先日、地方百貨店の窮状を書いた時、熊本地区の例を挙げた。その当事者の一つとも言える「県民百貨店」が来年2月で閉店することになった。
同百貨店は1973年、熊本交通センターの核店舗として、福岡の岩田屋と東京の伊勢丹が共同で出資し、「岩田屋伊勢丹ショッピングセンター」として開業した。93年に百貨店に業態変更したが、伊勢丹が撤退したため「熊本岩田屋」として営業を続けた。
しかし、02年に今度は岩田屋が本体の経営再建で撤退。地元企業が出資して設立された新会社、県民百貨店が阪神百貨店の支援のもと、「くまもと阪神」として再スタートを切った。05年1月期の決算では、対前期比0.6%増の売上高166.74億円、経常利益7300万円と黒字化を実現するまでにあった。
ただ、郊外にはゆめタウンやイオンモールといったSCが開業し、広域から集客。ここ数年、周辺の辛島町、桜町の地盤沈下は激しく、メーンの買い物客は隣接するバスセンターの乗降客に限定されることで、 売上げは下降線を辿るばかりだった。
大家の九州産業交通グループもモータリゼーションの影響で、バスや関連の事業が低迷し、03年には産業再生機構に支援を要請。05年、旅行会社のHIS-HSが再生機構から株式譲渡を受け、06年に「九州産業交通ホールディングス」として歩み出した。
九州産業交通HDは多角化、収益改善、複合化などに取り組む上で、じり貧の交通事業に頼るわけにはいかず、手持ちの不動産を有効活用するのは当然のこと。これが交通センターの再開発事業というかたちで進む中、県民百貨店がそのまま出店するには、家賃や売場面積で折り合いがつかなかったということだ。
代替用地は探したようだが、百貨店という事業構造から中心部を離れれば、経営は難しい。また新ビルに店舗を構えたところで、売上げが回復する保証もない。 結局、従業員ら900人の雇用は失われるかもしれないが、ずるずると留まって有利子負債を増加させるよりも賢明な選択ではなかったかと思う。
ここまでは、地元メディアも報道している。ここからはこの一件に関わる百貨店、アパレルメーカー、周辺の専門店などファッション業界に関わる裏事情に触れてみよう。
県民百貨店は当初、岩田屋や伊勢丹の資本が入ったいただけに、MDもその系列百貨店版で構成されていた。例えば、「カルバン・クライン」は、地方では伊勢丹系列の店舗に置かれていたから、熊本ではここでしか買えなかったと思う。
バッグや靴、アクセサリーはもちろん、珍しく1階にスウィーツのコーナーがあり、それらのほとんどが伊勢丹に出店しているものと同じだったのだから、地方百貨店としてのロイヤリティは決して低くなかったはずである。
くまもと阪神百貨店になると、九州で唯一「阪神タイガース」ショップが登場し、現在も営業を続けている。阪神ファンは全国に存在するわけで、熊本にも決して少なくない。しかもドラ一の岩貞祐太投手は熊本出身だから、グッズ販売にも力が入るというものだ。
こうした事情から、取引するメーカーの評判は決して悪くはなかった。期間限定ながら「東急ハンズ」を競合する老舗T百貨店を出し抜いて出店できたのも、40年間に培った業界内部での信頼の賜物だと言われている。
T百貨店より県民百貨店の方に出店したいとの話は、筆者周辺のアパレル関係者からも何度か聞かれた。パターンが秀逸なミセスブランドがリーシングされているのを見ても、メーカーがインショップを出したり、コーナー展開したい理由は想像がつく。
むしろ、T百貨店の方がメーカーの評判は前々から芳しくなかった。だいぶ前に電車通りを挟んで前にある熊本日日新聞本社ビルとT百貨店本館の東隣のビルを含め、舗道整備などを行う再開発事業が行政主導で行われた。
新聞社の再開発ビルには、T百貨店運営の「NEW-S」という専門店街ができ、シップスやスピック&スパン、ユナイテッドアローズGLRのセレクトショップ、セオリーやマウジーといった若者向けの人気のブランドが出店した。
まるで行政がT百貨店を支援したかのように映るが、本館東隣のビルには高級海外ブランドが入るだけで、今も好調とは言い難い。本館自体も再開発を起爆剤にできずに苦戦を強いられているのだから、メーカーの評判が上がるはずはないのである。
一方、県民百貨店が店舗を構える熊本交通センターは、地下通路で産業文化会館、新市街アーケードとつながっており、この地下にも物販テナントが数多く出店していた。マンションメーカーにいた頃、一度、熊本出張したことがあるが、取引先からもこの地下にある専門店の好調ぶりを聞いた記憶がある。
その話はワールドにいた友人も話していた。交通センター地下のある専門店と「ルイ・シャンタン」のFCを契約。店名も「シャンタン◯◯」で出店していたそうだが、一時期はかなりのお得意さんをもって、売ってくれていたという。
熊本には「リザ」も出店していたらしいが、坪売上げは比べ物にならなかったというから、専門店のパワーは恐るべしだ。
確かにうちのメーカーの商品も、下通の専門店が扱ってくれていた。ルイ・シャンタンとテイストは異なるが、専門店系アパレルの上質な商品を見きわめる目を専門店が持っていた点は共通する。これは地方都市では、熊本が秀でていたように思う。
ただ、そうした個性的な専門店もバブル景気がはじけると、次第に勢いを失っていった。有名メーカーのFCなんかもSPA化で契約が解かれ、業態転換を余儀なくされた。おそらく、 シャンタン◯◯もこの時期に退店したのではないだろうか。
つまり、顧客を持っていた地下街の個店ですら厳しくなったのだから、百貨店がいくら暖簾と集客力をもつとはいえ、売上げの減少で次第に経営体力を失っていったのは当然だ。ここまでよく持ったというか、よく持たせたということである。
再開発ビルについては先頃、パースが発表された。緩やかなスロープで囲まれたユニークな設計で、ウィンドウショッピングをしながら階上に上がれるという動線になっている。構造は多数のテナントを配した商業施設とホテル、交通センターの一体型だ。
ただ、九州産業交通HDは、高度なデベロッパーノウハウは持ち得ていない。だから、テナントリーシング、運営を含めてどこかに委託するかもしれない。そこがどれほどの手腕をもつにしても、トレンドの移り変わりを考えると、テナントの顔ぶれはだいたい想像がつく。
カフェやスウィーツ、雑貨がメーンで、これに九州初、熊本初などの冠が付くだけ。ファッションにしても既存店と名前は違うが、大半はテイストが被るのではないか。東京のように尖ったブランドが出店するとは考えにくいし、ビル側もそれほど冒険はできないだろう。
そもそも、再開発ビルを建設する場合は、初期投資の建設コストはイニシャルコストに加え、テナント保証金に按分して回収するのが一般的だ。運営管理費や販促費は各テナントからの歩率家賃で賄えるし、売上げの上がらないテナントは入れ替えればいいだけである。
ただ、有名セレクトショップはNEW-S館に出店しているし、市場規模から言えばこれらの2店体制は考えにくい。熊本未出店のセレクトもほとんどがネット通販を充実させているから、店舗展開の必要性をビル側が提案できない限り、出店要請には説得力を欠く。
地元の個人専門店を集めるにしても、これらの経営者はシャワー通り、並木坂などの路面店、路地裏を好むし、個店レベルで数千万円もの投資をしてまで再開発ビルに入るメリットはない。
というより、カフェやスウィーツ、雑貨がマーケットの牽引役になっている今、新ビルのコンセプトとマーケット事情に見合うファッションブランドを探し出し、商業施設を運営するのは難しいのではないか。それは関西のJR西日本伊勢丹、近鉄のあべのハルカスを見れば、火を見るより明らかだ。
あとはキャリアやセレブミセスを対象とする全国ブランドだが、マーケット事情を考えるとデベロッパー側はこちらにも二の足を踏むかもしれない。県民百貨店が出店できないのは、T百貨店のブランドで満足いかないお客にとっては、歯がゆい思いだろう。
尤も、百貨店の損益分岐点で、新規開発のビルに出店するのは容易ではない。だから、県民百貨店が経営破綻を迎えること無く、清算に舵を切ったのがせめてもの救いである。
再開発事業の名の下に、行き場を失う地方百貨店が現れる現実。これも時代の趨勢だから、仕方がないことなのだろうが。
同百貨店は1973年、熊本交通センターの核店舗として、福岡の岩田屋と東京の伊勢丹が共同で出資し、「岩田屋伊勢丹ショッピングセンター」として開業した。93年に百貨店に業態変更したが、伊勢丹が撤退したため「熊本岩田屋」として営業を続けた。
しかし、02年に今度は岩田屋が本体の経営再建で撤退。地元企業が出資して設立された新会社、県民百貨店が阪神百貨店の支援のもと、「くまもと阪神」として再スタートを切った。05年1月期の決算では、対前期比0.6%増の売上高166.74億円、経常利益7300万円と黒字化を実現するまでにあった。
ただ、郊外にはゆめタウンやイオンモールといったSCが開業し、広域から集客。ここ数年、周辺の辛島町、桜町の地盤沈下は激しく、メーンの買い物客は隣接するバスセンターの乗降客に限定されることで、 売上げは下降線を辿るばかりだった。
大家の九州産業交通グループもモータリゼーションの影響で、バスや関連の事業が低迷し、03年には産業再生機構に支援を要請。05年、旅行会社のHIS-HSが再生機構から株式譲渡を受け、06年に「九州産業交通ホールディングス」として歩み出した。
九州産業交通HDは多角化、収益改善、複合化などに取り組む上で、じり貧の交通事業に頼るわけにはいかず、手持ちの不動産を有効活用するのは当然のこと。これが交通センターの再開発事業というかたちで進む中、県民百貨店がそのまま出店するには、家賃や売場面積で折り合いがつかなかったということだ。
代替用地は探したようだが、百貨店という事業構造から中心部を離れれば、経営は難しい。また新ビルに店舗を構えたところで、売上げが回復する保証もない。 結局、従業員ら900人の雇用は失われるかもしれないが、ずるずると留まって有利子負債を増加させるよりも賢明な選択ではなかったかと思う。
ここまでは、地元メディアも報道している。ここからはこの一件に関わる百貨店、アパレルメーカー、周辺の専門店などファッション業界に関わる裏事情に触れてみよう。
県民百貨店は当初、岩田屋や伊勢丹の資本が入ったいただけに、MDもその系列百貨店版で構成されていた。例えば、「カルバン・クライン」は、地方では伊勢丹系列の店舗に置かれていたから、熊本ではここでしか買えなかったと思う。
バッグや靴、アクセサリーはもちろん、珍しく1階にスウィーツのコーナーがあり、それらのほとんどが伊勢丹に出店しているものと同じだったのだから、地方百貨店としてのロイヤリティは決して低くなかったはずである。
くまもと阪神百貨店になると、九州で唯一「阪神タイガース」ショップが登場し、現在も営業を続けている。阪神ファンは全国に存在するわけで、熊本にも決して少なくない。しかもドラ一の岩貞祐太投手は熊本出身だから、グッズ販売にも力が入るというものだ。
こうした事情から、取引するメーカーの評判は決して悪くはなかった。期間限定ながら「東急ハンズ」を競合する老舗T百貨店を出し抜いて出店できたのも、40年間に培った業界内部での信頼の賜物だと言われている。
T百貨店より県民百貨店の方に出店したいとの話は、筆者周辺のアパレル関係者からも何度か聞かれた。パターンが秀逸なミセスブランドがリーシングされているのを見ても、メーカーがインショップを出したり、コーナー展開したい理由は想像がつく。
むしろ、T百貨店の方がメーカーの評判は前々から芳しくなかった。だいぶ前に電車通りを挟んで前にある熊本日日新聞本社ビルとT百貨店本館の東隣のビルを含め、舗道整備などを行う再開発事業が行政主導で行われた。
新聞社の再開発ビルには、T百貨店運営の「NEW-S」という専門店街ができ、シップスやスピック&スパン、ユナイテッドアローズGLRのセレクトショップ、セオリーやマウジーといった若者向けの人気のブランドが出店した。
まるで行政がT百貨店を支援したかのように映るが、本館東隣のビルには高級海外ブランドが入るだけで、今も好調とは言い難い。本館自体も再開発を起爆剤にできずに苦戦を強いられているのだから、メーカーの評判が上がるはずはないのである。
一方、県民百貨店が店舗を構える熊本交通センターは、地下通路で産業文化会館、新市街アーケードとつながっており、この地下にも物販テナントが数多く出店していた。マンションメーカーにいた頃、一度、熊本出張したことがあるが、取引先からもこの地下にある専門店の好調ぶりを聞いた記憶がある。
その話はワールドにいた友人も話していた。交通センター地下のある専門店と「ルイ・シャンタン」のFCを契約。店名も「シャンタン◯◯」で出店していたそうだが、一時期はかなりのお得意さんをもって、売ってくれていたという。
熊本には「リザ」も出店していたらしいが、坪売上げは比べ物にならなかったというから、専門店のパワーは恐るべしだ。
確かにうちのメーカーの商品も、下通の専門店が扱ってくれていた。ルイ・シャンタンとテイストは異なるが、専門店系アパレルの上質な商品を見きわめる目を専門店が持っていた点は共通する。これは地方都市では、熊本が秀でていたように思う。
ただ、そうした個性的な専門店もバブル景気がはじけると、次第に勢いを失っていった。有名メーカーのFCなんかもSPA化で契約が解かれ、業態転換を余儀なくされた。おそらく、 シャンタン◯◯もこの時期に退店したのではないだろうか。
つまり、顧客を持っていた地下街の個店ですら厳しくなったのだから、百貨店がいくら暖簾と集客力をもつとはいえ、売上げの減少で次第に経営体力を失っていったのは当然だ。ここまでよく持ったというか、よく持たせたということである。
再開発ビルについては先頃、パースが発表された。緩やかなスロープで囲まれたユニークな設計で、ウィンドウショッピングをしながら階上に上がれるという動線になっている。構造は多数のテナントを配した商業施設とホテル、交通センターの一体型だ。
ただ、九州産業交通HDは、高度なデベロッパーノウハウは持ち得ていない。だから、テナントリーシング、運営を含めてどこかに委託するかもしれない。そこがどれほどの手腕をもつにしても、トレンドの移り変わりを考えると、テナントの顔ぶれはだいたい想像がつく。
カフェやスウィーツ、雑貨がメーンで、これに九州初、熊本初などの冠が付くだけ。ファッションにしても既存店と名前は違うが、大半はテイストが被るのではないか。東京のように尖ったブランドが出店するとは考えにくいし、ビル側もそれほど冒険はできないだろう。
そもそも、再開発ビルを建設する場合は、初期投資の建設コストはイニシャルコストに加え、テナント保証金に按分して回収するのが一般的だ。運営管理費や販促費は各テナントからの歩率家賃で賄えるし、売上げの上がらないテナントは入れ替えればいいだけである。
ただ、有名セレクトショップはNEW-S館に出店しているし、市場規模から言えばこれらの2店体制は考えにくい。熊本未出店のセレクトもほとんどがネット通販を充実させているから、店舗展開の必要性をビル側が提案できない限り、出店要請には説得力を欠く。
地元の個人専門店を集めるにしても、これらの経営者はシャワー通り、並木坂などの路面店、路地裏を好むし、個店レベルで数千万円もの投資をしてまで再開発ビルに入るメリットはない。
というより、カフェやスウィーツ、雑貨がマーケットの牽引役になっている今、新ビルのコンセプトとマーケット事情に見合うファッションブランドを探し出し、商業施設を運営するのは難しいのではないか。それは関西のJR西日本伊勢丹、近鉄のあべのハルカスを見れば、火を見るより明らかだ。
あとはキャリアやセレブミセスを対象とする全国ブランドだが、マーケット事情を考えるとデベロッパー側はこちらにも二の足を踏むかもしれない。県民百貨店が出店できないのは、T百貨店のブランドで満足いかないお客にとっては、歯がゆい思いだろう。
尤も、百貨店の損益分岐点で、新規開発のビルに出店するのは容易ではない。だから、県民百貨店が経営破綻を迎えること無く、清算に舵を切ったのがせめてもの救いである。
再開発事業の名の下に、行き場を失う地方百貨店が現れる現実。これも時代の趨勢だから、仕方がないことなのだろうが。