HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

環境が人を育てる。

2011-05-04 14:12:22 | Weblog
 ずっと読むのを楽しみにしていた「YOHJI YAMAMOTO MY DEAR BOMB」の日本語版が刊行された。
 ページをめくるたびに、現実か、虚構か、小説か、自叙伝か、それらがシンクロしながら展開されるヨウジワールドに、
グッと引き込まれていく。なかでもデザイナーとしての考え方や技術論は実に説得力がある。
 山本耀司というデザイナーが時代というつかみどころのないものに挑戦し、既成の概念や伝統に反抗してきた理由がこれ
までのモードから言葉に置き換えられたことで、業界関係者でなくても理解しやすいと思う。

原文:
人間が生きて歳をとるように、布地も生きて歳をとる。布地は、1、2年寝かせて、自然収縮してからのほうが魅力的にな
る。四季を何度か超える。その間も糸はずっと生き続け、歳をとる。その過程を経てのち、ようやくその布地のもっている
本来の魅力が表れてくるのである。

 
 服の8割は布地で決まるというのが筆者の持論。こしのある麻、うち込みがしっかりしたウール、モールの綿などを使え
ば、服にも主張が出てくるから、とても好きだ。
 逆にカットソーやスーツ地のようなフラットは布地は、大量生産の工業製品的でどうも好きになれない。数年前に縮絨と
いう生地が流行ったのも、年月を経たような風合いや質感が現れ、古着のような感覚があるからだと思う。


原文:
ファッション・デザイナーも基本的なテクニックを身につけていなければ話しにならない。犬でさえ訓練が必要なのだ。
徹底的に基礎を黙々と叩き込む時期が必要不可欠なのである。それからしばらくしてようやく、眼前に燦然とそびえる過去
の人間たちが作った価値観に大きな矛盾を感じずにはいられなくなる時期が到来する。
その矛盾にこそ苦しむべきなのだ。基礎で苦しむ、地道に苦しむ。そうしているうちに、おのずと自分の判断、闘い方のよ
うなものが見えてくる。反復、反復、そして古典を学べ。それからだ、すべてエスタブリッシュメントに反論すればいいの
は。戦争と同じだ。
勝つためには、敵の情報を徹底的に調べ上げるように、徹底して学べ。
そうでなければ、勝てるわけがない。
そうでなければ、自らの方法など見つかるわけがない。 



 全く同感だ。卓越した技術は、地道な訓練なしにはありえない。来る日も来る日も、基本の繰り返し。バカバカしいこと
をコツコツやることで、見えてくるものがある。いくつもの経験を積むことで感性も磨かれていくのだ。
 そして、自分の世界感を作り上げるには、知識を広げ、経験を重ね、自分なりの思想や哲学を持たなければならない。そ
のためにはさまざまな分野の知識を習得することが不可欠である。
 ファッション観とは何かといえば、大げさかもしれないが、服の神髄ということでは常に追い求めていかなければならな
いと思う。
 なのに、最近はこうした考え方が学校でも、企業でも受け入れられなくなっている。誰もがバカバカしいことを避けたが
り、地道な訓練から逃げようとする。目先のことばかり追いかけた結果が今の業界、そして日本を表している。
 ここに矛盾を感じるからこそ、エネルギーがわいてくるわけだ。でも、ファッションを仕事にするには成長過程で、それ
なりの環境に身を置かなければ、決して成長はない。筆者が環境が人を育てるという所以だ。


そして、最後に思わず、ニタっとした行。

原文:
(大学、服飾の専門学校を)卒業して、母親の洋裁店で働き始めた。雑誌の切り抜きをもってきて、これと同じものを作っ
てちょうだい、とおっしゃるマダムに、同じものになるわけがないだろう、と内心ウンザリしつつ、くびれのないくびれを
採寸するのがどうもいやだった。
歌舞伎町という街は、いかに男を誘惑するかを仕事にしている女たちで溢れていた。それがわたしの小学生の頃の女性とい
うものの思い出だったから、男のための、ただかわいいだけのお人形さんだけは絶対に作るまい、と心に決めていた。


 筆者にも同じような経験があるから、 この気持ち、すごくよくわかる。小学校の5、6年の頃、学校の先生が当時流行っ
ていた「パンタロンスーツ」を作ってほしいと、生地を持ってうちにやってきた。妹の担任がお袋が洋裁師だということを
職員室で話題にしたらしく、既製服が合わない体型のお方にとっては願ったりだったようである。
 当時、福岡では既製服はそれほど出回っておらず、いざ買うとなると岩田屋や玉屋といった百貨店か、川端通りや新天町
の専門店しかなかった。しかも、レギュラーサイズ中心で、女性っぽい甘い感じのテイストばかりだった。
 ロビンやホラヤといったブティックになると、オートクチュール部門も持ってはいたが、こちらは値段が高く金持ちの中
年女性が対象。若い女性の感覚にフィットするトレンドファッションは、既製服ではほとんど手に入らなかったのである。
逆に生地屋は丸十、大黒屋とあり、材料屋も同級生の親が営むカミヤなどがあった。
 先生の注文はスタイルブックでデザインを決めてもらい、採寸、仮縫いと進んだ。そして、縫製をしている時、お袋がポ
ツリとこぼした。「腹が出て、尻が大きい人のパンタロンほど縫いにくいものはない」と。確かにお袋が見せてくれたチャコ
としつけ糸がついたはぎ布は、ウエストあたりの身幅が非常に大きかった。
 そんな愚痴とは対照的に、でき上がったパンタロンスーツは完璧な仕上がりで、学校の先生はえらく喜んでいたのを、今
でも鮮明に憶えている。
 実はあとで知ったことだが、お袋がデザインを見せたパンタロンスーツのモデルは、デザイナーの稲葉佳枝(後の賀恵)
だった。小学生とは言っても、日頃から家に転がるスタイルブックばかり見ていると、いつの間にか、自分がファッション
の仕事をするなら、ターゲットは都会的でシャープな感覚を持つ女性の方が絶対いいと思うようになっていった。

コメント
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