好きなことを仕事にするは、聞こえがいいが、すべての人間にできることではない。一般人にはないセンスや技術などをもつからこそ、好きなことを仕事にできてお金が稼げるのだ。電通マンであってもCMプランナーやコピーライターなどクリエイティブ部の一部を除き、ほとんどが仕事と割り切っているはずだ。
ほとんどの人間は、2の仕事より自分の生き方を大事にする、になる。しかし、ここでも会社側から残業や長時間労働を強いられると、肉体的にも精神的にも追い込まれてしまう。この部分がいちばん問題になっているのだ。働き方改革の断行次第ではいく分かは解消されるかもしれないが、労働者不足に悩む企業や業界には二律背反する問題でもあり、それが吉となるかは未知数ではないだろうか。
3は就職氷河期と重なって、1も2も見いだせない人々が多く当てはまるのではないか。働き方改革は3の人たちに正規雇用についてもらう狙いもあるようだが、40代までずっと非正規で働いて来て、経験もスキルもない人間には容易なことでないと思う。
雇用する企業側にも教育など相当の負担がかかってくるから、結果がどう転ぶかはわからない。それにAIが本格導入されてくると、人間が行ってきた仕事も機械に取って代わる。当然、これから雇用が奪われていく職種もあると考えられる。
就職を目指す学生の多くが企業選びの条件として、「働きやすさ」を上げているデータがある。中でも「長時間労働やサービス残業があるか」にいちばん関心があると言われる。仕事はあくまで賃金を得るための手段で、プライベートや家族など、その他の生活を犠牲にして働くことは避けたいとか、趣味に費やす時間が欲しいとか、オンオフのメリハリをつけたいという意識のようだ。
そんな状況下で、ファッション業界、特に小売業は人材確保が難しくなっている。「リクナビやマイナビで販売員の求人を出しても、応募してくる転職組や経験者はほとんどいない」と、嘆くチェーン店の幹部は筆者の周辺にも少なくない。一方で、友人のスタイリストが無償の求人サイトに「アシスタント募集」と掲載すると、専門学校生を中心に100名以上が応募して来たという。
また、筆者が仕事を依頼されている中堅出版社もマイナー雑誌しか発行していないが、「編集者募集」には200名くらいの履歴書が届くと、取締役が驚いていた。こんな状況を見ると、今の日本では働く人間の学歴や技術、能力の差こそあれ、ガチでやりたい仕事は決まってきている証左ではないのだろうか。
好きなことを仕事にできる人間はごくわずかだが、働く人間が仕事の魅力ややり甲斐を感じなくては、環境改善だけでは労働者の確保も人材育成ままならないと思う。おそらく知り合いのスタイリストも雑誌の出版社も、応募して来た人間には「夜中まで仕事することもあるし、土日が潰れることもあるけど、それでもいい?」と聞き返したと思う。
本当に好きなことを仕事にするにはそうでないと務まらないし、本人自身が伸びない。スペシャリストを目指すのではあれば、長時間労働や残業もケースバイケースで考えないといけないわけで、時間外労働は決して悪ではないと、筆者は考える。
人手不足に悩むアパレル小売りは、ネットシフトに少しずつ移行しながら、ECのデメリットである現物確認や試着などをサポートする新たな職種を生み出していくしかないだろう。また、ファッション業界専業のリクルーティング企業にはいびつな求人、ミスマッチな求職構造を変えていくノウハウ構築が求められるように思うが、果たして…。