HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

カワイイ区をめぐる腐敗の構図。

2013-03-28 22:08:15 | Weblog
 福岡市の「カワイイ区」に関する一連の騒動は、篠田麻里子の区長退任で収束したかにみえる。しかし、実際には事業計画の段階からいろんな業者の思惑が渦巻いており、事業発注でも不透明な図式が生まれている。
 まず、事業の請負先が篠田の事務所から代理店の電通と指定されたこと。しかも福岡市側が設計した事業見積もりは987万円なのに対し、電通が提出した見積りも同じ987万円。つまり市は電通の“言い値”で契約したことになる。
 しかも、昨年8月29日に東京都内で行なわれたカワイイ区の辞令交付式は、すべて電通が作ったシナリオ通りに行われていた。これはどう考えてもおかしなことである。

 それだけではない。カワイイ区に絡む市役所1階改装工事、その継続を狙って実施された都市認知度調査の両業者の選定に関わったA氏という市顧問にも疑惑の目が向けられている。   
 同氏は高島宗一郎市長の友人で、自らも広告代理店業務を主力とする会社の代表を務める。元は地元のフリーペーパー「アイステーション」の編集者で、筆者も面識がある。
 同社の取材で本人にインタビューした印象では、 企業ビジネスなど突っ込んだ内容にはあまり詳しく無かったが、なぜか行政に入り込む手腕はありそうな気がした。一介のタウン誌編集者なのに「アジアへの情報発信事業」で、福岡県の仕事をしているとサラリと言ってのけたからだ。

 このA氏が関わった都市認知度調査はインターネットを利用したもので、サンプル抽出は首都圏、福岡市、九州圏でそれぞれ500の計1,500に過ぎない。だが、その調査費用は約600万円にも及んでいる。専門業者からはノウハウさえあれば、数十万円で済むとの声が上がるほどだ。
 しかも1月31日に行われた九州経済調査協会のセミナーで、同氏は「じつは、仮説を、カワイイ区を作る時に、本当は意外と福岡って、誰もあんまり知らないんじゃないかなと―」と語っていることからして、カワイイ区を進めるために調査結果という結論を用意したのではないかというふしがある。

 さらに昨年10月、市が発注した人工島の「アイランドシティのPR業務委託」では、その公募に応じた業者の選定でも、A氏の暗躍ぶりが露呈する。
 公募には代理店など8社が参加し、プレゼンテーションの結果は3位以下はバラけているのに、1位と2位には4人の選考委員が同等に高い評価を与え、順位も同じになっている。
 アイランドシティ事業の所管は港湾局なのに、上記の業務委託はなぜか市長室直轄の広報戦略室の予算で、業者選定も同広報室が主導権を掌握。選考委員4名のうちの一人がA氏であり、プレゼン選考の点数が書き換えられているのが分かっている。

 通常、こうした事業コンペでは代理店などが企画を立案するが、実際に制作する媒体(ポスターやチラシ、Webサイト、イベント等々)のカンプやたたき台は、代理店が下請けのデザイン会社やクリエーターなどに外注する。
 もし、A氏のような外部の人間がプレゼン選考に参加するなら、制作事情に精通した上で企画内容やクリエイティブワークを精査して、一番できのいいものを選べる能力が求められる。一介の編集者あがりのA氏にその適格があるとは、とても思えないのである。
 見方を変えれば、自分は何も知らないから客観的に選考できるとの言い訳も立つだろう。行政(発注側)と代理店(受注側)の構図だけを見ればそうかもしれないが、どっこいA氏の場合はそうとも言えないのである。
 
 なぜなら、A氏が経営する会社の法人登記には広告代理業や出版編集、マーケティングの他にアパレル製品の企画、販売、イベントの企画・運営も入っている。代理店は自社で制作・実施はしないから、外部の業者に発注するし、アパレルについては企画会社や通販業者、ファッションショーの関連業者と関わりがあるということになる。
 筆者がA氏に関わる疑惑が出てすぐメールを送ったところ、A氏は「コンペに参加した代理店はみな初めて知った」と、業者との関係をきっぱり否定した。それは事実としてもその下請けであるデザイン会社やクリエーターとA氏が懇意にしているのは、筆者も十分に知るところだ。
 つまり、A氏からこうした下請け業者を通じて代理店との事前接触があったり、そこで評価方法や予算についての情報が漏れ伝わったのではないかとの疑念は、拭えないのである。

 福岡市は高島市長が就任してから、ファッションの振興に力を入れている。カワイイ区も当初はファッション事業と位置づけられようとしたくらいだ。
 先日、開催された福岡アジアコレクション(FACo)は、福岡県と福岡商工会議所による福岡アジアファッション拠点推進会議の事業で、それを含む一連事業には2年前まで年間2,000万円が拠出されていた。それをトータルプロデューサーのRKB毎日放送が運用していたのである。
 しかし、その拠出が終わって以降も、RKBには県はもとより市からもFACo他の事業に資金が流れている。また、3月から実施されている「ファッションウィーク福岡」(F.W.F)にも、県の他、市からも補助金が出されている。これほど公金によるファッション事業が多いのだから、利権に群がる輩がいるのは少しも不思議ではない。
 
 また、F.W.Fにはファッション拠点推進会議の企画運営委員長を務める、大村ファッション専門学校の校長Y氏が関わっており、Y氏がA氏に接近していたのは筆者もよく知るところだ。
 A氏の会社がアパレル製品の企画、販売、イベントの企画・運営に携わることを考えると、ファッション専門学校が近づくのは当然のこと。まして市の顧問と推進会議の企画運営委員長との間柄なら、別のファッション事業を画策してもおかしくない。
 もっとも、少子化で入学者が減っているファッション専門学校としては、学生確保のためにあの手この手を使うのは想像に難くない。現にこのY氏は企画運営委員長という立場で、推進会議の各事業を学生確保、在校生の学習の場に利用している。まさに私物化である。

 これまで市が発注する事業は、それぞれ単独のものと思われていた。しかし、A氏の暗躍により一つの腐敗構図ととらえられなくもない。A氏についてはすでに司直の手が伸びているとの噂がある。とすれば、ファッション関連事業に関わるすべての人間に不正や癒着の疑いがあるわけで、一大疑獄事件に発展しそうな予感すらある。
 ファッション事業が地場ファッション業界のためでなく、全く門外漢の利権と化している。それを永年業界で働いてきた人間として見過ごすわけにはいかない。事件化を含めて事の成り行きをじっくり見つめ、真相を究明していくことにする。
 長々と問題点を指摘したところで、「読むだけで疲れる」というお方には、当コラムにコメントしたくば、知的体力をつけておくことをお勧めしたい。
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旬を過ぎたブランドでは中高年攻略も難しい。

2013-03-21 15:24:56 | Weblog
 仕事柄、日経新聞のサイトを頻繁に閲覧する。そのため、スポンサーの広告や通販サイトなどのメルマガが数多く配信されてくる。先日も日経新聞デジタルビジネス局の「NIKKEI」から下記が送られてきた。「オン・オフのワードローブ選びの即戦力になる〈ck カルバン・クライン〉の最新作」というタイトルの通販サイトだった。

 日経のデジタルコンテンツは、男性を中心に下は30代から上は60代まで幅広い年代が閲覧していると聞く。大半が企業のビジネス戦士で日常はスーツだが、休日のウエア選びには腐心しているからか、「〈ck カルバン・クライン〉がオン・オフの両方に対応します」ということだろう。
 スーツ姿は様になっても普段着になった途端、野暮ったく見えるお父さん方に、「これを着てオシャレになってください」との、ブランド側からのメッセージが伝わってくる。

 そこで、ふと思ったのが、「カルバン・クライン」というブランドである。名前になっているデザイナー、カルバン・クラインは1942年にハンガリー系移民の子として、米国NYのブロンクスで生まれた。
 FIT(ニューヨーク州立ファッション工科大学)の短大を卒業後、68年から友人のバリー・シュワルツとレディスのプレタポルテを手がけ、NYファッションの世界に足を踏み入れた。そのチャンスは「偶然手に入れた成功のワンステップから始まる」と、リサ・マーシュ著の「THE HOUSE OF Klein」には書かれているが、ここで詳細の説明は省くことにする。

  NYコレクションでキャリアウーマン向けのファッションを次々と創作する一方、 70年代後半には細身のストレートでディナージーンズの異名をもつ「カルバン・クライン・ジーンズ」やウエストにゴムテープを使ったスポーティな「カルバン・クライン・アンダーウエア」を発表した。
 ハリウッド女優のブルック・シールズなどを起用した広告展開は、倫理規制が厳しい米国で物議を醸すほど過激なものだったが、こうしたプロモーション効果も手伝って両アイテムは大ヒットし、同ブランドを一躍世界的なスターダムに押し上げた。
 ところが、90年代に入ると、NYファッションはヒップホップカルチャー全盛となり、お堅いカジュアルは受けなくなる。それでもコレクション向けのファーストラインはマディソンアベニューにオープンした旗艦店で販売できたが、カジュアルラインはディスカウントストアの店頭を飾るほど凋落し、01年にはセカンドラインの〈ck カルバン・クライン〉が米本国から撤退。
 さらに02年にはブランドそのものがフィリップ・バン・ヒューゼンに売却され、クライン自身はデザイナーを引退した。

 日本では、79年からオンワード樫山がウエア、グンゼがアンターウエアをライセンスで生産・販売してきたが、ブランドの身売り以降、ファーストラインの「Calvin Klein」は終了。現在はオンワード樫山が〈ck カルバン・クライン〉で生産するだけだ。

 現在、多くのコレクションブランドが本国で一括に管理されるようになっている。そのため、ファーストラインは世界の大都市で展開される旗艦店でしか、お目にかかることはできない。セカンドラインを設けているブランドでも、ドルチェ&ガッバーナのように日本市場からは撤退するところもあるくらいだ。
 〈ck カルバン・クライン〉は、ヨーロッパでは量販のサイトで販売されているケースが多く、一介のカジュアルブランドに過ぎない。日本ではずっと伊勢丹系の百貨店が扱い、現在でも〈ck カルバン・クライン〉はメンズ、レディスでスーツまでもつMDだが、往年のブランド力、デザイン感性は、ほとんど見られないだけに苦戦は免れないようだ。

 そこで、オンワード樫山は日経のデジタルコンテンツを活用し、ネット通販という新たな販路の開拓に打って出たのだろう。だが、ここでも売れるとはとても思えないのである。なぜなら、 往年のカルバン・クラインを知っている50代以上の元ファンからすれば、デザインテイスト、カッティング、素材感などが、似て非なりだからである。
 一方、40代以下のからすれは「カルバン・クラインって、どんなブランド?」だろうし、個々のアイテムを見ても何とないデザインで、その割に価格が高い。
  セレクトショップやグローバルSPAなど、はるかに値ごろで今の流行にマッチしたブランドがいくらもあるわけで、 百貨店にある10坪程度のハコブランドに、それほどの価値を見いだすとは思えない。
 
 日経のサイトに広告&通販サイトを掲載したということは、中高年のビジネスマンで〈ck カルバン・クライン〉の市場を掘り起こそうという狙いだ。しかし、そのマーケットに存在する往年のファン層からすればすでにロイヤリティを感じ得なくなっているし、逆に初めて目にする層には「買ってみよう」と需要を喚起させるまでいかないだろう。 
 メンズマーケットの規模はレディスに比べると、3分の1~4分の1である。ただでさえ、アイテム数は少なく、購買動機も限られる。それだけに中途半端なブランド戦略&マーケティングでは、とても市場開拓などできるはずがない。
 こうした〈ck カルバン・クライン〉の姿を見るにつけ、百貨店を主な販路とするNBアパレルの販売戦略はブランド頼みでしかないようだ。それではますます袋小路に入ってしまい、抜け出すことは容易ではないと、感じるのである。
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実践を学ばないと、仕事はできない。

2013-03-15 16:40:17 | Weblog
 業界で有名な杉野ドレメの系列校、杉野服飾大学はジャパンイマジネーションとコラボレーションし 、13~14年秋冬向けの商品を開発。学生が製作したサンプルをジャイマ社が検討し、8月中旬からショップで販売する予定という。
 ここまでの流れを見ると、よくあるファッション専門学校とアパレルを手がける企業とのコラボ・プロジェクトにように思える。しかし、従来のものと根本的に違うのは、学校側で商品開発に携わるのが「ビジネス学科の学生」であることだ。

 かつてこうしたプロジェクトは、デザイン学科で学び、デザイナーを目指す学生が、アパレルメーカーにおける商品企画からMD、縫製までのプロセスを学ぶために参画していた。
 メーカー側にとっても、商品企画の実作業を知って将来的に就職してもらう、また若者の柔軟な発想を企画に生かす上でも、必要不可欠な施策であった。
 平たく言えば、ファッションの世界に夢を抱く学生と、彼らを受け入れる企業とのギャップを埋め、商品作りをすり寄せるための共同プロジェクトであったのだ。

 ところが、ファッション業界は過去20年で激的に変化した。アパレルには欧米メゾンブランドに見る年2回のコレクション型企画の他に、企画製造と販売を一貫して行うSPA、さらに販売動向対応クイックレスポンスを組み合わせる進化型アパレルまでが出現している。
 小売り側も、AMS(Apparel Manufacturing Service)という企画・開発の機能を持ったアパレルを活用して、堂々とオリジナル商品を作れるようになってきた。もはや、商品づくりでアパレルと小売りとの区別はつかなくなっているのだ。

 つまり、ファッション専門学校のデザイン学科が旨としてきた「スタイル画を描かせて、パターンを引いてシーチングでトワルを製作し、デザインイメージを完成させる。それを生地に写して服に仕上げ、卒業のショーイベントでお披露目する」という学習プロセスが、欧米のコレクション型アパレルを除いて、通用しなくなったのである。
 言い換えれば、今のファッション業界では、デザイン学科出身=企画する人間、ビジネス学科出身=販売する人間という職種区別は、全く意味をなさなくなったようだ。マーケケティングがわかり、企画からデザイン、サンプル製作までの流れを理解すれば、ビジネス学科出身でも自分で考えた服を「オリジナル作品」として披露できるのである。

 杉野服飾大学の取り組みは、まさに今のファッション業界に合わせ、現場の仕事、就職を意識したものと言えるだろう。ビジネス学科に学生にも、服づくりに参画できるという選択肢を広げた点で、非常に大きな意義を持つと言える。
 しかし、悲しいかな未だに多くの専門学校が旧態依然とした授業を行っている。デザイン学科ではスタイル画を描く、パターンを引く、ソーイングする、授業がそれぞれ別個に分かれており、講師もそれぞれの専門分野しか教えられない。商品企画といっても、単なる製作作業に過ぎないのである。
 ビジネス学科になると、「企画」という授業が雑誌の切り抜きでマップを制作したり、手芸店で買ってきた材料で小物を作ったりの程度。挙げ句のはてが「借りて来た商品」でショーイベントを平気でやらせる講師もいると聞く。これで講師料を取っているのだから、全く酷い話である。

 もちろん、スタイル画もパターンもトワル製作も、学習として不必要なことはない。しかし、街の生地屋で買って来た生地レベルで、クリエーションと言われても、あまりに不釣り合いだ。何よりデザイナーを目指す学生の方が物足りなさを感じているだろう。
 せっかく海外研修と銘打ってヨーロッパまで行きながら、メーカーの展示会視察も、ファクトリーや工房の見学も、しない。ましてテキスタイル見本市で、市販されていないような生地を入手するなど皆無だから、やる気を疑われてしまう。
 せっかくスタイル画を描いても、パターンの技術を見つけても、それがクリエーションとして昇華しないのであれば、プロの世界には踏み込めない。それが就職状況にも表れているのだ。

 折しも先日、ファッションライターの南充浩さんがご自身のブログで以下のようなことを書かれていた。
 「ファッション専門学校の花形はデザイン関係の学科である。授業内容はいまだにオートクチュールを基本に据えている学校もかなり多い。けれどもパリコレクションですら1点物のオートクチュールよりもプレタポルテの方がメインになって久しい。これだけでも現状と授業内容にミスマッチがあると言わねばならない。オートクチュールの技術伝承を否定するわけではないが、それがメインとなる教育内容がいまだに続いているのはいかがなものかと思う」

 また「専門学校の教員陣は、学校を卒業して外部で働かずに教員になった生え抜き組と、外部企業で功成り名を遂げたリタイア組の年配者であることが多い。(中略)となると、その教員陣で現状に即したビジネス論を教えられるかというと、首を傾げなくてはならないだろう」とも。
 さらに「現状のアパレル企業の体質に何から何までフィットさせる必要はないと思うが、 旧態以前としたオートクチュール偏重のクリエイト重視と、現状と離れたビジネス論という授業内容では卒業生の就職率が高まることはない」と書かれていらっしゃる。

 まさにその通りである。その意味で杉野服飾大学は、ファッション専門教育において新たな道を開いたと言えるだろうし、ジャパンイマジネーションはそうした教育を受けてきた学生に入社してほしいのだ。服を作るには、必ずしもデザイン学科で学んでなくてもいいのである。
 筆者もアパレルの業界で働き、専門学校出身の若者に接して、数々の浮世離れした学習状況を聞いてきた。それゆえ、ずいぶん前からファッション教育の現場こそ、改革が必要だと思っていたし、機会あるごとに唱えてきた。

 昔なら中学を卒業して、アパレル問屋で丁稚奉公したり、縫製工場の縫子さんとして、働きながら学ぶことは多かった。しかし、今ではほとんどの若者が高校を卒業するようになり、メディアの影響で一廉の情報を得、客観的にファッション業界を見るようになっている。
 何より業界自身が時代のうねりの中で大きく変わり、仕事内容はシステム・分業化され、煩雑かつ多岐にわたっている。「いたってアナログな世界、作る人、売る人といったアバウトな表現」は、すでに過去のものと言えるだろう。

 ファッションビジネスは高度な科学に裏打ちされた世界である。それゆえ、現場レベルに即した実践教育を行わないと、仕事に就ける若者は育成できないと思うのである。
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客モを使う専門店販促の進化型。

2013-03-08 17:21:21 | Weblog
 福岡に本社を置き、独立独歩のファッション専門店経営を進める「フカヤ」という企業がある。われわれアパレル業界人の中には取引したものも少なく無く、そうでなくても一度は名前を聞いたことがある「小売り専門店」の代表企業だ。

 ルーツは地方都市に多く見られる高級ミセス専門店で、80年代以降は独自の出店戦略のもと、じっくり新業態を作り上げてきた。基本はミセスとヤングの二本立てだが、70年代にはいち早くキャリアゾーンを充実させ、90年代からはヤングのセレクト業態でも、他にないフォーマットを構築している。
 競合他社や後発の専門店チェーンがSPA化にシフトする中、同社は頑に「メーカー仕入れ」を貫き、利益率よりも商品のグレードを追求する。バイヤーは国内のみならず、欧州にまで買い付けに出かける。そこで専門店系アパレルやファクトリーメーカーの展示会をこまめに廻り、ショップコンセプトと自分のフィルターを通して商品をセレクト。それらを洋服好きを納得させ、業界人をもうならせる品揃えに昇華させるのである。
 底流にあるのは、不景気でもデフレでも「リッチ感」を絶やさないこと。「専門店とはかくあるべき」という企業哲学が店づくりや品揃えはもちろん、スタッフを通して映し出されている。

 そのフカヤが先日から読者モデルならぬ「お客様モデル」を募集している。資格は18歳以上~シニアまでの女性に限定。書類審査を経て、最終オーディションを行うという流れだ。年齢別に選ばれた8名のモデルは「フカヤ8シスターズ」として、創業50周年のイベントやテレビCM、ポスターなどに出演するという。
 通常、企業がプロのモデルをマス媒体などに起用する場合、プロモーション計画を依頼する広告代理店を通す場合がほとんどだ。当然、モデルのギャラに代理店のマージンが乗っけられることがあったり、自社のイメージあったモデルがいても、一業種一社の縛りで契約できないケースもある。
 過去20年、ファッション衣料の価格は3分の1くらいに値下がりした。ただ、それらは原価率を圧縮したもので、商品のグレードは確実に落ちている。それゆえ、ブランド力を維持するにはタレントを起用したプロモーションに注力し、商品イメージをごまかしている面は否めない。
 さらに昨今はタレントでも大した販促効果が得られないのは、読者モデルの台頭を見れば一無瞭然である。そして、その雑誌すら販売部数が低迷し、「読モ」の存在は過去のものになりつつある。行きついた先が「客モ」ということだろう。

 今回は客モと言っても公募だから、必ずしも顧客ではないかもしれない。しかし、同社の商品を同社の「ショップスタイリスト」がコーディネートし、素人をモデルに仕立てるのだ。それをプロのカメラマンがスチールやムービーに撮影して、制作スタッフがCMやポスターに仕上げていく。
 まさにファッション業界のプロが携わるスタイリング提案であり、プロモーション戦略でもある。 客モにとってもその主人公に自分がなる機会など、そうそうあるものではない。おそらく客モ側は、そこで初めて「自分にこういうスタイリングが似合うのか」と気づくはずである。
 とすれば、以降、客モがそうしたテイストを扱う業態の顧客になっていく公算は高い。ただ、年齢別、テイスト別にほぼ1人の客モだから、売上げ的に大きな数字は期待できない。それでも、 等身大で、身近な存在なら、店舗顧客の親近感はわくはずである。何よりプロのモデルではないから、いろいろと使い勝手はいいはずだ。
 F.W.Fだの、FACoだのと、三流タレントを東京から呼ぶしか能のない公金泥棒たちには、思いもつかない地元密着・ローコスト型の販促アイデアではないだろうか。
 
 まあ、2回続けて褒めるのは、当コラムの主旨から外れてしまうので、最後に辛口評論もしておきたい。問題はモデルの選考にあたる審査員の顔ぶれだ。同社のH社長、これはトップだけに当たり前である。ショップスタッフ、これも商品のイメージ、スタイリングしてみたいかどうかを考えると、当然だろう。
 解せないのはコピーライター・作家という肩書きをもつY氏の起用だ。博報堂を定年退職し、地元ローカルテレビでコメンテーターなどを務める御仁である。フカヤの広告がかつて何度も地元の広告賞を受賞しているのは、ファッション業界では有名な話だ。その窓口の代理店が博報堂だったというのも聞いている。
 だからといって、地元業界で「は虫類」なんて揶揄されている60過ぎの御髪が軽くなった御仁に、ハイグレードで最新トレンドを着こなす客モの審査をさせることには、違和感を覚えてならない。専門店のプロモーションは、大丸福岡店のコピーを書くのとは次元が違うのである。
 不釣り合いであるのは間違いなく、どう考えてもただのスケベに見えてしまう。そう考えるのは筆者だけではないはずである。
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プレスプレビューと店頭展開のギャップ。

2013-03-07 09:10:51 | Weblog
 ユニクロはこの春、「メンズ向けのレギンス」を発表した。といっても、トレンド名を借りた新種のカラージーンズ&パンツだ。
 一昨年あたりから欧米でもメンズのボトムに細身のカラーが登場し、モードライクに染まっていた。グローバルSPAを目指すユニクロとしてもついに、このマーケットに切り込まざるを得ないと判断したのだろう。
 まあ、欧米ではメンズのパンツにレギンスなんて名称はどこにも見当たらない。フランスもイタリアも英語の「slim」で統一している。デザインを一変すれば、アイテム名まで変えていく。ネーミングが変われば、新鮮だからお客も飛びつくだろうと、勘違いする。その辺が日本におけるファッション文化の底の浅さとも言えるのだが。

 レディスオンリーで来た筆者がメンズのパンツをあれこれ評論するのも憚れるが、業界はユニクロのメンズパンツに概ね高い評価を与えている。「最新のモードトレンドにアップデイトしたのには目を見張る」「薄くて軽いという機能一辺倒から、きれいでカラフルに変貌」「チノパンの時にも多少の片鱗は見えたが、新パターンを完成させた」etc.
 これまで辛口だった業界メディア&ファッションライターが一斉に褒めちぎっているのだから、柳井正会長も何となく面映ゆくこそばい心境ではないだろうか。かの某コンサル先生にも「国内のガラパゴス市場に閉じこもったままのジーンズカジュアルチェーンが依然として加工感の強いワークカジュアルに固執しているのとは雲泥の差がある」と言わしめたのだから、ユニクロが再び上昇気流に乗るのは間違いないと言える。

 ただ、当コラムの主旨からすれば、業界諸氏に右に習えをしてもしょうがない。プレスプレビューのレベルでは、スタイリストを付けてコーディネートで奇を衒い、照明を変えて写真映りを良くするのがファッション企業の常套手段。ただでさえ、メディアのテンションは高いのだから、企業側のツボに嵌るのはしかたない。それが提灯記事を生んでいるケースは往々にしてある。
 ただ、商品を売るのはプレスプレビューではない。あくまで店頭だ。しかもユニクロの場合、商品は旗艦店、ビルイン、路面店と各フォーマットに沿ったVMDに従って展開されている。プレビュー後の今月初め、キャナルシティ博多の旗艦店をたずねてみたが、同じ商品が相変わらずセンスを欠いたアバウトな手法で展開されていた。

 先日も正社員や店長の嘆き節がネットをわかしていたが、専門的な能力を持たないスタッフがただ品出しをする延長上で、マニュアル通りにVMDを構築しているだけなのだろう。カラーサイクルを無視したセンスレスな配列は、せっかく某スタイリストがコーディネートした作品を量販の藻屑と化していた。
 さらにストックの畳み方や吊るし方も従来通りで、レギンスのシルエットや柄を埋没させている。というか、本当にシルエットや質感を訴求する気があるのかと疑うような展開手法だ。ボトムトルソーにしてもディスプレイも、ただ着せるしかできないから、レイヤードもコーディネートもあるわけない。お客はレギンスをスニーカーやローファーと合わせて穿きこなすわけだから、それを提案できないのでは、販売する気構えを疑われてしょうがない。これではデザインした滝沢直己氏が可哀想である。

 航空会社のOL崩れで、宣伝会議で名前を売り、セレブ本を出したくらいの俄スタイリストを大枚はたいてプレスプレビューに起用する前に、マネキンやトルソーの選び方、ハンガーの形、パンツの畳み方、色の配列、陳列スタイルのリズム感で、もっとノウハウを蓄積するのが先ではないか。
 グローバルSPAを標榜するなら、ソフィスティケートされた売場とVMDで世界を驚かすくらいでないと、お客は商品を手に取らないし、販売にもこぎ着けないはずである。
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露呈したコンセプトの大甘さ。

2013-03-01 15:59:31 | Weblog
 3月2日から約1ヵ月間をかけて「ファッションウィーク福岡」が開催される。福岡市の天神や博多駅界隈に立地する百貨店、ファッションビルなどを巻き込み、セールやイベントによる共同販促の行うものだ。
 主催は「福岡アジアファッション拠点推進会議」で、地場ファッション産業の振興事業の一環となっている。ただ、参画する企業は、中心部の大手小売業やデベロッパー、流通が主体のため、周辺に立地する「地場小売業」への相乗効果はほとんどない。
 中心部のビルインであれば、中央のナショナルチェーンでも恩恵が受けられるが、エリアから外れる「地元ショップ」には何のメリットもないのだ。こうした点を見ても、「地場ファッション産業の振興」が単なるお題目で、いかに形骸化しているかがわかる。

 さらにそれを象徴するのがイベントの内容だ。3月1日はオープニング企画で、ライブパフォーマンスやファッション&トークショー。これは打ち上げ花火的で、理解できなくはない。
 しかし、約1ヵ月間の間に4回に分けて開催される「セミナー」は、 第一弾が「カリスマ達が語るゴスロリ」、第2弾が「モテるファッション、モテないファッション」、第3弾が「人気スタイリスト亀恭子さんのファッション講座」、第4弾が「シトウレイのstreet fashion Tips!」というラインナップ。
 それぞれ一般向けの客寄せ的なテーマである。講演者の顔ぶれがタレントライクな業界人であるところをみても、地場業界が期待するほどではない。まあ、共同販促で多くのお客に買い物させるという目的のギミックと考えれば、致し方ないかもしれない。

 だが、亀恭子を除き、これまでに拠点推進会議が実施した業界向けセミナーも、同じ顔ぶれで、同等の内容だった。つまり、企画に当たる側が前回の参加者の反響に基づき、今回は講演内容や人選を熟考したとは、思えないのだ。
 また、推進会議の母体は福岡商工会議所である。そこが所管する事業なら、対象は地場ファッション業界や事業者であるはず。それを通り越して、一般向けの企画に傾倒するのはどうか。それでは明らかに事業目的の軸がブレていく。
 間接的に地場の業界や事業者も潤うと言われればそうかもしれないが、商工会議所が本来行うべき業界振興や経営指導ではないのか。 そこに稚拙な企画、大甘なコンセプトが露呈する。

 もっとも、周辺から漏れ伝わってくることを総合すれば、これらの企画は実質的に事業を掌握する利害関係者の思惑で動いていると、考える方がごく自然だ。企画運営委員長は、ファッション専門学校の校長。自校の有利になる企画を考えるのは、当然だろう。
 19歳、20歳の専門学校生には「チャイナプラスワン」や「テキスタイル連携」、「セールの前倒し」なんてテーマより、「スタイリスト」や「ファッション雑誌」の方が興味津々だし、次ぎなる入学者確保まで想定すればなおさらだ。まあ、この程度のミーハーセミナーを聞いたからといって、アパレルはもちろん、メディアの世界に簡単に就職できるはずもないのだが。

 またFACo(福岡アジアコレクション)のプロデュースに当たる、ローカルテレビも深夜枠の自主制作番組をリンクさせる程度。地方色を拭えないショップレポートが大半だから、東京在住の業界人にコネを付け、パイプを作りたいという目的があるは、容易に想像がつく。
 言い換えれば、それだけファッション音痴だってことだろう。周囲に「FACoはNBでやりたい」と語っていることを見ても、地域振興はこれぽっちも考えていないということである。
 こうして今回の事業も、利害関係者の凡庸な脳みそと思惑で行われ、投資効果が極めて曖昧なものになりそうである。

 今回の広報活動については、資金に限界があるためマス媒体は使われていない。公共広報誌の他はガイドブックとサイトが主体で、告知は行き届いていないようだ。
 ただ、それらを見ても「媒体を作ったのだから、お前ら広告を出せ」と言われているような気がしてならない。ディーラーヘルプも、販促提案もあったものではない。これでは商法改正前の総会屋系代理店と、どこが違うのだろうか。
 地場ファッション産業の振興事業と言っておきながら、専門学校やローカルテレビ、そしてマイナーメディアと、その周辺の業界が潤う事業と化す。これは先頃、物議を醸した福岡市の「かわいい区」にも共通する。的外れも甚だしいということである。

 推進会議が掲げるスローガン通りに「福岡を元気のあるファッション都市」にするには、地場産業の問題点を解決し、新たなビジネスを作り出すこと。決してタレントを使うことでも、イベントを行うことでもない。その目的が明確になっていかない以上、今後も糾弾せざるを得ない。



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