HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

売るモノが無くなったのか。

2016-08-31 07:36:50 | Weblog
 昨年後半から外国人観光客によるインバウンド消費が減少している。これに支えられていた百貨店は、2016年7月の免税総売上高(協会加盟84店舗)が約146億3000万円で、前年同期比の79%まで落ち込んだ。一般物品の売上高(同)がさらに67.6%まで落ち込んでいるところをみると、外国人頼みの政策は一時しのぎに過ぎず、日本人客を蔑ろにした結果は惨憺たる有り様だ。

 結局、百貨店は長年の懸案である構造改革や中長期的な戦略構築を先送りにしただけで、このツケは決して小さくないということを意味する。かといって、今の百貨店は新しいことをやるにしても手詰まり状態だし、お客に振り向いてもらうにはマーケットがあまりに成熟している。衣料品は完全にSCやネット通販に持って行かれているし、デパ地下商品だって売上げの核、収益源になる商材が次々と生まれ、ヒットする保証はない。

 伊勢丹のように商品開拓に積極的なところもあるが、委託販売、消化仕入れのままで利益を確保するのは容易ではない。マスで売れる価格帯がある程度決まってきた中、自店の粗利益を確保するには原価率を圧縮せざるをえず、そうせずに十分な利益をとるには売価を上げなくてはならない。商品の質を下げれば、勝ち目はないし、価格を上げれば勝負の舞台に上がれない。

 目が肥えたお客に対し、百貨店が自前で価格に見合う以上の価値=お値打ち商品を提供できることなど不可能に近いのだ。伊勢丹は全国の製造メーカーに割って入って、商品開発から手掛けていこうとのSPA脱皮への姿勢も示したが、具体的な商品づくりは見て来ない。その前提としてお客がどんな商品を欲しているのか、まだまだマーケティングの段階なのだろう。

 そんな取り組みを先鋭化するわけでもないだろうが、三越伊勢丹がこのほど東京・青山に会員制サロン「サード ペイジ(3rd_PAGE)」をオープンすると発表した。百貨店のサテライト業態なんか今さら珍しくもないが、サードペイジは新規事業としてエムアイカード会員に限定という。しかも月会費として1万円が徴収されるので、上顧客を対象にする考えなのだろう。

 お客は月会費を払っても観劇会招待や応分の割引が付くわけではないが、 旅や絵画、文化、伝統、ライフスタイル、食、車、スポーツなどを切り口に、会員でなければ体験できないセミナーやワークショップ、コンシェルジュサービスが提供されるという。

 従来、百貨店がメーンターゲットとしてきた団塊世代〜60代はすでに定年退職、またはリタイアが近い。この層は欧米からエコノミックアニマルと揶揄されるほど、がむしゃらに働いてきた人々が大半だ。そのため、男性は時間的、経済的にゆとりを持っても、これといって「やること」を見つけるのは簡単ではない。サロンは富裕層の中でそうした層にアプローチし、新たなライフスタイルを提案する試みとみえる。

 百貨店が団塊世代をターゲットに設定しても、主に狙ってきたのは女性だ。しかし、女性を対象とする商品やサービスは、ファッションからコスメや健康食品、趣味、レジャーまで有り余るくらい溢れている。平日の夕方、都市部にある百貨店のレディスフロアを見ると実に閑散としている。これは三越や伊勢丹も例外ではない。

 もはやファッション衣料、特に百貨店向けのNBアパレルでは集客できなくなっているのだ。そうした状況を踏まえて、中高年の女性に新たな商品やサービスを提案するのは、至難の業と気づき始めたのではないか。

 反面、これまでメーンで狙って来なかった大人の男性客。特に中高年にはアプローチする価値は十分にあるということだ。従来、商品の購入はほとんど妻任せだったが、いつ先立たれるか、三行半を突きつけられるかわからない。その時に備えて、自分でも何か前向きになれることを持っておこう。そうした啓蒙から始めようということか。

 身近でできる旅行やスポーツ、美術館巡りからドライブ、そして料理や絵画、陶芸などといった趣味まで、今までは商品を提供するモノ消費だったが、それを体験型の「コト消費」に変えていく。その先に再度商品の購入があれば儲け物。上顧客を対象にした気の長いマーケティングになりそうだが、そうしたウォンツを喚起するしか、百貨店は新しい市場を掘り起こせないとの判断だと思う。

 団塊世代は日本で初めてジーンズを穿き、Tシャツを着て海外旅行し、VANジャケットでクラブに通った層とも言われる。しかし、こうした最新のカルチャー、ファッショントレンドを謳歌したのは一部の人々に限られる。大半は一生懸命働いて車を買い、その先に結婚、マイホームという人生だったはずだ。だからこそ、眠っていた余暇願望に火を付け、消費へと駆り立てる。これが百貨店にとってサバイバル作戦の一つであるのも間違いない。

 しかし、この世代は生きても、あと10年かそこらだ。その次はどうするのかという課題もある。次世代の50代は男性でも情報感度が高く、バブル景気と平成不況の両方を経験している。ファッションもVAN世代のような一つのトレンドで括るのは難しく、アメカジからトラッド、DCブランド、インポートまでと幅広い。車はポルシェやベンツに乗るし、国産車の良さをわかっている。趣味も音楽から釣り、トライアスロンにまで触れるなど、多種多彩のスタイル、嗜好が混在している。

 リストラされた人も少なくなく、生活防衛に必死になっている。そこまで貧困ではないが、カネをかけるところとかけないところのメリハリをつける。パソコンを自由に使いこなし、ネットショッピングか実店舗での購買かどちらが得かを見極める目をもつ。妻に付き合って百貨店も一通りチェックはするが、価格と価値を比較して「この程度ならショッピングセンターでいいか」と、自分で選ぶ合理性をもつ。商品の価値を価格が高いか安いか、ブランドかノンブランドかの絶対的価値では捉えない。それだけに百貨店が攻略するには非常に難しいと思われる。

 そして、40代以下の男性になると、ほとんど百貨店では買い物していないはずだ。というか、百貨店がターゲットにしてきていないのだから、どうしようもない。おそらくここから下の階層では新規でマーケットを掘り起こすのは非常に難しいと思う。20年先、百貨店は大人の男性客は完全に諦めるのか。それとも何かの企てが考えられるのか。

 そのためにもマーケティングリサーチは待ったなしだ。50代以下の男性がどんな商品やサービスを求め、消費行動に出るのか。その攻略が百貨店として無理との判断なら思いきって諦め、他の業態に任せるのか。非常に難しい選択を強いられることになる。

 翻って三越伊勢丹のサードペイジは、東京・青山の一等地に出店する。上顧客を対象とした会員制サロンとは言え、それなりにコストはかかると思う。ビジネスとしてペイするかどうかのシミュレーションはしていると思うが、百貨店としてサバイバルマーケティングへの投資もあるだろう。はたしてその答えが見つけられるのかどうか、注目される。

 他の業態で思い出したが、渋谷パルコが閉館し、3年後に再オープンすることが決まった。こちらもいろいろと模索が続いているようで、新しい渋谷パルコは新たな東京カルチャーの発信拠点に据える一方、地方店は足下商圏の深耕に軸足を置く市場対応型のように見える。渋谷店は採算度外視で最先端の流行を発信し、ローカル店は収益を生み出せる稼ぎ手にしていく戦略なのだろう。

 当然、大人の男女をターゲットにするのは地方店ということだ。7月に開業した「仙台パルコ2」は、「オトナ考えるPARCO。」との触れ込みで、店づくりからテナントリーシング、接客サービスまで大人に合わせている。パルコ=若者という偏向した概念を変えるべく、本来の幅広い客層対応の一環として、パルコとともに成長した50代をメーンターゲットに設定する。

 フロア構成は1階に飲食店街に置き、牛タンやカレーの良い「匂い」で人々を集客する仕掛けだ。シャワー効果ならぬ、噴水効果とでも言うのだろうか。2〜5階にはビューティ関連を充実させ、オーガニック、漢方、アロマなどをキーワードにした商品やサービスを提供している。50代、特に大人の女性がいちばん関心があるものだ。本来なら百貨店が提供するのだが、仙台駅前にはないことからパルコがそれを担うということか。

 それにしても、すでに百貨店のようにテナントを集め、委託販売、消化仕入れのビジネスでは難しいということでもある。たとえ大人狙いでもマーケットの変化を見極めながら、パルコがもつ定期借家契約によるテナント集積、お得意の編集力やイメージ戦略をシンクロしてコンセプトを際立たせることが重要なのだ。

 一方でこう考えることもできる。都市部では百貨店にしても、駅ビルやSCにしても大人向けに売るモノがなくなっているのではないか。特にパルコのような業態がこだわって探し出し、売っていくようなファッションが見当たらないとも言える。だから、手っ取り早く体験やコト消費に走る傾向が強くなっているのではないか。パルコが8月26日、青山にオープンした「バイパルコ」も、若者向けとは言え、自らラボラトリーと宣言するようにモノを売ることの限界から、カルチャー発信で消費を喚起しようかと、模索しているようにも映る。

 しかし、本当にそれでいいのだろうか。多く売ることばかり考えた小売り発想の終着地。売れるものを作るマーケットインの限界点。そうしたビジネスが都市部ではいい加減陳腐化してしまったのではないだろうか。ECもこれまでは「いかに売るか」で成長してきたが、ここに来て「何を売るか」を見つけられないところは、頭打ちになっている。

 マスで売れる商品が出尽くしてしまったからこそ、そうした商品を捨てたところにもマーケットは出現するかもしれない。 サロンやラボラトリーとは言わず、「今のマスマーケットはつまらん」と思っているお客と共同で、積極的にもの作りを進めていく試みも、必要な気がするが。デザイナーが作ったTシャツならそれで良いのか。その辺を考え直さないと、変わらないと思う。

 大人にとって自分にあったファッションとは何ぞや。それが市場で見つからないのなら、思いきって作れないか。お仕着せのオーダーメードではなく、お客自ら素材やデザインを決める服や雑貨づくり。それが体験できるような取り組みも重要だと思う。有りものでは売るものがなくなりつつあるのだから、ないモノを作ることにも目を向ける。できるできないは別にして、百貨店が都市のインフラとして前向きに取り組んでこそ、本当にレボリューションできるのではないだろうか。

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健康はアパレルを救えるか。

2016-08-24 07:05:52 | Weblog
 リオデジャネイロ五輪が閉幕した。日本人選手の活躍には目を見張るものがあった。心から賛辞を贈りたい。ただ、公式ウエアのデザインや発注方法には不満も残る。主要国は母国のデザイナーやブランドがデザインに当たっているのに、日本のそれは発注先が百貨店だ。デザインや製造のノウハウを持っているわけではないのでメーカーに外注せざるを得ない。ならば、直接頼んでもいいのではないか。水面下でいろんな利権が蠢くオリンピックである。その辺の改革も2020年の課題ではないかと思う。

 アパレル分野ではスポーツメーカーが携わる素材や構造設計に話題が集まり、オリンピック後の商戦に影響を及ぼすことは少なくない。高いパフォーマンスを発揮した選手と同じユニフォームを着たいアスリート心理は、五輪ほど強くなる。ミズノやアシックスはアジアでも人気を集めているし、日本人選手の活躍により親日国ではさらに販路が広がりそうだ。

 ところで、スポーツとアパレルとの相乗効果。また経営面でのノウハウ共有。ビッグイベントがある度にスポーツはアパレルに深く影響を及ぼしてきた。そんなことを考えていると、あるスポーツ系企業がアパレルのM&Aに積極的なのを思い出した。「結果にコミットする」とのコピー、会員の利用前利用後の変貌ぶりで、話題を集めたトレーニングジムの「ライザップ」。ここを運営する「健康コーポレーション」のことだ。

 同社は、今年4月には4℃ホールディングスの婦人服SPA「三鈴」、補正下着メーカーの「マルコ」を立て続けに子会社化した。それ以前にもマタニティ&ベビー服の「エンジェリーベ」、インターネット通販の「夢展望」、ヤングブランドの「アンティローザ」、ミセス向けの老舗アパレルの「馬里邑」、首都圏にインテリア雑貨店を展開する「イデアインターナショナル」、郊外向け雑貨業態の「パスポート」、美容関連、化粧品の製造販売を行う「ジャパンギャルズ」などを傘下に収めている。

 トレーニングジムとアパレルや雑貨、化粧品。素人目には何の関連性もないように思えるが、同社は「自己を変えるために、自分に投資する」事業という点では共通と見ているようだ。だから、あえて大量消費で代替が激しく、価格競争に陥りやすいコモディティ、いわゆる日用品の分野は対象としていない。 それぞれの事業が共通の目標で動くと考えるからこそ、投資先としては価値ありなのだ。

 一般的に買収や経営統合の案件に上がる企業は、業績不振など経営的に不安定なところが少なくない。三鈴も競争激化のヤングファッションの中にあり、馬里邑は顧客の高齢化で事業の方向性が見えづらくなっていた。またパスポートとイデアインターナショナルは東証ジャスダック、マルコは東証2部の上場企業だ。これらはみな経営面で新しい血を必要としていたということだろう。

 それ以上に産業界の構造変化の中、成長が見込まれる分野に資源を投下することで、 新たな価値創造と持続的成長を目指す時代だ。そのためのプラットフォームとしてグループ経営という枠組みが見直され、戦略的に活用されるようになっている。それは美容・健康産業にとっても、マクロ的な意味でアパレル、雑貨も組み込めるのではないかということだろう。

 グループ本体の事業が安定し、資金が潤沢であるなら、銀行筋やコンサルタントがいろんな案件をもってくるだろうし、相手企業が非上場であれば第三者割当増資という手法もとれる。経営観が凝り固まったアパレルファッションの業界だからこそ、新しい経営発想が不可欠という点で、経営統合や業務提携の案件に載せやすいのかもしれない。

 被買収、被統合のアパレル企業側からしても、内需への依存度が高いだけに少子高齢による消費の先細りで、成長戦略が描きづらくなっている。多数の店舗を持っていたり、多くのスタッフを抱えていれば、M&Aの受け入れでそれらの存続、雇用の維持できるのでひと安心だ。

 健康コーポレーションとしては、トレーニングで体の内側から美しい肉体を作り上げるのも、補正下着で体の外からプロポーションを見違えるようにするもの、同社が目指す「人は変われることを証明する」という点では同じなのだ。そのことは企業サイトにも瀬戸健社長の言葉としてしっかり明記されている。

 マルコとの資本業務提携は、健康コーポレーションが携わるトレーニング、コスメティックといった美容・健康事業と、マルコがもつ補正下着の開発力、50万人にも顧客基盤は相乗効果があると見たようだ。その先に理想型のボディメイクが成し遂げられれば、アパレルやコスメティックという新たなニーズが生まれ、さらに市場が広がる可能性がある。経営者としてはグループのシナジー効果を追求する狙いだろう。

 健康コーポレーションは、トレーニングジムのライザップで一躍有名になった。耳に響く重低なSE(効果音)で始まるCMは、ダイエット訴求の鉄板表現、利用前利用後の「激変」を明確に訴求した。キャラクターにはほとんど会員を起用するもので、福岡に本社をもつ投資系企業の社長も出演を打診されたと語る。

 CMを制作しているのは、電通だ。スポンサー担当の一人も博多の名門高校、早稲田大学とラグビーで鳴らした屈強なスポーツマンだそうだ。代理店に入社すれば、趣味でラグビーを楽しむよりゴルフ接待の方が主体になる。だが、クライアントがライザップになったことで、こちらにも出演オファーがあったとの話も洩れ伝わってくる。

 ただ、当初は会員がキャラクターになっていた路線も、次第にタレントが登場するようになっている。俳優の赤井英和、経済評論家の森永卓郎、AKBの峰岸みなみ等々と、代理店が電通だけにタレント起用によるブランディングの王道は、ここでも変わりない。

 一方、CMが集中投下され始めた頃から、ダイエットにありがちな虚構論も浮上した。筆者の知り合いのスポーツトレーナーも「あそこは徹底したカーボンカットのスタイル。会員はかなり無理なダイエットを強いているようだ」と語っていた。つまり、トレーニングと並行して食事での「糖質制限」をさせて、体中の脂肪をエネルギーに変えていくもの。二週間程度で痩せるには、炭水化物を一切摂取できないことになる。

 このやり方がダイエットの正攻法か否かは別にして、会員の不満やトレーナーの労働条件の悪さが週刊誌のネタされるなど、新興企業にありがちなバッシングも受けている。ダイエット産業の市場規模は2兆円とも言われるから、いろんなカラクリがあるのは当然と言えば、当然だ。だからと言って、同社のマネジメント能力が劣るかどうかは別問題と言える。

 さて、健康コーポレーションは、傘下に収めたアパレルや雑貨の企業をどう立て直していくのだろうか。各社の企業概要を見ると、経営陣はそのままというところもある。グループとしてのシナジーを追求する場合、傘下企業を異業種間で切磋琢磨させるような人材交流が不可欠になる。分社型経営のままでは、組織や考え方が縦割りで視野が狭くなりがちだからだ。

 こうした弊害を補えるような人材の流動化をはからなければ、これまでの業界慣行を打ち破るようなビジネスモデルやイノベーションは創出できない。 また人材交流は将来的なグループ経営幹部育成にもカギになる。グループ経営には事業の投資・撤退判断など極めてダイナミックな舵取りが要求される。これらの能力はアパレルや雑貨といったキャリアの延長ではとても形成されない。グループを俯瞰でみるような視点や判断力を鍛えるためには、傘下事業を横断的に経験しておくことが必要なのだ。

 そのためには子会社の要職に柔軟に配置できるような人事基盤の整備と、中核であるスポーツ企業が人事権を発動できるのかが課題になる。結果的にすべてのグループ企業において業績が好転してこそ、グループのシナジー効果も見えてくる。親会社として外部から経営のプロを招聘して改革するのか。中核会社、大株主としてもバランスシートを精査し、売上げ、利益、経費などの見直し、商品や業態の開発や人材育成などについて、注文を付けなければならない。

 三鈴は昭和38年に創業した婦人服の専門店だし、 馬里邑はさらに古く戦後まもなく産声を上げたミセス系アパレルだ。どちらも高度成長期の成功体験を引きずる悪習が経営を硬直させた元凶かもしれない。これにどうメスを入れていくのか、である。ただ、成長、拡大のみを求めていろんな施策をうったところで、飽和したアパレルファッション市場では限界がある。

 漠然とはしているが、健康コーポレーションがグループ理念に掲げる「全ての人が、より健康に、より輝く人生を送るための自己投資産業」をビジネス領域として、「世界中から必要とされ続ける商品・サービスを提供し続ける」こととは、何なのか。それを経営者は具体的に考え、実行していかなければならない。

 つまり、社会が経済成長を絶対的な目標とせず、十分な豊かさや少しの幸福が達成されるのを求めるのであれば、それに合致するもの作りやサービスの提供にスライドしかなければならないのだ。成熟した消費市場の中で、消費者が健康で理想的なボディを手に入れれば、次はどんなウエアや雑貨をウエルネスライフの中に求めるのか。その答えを探し出した時、アパレルファッションは一歩進化するはずである。
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自社ビルは何のために。

2016-08-17 07:59:13 | Weblog
 8月も半ばを過ぎ、アパレル各社の決算発表が気になるところだ。ヤマトインターナショナルは決算発表を前に重要なIR情報をリリースした。アウトドアブランドの「エーグル」とのライセンス契約が2017年2月末で終了し、それに伴う早期退職者の募集などで特別損失を計上するというものだ。さらに16年8月期決算では33億円の最終赤字になる予定という。同社にとってエーグルの売上げは全体の25%に当たり、三陽商会同様にライセンシーを失うことが、アパレルメーカーにとっていかに厳しいかを物語る。

 しかし、ヤマトインターナショナルともあろう企業が、ブランドライセンス頼みの戦略にもっと早く手を打たなかったかである。同社は戦前にシャツ製造業として創業し、戦後は大阪で専業メーカーとして事業を展開した。社名もヤマトシャツに改め、日本のシャツ製造を牽引して来た老舗アパレルだ。筆者も一時期、ヤマトシャツはよく着ていて、その良さは十分に認知している。

 その後、東京にも進出し、87年には大田区平和島に社名の通り巨大戦艦を思わせる奇抜な東京本社ビルを完成させた。当時はバブル景気の絶頂期で同社の業績は右肩上がりだったと思われる。株式市場も大証2部から1部に指定替えし、株価は高騰。財務が安定して信用力が増し、ビル用地の確保も容易だったのかもしれない。何より銀行が「有形の資産取得」を口述に融資を受けてほしかったのだ。完成したビルは威風堂々としつつ、物流倉庫が建ち並ぶ湾岸エリアでは異彩を放っていた。先進性を訴えたかったアパレルにとっては、成功の証しとなったのではないか。

 一方、ヤマトインターナショナルはシャツ専業メーカーだったこともあり、総合アパレルへの道のりは平たんではなかったと思う。アイテム拡大もブランド開発も中途半端で、エーグルを除けばクロコダイルくらいしか知名度のあるブランドはない。それもいつの頃からか、量販店の売場に並ぶブランドになってしまった。売上げも2008年くらいから200億円半ばを低空飛行し、15年8月決算では219億8500万円まで落ち込んでいる。

 アパレル関係者の話によると、売上げが低迷し始めた10年ほど前から、東京本社ビルの一部を切り貸しして不動産収入を得ていたようだ。さらに今回の特別損失の発表において「東京本社ビルに占める同社の東京本社使用比率を総面積の30%以下にする」と公告している。つまり、東京本社ビルでは7割以上を他社に貸し出すことになる。不動産オーナーになったと言えば聞こえがいいが、ヤマトインターナショナルにとって、ビル建設の時点で規模に見合う事業拡大が見込めたのかとの疑問も残る。もちろん経営陣は目論んでいたのだろうが、バブルが弾けたことで、攻めの経営ができなかったのも事実だ。

 そこで考えてみたいのが、アパレル企業にとって自社ビルは必要なのかである。もちろん売上げ規模、利益、財務、ファイナンス、資産、創業者の出自など、いろんな条件で変わってくると思う。例えば、登記簿上の「本社」は創業の地に置き、ビジネス上の本部を東京の都心部に置くケースは少なくない。その場合、本社または本部のどちらかを賃貸オフィスにするか、また自社ビルを取得するかである。もちろん、取得には莫大な資金を必要とするし、自己資金で賄えなければ銀行からの借り入れが不可欠になる。


アパレルにビル1棟は不要かも

 一般論として経営戦略が軌道に乗って少しずつ組織を拡大し、スタッフが増員されていけば、オフィスが手狭になるから広いスペースに移らなければならなくなる。それでも自社ビルか、賃貸ビルかはやはり経営者の考え方次第だと思う。

 スキームとして「アパレルは水ものだから万一に備えて資産を持ち、そこからの現金収入を得られる=キャッシュフローにも目を向ける」という考えがある。これも自社の土地に自己資金でビルを建設すれば別だが、借金して物件を取得した場合、自社だけが利用するオフィスなら返済のみで収入はない。その分の売上げまで確保できないと経営は厳しくなる。自社ビルの一部を賃貸するにしても、返済額以上の賃料収入がある=利回りが良くないと運用は上手くはいかない。それに不動産は立地や地名などで資産価値に影響が出る。条件が良くなければテナントが集まらず、家賃を下げなければならないリスクも付いてまわる。

 アパレルの多くは産地や問屋が生まれた大阪や名古屋から発展した。全国展開をする上で、東京は情報を受発信する上で拠点を構えざるを得なくなったのだ。ただ、自社ビルを取得するということは別問題である。バブル景気という追い風を受け、銀行が融資をしてくれたまでは良かったが、好景気の終焉で土地神話も崩壊。資産価値が下がり、自社ビルは売れず不良債権と化したケースは、アパレルにおいても例外ではない。

 その後、台頭して来たIT関連の有名企業は、六本木ヒルズやミッドタウンにオフィスをもっている。しかし、これらにも1フロア数千万円の賃料を払ってまで高額なオフィスを借りる必要があるのかと思う。働いているスタッフは1年ごとの契約社員で、昼食には380円の弁当を食べているものもいるからだ。経営者はステイタスのつもりだろうが、雇用されている社員の状況とはあまりに格差があり過ぎる。

 まして収益性が低いアパレルが自社ビルをもっても、相当厳しいはずだ。組織的に見ても、メーン部署は企画デザインと卸営業である。素材はすでに外部から調達しているし、製造はアパレル工場に外注する。自社工場であっても都市部で用地確保は無理だし、物流網の発展から本社近くにある必要はなくなっている。MDの部署も必要にはなるが、ここも出張が多くなるから、オフィスの使用頻度は下がる。1か所にそれほど大きなオフィスをもつ方が必要な機動力が阻害されるのかもしれない。ましてITの時代である。生産性がない部署は、コストが安い地域に置くという経営判断があっても良いはずだ。ならば、アパレルはビル1棟なんて不要だと思う。

 DCアパレルのビギグループが代官山に本社を移した時は、場所柄から多層ビルを建てられない規制もあり、ブランドごとに小さなオフィスを建設した。旧山手通りに面する東京バブテスト教会裏手にあったビギ本社ビルは安藤忠雄の設計で、地下が倉庫、1階が営業部、2階が会議室、3階が社長室だった。周辺の猿楽町や南平台、目黒方面に下った青葉台にも関連会社やブランドのヘッドオフィスがいくつもあった。すべて歩いて行き来できる距離で、どれもこじんまりとしたビルだった。

 そこには大楠祐二代表の「会社は小さくなければならない」との経営哲学があり、会社ごとに経営陣や社員の競争心を煽り、業績を争わせる狙いもあった。企業規模が小さいからこそ、こうしたマネジメント術が結果につながったとも言える。ビギグループは分社経営をグループ躍動の原動力にして、成長軌道に乗せていった。言い換えれば「ビッグオフィスに象徴される大きなヒットブランドをもつより、いくつかの小ヒット商品を持つ」という戦略がアパレルとして見事に奏効したとも言えるだろう。


自社所有で何を産み出すかが重要

 筆者は独立するとき、故郷である福岡の大名に建つマンションに事務所オフィスを構えた。中心部天神の隣街である。東京で言えば、京橋や恵比寿といった立地だろうか。隣に雑居ビルがあった。1、2階が店舗スペースで、3階からがオフィスになっていた。不動産会社の話ではうちのマンションより後に建ったらしい。

 ところが、筆者が賃貸契約をする時、隣のビルは裁判所の競売物件になっていた。旧オーナーはアパレルメーカーだったという。銀行融資を受けて建て、資産運用から賃貸ビル経営にも乗り出したようだ。福岡は東京よりバブル景気が弾けるのが遅かったが、93〜94年にはこのアパレルもビル購入などの負債が重なり、倒産したようである。経営判断が甘かったと言えばそれまでだが、店舗を必要とする小売りならともかく、アパレルにとって都心部の大名にオフィスをもつ必要はない。単なる資産運用、財テクで乗り出した不動産ビジネスは、中小アパレルにとってはあまりに荷が重過ぎたということだ。

 ビル自体は競売後も転売されている。場所柄、1〜2階の店舗スペースには焼肉店、日本料理店、居酒屋、ピザ屋など入れ替わり立ち代わり入居したが、どれも2年と続かず退店している。構造上1階と2階が螺旋階段でつながり、2フロアまとめて借りなければならないことから、どの業態もコスト的にペイしなかったようだ。バブル期におけるビル設計がいかに実需とかけ離れたものだったのかと思い知った。数年前には取り壊された。ビルとしてはわずか20年程度の寿命だったようだ。後にはワンルームマンションが建ったが、それとて全部は埋まっておらず、1階のテナントもいつまで続くかは疑問である。

 ヤマトインターナショナルの東京本社ビルに話を戻そう。外観を見る限り砲台や防御甲板、風筒を思わせるようなパーツを積み重ねた造りだ。内部を見てないので何とも言えないが、これらの一つ一つが部屋になっているのだろうか。それなら切り貸しはしやすいのかもしれないが、幅が狭いフロアをズラしたような部屋ではかえって使いにくいのではないか。まあ、オーナーにとっては大きなお世話だろうが。

 ただ、ヤマトインターナショナルの決算、本社ビルの賃貸施策を見る限りでは、経営戦略のゴールはしっかり定まっていないように見える。自社所有の土地建物がどんな果実を生み出してくれるのか。それが本業にどんな効果を与えるか。その辺のスキームがアパレル業界ではいたって漠然としているように感じる。
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論争再来となるか。

2016-08-10 06:56:00 | Weblog
 8月2日、ファッション系メディアに配布されていたプレスリリースが有効となった。ジル・サンダーのクリエイティブディレクター、クリスチャン・ディオールのアーティスティック・ディレクターなどを務めたラフ・シモンズが、カルバン・クライン社に移籍することが正式発表となったのだ。

 カルバン・クラインは自らデザイナーとして1968年、ニューヨークでレディスのプレタポルテコレクションをスタート。70年代初めにはスポーツウエア、化粧品、フレグランスを手掛けてブランドビジネスの骨格を固めた。そして76年に発売したカルバンクラインジーズンは、「デザイナージーンズ」という新たな市場を切り拓き、ブランドを一躍世界的な知名度に押し上げた。



 その後、アンダーウエア、セカンドラインの展開と順調に売上げを伸ばしていくが、90年代後半になる次第に売上げは下降線を辿り、会社をフィリップ・バン・ヒューゼン社に売却。本人も2003年にはデザイナーを退任した。04年、後任のデザイナーにはレディスにフランシス・コスタが、メンズにイタロ・ズッケーリが就任するも、ブランド全体を統括できるディレクター不在が響き、ブランドバリュウ、売上げともに低迷が続いていた。

 新任のラフ・シモンズはチーフ・クリエイティブ・オフィサーのポストで仕事を引受けたという。コレクションライン、普及版のプラティナム、ジーンズ、アンダーウエアといった傘下ブランドを一つのビジョンで統一する職責に当たるようで、長年のビジネスパートナーであるピーター・ムーリエがレディス、メンズウエアのクリエイティブ・ディレクターに就任するそうだ。

 カルバン・クライン社のスティーブ・シフマンCEOが「ラフのディレクションのもと」と語っているところを見ても、グローバルブランドとして蘇らせるには、ラフ・シモンズがチーフ・クリエイティブ・オフィサーとしてしっかりとブランドビジネスに必要な「3要素」を打ち出せるかにかかっていると言える。

 一つはクリエイティブワークだ。全ての商品における普遍のコンセプトと方向性の設定、ショップイメージの組み立てなどになる。2つ目はコミュニケーション。メディア向けの広報業務から広告戦略、ショップのVMD、新しいロゴマークやCI等々まで、基本的なアイデンティティーを構築しそれにそってまとめ上げることだ。そして、ビジネスである。製造から販売までの全てを管理管轄し、コントロールしていかなければならない。

 ピーター・ムーリエはシモンズが固めたコンセプトにそって、レディスとメンズのプレタポルテをデザインしていくことになる。またバッグや靴、小物、アンダーウエア、フレグランスのパッケージングなどでは黒子のデザイナーも必要だろう。ラフ・シモンズが設定するコンセプトをしっかり理解してくれ、一を言えば二も三もの表現をしてくれる優秀なスタッフ=職人の存在である。

 幸い、ニューヨークにはカルバン・クライン自身が卒業したFITがあり、デザイナーを夢見る若者が世界中から集まっている。人材には事欠かないはずだ。即戦力にしても、育成にしても新しいカルバン・クラインの元で働けるアシスタントという経歴は、将来のデザイナーデビューにとっては箔が付く。

 もちろんラフ・シモンズ自身には、カルバン・クラインを再びグローバルブランドに蘇らせるために、説得力を持ってスタッフの腑に落とす手腕、高いコミュニケーション能力が求められる。ブランド再生のためのコンセプトを、カルバン・クライン社という組織の中でマネジメントしながら、スタッフを一つにまとめていく「求心力」が何よりも重要になるのだ。タレント崩れの代表代行が幅を利かすどこかの政党なんかには、足下にも及ばない重責と言えるだろう。

 言い換えれば、カルバン・クライン社はラフ・シモンズの考え方を理解し共有し、社内に浸透していける社内体制なのかである。グッチを再生したトム・フォードの例を挙げるまでもなく、ラフ・シモンズ個人と彼の考えをスタッフ全員が理解し共有すれば、ブランド企業としては軸がぶれず、高度なビジネスが展開できるのは言うまでもない。そのための環境づくりがブランド再生のカギを握るということである。

 一方、カルバン・クラインの歴史を振り返ると、そのブランドを作り上げていく過程では、常にcontroversy、いわゆる「論争」を巻き起こして来た。70年代にはそれまでの常識を覆すデザイナージーンズで革命を起こす。80年代にはわずか15歳のブルック・シールズをモデルに起用し、放送禁止ともなるコピーをリップシンク。さらに85年のフレグランスキャンペーンでは正体不明のモデルに胴体、裸の腕や脚を惜しげもなくさらさせた。

 「Do you know what comes between me and my Calvin?」のコピーは、日本語に直訳すれば何ともない。だが、ティーンエイジャーが発言するには意味深な内容から、放送コードが厳しい米国で「好ましくない」と、物議を醸したようである。だが、こうした過激ともいえるマーケティング戦略は、90年代にはアンダーウエアのキャンペーンでも踏襲され、タイムズスクエアのビルボードにはフリーフ1枚で上半身は裸という男性モデルのビジュアルが堂々と登場した。



 カルバン・クラインの広告キャンペーンは、ここに登場したキャラクターをインキュベートさせる側面も持っていた。ブルック・シールズはもちろん、悪童ラッパーのマーキィ・マークは今やハリウッドを代表する俳優マーク・ウォルバーグとして改心。また痩せこけてセクシーとは言い難く、何となくうつろな眼差しだったケイト・モスは世界中のブランドからオファーが舞い込むスーパー・ウェイフ・モデルに成長した。



 ただ、その後もモデルの性的な曖昧さや拒食症につながる問題、子供を起用した下着キャンペーンが児童ポルノを連想させるとの強烈な抗議など、論争が絶えることはなかった。しかし、これがカルバン・クラインがカルバン・クラインたる所以で、ブランドが受け継いで来たDNAと言ってもいいだろう。

 ラフ・シモンズは、フレグランスの名前にもつけられたobsession=強迫観念ともいえるブランドの系譜をそのまま引き継ぎながら、いかに新しいエッセンスを加えていくのか。米国ブランドではマイケル・コースがカルバン・クライン的な戦略で一歩リードしているが、クリエーターズファッションで注目されたナルシソ・ロドリゲスは内紛でリズ・クレイボーン社に買収された。陳腐化気味のニューヨークコレクションでは若手の台頭はあるものの、レジェンドを起こせるビジネスエンパイアが待ち望まれているのも事実だ。

 ファッション業界におけるM&Aやデザイナー交代劇は、珍しくない。LVMH(モエヘネシー・ルイヴィトン)、ケリング(旧ピノー・プランタン・ルドゥート)といったコングロマリットが資本の論理でブランドを次々と傘下に収めると、効率優先の全天候型経営に陥らないとも限らない。実際、ケリングはグッチの成功例で気を良くし、傘下に収めたイヴ・サンローランのリヴ・ゴーシュまでトム・フォードに任せた。すると、デザインがグッチと何となく似てきてしまったのが典型例だ。これでは面白くも何ともない。

 またケリングの一角を占める小売り企業のルドゥートは、米国内から撤退したckカルバン・クラインをフランス国内で堂々と販売している。ckのロゴマークはすでに古くさく、ブランドバリュウは失われている。グレードはバジェットライン、日本でいう量販ルートまで落ちてしまった感じだ。もはや国際的なブランド発信力はないに等しい。

 往年のカルバン・クラインは、トラディッショナルでコンサバ色が強かったニューヨークファッションに、「アメリカンミニマリズム」という流れを吹き込んだ。デザインでは余分な装飾を排し、シンプルで流れるようなラインを作り上げた。ちょうど「シェイプアップ」がトレンドとなっていた時期と重なり、「自分の体をセルフコントロールできない人間はビジネスでもサクセスできない」との風潮から、ジムに通うワーキングウーマンが増加。カルバン・クラインのミニマルなスーツやドレスは、そうした女性たちのボディラインをしっかりと包んだのである。

 一方、ラフ・シモンズはどうだろう。ベルギーの出身でアントワープの王立美術アカデミーでファッションを学ぶことも望んだが、ファッション学科ディレクター、リンダ・ロッパに「うちで学ぶ必要はない」と、独学で服づくりを学んでいる。アン・ドゥムルメステール、ドリス・ヴァン・ノッテン、ウォルター・ヴァン・べイレンドンクとちょうどベルギーファッションが日本でもクローズアップされ始めた頃だ。

 ラフ・シモンズが1995年に発表した最初のコレクションは、英国学校の生徒からヒントを得たようなタイトで流れるようなシルエットの作品だった。それから精力的な活動が続いたわけではないが、ベースにあるミニマルな服づくりはジル・サンダーの系譜とも合致し、クリエイティブディレクターを務めるまでになったのである。そこでは余分な装飾を排するジル・サンダーの遺伝子を見事に受け継ぎ、自分の世界観を表現した。言うなれば、デザインに凝らず、ファッショニスタに媚びない姿勢がLVMHの経営陣に認められ、ディオールのディレクターに就任できた理由かもしれない。

 今年6月には イタリアのメンズ見本市「第90回 ピッティ・イマージネ・ウオモ」にゲストデザイナーとして登場している。若かりし頃の革新性は影を潜めたが、それでもアートからインスピレーションを得るという手法は変わっていない。そうしたデザイナーが大西洋を越えて、ニューヨークの地でどう輝くのか。シンプルとミニマルは似てても非なるものだ。余分な装飾は捨てても、確固としたラインは描かなければならない。シモンズ自ら「洋服そのものは、確固とした美しさをハッキリと映し出す媒体」と言うように、ニューヨークのワーキングウーマンの審美眼を育むような服を提案してほしいと思う。



 ラフ・シモンズにはあんまり小さくまとまって欲しくはない。彼にラジカルでアバンギャルドは似つかわしくないとしても、論争の火種ぐらいは大いにもたらしてほしいものだ。それをニューヨーカーや往年のカルバン・クラインファンは期待している。もし、ラフ・シモンズがカルバン・クラインブリーフをリニューアルしてくれるなら、ぜひ穿いてみよう。「どこにお洒落ですか」と聞かれた時、「下着です」と答えられるから。
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キャリアの解釈もいろいろ。

2016-08-03 07:11:05 | Weblog
 業界人向けのファッション誌「WWD」のタブロイド版8月1日号が「進化するキャリア服を追え!」のタイトルで、働く女性向けのブランドやショップを取り上げている。そこまではいいのだが、サブタイトルに書かれたブランドの顔ぶれを見ると、筆頭にオンワード樫山の「ICB」、次がワールドの「アンタイトル(UNTITLED)」 。東京スタイルの「ナチュラルビューティー(NATURAL BEAUTY)」と続く。まさにNBとの広告タイアップ企画のようで、他にブランドはないのかと思ってしまう。

 ICBは当初から世界で売っていくブランドの位置づけで、筆者がNYにいた頃はマンハッタンではビルボードが掲出され、現地でのプロモーションにはかなり力が入っていた。2011年にはネパール出身のプラバル・グルンをチーフデザイナーに起用。彼が航空会社の制服を手掛けたことで、コレクション向けの商品もチラッと紹介されたのを見た。色、デザインとも日本にはない感性で、欧米向けにはかなり力が入っていることを伺わせた。



 そうした戦略が作用しているかはわからないが、日本で売れているアイテムは働く女性向けのジャケットスーツのようだ。男性に交じって会議からプレゼン、交渉ごとまでで「できる女」を見せるには、やはり凛々しさを醸し出せるジャケットスタイルなのだろうか。

 ただ、あまりにプレーンだとリクルートスーツのように見えてしまう。適度に女性らしさを強調するシルエットを増やしたというから、それが好調な理由なのかもしれない。この秋は工場と素材のグレードを上げた7万円のジャケットやゲストドレスを発売するそうだ。ワールドワイドに活躍するキャリア層を狙うのだろうが、売場が百貨店では少し不釣り合いな感じがしないでもない。

 ワールドのアンタイトルも、百貨店のハコで長らく一定のポジションをキープしていた。近年はブランドの陳腐化が激しく、他との差別化が図られていないと感じていた。10年からは女子サッカーなでしこジャパンの公式スーツにもなっていたが、2011年にワールドカップ初優勝で注目が集まり、13年にデザインが刷新されたのは記憶に新しい。資金力がない日本女子サッカー界にとっては朗報だったと思う。

 しかし、筆者はブランドのロイヤルティ向上、イメージアップへの貢献ではピンとこなかった。なでしこの選手はごく一部を除き、お世辞にもルックスが良いとは言えない。外国人選手に比べると上背もないし、スポーツ選手特有の筋肉の発達もある。スーツの既成パターンでは少し厳しかったのではないか。佐々木監督以下、勢揃いした選手による広報写真を見ても、 似合っているとは言い難い印象だった。

 実際、お客がそれを見てどれほどスーツを購入しようと思ったのか。外国人モデルのプロモ写真を見慣れているお客からすれば、これが自分が着たとしても現実?、私の方が少しはスタイルが良い?と、テンションが下がったのではないか。まあ、ワールド側もそれは認識していたと思うが。

 ブランドと人員の大量リストラを断行するワールドにとって、基幹ブランドであるアンタイトルのテコ入れは必至だ。秋冬シーズンからはエグゼクティブ・キャリアをターゲットにしたライン、「エッセンシャルクルー」をスタートするという。東京・松屋銀座の売場を30坪強に拡大し、新ラインもフルラインナップする旗艦店にするようだ。

 ブランド存続は既定路線だったとは言え、はたして40代の女性管理職、重役陣がグレードアップしたとの触れ込みで簡単に飛びつくのか、それとも大して変わらないと感じるのか。ワールドが置かれている状況を見ると、いろんな服を着こなしインポートブランドまで知り尽くす真のキャリア層のハートをとらえるのは、懐疑的と見ている。

 サンエーインターナショナルが開発し、東京スタイルとの共同株式移転によるホールディングス化で、現在東京スタイルに継承されたナチュラルビューティー。ナチュラルビューティー・ベーシック、Nナチュラルビューティー・ベーシックと派生ブランドが登場していく中で、源流ゆえに一定の顧客層はつかんでいたと思う。ブランド戦略の宿命としてコア客の年齢が上昇するに伴い、予備軍を捉まえるためのスピンオフは不可欠だ。

 でも、売り上げ効率に走るために「スタンダード」がなおざりにされている面はそこかしこに見られた。例えば、ナチュラルビューティー・ベーシックはヤング狙いとは言え、中国製の安い商品が売場のワゴンに堆く積まれ、売れ残りが著しい部分を見るにつけ、これでは同じ名前がつく本家のロイヤルティにも影響があるのではと思っていた。

 そうした懸念材料をはね除けるように合成皮革エルモザレザーのジャケットは、秋冬の鉄板アイテムになっているようだが、フェイクレザーで本当にキャリア層をつなげ留めていけるのだろうか。アベノミクスの影響で為替が円安に振れ、国内生産を売るための仕掛けにする向きもあるが、海外ブランドの情報が豊富なキャリア層にとって本当に有効な戦術となり得るのか。

 ナチュラルビューティーにはブランドの普遍性、時代に流されない上品さがあるとは言っても、目が肥えている彼女たちからすればコンサバとは一線を画するデザイン、生地感や色合いで目新しさも求められるような気がする。

 働く女性向けの商品を売るハコ、またそうしたショップをリーシングする器は、駅ビルや百貨店がメーンになる。今回はルミネ有楽町やアトレ恵比寿、西武・そごうを取り上げている。ルミネやアトレは種々雑多な駅乗降客を意識し、これまでカジュアルから雑貨までてんこ盛りだった。でも、場所柄を考えれば銀座や恵比寿の一般OLをターゲットにした方が確実性があり、客単価も上がると戦略を修正したようである。

 彼女たちは今は管理職ほどの給与ベースではないから、セレクトショップの仕入れ商品には手が出ないが、そのテイストには近づきたいとの思いを組んだようである。いわゆるトランスキャリア戦略とでも言うのだろうか。彼女たちの中から何割がキャリア層まで昇りつめるかはわからないが、将来のためには青田買いも重要との思いが滲む。

 百貨店は前出のアパレルの出店先だから、あとは編集をどう組むかの問題になる。唯一、西武・そごうが登場しているのは、自主開発「リミテッドエディション」をもっているからだろう。このブランドも50代向けからクリエーターバージョン、パンツ、そしてOL向けとバリエーションがある。リリースでは「選び抜かれた素材にトレンドを捉えたデザイン、そしてリーズナブルな価格を実現した」との触れ込みの割りに、商社ODMの域を出ず商品レベルは百貨店PB止まりだった。

 この秋には働く女性向けの「リミテッドエディション@オフィス」を刷新するという。百貨店を御用達にしているOLは、スーツも百貨店で購入したいとの要望をもち、品質向上やポケットなどの機能性へのニーズも高いことから、これらを十分に取り入れたリニューアルになるようである。

 駅ビルを運営するデベロッパーは物販テナントをリシーングし、ターゲットに沿って、MDを修正してもらえば言い訳だから、アパレルメーカーほどの商品政策は必要ない。フロアにコスメやバッグなどの関連商品を組み合わせれば、比較的回遊性も増し、滞留時間も増える。「服を買おうと思って訪れたけど、バッグや靴を買ってしまった」という衝動買いのお客も出てくる。特別なキャリアゾーンというわけではなく、通勤、街着の延長線でのコンサバテイストであれば十分なのである。

 そこで思ったのが「キャリア」の解釈である。筆者が大学を卒業後、アパレルの業界に入って最初に携わったのもキャリアの商品だ。キャリアとは職業的、社会的な経験を積んで、自信と分別を備えた専門職をもつ女性を指す。筆者が業界に入った頃は、マインドエイジで分類すると、ヤング(18〜22歳)、ヤングアダルト(23歳〜29歳)、 アダルト(30歳〜45歳)と呼称が変わり、ヤングアダルトの中で仕事をもつ層をキャリア、花嫁修業中や結婚している層をミッシーやヤングミセスと分けていた。もちろん、アダルトの中にも働いている女性はいるから、そうした層もキャリアゾーンに該当した。

 テイストで分類すると、年齢に関係なくコンサバ、コンテンポラリー、アバンギャルド(これがデザインが奇抜だから、キャリア服にはならない)があり、流行に左右されない保守的なコンサバ、流行を適度に取り入れ今の感覚にフィットしたコンテンポラリーにもキャリアはある。さらにクラスターで分ければ、コンサバではキャリアエレガンス、コンテンポラリーではセンシティブ・キャリアが当てはまるだろうか。

 また具体的な客層をあげると、コンサバのイメージは丸の内のOLに代表され、コンテンポラリーのシンボルは新宿や渋谷のワーキングウーマンだった。トランスキャリアは直訳するとキャリアを超えるという意味だが、業界の解釈はOLとキャリアの中間を指していたと思う。これは今回のWWDでは言葉こそ出ていないが、アパレルや百貨店もかなり意識しているように見受けられる。一般にはキャリアと言うと、オケージョンで分けた「オフィシャル」のイメージがあるが、マーケットが広がる中でキャリアの概念も拡大してきたと思う。

 かつてはキャリアと言えば、コンサバと対極にあるコンテンポラリー色が強かった。イメージされるターゲットも精神的に自立、経済的に自活し、男性に甘えないで生きるカッコいい女性だ。だから、着る服も都会的で大人の雰囲気とエッジの利いたスタイリッシュなデザインが主流。レディスウェアらしいフリルやペプラム、レーシーなどの装飾は一切排除され、シャープなカッティングと直線的なラインが特徴だった。

 ところが、こうしたキャリアテイストはいつのまにか、影を潜めてしまった。変わって台頭したのはコンサバの中でのキャリアである。以前にも書いたが、土屋耕一氏が書いたコピー「キャリアウーマンにあたる日本語ってなんでしょう」は、伊勢丹が販売したカルバンクラインの広告で登場した。それは着やすくて自由で飾り立てがないけど美しい。当時はキャリア服を表現するには代表的だった。

 その後、ダジャレコピーの名手、真木準氏は百貨店のキャリアを「コンサバけてる」と表現した。おそらく企画会議で担当者が商品のテイストにおいてコンサバを連呼したことが下敷きになったと思う。

 百貨店の広告の通り、ずいぶん前からキャリアテイストは、大都市で男に混じってバリバリ働く骨太な仕事中心の女性から、職場ではあくまで女らしく控えめな立場を意識しつつ常に優雅に振る舞う管理職や秘書的な女性に変わって来ている。キャリアウーマンというのは和製英語で、正確にはワーキングウーマン、またはワーキングガールだ。アパレルでは長年、働く女性向けの服をキャリアと称してきたから、そちらの方がしっくり来るのだと思う。個人的にはキャリアと言えば、どうしても着る人を選ぶカッコいい服をイメージしてしまう。

 今回のタブロイド版はWWD側の営業が絡んでいるようで、記事広告の企画枠の中でのブランド、業態のラインナップとなったと思われる。百貨店や駅ビル、大手チェーンとそこにリーシングされるNB、オリジナル、PBが対象となっており、タイトルが煽るほどクールな顔ぶれではない。キーワードを見ても「女性らしいシルエット」「着回し可能な」「他人から好感を」「オンオフで働く」「きちんと感」と、無難な路線を行っている。売れることを考えたら、そこに行く着くということだろう。

 言い換えれば、これがNBアパレルや百貨店、駅ビル、大手チェーンの限界で、これ以上の進化はないとも言える。数年前からラグジュアリーブランドと国内キャリアブランドの中間に位置する「ドメコン」、いわゆるドメスティックコンテンポラリーにスポットが当たっている。背伸びして高級ブランドを買いたいというキャリア層は少なくなり、身の丈にあった手が届くモデレートなプライスラインで十分だと意識が変化。トップスが2〜3万円、アウターが5〜10万円という買いやすい価格帯になっている。

 9月9日、バロックジャパンリミテッドがニューヨークのウエストビレッジに出店する「エンフォルド」はその代表格と言われる。他にはユナイテッドアローズの「アストラッド」、WWDにも登場しているジャパンイマジネーションの「ソフィラ」だろうか。キャリアの定義は仕事をする時のスタイルだけでなく、いろんな服を着て来た層が選り抜くゾーン、ポジショニングでもあると思う。

 とすれば、ニューヨークなどのコンテンポラリーブランドと対峙する服でなければならないのではないか。これにコンサバキャリアやキャリアエレガンスは当たらない。その意味で、コンテンポラリーに適度なモード感を加味したエンフォルドは、コシのある生地を使用したエッジの利いたデザインが特徴で、ニューヨークという大都会で勝負したいのはごく自然の成り行きと思う。

 2013年に日本に上陸したH&Mの上級ライン「COS」もコンテンポラリーラインだ。クオリティではドメコンよりも1ランク下がるが、適度なモード感があってユーロブランドらしい洗練されたデザインが特徴だ。公式サイトもアイテムそのものをクローズアップするスチルライフが多用され、さながらギャラリーにいるような感覚に陥る。これもキャリアマインドをくすぐるのではないか。

 店舗展開はH&Mに比べると、多店舗化が遅れ、全国的な知名度はいまいちだが、価格帯的には値ごろなのでコンサバ、エレガンス系に飽き足りないキャリア層は捉まえると思う。ネットである程度の仕事がこなせるIT関係やデザイナー、イラストレーターなどのクリエイティブキャリアには向きそうだ。筆者が女性なら日常の仕事着には迷わず選ぶ。

 ドメコンがモード感を維持するエッジとスパイスのきいたテイスト、色柄、素材、デザインでの差別化、エンフォルドのようなドレスやコートといったキーアイテムにより磨きをかけていけば、進化型キャリアとして一定のマーケットを確保していくと思う。この手のアイテムがもっと増えていってもいいのではないか。

 もっとも、それができるのは百貨店系NBではなく、専門店系アパレルの出番かもしれない。WWDの編集サイドもそれを十分にわかった上で、今回は営業絡みで中小アパレルがクライアントにならないため、しょうがなかった面はあるだろう。でも、もう少し掘り下げてくれないと、読者にとってはつまらない。350円でも買う気は失せてしまう。まあ、筆者は買ったが。
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